梅雨
俺には一つ年下の後輩が存在する。
何の因果か、俺が弄られ体質だということを見抜き、彼女は登校日の日には必ず俺に会いに来る。無論、抵抗する俺を弄って楽しむために。
「雨、凄いですね」
「……そだね」
いつもの授業終わりの放課後。誰もいなくなった無人の教室には、雨空を惚けた顔で見上げる俺と、例の後輩であるヒノちゃんが机の上に座って外の様子を伺っている。
「今日も何処かにお出掛けしたい気分だったんですけど、この様子だと暫く止みそうにないですね」
「そうなんだよねぇ……これだから梅雨の季節は嫌いなんだよ」
梅雨の季節は即ち、鬱という言葉を示す季節に他ならないだろう。自由に外を出歩くことがままならなくなるし、湿気のせいで身体もジメジメするし、挙げ句の果てには俺の心までもがジメジメするし、何も良いことがない。
「ツム君は梅雨が好きではないんですか?」
「そりゃそうさ。だって自然と気持ちも暗くなっていくんだもの。むしろ好きと言う奴の方が圧倒的に少ないと思うけど」
「でもツム君の立場からしたら、嫌なことばかりではないはずですよ? ちゃんと得することがあります」
ここでヒノちゃんお得意のニヤつき顔が出た。間違いなくロクな答えじゃないだろう。
「……一応聞いておこうか」
「ふふっ……考えてみてくださいツム君。この雨空の下、傘を忘れてしまった人は少なからずいるはずです。勿論、この学校の生徒にもそういう人はいました。ほら、あそこにもいるのが見えますよね?」
そう言いながら彼女は外の方を指差す。
確かに、傘を忘れてしまったようで、鞄を頭に乗せて走っている女子高生が見えた。
「あのようにガードを試みたとしても、雨風を防ぐことはできません。そして、それがどういう結果を招くのか。言ってしまうと、制服が透けますよね?」
「……だから?」
「つまり、ツム君は女子高生の透けブラを拝むことができる権利を会得できるわけです。ブラが好きなツム君には堪りませんよね?」
「人をブラフェチ呼ばわりするんじゃない!」
やっぱりそういう方向性のオチだった。堪ったもんじゃないよ全く……。
「え? ということはツム君……ブラじゃ飽き足らず、直の胸を見ないことには満足できないと? エッチですね、相変わらず」
「俺何も言ってないよね!? 勝手に俺を変態認定するんじゃありません!」
ちなみに俺はブラフェチでも無ければ、胸フェチでもない。即答一択で耳フェチだ。
……なんて、口が裂けても絶対にこの娘には教えない。十中八九ネタにされるから。
「でもそういう場面に遭遇したら見ちゃいますよね? 正直に答えてくださいツム君」
「見るも何も、そういう場面に遭遇する機会自体がまず無いから! もういいよこの話は!」
この流れだとキリがないので、強引に打ち切らせてもらう。こうして荒技を使っておかないと、ヒノちゃんの言葉責めから脱出できないから。
さてと、今日はこれ以上残っている理由もないし、そろそろ帰るとするか。
椅子に掛けてあるリュックを背負い、中にしまってある折り畳み傘を取り出し、席を立ち上がる。
「もう帰るんですか?」
「うん。課題も特に無いし、実は残ってる理由はなかったんだよ」
「ならなんで残ってたんですか?」
「……知らね」
別に、ヒノちゃんが来るのを待ってたとか、そういう意味とかは特に無い。ただ俺は人が少ない時にゆっくり帰りたいだけだ。他意は無い……はず。
「ふーん……」
「な、なんだよその顔は」
「いえ、別に何でもないですよ。もしかしたら、私が来るのを待っててくれたと思ったんですが、それは私の思い違いだったようですね」
「は……はっはっはっ! そんなわけないだろ〜? な〜にを自惚れちゃってるのさ〜、ヒノちゃん。俺がそんな……い、意味ありげなことをするわけないだろ〜」
「ぷくくっ……そうですね。それじゃ今日のところは寄り道せずに帰りましょうか」
ちっ、笑って流したか。恥ずかしい思いをさせてやろうと思ったのに、これも不発に終わってしまったか。
まぁ良い。今日はこれ以上弄られるネタもないだろうし、このまま平穏を保ちつつ帰ろう。それが今、俺が取るべき最前解だ。
二人並んで廊下に出て、階段を下りて行く。生徒玄関まで来て外靴に履き替え、外に出た。
例の如く、外はざぁざぁと止めどなく雨が降り注いでいる。結構な豪雨のようで、意外と雨音が激しく鳴っていた。
傘を差して雨空の元に出る。
「……ん?」
ふと後ろを振り返ると、ヒノちゃんは傘を差さずに屋根のある生徒玄関に立ったままでいた。
「あのさぁヒノちゃん。もしかしてだけど……」
「はい。今日はうっかり傘を忘れてしまいました」
「何してんだ君は……」
今朝の天気予報を見ていなかったのか? 昼から降水確率がほぼ百パーセントと言っていたのに、どうして傘を忘れるかな? というか、朝から空模様が怪しかったのに、どうして警戒して傘を持ってこなかったのか理解に苦しむ。
「やれやれ、意外とうっかりさんなんだねぇヒノちゃん。まぁ、そういう間抜けな面も俺はある種で嫌いじゃないけどねぇ〜?」
「…………」
皮肉を言ってみたが、全く効果は無し。それ以前に話を聞いていないようで、意味深な目で俺をただ見つめてきていた。
何となく……いや、ヒノちゃんが何を思っているのか完全に察した。
どうする俺よ。ここまま皮肉を言い続けて日頃の仕返しをするのは、今しかないチャンスだぞ。
……なんて、そんなことしたら俺はクズ男に成り下がるだろうからしないけどね。
「……ほら」
生徒玄関の方に戻り、すっかり濡れてしまった折り畳み傘を差し出す。対するヒノちゃんの顔は、何処か嬉しそうに薄っすらと笑っていた。
「あれ? 貸してくれるんですか?」
「ふっ、俺はこう見えて懐の広い人間なんでね。流石に今回ばかりは意地悪しないよ」
「でもそれだと、ツム君の分の傘が無くなってしまいますよ?」
「俺は良いよ。猛ダッシュで帰れば大丈夫でしょきっと」
そうして、リュックを頭に乗せて走り出す準備をする。
結局びしょ濡れになる未来は避けられないか。まぁ、しょうがない。これも可愛い後輩のため――いやいや何言ってんだ俺、別に可愛くも何ともねーし。可愛いのはニッコリ笑顔限定だし。普段のこの娘は人弄りに容赦無しの鬼畜外道少女だし。
「さてと……行――」
「待ってくださいツム君」
「何? まだ何か用があるの?」
勢い良く飛び出そうとしたところ、呼び止められると同時に背中を掴まれてしまう。気が削がれるから早く済ませてほしい。
「これでツム君に風邪を引かれては申し訳ないです。なので今日はこうして帰りましょうよ」
そう言うと、ヒノちゃんが隣にくっ付いて来て、二人の頭が隠れるように傘を持ち直した。
いやちょっと……これって所謂、相合傘ってやつだよね? いかん、顔が熱くなってきやがった。
「それじゃ帰りましょうか」
「い、いやちょっと待って。これには色々と問題が……」
「……?」
なんでこの娘はこうして平然としていられるの? 俺はこんなに動揺しているというのに、度胸があるにも程があると思う。
素か? これは彼女の素なのか? くそっ、また負けたような気分だ。
「……ぷくくっ」
ヒノちゃんは俺の動揺に気付いたようで、お得意のニヤニヤ顔になってこちらの様子を伺ってきた。
「どうしたんですかツム君? もしかして照れてるんですか?」
「は? 何? 照れる? 一体何のことかな? そもそも照れるって何? 僕にはさっぱり分からないなぁ?」
「ぷくくっ……ほら、風邪引かないうちに行きますよ」
「あっ、ちょ、ちょっと待てって! せめて傘は俺に持たせなさい!」
傘を取り返して俺達の間に位置付け、雨空の下を歩き出す。豪雨は一瞬で傘をびしょ濡れにして、地面に落下する際の水飛沫が足首辺りを濡らした。
それからしばらくの間、お互いに口を開くことなく歩き続ける。その沈黙がまた気まずくて、おまけに心臓の鼓動音がやたら大きく聞こえてくる。
「あっ、ツム君。左肩が濡れてますよ」
ようやく喋ってくれたと少し安堵しつつ、左肩の方を見てみる。ヒノちゃんの言う通り、確かに左肩の部分が雨に当たって濡れてしまっていた。
でもそれはしょうがないこと。所詮は折り畳み傘なので面積が通常の物より小さいし、ヒノちゃん側に多く面積を取るように傘を位置付けているのだから。
これで風邪なんて引かれたら後味悪いしな。ここは紳士の心構えで配慮してやろうじゃないか。
「ほら、濡れるからもう少しこっちに寄ってください」
「べ、別にこれくらい大丈夫だって。人の心配より自分の身体の心配をしなさい君は」
「駄目です。早く寄ってください」
「いやだから……」
しかし聞く耳持たず、半ば強引にヒノちゃん側に引き寄せられてしまう。それにより俺達の距離はゼロとなり、肩がぴったりくっ付く形になってしまった。
「…………」
「どうしましたツム君? また顔が赤くなっていますよ?」
「気のせいじゃないかな!? または幻覚じゃね!?」
「ぷくくっ……ならそういうことにしておきましょうか」
「そういうことにしておくっていうか、元々そういうことだし!」
今更気付いたけど、また弄ばれてしまっている。俺の初心い純情を利用しおって、更には余裕持ちやがってよぉ。
「もしかして、意識してくれてます?」
「してません」
「恥ずかしいですか?」
「何が恥ずかしいのか分かりません」
「落ち着きませんか?」
「至って正常心拍数です」
「実は得した気分になってますか?」
「えぇい! 黙って歩きなさい!」
「ぷくくっ……分かりました」
この雨のように次々と降り注ぐ弄りの嵐。若干の苛立ちを覚え、聞くに耐え兼ねて黙らせる。
再び長い沈黙が訪れる。先程と違ってぴったりくっ付いているので、元々大きくなっていた鼓動音が早鐘のように落ち着きがなくなり、悪化した。
まさか聞こえてない……よね? もし聞かれていたとしたらかなり恥ずかしい。穴があったら掘り進んでトンネル開通な気分だ。地盤沈下しないか心配なところだが。
……駄目だ。やっぱり沈黙には耐えられない。これならまだ他愛も無い話をしていた方がマシだ。
「……ヒノちゃん」
「…………」
「ねぇ、ヒノちゃんってば」
「…………」
「あの、聞いてます? ていうか聞こえてるよね?」
「…………」
「聞けよ! シカトしないでよ! 泣くぞ!?」
「え? 喋っていいんですか? 黙ってなさいと言ったのに、今度は喋ってと言うんですか? これは矛盾してると思いませんか?」
「悪かったよ! 謝るからそういう意地悪は止めてください! 俺は放置されることが最も傷付く兎のような人間なんです!」
「寂しさで死んじゃうというやつですか。なんだか女々しいですね」
『女々しい』という文字が書かれた矢印が心臓を貫いた。今のは効いた。今のは心に深い傷を負わせた。
「えぇそうですよ、どうせ俺は女々しい男ですよ。だからクラスの女子達に『天川君ってハムスターみたいだよね』と言われて微笑まれるんだよ。こうして一生俺は馬鹿にされ、年上年下関係なく下に見られて生きていくんだよきっと……」
「それって馬鹿にされてるんですか? 可愛いじゃないですかハムスター」
「意味合い違っても、要は可愛いと言われてるんでしょ!? 嬉しくないんだよその褒め言葉!」
「ぷくくっ……良いじゃないですか、可愛い男の子。私は結構好きですよ」
「え? あっ、そ、そう……そッスか……」
「えぇ、ですからツム君は今後、女々しい系男子という新しい路線で人気を集めましょう」
「やだよそんなの! 見方を変えたらひ弱な男子と思われるじゃん! 俺は至って健全系男子だ!」
「健全? ブラフェチなのに?」
「しつこいなそれ!? 耳フェチだって言ってるでしょーが!」
あっ、墓穴掘った。
「ふーん……ツム君は耳フェチなんですか。そうですかそうですか」
満面のニヤニヤ顔になるヒノちゃん。前にこの娘に開いた口を塞ぐ努力をしましょう的なことを言われていたが、本当に俺は学習できない人間のようだ。
「……絶対言うなよ」
「さて、どうしましょうねぇ?」
「お願いします! 一つだけ何でも言うこと聞くから言わないで!」
「ぷくくっ……何でも、ですか?」
ヤケクソになっているのか、考え無しにとんでもない失言をしてしまった。最悪だ。よりにもよってヒノちゃんにこんなこと言ってしまうだなんて、一生の不覚だ。
しかし、一度言ってしまった以上は引き下がれない。心の準備ができないまま覚悟しなくてはいけないようだ。なんというハードな試練よ。
「くっ……男に二言はない! ほら言えよ! 何でも良いから言えよ!」
「本当に良いんですか? 無茶な頼みを言われても断れないんですよ?」
「む、無茶ってなんだよ? 例えばどんなだよ?」
「そうですねぇ……例えば――」
くすりと笑い、俺の目を見ながら彼女は言った。
「私にキスをしてくださいと言われたら、ツム君はできるんですか?」
「…………は?」
聞いてすぐに言葉の意味を理解できなかったが、少ししてからその意味を理解した。
頭の中で小規模な爆発が起こり、一瞬にして顔が真っ赤に染まった。間違いなく耳や首まで赤みが伝染していることだろう。
「な、な、ななな何言ってんの!? 自分が何言ってるか分かってんの君!?」
「例えばの話ですよ。どうなんですか? できるんですか?」
「そ、それは……」
「できるわけねーでしょーが!」と叫びたいのが本音だが、もしそれを言ってしまったら終わりだ。男に二言は無いとまで言って、大見得切ってしまったのだから。
だが、いざやるとなったらできない気しかしない。俺にそんな度胸は今の所無いし、そもそもヒノちゃんのファーストであろうキスを軽々と奪えるはずもない。
これがジレンマってやつなのか。なるほど、どうしたらいいのかさっぱり分からん。そもそも最善解が存在しないだろこれ。
「ぐぅ……」
「……ふふっ」
真面目に考え込んでいる最中、ふとヒノちゃんの方を見ると、口元に手を当てて笑いを堪えていた。
「本当に学ばない人ですねツム君は。冗談ですよ、これも」
「……え?」
「ぷくくっ……誰にも言いませんよ。話したところで需要もありませんしね」
「…………」
またもやヒノちゃんの策略の中で弄ばれたことに気付いた。真面目に考えた俺が浅はかだった。
「くっ……何度俺をからかったら気が済むんだ……」
「済むことは今後ずっとないですね。何度でも弄り倒して笑います」
「少しは弄られるこっちの身になって物事を考えてみるのはいかが?」
「いえ、遠慮しておきます」
「あぁそうですか! それは余計な気遣い掛けましたね!」
もうこの娘の策略にはハマらんぞ。もう二度と騙されないと誓ってやろうじゃーないか。気付けばこの状況にも慣れてきたし、これならもう何を言われてもポーカーフェイスで素通りできる自信があるぞ。
ついでに反撃の機会を窺う余裕も出てきた。このままやられっぱなしで引き下がれる程、往生際は良くないんだよこっちは。
とは言え、どうするか。前みたいな挑発には乗らないみたいだし、恥ずかしがる様子なんて微塵もなかった。もっとこう、違う方向性で責めるべきなのかもしれない。
例えばそうだな……急に手を握ったりとか、だろうか。
「…………」
「ん? どうしましたツム君?」
「い、いや別に何も……」
自分で考えて一人で照れるとか何なん? こんなんでどうする俺。これじゃ反撃どうこう以前の話じゃないか。
見ろ、奴の左手は隙だらけだぞ。ここでいきなりギュッとその手を握れば、あのヒノちゃんと言えど、何らかの反応を示してくるに違いない。確証はないが、今までの安い案よりはマシだと思える。
後は吹っ切れることさえできれば、実行できる妙案。なのに、いざって時に勇気が湧き上がってきてくれない。くそっ、我ながらヘタレ野郎だ俺って奴は!
「うぉぅっ!?」
油断し切っていると、不意にヒノちゃんの左手が俺の右手に当たり、反射的に妙な奇声を上げてしまった。
「ぷくくっ……何ですか突然? びっくりするじゃないですか」
「……すいません」
どうやら狙ってやってきた悪戯らしい。こうしていつもいつも先手を取られてしまうんだ。情けないったらありゃしない。
「〜〜♪」
「ぐぅっ……」
今度はわざとらしい口笛を吹き始めたと思いきや、知らないフリをしながら人差し指で脇腹の辺りを突っついてきた。耐えてはみせるものの、このままじゃまた妙な声が出てしまう。
そしてついに、我慢の限界が訪れた。
「あぁもう! さっきからツンツンしつこいわ!」
そうして、突っついてきていた左手を右手でがっちりと掴んだ。いや、掴んでしまったと言った方が良いのかもしれない。
強く握れば潰れてしまいそうな程に華奢な手。女の子独特の柔らかい手は、握っているだけで心地良い感触が感じられた。
「ツム君?」
「……ハッ!?」
そこでようやくヒノちゃんの手を握り締めていることに気付き、咄嗟に手を離した。熱が帯びている顔を隠す余裕もなく、一歩後ろに退いた。
「ち、違う! 今のはそういうのじゃなくて……」
「そういうのって、どういうのですか? 具体的に説明してほしいです」
「そ、それはその……何というか……」
目を合わせられずに下に俯くと、逃がさんとばかりにニヤつくヒノちゃんが顔を覗き込んでくる。十分離れた位置のはずなのに、その顔が近くに見えて目のやり場を無くしてしまう。
「どうなんですか? 分かりやすく教えてください」
「いやだから……その……」
「ん〜?」
小さな声を聞き取るためか、ずいっと更に身を近付けてきた。動揺を隠しきれないまま同時に一歩退くが、またヒノちゃんは一歩近付いてくる。
それが何度か続き、ついに塀の方に追い詰められてしまう。対するヒノちゃんはニヤついた表情のままだ。
「ほら、追い詰めましたよ。観念して吐いてしまいましょう」
「うぐっ……だ、だからさっきのは――」
その瞬間、一台の車が俺達の隣を横切った。
「わっ!?」
「ぬぉ!?」
それも運が悪かったようで、大きくて地味に深い水溜りの近くに立っていたことにより、タイヤの影響で跳ね上がった水溜りが俺達を襲った。
特に冷たいわけではないが、突然のことで対応できなかった俺達はびしょ濡れ状態。最早傘を差す意味を失ってしまった。
「あっちゃー……ついてないですね私達」
「あぁくそっ! なんで毎回毎回こういう……目に……」
俺は、意識せずにヒノちゃんの方を見たことを後悔する羽目になった。
「っ!!」
びしょ濡れになってしまったということは、着ている衣服が透けてしまう可能性が出てくるということ。それは、ヒノちゃんに適用されてしまっていた。
白のセーラー服というのが仇となってしまい、制服が透けてくっきりと下着が見えてしまっていた。
「っ〜〜〜!!」
「ツム君? 一体どうし……あっ」
俺の視線の先を見て、本人もやっと自分の姿に気付いた。恥ずかしがってる様子はないが、やってしまったな〜、という顔になっていた。
「あの、ツムく――」
ヒノちゃんが俺に何かを言おうとした時、同時に俺は頭を下げた。
「ごめん!!」
「え? いや私は気にして――」
そう言い残し、咄嗟に脱いだ制服の上着と傘を強引に押し付け、全力ダッシュで逃げるように立ち去った。
「……悪いことしちゃったかな」
〜※〜
「ぶぁっくしょっ!!」
翌日。豪雨の中を駆け抜けた影響で、案の定俺は風邪を引いてしまった。
「ありゃりゃ、三十八度一分だ。大丈夫ツム兄?」
俺の脇から体温計を抜き、結構高い体温を目の当たりにして心配してくれる女の子が一人。
クセ毛の強い黒髪のセミロングに、我が妹と一目見て分かる俺に似た形のつり目。そして、何処か抜けた雰囲気がある不思議っ子。
彼女は俺の実の妹であるミノちゃん。歳が一つ離れた、何かと世話を焼いてくれる良き妹だ。
「逆に聞くが、お前には俺が大丈夫に見えるか?」
「いいや全く。今にも屍化してもおかしくない顔色ですなぁ」
「いやそこまで酷くないから。まだまだ寿命が尽きることはないから」
「そーなの? それは残念……という冗談を本気で言ったら流石に泣いちゃう?」
「ばっちり言っちゃってるから……そしてもう泣いてるから……」
「ごめんごめん。風邪引いた時のツム兄は、いつも以上に打たれ弱いんだもんね。失言しないように配慮の気持ちを心掛けておきましょーかねぇ」
慰めと謝罪の意味を込めて頭を撫でてくる。母性本能を燻る手の感触が心地良く感じられる。
「一応、学校に連絡して休みは取っといたけど……どうする? 私も休んで看病に徹した方が良いかな?」
「んにゃ、何とか大丈夫だよ。俺のことはいいから、ミノちゃんは学校に行ってきな」
「そう? 一人になっちゃうけど大丈夫?」
「うん。今日は一日中安静に寝てることにするよ。心配してくれてありがとね」
鸚鵡返しをするように頭を撫で返す。ミノちゃんは若干照れたように口元を緩め、俺の手を掴んでベッドの上にそっと置いた。
「唯一無二の兄妹だしね、そりゃ心配して当然っしょ。それじゃ私はそろそろ行くことにするけど、その前に必要な物を持ってきておくね」
「お願いしますわ」
頼りになる妹が部屋から出て行き、少ししてから色々と物を抱えて戻って来た。
「えーと……まずは迎撃用のGP100。弾丸も一緒に置いとくからね」
「いやちょっと待てぃ! 初っ端からボケをかましてくるんじゃない!」
迎撃用って何!? ていうかリボルバーだよねそれ!? 何処で調達してきたんだよそんなの!?
「いつ仕入れたんだよそれ!? 完全にアウトじゃん! 銃刀法違反によって即刻逮捕物じゃん!」
「心配ご無用。よく見てツム兄、これはエアガンだよ。私の改造によってガラス製のコップくらいなら撃ち砕ける威力があるけど」
「十分な殺傷能力付きじゃん! いらんわそんなの! 捨てるか隠すか決めて早々に処分しなさい!」
「しょうがないなぁ〜。それじゃこれは廃棄として……次は匂い付きの消しゴムね。お腹が減ったら食べるといいよ」
「せめて栄養価のある日常的な食べ物にしてくれません!? 確かに昔に食べてたキチガイとかいたけれども!」
「これもいらないと……それじゃ最後にバナナね。これもお腹が空いたら食べるといいよ」
そう言って渡してくるが、バナナは明らかに食べられた形跡があった。というか、既に皮しか残っていない状態だった。
「いやゴミじゃんこれ! 何!? 嫌がらせのつもり!?」
「甘いなぁツム兄。これはいざというときに起死回生のトラップに早変わりするんだよ? 迎撃用に使えるっしょこれ?」
「何処のカートレースの話!? ゴミはちゃんと分別したゴミ箱に捨てなさい!」
「はーい。それじゃ行ってきまーす」
「ちょーい!? 結局何も置いてってくれないんかーい!」
結局、好きなだけボケたかった気持ちが大きかったようで、最後の最後に必要最低限の物を持って来てくれると、ミノちゃんは雨空の中を歩いて学校へと向かっていった。
「うっ……喉が……」
ツッコミの際に大声を出してしまったせいで、病状が更に悪化したような気がした。重い頭は更に重みがのしかかり、喉も痛みが生じ、立つこともままならないであろう怠さだ。取り敢えず今は大人しく寝ていよう。
そうして俺は目を瞑り、深い眠りに落ちていった。
〜※〜
数時間が経過した。朝はぐっすりと深い眠りに落ちることができたものの、昼になると流石に眠気が吹き飛んでしまった。
体調が回復する傾向は無し。むしろ更に悪化してきているようで、視界がボヤけて異常に身体が熱い。
額のタオルを取り替える余裕はないし、それ以前に起き上がる気力すらない。やっぱりミノちゃんに残ってもらうべきだったか。今更後悔しても遅いのだが。
時刻は……三時か。もう授業が終わっている頃合いだし、そろそろ我が妹も帰って来てくれるはず。早く帰って来てくれないものか。
「ただいま〜」
思った側からよく聞き覚えのある声が聞こえた。良かった良かった、言っていた通り早めに帰って来てくれたようだ。
「おじゃましまーす」
「……え?」
だが、聞こえてきたのは妹の声だけではなかった。他にもう一人、よーく聞き覚えがある忘れられない声が聞こえてきた。
冗談だろう? まさかとは思っていたが、あの二人って……。
「ヒノは先に行っててくれる? 私お粥作ってくるから」
「奥の部屋だったよね? 分かったよ〜」
妹の声が遠ざかって行き、もう一人の人物の足音が聞こえてくる。そして、俺の部屋の前でピタリと止まった。
三回程ノックをしてくると、物音を立てないようにゆっくりとドアが開かれた。
「あっ、起きてたんですね。こんにちはツム君」
「……ヒノちゃん」
嘘だと言ってくれよ神様。昨日あんな件があったってのに、なんでこのタイミングで我が家にこの娘が現れるんだよ。
「大分具合悪そうですね。大丈夫……と聞くのは愚問ですね」
「な、なんで君が来てんの?」
「放課後に教室に行ってもツム君が見当たらなかったので、ミノちゃんに聞いてみれば風邪で寝込んでると言うじゃないですか。だからお見舞いに来ました。ちょっとタオルを失礼しますよ」
額の上に乗った乾いたタオルを取り除き、代わりに冷えピタを貼ってくれた。ひんやりとした感触が若干の熱を冷ましてくれるようで、先程より大分気が楽になった気がした。
……どういうことだ。俺と顔を合わせたというのに、弄ってくる様子が全くない。まるで本当にお見舞いに来てくれたかのようだ。
別に求めてないから良いんだが、これはこれで落ち着かない。もしや猫を被っているのか? 油断したところで化けの皮を剥がしてくるつもりか? くそっ、只でさえこっちは具合が悪いというのに!
「部屋の空気が悪いですね。少しの間だけ換気したいので、窓を開けても良いですか?」
「……お好きにどうぞ」
窓を開けて網戸を閉める。外は未だに雨空模様で、一向に天気が良くなる気配はない。
この雨のせいで俺はこんなことになって……憎いぞ雨よ。俺の憎悪は煮え滾っているぞ。
「私達が来る前に何か食べていましたか?」
「いや……午前中はずっと寝てたし、食欲無かったから何も……」
「食べてないんですか? 駄目ですよ、食欲無くてもちゃんと食べないと。それにまさかとは思いますが、水分も一切取ってないんですか?」
「まぁ……そうなるかな……」
「そんなの病状が悪化して当然ですよ。ほら、スポーツドリンク買って来たので飲んでください。一気にじゃなくて、少しずつ飲んでくださいね」
五百ミリのペットボトルを渡され、言われた通りに少しの量を飲み、また少しの量を飲み込んだ。
「もう少しでミノちゃんがお粥を作ってきますから、それまで寝ててください。病気を治す基本は寝ることですからね」
「でももう眠気が微塵もないんだけど……」
「それでも横になってるだけで違うんです。安静にしてないと治るものも治りませんよ。あっ、汗を掻いてると思いますけど、それはミノちゃんに頼んであるので安心してください」
「……そッスか」
やっぱりおかしい! おかしいよヒノちゃん! どうしてしまったんだ君は!?
面倒見良すぎじゃね!? ちょっと手慣れ過ぎてやしないか!? ていうか凄く優しいんだけど!? 何この今までに見たことがない変わり様!?
こういうことを思っちゃいけないのは重々分かっているのだけれど、今までの散々な行いが積み重なっているせいで、今のヒノちゃんが俺には気味が悪く見える。まさかこれがヒノちゃんの真の姿なのか?
なんだか見方が変わった気がする。この娘にこういう一面があったなんて、思いもしなかった。
「入るよツム兄〜」
「あっ、作ってきましたね」
大きなお椀を持ったミノちゃんがドアを開けて入って来た。
「私特製タマゴ粥。一口食べれば目糞が消え、二口食べれば耳糞が消える。そして三口食べれば……鼻糞が消える優れもの。さぁ、お食べなさい」
「……食欲無い」
「え? 何? 糞が溜まってない?」
「いや違うから。糞以前の話だから」
ヒノちゃんと違い、我が妹の方は相変わらずマイペースだ。これでミノちゃんもただ優しいだけだったら気が気じゃなかったな。
「食欲が無いというか、単に自分で食べるのが面倒臭いとか? それは食べさせて欲しいという願望かいブラザー?」
「違うから。本当に食欲がないだけだから」
「しゃーないなぁ。じゃあここは私が食べさせてあげるとしましょーかねぇ。女の子に食べさせてもらうなんて、贅沢な立場だと思わないかいヒノ?」
「ふふっ……しょうがないよミノちゃん。今のツム君は病人なんだから」
「それもそだね。でも結果的に良いご身分だねぇ、お兄様? 愛しの仲良いガールフレンドが看病しに来てくれるとか、何処のラブコメ展開だろうね?」
野郎、人が弱ってるからって茶化しにきてやがる。折角ヒノちゃんが大人しくしてくれてるってのに、こいつときたら……。
「からかうつもりなら出てってくれると有り難いんですが」
「あらら、怒られちゃった。それじゃこの特製お粥はヒノが食べさせてあげてね」
「うん、分かった」
「……は?」
ミノちゃんが食べさせてくれると思いきや、特製お粥はヒノちゃんの手に渡ってしまった。それはマズい、個人的にとてもマズい、何の羞恥プレイだこれは。
「ちょっと待って。立場的にそこはミノちゃんが――」
「うっ!? きゅ、急にお腹があいたたた!? これはトイレで長丁場な予感が大だね! 出るものが大なだけに? ぷぷっ……それじゃ私はトイレに行くので失礼!」
急にわざとらしい演技をし出したと思いきや、身体を拭く用であろうタオルを置いて、俺達を置き去りにして部屋から出て行ってしまった。
そして、必然的に俺とヒノちゃんだけが残される。誰もいない二人きりの空間。その状況に気付いた時、只でさえ凄い汗が更に流れ出した。
「それじゃ私が食べさせてあげますね。口を開けてくださいツム君」
「ま、待って待って! 何だか身体が楽になってきたから、今なら自分で食べられる気がする!」
「なら尚更安静にしていてください。風邪を振り返さないためにも、今は大人しく言うことを聞いてください」
正論の嵐に何も言い返すことができない。それに身体が楽になってきたなんて嘘っぱちだし、ここは大人しく従うしか選択肢がない。
どうせ風邪が治った暁には、このことをネタにされて弄られるんだろうなぁ……。最近はこういうネタばかり作ってるような気がしてならない。
「ハァ……分かったよ、分かりましたよ。開ければいいんでしょ開ければ」
観念して口を開いた。これ以上抵抗しても無駄だろうし。
「それじゃ……はい、あーん」
その掛け声には決して反応しないようにして、パクリと一口お粥を口の中に含んだ。とろりとした卵の食感と味が喉に優しく、実に食べやすく仕上がっていた。流石料理上手なだけあるなミノちゃん。
「美味しそうに食べますね。そんなに美味しいんですか?」
「そりゃーね。稀に気まぐれを起こして下手物を作る時があるけど、基本ミノちゃんの作る料理は当たりだから」
「ふむ……それじゃ私も一口」
「え? いやちょっ!?」
俺が一度口を付けたレンゲにも関わらず、お粥を掬ってパクリと一口。平然と間接キスをやって退けた。
「ホントだ美味しい。料理上手な妹が傍にいて、ツム君は幸せ者ですね」
ふと笑みを浮かべ、またお粥を掬って俺の口元に差し出してくる。
食えと? ヒノちゃんが口付けたレンゲでこれを食えと? いかん、また体温が上がってきた気がする。
「も……もうお腹一杯です」
「まだ一口しか食べてませんよ? もっと食べないと風邪が治りませんよ。ほら、口を開けてください」
「ぐぅ……」
逃れられない状況に再び懲りて、ヤケクソ気味に口を大きく開く。
そして、またパクリとお粥を食べた。
「っ〜〜〜」
さっきの味わい深さが消え去り、味が全く分からなかった。原因は言うまでもない。
「……もう一口」
呟きと共に、またもや自分でお粥を食べるヒノちゃん。嘘だろ? まさかこれをずっと続けるつもりか?
「ホントに美味しいですねこれ。今度レシピを教えてもらおっかな……」
そうして三度お粥を差し出される。味の分からないお粥を食べ、またヒノちゃんがパクリと一口をいただく。
予想通り、それが永久的に続いていき、何口目か分からないままお粥を完食してしまった。
「ついつい私も一緒に食べてしまいました。すみません、ツム君」
「…………」
「ツム君?」
駄目だ、ヒノちゃんと目を合わせられない。いや、目どころか顔を合わせることすらできない。
今まで感じたことのない羞恥心にドギマギして、何も見ないように目を瞑った。これが今できる精一杯のヒノちゃん対策だ。
「お腹一杯になって眠くなりましたか?」
「……そんな感じです」
「そうですか。それは良かったです」
立ち上がり、お椀を持って部屋から出て行くヒノちゃん。このまま戻ってこないでミノちゃんとガールズトークに花を咲かせてくれれば良いものを。
しかし願い叶わず、ミノちゃんが戻ってくる気配がないままヒノちゃんが戻って来た。
「他に何かあったら言ってくださいね」
「う、うん……」
ヒノちゃんがベッドの近くに腰掛けたところで、いつかに似たような沈黙が訪れる。彼女にとっては何でもないことかもしれないが、こっちの身としては気まずさしか感じない。無論、眠気なんてあるわけもない。
特に何もせずに、ヒノちゃんはただジッとしているようだ。俺の部屋を漁る絶好の機会だし、普段の彼女であれば間違いなく探索していることだろう。
でも彼女は何もせずに大人しくしている。だからこそ、俺は珍しく勘を鋭くさせて察することができた。
「……一つ言っておきたいことがあるんだけど、良いかな」
「なんですか?」
「違ったら流して聞いてほしいんだけどさ。もしかしてヒノちゃん、俺が風邪を引いたのが自分のせいとか思ってない?」
「っ!」
右目だけ開いてチラリと確認してみると、苦笑して反応を示していた。察するに図星なんだろう。
「よく分かりましたね。なんで気付いたんですか?」
「……勘」
「ぷくくっ……ツム君がですか?」
「笑うなそこ! まるで俺が普段鈍い奴みたいじゃん!」
「鈍いも何も、ツム君は普通に鈍感ですよ。きっとミノちゃんもそう思ってますよ」
「なん……だと……?」
女々しいと言われ、今度は鈍感だと? 着実に俺の欠点が増えているようで、どんどん落ちこぼれてしまっている。なんと悲しいことかな。
「でもそうですか……ツム君に見切られてしまうだなんて、私もまだまだですね」
「まぁ、それはともかくとして話を戻すけど……あれは俺が勝手に突っ走って濡れただけだから、ヒノちゃんが責任を感じることはないからね?」
「でもそれは元々私が――」
「あ〜いいですいいですそういうのは。俺は君のそういう顔は見たくないんです」
申し訳なさそうな顔をしているが、そんな顔はヒノちゃんには似合わない。彼女に似合っているのは、いつもの定番であるニヤニヤ顔と……時折見せる可愛い笑顔だけだ。
「とにかくだ。もし謝罪の意味で俺の看病をしに来たのならもう帰りなさい。俺は全然気にしてないし、またすぐ元気になるから。分かった?」
「……はい」
何を思ってか、ヒノちゃんは薄っすらと笑って頷いていた。何にせよ、納得してくれたなら何よりだ。
でもって、これでようやく俺は一人になれるということだ。やれやれ、一時はどうなるかと思ったが、無事解決して良かった良かった。
「それじゃ今日は、『心配して来た』という名目に変更しておきますね。それならまだ残ってても良いですよね?」
……そうきましたか。まぁ簡単にいくとは思ってなかったんですけどね実は。
「それならまぁ……別に良いけどさぁ。無理して残る必要はないからね?」
「大丈夫です。私が好きで残ってるだけなので」
「好っ……そ、そッスか……」
意味深に捉えるな俺、きっとこの娘は他にやることがなくて暇なだけなんだ。部活動にも入ってないし、退屈だから残ると言っているだけなんだ。
誤解するなよ俺……ていうか、誤解って何? 何の誤解? 全く訳が分からないWhy?
……あっ、そういえばこの娘にもう一つ言うことがあった。滅茶苦茶気恥ずかしいことだけど、ちゃんと言っておかないと駄目だよね……。
「えーと……それとさヒノちゃん。もう一つ言うことが……というか、謝らなくちゃいけないことが……」
「謝る? 何をですか?」
「それはその……昨日のアレと言いますか……水溜りが跳ねた時のと言いますか……」
「あぁ、そのことですか。別に私は気にしてませんよ」
「そ、それでも謝りたくてさ。言い訳に聞こえるかもだけど、アレはその……不可抗力というか、見るつもりはなくて……でも見えちゃったから……」
「ちなみに昨日は、ツム君にこの前プレゼントしてもらった下着を付けてたんですよ。黄緑色のやつなんですけど、覚えてますか?」
「いらんカミングアウトはしなくていいから! 取り敢えず、ごめんとだけ言わせてください!」
「……駄目だと言ったら?」
「え……そ、そんな……」
「ぷくくっ……冗談ですよ。幸い、他の人には見られなかったから大丈夫ですよ。ツム君がくれた上着でカバーできましたから」
そういえば傘と一緒に押し付けて去ったんだっけ。すっかり上着の存在を忘れていた。
「だからツム君も気にしないでください。ツム君になら見られても、私は平気ですから」
「……はぃ!?」
俺になら見られても平気と言ったか今!? 何だその意味深な言葉は!?
「ちょ、ちょっと待って! どういう意味だそれ!?」
「……どういう意味だと思います?」
でたよお得意の質問返し。聞いてるのはこっちだっつの! 分からないよ君の内情なんて!
「分かりませんか?」
「し、知らん!」
「気になりませんか?」
「ならん!」
「そんなに声張って大丈夫ですか?」
「張らせてるの君ぃ!!」
「ぷくくっ……すいません、冗談です」
すっかりいつものヒノちゃんに戻ってしまった。くそっ、もう少し大人しくさせておけば良かったか。
「早く元気になってくださいね。そしたら今日の分も含めて、沢山弄ってあげますから」
「既に弄りに来てるでしょーが! 望んでないからそんなの!」
「という言葉の裏返しですか? ツム君はツンデレですね」
「違う! 勝手な言葉の解釈をするんじゃない!」
この調子で暫く会話が続き、後に気付くと体調の方が大分良く回復した。声を張っていたはずなのに、病とは分からないものだ。
〜※〜
〜夜中の会話〜
「それじゃ私はそろそろ帰るね」
「ぬぬ? 泊まっていかないの? 別に私は構わないよ?」
「そうしたいのは山々だけど、お母さんがもう夕飯作ってるらしいから」
「そりゃ残念。にしても、お二人さんの関係は相変わらずなんだね」
「うん。毎回面白い反応してくれるから、ずっと見てても飽きないよ」
「……告白しないの? 一応フリーだよツム兄」
「うーん……そこはちょっと考えててね。できればツム君の方から言ってほしいな……って思ってるの」
「なるほどなるほど。でも気を付けた方がいいよヒノ。ああ見えて密かに人気があるからね、ツム兄は」
「ふふっ……多分だけど、その心配は必要ないと思うよ」
「ほぅ……それは何故だい?」
「ツム君から他の女の子に言い寄る度胸がないと思うから……かな」
「ぷぷっ、それはごもっともで。ま、私は二人がずっと仲良くいられることを祈ってるよ。色々と面倒掛けるだろうけど、ツム兄のこと宜しくね」
「それはツム君次第じゃないかな? 私が嫌われる可能性もあるんだし」
「そりゃないっしょ。実はツム兄、私と話してる時にはヒノの話題を必ず出してるくらいだしね。苦手だなんだ言ってるけど、嫌よ嫌よも好きの内のパターンじゃない?」
「……そっか。そうだと良いな」
「これは私の勘だけど、いずれ時間が解決してくれると思うよ。だからヒノは変わらず待ってれば良いんじゃない? ま、それは個人の自由だけどさ」
「うん、考えておこうかな。ありがとねミノちゃん」
「いえいえ。親友のことだし、気を使うのは当然っしょ」
「ふふっ……そうだね」
そうして、二人の会話の内容を知らぬまま、俺は朝を迎えることとなった。