隠し事
俺には一つ年下の後輩が存在する。
すぐ隣に引っ越して来たことにより、最近はより頻繁に俺を弄って来るようになった悪戯好きの後輩。常々弄り返してやりたいと思っているのだが、言うは易く行うは難しといったように、中々上手くいかない日々が続いている。果たして弄り返せる日はやって来るのだろうか?
「……よし、準備完了」
今日は俺にとって、とても重要な日であった。しかしそれと同時に、とても危険な日でもあった。
実は様々な趣味を持っている多趣味マンな俺だが、その内の一つにぜったい周りの人達にバレたくない趣味がある。
ADV。つまりは恋愛シュミレーションゲーム。可愛い女の子達とキャッキャウフフな日常を送るという、現実の女の子達から見たらちょっとアレなゲームである。
本気でバレたくない趣味であるがために、今のところあのミノちゃんにですら知られていないという結果を今日この日まで残している。秘密を隠すのが超苦手なはずなのに、どうやら俺にも絶対譲れない執念というものがあったらしい。
そしてその恋愛シュミレーションゲームだが……実は今日、俺がずっと前から目を付けていた最新作の発売日であった。
そのタイトルの名は『Tear memory』。ざっくり説明すると、ヒロインの一人一人が辛く悲しい思い出を背負っていて、その悲しみ苦しみから主人公が解放していくというもの。恋愛要素+感動要素も含まれているとのことで、恋愛漫画好きの俺としては何としてもプレイしたい一品だ。
そのために最初はネットで注文しようとしたのだが……我に返って手を止めた。荷物が届いたが最後、好奇心の塊みたいな妹であるミノちゃんに目を付けられ、秘密がバレてしまうことを恐れたから。
ネット注文が使用できない以上は、実際に店に行って購入しに行く他無い。しかしこのゲーム、目を付けている者が多いために売り切れ必至の商品なんだとか。つまり、適当に店に赴いたところで売り切れになっている可能性は火を見るよりも明らか、というわけだ。
だからこそ俺は、行く店を一店に定めた。隠れ名店という、ネットにも地図にも載っていない場所に。
そこは、俺がいつも漫画本を買う時にお世話になっている例の店。由利村さんと友達になったキッカケができた場所でもある、何かと縁があの本屋だ。
肩書き上は本屋なのだが、あの店には目立たないスペースのところに何故かゲームを置いてあるところがある。運が良いことに新作のゲームも取り扱っているため、狙うには打って付けだった。
今から買いに出れば購入には十分に間に合う。だから購入先の問題に関しては何も問題なかった。
そう……問題なのはそこじゃない。俺がどうにかしなければならないのは、俺の周りを巣食う悪しき存在の目を盗むことだ。
全ては俺の立ち回り方で結果が決まる。今日こそやってやるぜ。このスニーキングミッション、この手一つで完璧にこなしてみせる!
既に出掛ける準備はできた。後はこの部屋のドアを開けて、ミッションスタートするだけだ。
ドアを開ける前にまずは深呼吸をする。決して悟られないよう、平静を装うんだ俺。ここではゲームのことを考えるな。ただ外に出掛けるという事象だけを頭に入れておけ。
「よし……行くか」
ガチャリとドアを開けて廊下に出る。さぁ、ミッション開始だ!
まずは買いに出る前に朝食を食べなければいけない。本当ならコンビニに行っておにぎりを食べて済ませたいところなのだが、それはミノちゃんによって禁止されているためタブー。過去に内緒で買い食いしたことが一度だけあったのだが……その後のことは思い出したくない。
つまり俺は、これから“あの二人”の前で朝食を食べつつ、ごく自然にトークを交わさなければいけない。簡単なことに聞こえるが、相手が相手なだけに初っ端から難易度が高い。
リビングへ近付いて行くに連れて、例の二人の会話が聞こえてくる。引き返したい気持ちでいっぱいになりそうだが、四の五の言ってる場合じゃない。こうしている間にも刻々と時は進んでいるのだから。
一度口を手で抑えた後――リビングへと続くドアを開いた。
『Tear memory、好評発売中!』
「恋愛シュミレーションゲーム……今時のゲームって色んなものがあるのね」
バキンッ!!
顔には出なかった代わりに、腕の力に異常な支障が出てしまった。ドアノブってこんなに壊れ易い物だったっけ……?
「ちょいちょい朝から何やってんのツム兄。彼女できなくて欲求不満なのは分かるけど、馬鹿力出してまで物に当たっちゃ駄目っしょ」
「いや違ぇよ! そんなことでいちいち物に八つ当たる程、俺は落ちぶれてないわ!」
よくよくドアノブを見たら、ネジが緩んで外れ易くなっていた。また嫌なタイミングで壊れやがって、今はあんまり焦らせないで欲しい。
「おはようツム君! 彼女が欲しいのならいつでも言ってね!」
「う、うん……お気遣いどうもつくもちゃん」
「いえいえ〜」
いつも通りのニコニコ顔を浮かべていて、ご機嫌なご様子であるつくもちゃん。Tシャツ短パンというラフな格好のミノちゃんに相反して、今日は桃色の桜柄の着物を身に纏い、シュシュを使って髪型をポニーテールにしていた。
……つくもちゃんに言い寄られて何度もキスをされたあの日から、俺はつくもちゃんとあまり目を合わせられなくなっていた。
というのも、直視するとあの時の光景がフラッシュバックしてしまい、どうしても羞恥心が抑えられなくなってしまったのだ。それだけあの出来事が俺にとって衝撃的だったということなんだろう。
でも我ながら無理もないことだと思う。女の子から告白されるなんて人生初だし、キスをされたのも初だった。初めてばかりの経験に振り回されりゃ、そりゃパニクるに決まってる。
ただ、告白された以上はちゃんと返事を返さなければいけない。しかしどう返事をしたら良いのか全く分からず、そもそも自分の気持ちすら分からなくなってしまっていた。
だがその後日、つくもちゃんから告白の件について話を切り出されたのだが、「ゆっくり考えて良いからいつか必ず答えを出して欲しい」と言われた。その心遣いには感謝と申し訳なさの気持ちを抱きながらも、「ありがとう」と返事を返した。
それからはこうして一緒に暮らしてはいるが……時折ベッドの中に忍び込んで来たり、お風呂にバスタオル一枚姿で乱入して来たりと、それはもう気が動転する出来事ばかりに振り回されている。最近はミノちゃんに灸を据えられて比較的大人しくなってはいるが、いつまた予想の範疇を超えた行為をされるかと思うと気が気じゃない。
今日はミノちゃんよりもつくもちゃんを警戒すべきだろうか? いやでもミノちゃんはミノちゃんで要注意なことに変わりないし……やはりここが一番の難題か。
ドアノブが壊れたのは事故だったし、特に妙な気配は悟られていない。出だしはセーフだが、これは長い戦いになりそうだ。
「ふぅ……そういや今日の朝食は何?」
「あぁ、今日のはつくもが用意したんだよね。私的には嫌だったんだけど、毎日しつこくてさぁ。流石に私も折れて勝手に作らせた」
「嫌とか言わないくてもいいのに……でもやれることはどんどんやってかないとね! というわけで、今日は定番の和食を作っておきました〜」
つくもちゃんはウキウキしながら席を立ち、キッチンの方から俺の分の食事を運んで来てくれた。
お米に鮭の塩焼き。わかめの味噌汁にキュウリの漬物。ミノちゃんの料理も中々だと自負しているが、つくもちゃんも負けず劣らずの実力者だった。
全て運び終えてくれたところで、少しでも早く食べ終えようと箸を手に――持とうと思ったのだが、肝心の箸だけまだ用意されてなかった。
「あれ? つくもちゃん、用意させてる身分で申し訳ないんだけど、箸って持って来てなかった?」
「箸ならここにあるよ〜」
そう言うつくもちゃんの手には確かに箸が握られていた。
「あっ、ありがとう」
軽い解釈をした後に箸を受け取ろうと手を伸ばす――が、ひょいっと箸を持つ手を横に避けて躱された。
「え? あの、つくもちゃん?」
「…………はい、あーん」
何故か渡してくれないことに戸惑っていると、つくもちゃんが箸を使って魚の身を掴み、俺の口元に差し出してきた。
目を合わせないようにしているはずが、また顔に強い熱が生じた。だからそういう行為は控えてくれって言ってるのに……。
「あの〜、つくもちゃん? できれば朝食は自分で食べたいんだけど……」
「……私一生懸命作ったんだけどな〜?」
「うっ……」
ズブリと罪悪感の槍が俺の心臓を貫いた。
「少しで良いからご褒美欲しいな〜? 私の夢の一つを叶えさせて欲しいな〜?」
「わ、分かった分かった。分かったからこれ以上俺の胸の中を抉らないで……」
夢とはまた大袈裟な……なんて言ったら何される分かったものじゃないし、ここは黙っていよう。
滅茶苦茶恥ずかしいが、これもゲーム購入のためだ。ここで長い時間を使ってたまるか。
「はい、あーん」
再び差し出された魚の身を食べようと口を開く。
「あっ!?」
だがその寸前のところで、身を乗り出してたミノちゃんが横入りして食い盗んだ。もっさもっさと口の中を動かしつつ、つくもちゃんを冷めた目付きで見つめている。
「ちょ、ちょっと! 乱入して来ないでよミノちゃん!」
「喧しいわ。可愛さひけらかして何が夢を叶えさせてだ。あざといんだよやり口が」
「別にひけらかしてるつもりはないのに……」
「なら無意識でやってんでしょ。そういうぶりっ子アピール見てると反吐が出るんだよ。ついでに言っとくと、ツム兄は自分の行動を制限されるようなアピールされるの嫌いだから。きっと内心では『うぜぇ……』とか思ってるよ」
「いやちょっと!? 人のイメージを悪くする言い方止めてくれない!?」
確かに今こうして抵抗心を感じてはいるが、うざいとまでは思ってない。ミノちゃんと違ってつくもちゃんは純粋なだけなんだろうし。
「……すいませんでしたツム君」
あぁ……つくもちゃんが間に受けてしまった。俺の目から見ても明らかに落ち込んでるのが見え見えだ。
「いや違うからねつくもちゃん? ウザいだなんて思ってないからね? むしろ朝食作ってくれて感謝してるくらいだからさ」
「本当? ツム君は優しいなぁ……まるでゲームの主人公みたいだね!」
「っ……そそ、そーだね……そーなの?」
「……むっ?」
し、しまった! 予想外のところからの発言により、うっかり不自然な反応を取ってしまった!
そしてその反応に勘付いたようで、俺を見るミノちゃんの目が少し変わった。まるで俺の中身を覗いてくるかのような不気味な視線だ。
「……ねぇツム兄。なんか私に隠してることない?」
「隠す? 何の話?」
すぐに動揺を隠すよう取り繕い、普段の俺の様子を見せ付ける。つくもちゃんから箸を受け取り、急ぎ過ぎないように食事に有り付け出した。
「いやぁ、何となく思っただけなんだけどさ。無い? 私に隠してる面白いネタになりそうなこと」
「お前はお前のネタ帳か。ねーよそんなもん。妙な言い掛かりは止めなさい」
「でもツム兄って隠し事してる時に右の眉毛が少し上がるんだよね」
そう言われて眉毛に触れようとして――手を伸ばす前に策略に気付いて思い止まった。もし俺の予想が正しいとしたら、これは俺を罠に嵌めるための前フリなはず。
「……ちっ、乗らなかったか。最近退屈なのに空気読めないなぁ〜ツム兄」
ほら、やっぱりそうだった。もしここでオレが眉に触れて確認していたら、透かさずミノちゃんは俺を尋問して来ていたことだろう。一瞬の判断が命取りとは、やはりこの家は危険だ。
それ以上はミノちゃんも何も言ってくることなく、二人の些細な言い合いに耳を傾けながら食事を進めた。それから程なくして全て食べ終わり、食器を片付けたところで時間を確認する。
現在時刻は丁度九時。あの本屋の開店時間は十時からだから、今から外出しても十分に間に合う。この家に留まってるのは危険だし、なら外をフラついていた方が安全だ。迷うことなんて無い。
「ミノちゃん、俺遊びに出掛けて来るから玄関の戸締り宜しくね」
「こんな朝早くから? もしかしてヒノとデート的な? あらやだお熱いことねぇ……」
「いや違ぇよ。野郎連中に誘われてるだけだっての」
「なんだつまらん……」
頼んでもいないのにモテない同盟に無理矢理俺を入信させた悪友共。実は奴らも俺と同じ物を狙っているようで、今日は街に出て奮闘するつもりらしい。ゲームは群れて買いに行く物ではないというのに、奴らは何も分かってない。
ちなみに、俺が言ってる事は強ち嘘ではない。その買い物に来れる奴は来いというお達しだったので、誘われていると思えば誘われていると解釈できるから。
「夏休みに烏合の衆と群れるよりは、身近な可愛い後輩とランデブーすることを勧めるけどね私は」
「振り回されて終わるだけだから遠慮します。それじゃ行ってきます」
ようやく難問の一つを潜り抜け、俺はリビングを出て玄関へと向かう。
……だがその途中、すぐ背後から人の気配を察知し、ふと後ろを振り向いた。そこにはさっきと同じようにウキウキしたご様子のつくもちゃんが。
「どうしたのつくもちゃん? まだ何か用あった?」
「出掛けるんだよね? なら私も一緒に行こうかなぁって思って」
くっ……予想はしていたが、本当にこうなってしまったか。ミノちゃんはともかくとして、つくもちゃんはこの町に戻って来てからまだ間も無い。なればこそ、外に出掛けたいという気持ちがあるのは自然なこと。
……いや、そういう気持ちもあるにはあるんだろうが、恐らくつくもちゃんの目的はそれじゃない。真の目的は、俺と一緒に外出することだろう。その理由は言うまでもない。
普段通りであれば拒むことはないが、今日はそれを許すわけにはいかない。悪いがここは断らせてもらう。
「えっと……ごめんつくもちゃん。今日会う連中は女の子にとって非常に危険な奴らでさ。もしつくもちゃんが一緒に来たら、間違いなくしつこく纏わり付かれると思うんだよね」
「大丈夫! そうなったらきっとツム君が守ってくれるから!」
俺の良心を過信し過ぎだ! その無常の信頼は一体何処から来るんだよ!? 信頼されるのはそりゃ嬉しいんだけどさ!?
「それはそうだけど……でもそれ以上に危険なのは俺なんだよね。つくもちゃんを連れて奴らに会うってことは、俺の身近につくもちゃんのような可愛……おほんっ、女の子がいるってことが判明することになるんだよ。そうなったが最後、俺は袋叩きにされるだろうから……」
「それも大丈夫! もし本当にツム君を袋叩きにするようなら……私がその人達を社会的に抹殺するから」
後の声のトーンの下り具合に背筋が凍った。顔は笑っているのに、目が全く笑っていない。一体この数年間に何があったんだつくもちゃん……。
「そんなの駄目に決まってるでしょーが! と、とにかく今日は駄目! 出掛けるのはまた次の機会にしよう?」
「むぅ……ツム君がそこまで言うなら。なら今週中には一緒にお出掛けしてくれる?」
「うん良いよ。行きたい所はつくもちゃんが決めても構わないし」
「えっと……それって二人きりでも良いよね?」
「あ、あぁ……うん……良いけど」
「本当!? それじゃ行く場所は私が決めるから、楽しみにしてるね!」
背に腹はかえられぬ。いつかは一緒に出掛けることになるんだろうと思っていたし、それなら事前に行く事が明確になっていた方が身構えられて気が楽だ。
「それじゃ今度こそ行ってきます」
「あっ、待ってツム君。髪の毛に糸屑が付いてるよ」
「ありゃ、寝てる時にでも付けちゃったかな。どの辺?」
「私が取ってあげるからじっとしてて」
少し頭を下げて言われるがままにじっとする。
つくもちゃんが近付いてきて、俺から見て頭の左上辺りを触られた。支度中にちゃんと鏡を見ていたはずなのに、注意散漫だな俺も。
――と、自分の注意力を反省して完全に油断していた最中だった。
「……隙ありっ」
糸屑を取られたところで、頬に不意打ちのキスをされた。
「…………っ〜〜!?」
「えへへ……いってらっしゃい。あ・な・た♪」
最後の最後でまた不意打ちにしてやられ、動揺し過ぎて覚束無い足取りのまま家を出て行った。
今後はあまりつくもちゃんに近付かないようにしよう。じゃないと、いつか本当に籠絡してしまいそうだ。恐ろしきは積極的な女の子という人種よ……。
〜※〜
色々ありはしたものの、隠し事は最後まで隠し通すことに成功した。朝からひやひやさせてくれる身内達だ。
ここからは比較的安全だ。何せ、知り合いに遭遇せずに本屋へ向かうだけで良いのだから。でもこういう時に限って色んな人に出会う可能性が高まるかもしれないし、油断せず常に周りを警戒しながら歩こう。
今は最寄りの駅を超えて、人気が多い商店街にやって来ている。ここから数十分歩き、商店街を抜けて路地裏の道を抜ける。その先にあるのがゴールだ。
年が過ぎるに連れて寂れていくのが現代の商店街のイメージだが、ここはいくら年が過ぎても寂れない一方の珍しい商店街。むしろどんどん賑やかになっていく傾向にあるため、俺のような学生がいても何ら不自然ではない。
周りに気を配れ俺。視界に捉えた人を全員一瞬で観察しろ。その人物が顔見知りだった時、帽子を深く被ってやり過ごすんだ。
……にしても今日は凄い人混みだな。何処か近くでお祭りでもやってるんだろうか? 少しでも気を抜いたら押し潰される可能性もあるし、少し急ぎ足になろう。
できるだけ道の隅っこを歩き、手慣れた会費スキルで人混みを掻き分けてスムーズに進んで行く。
「わぷっ!?」
だが、少々急ぎ過ぎてしまったのか、人を抜けた瞬間のところで前から歩いて来ていた人にぶつかってしまった。
「す、すいません! 前方不注意でした!」
「いやいやこちらこそすまない。周りに気を配り過ぎてしまっていたよ」
「いや非があるのは俺の方で……って」
「ぬっ?……おぉ君は! 我が愛しの弟、ツム君ではないか!」
何処かで聞いた声だと思いきや、一番予想していなかった人物と遭遇してしまった。俺の通う高校の破天荒生徒会長、夜兎神祭先輩である。
制服姿でしか会ったことがないからか、会長さんの私服姿はかなり新鮮味に溢れていた。深い赤色のトレーナーを着て、藍色のジーンズを履き、お洒落なデザインのニット帽を被っている。女装と言うよりは男装に近く、可愛いと言うよりは格好良く見えた。
「こんなところで出会うとは、やはり私達は切っても切れぬ姉弟の絆で結ばれているということに他ならんな」
「そ、そうですか……はははっ……それじゃ失礼しました」
会長さんの横を素通りにして本屋に向かう。しかし少し先を歩くと、何事も無かったかのように会長さんが前で仁王立ちしていた。
「会長さん、貴女瞬間移動でも使えるんですか?」
「ふっ……私は弟のためなら容易に人智を超越するのだよ。それと私のことは会長さんではなく、祭姉と呼べと言ったはずだ! はい復唱!」
「あーはいはい、分かりましたって祭姉」
「敬語も使わなくて良い! もっと親密さを見せ付けるようにアットホームな感じを出すのだ!」
「どんだけ弟に飢えてるんだよアンタ……」
それほどまでに弟が欲しいのなら、いっそ親に頼んでみたら良いのに。案外親も真剣に話し合ってくれると思う。根拠は何もないから断定出来ないけど。
こっちは少しでも先を急ぎたいが、どうも素通りさせてくれるつもりは無いらしい。まだ時間はあるし、仕方無いから少しだけ話をしていよう。
「それで、祭姉はなんでこんなところに?」
「うむ。実はこの商店街は私の父の管理下にあるのだが、週一で私が視察係としてこの場所に繰り出しているのだよ。ここは基本賑やかで退屈せんからな」
「へぇ、それは初めて知った。もしかして祭姉ってお金持ちの人だったり?」
「いや、別段そういうわけではない。ごく普通の一軒家に住んでいるし、特別な待遇を受けているわけでもない。強いて言うなら自由度が高い家内と言ったところか」
「自由度が高い? というと?」
「そうだな……例えば私の母は、家を飛び出て世界中を旅している。父は多趣味で仕事以外に様々な活動をして収入を得ている。この場所の経営からインストラクターに小説活動と、方向性は様々だ」
なるほど、祭姉の破天荒ぶりは代々受け継がれてきた素質だったらしい。でも旅好きの母親なら俺もいるな。育児放ったらかして今頃何処にいるんだか……。
「なんていうか、全く落ち着きのない家庭だね。親に会えなくて寂しいとか思ったことはないの?」
「あるにはあるが、最近は全く無い。君という弟に出会えてからは、毎日がより楽しく感じるようになったよ」
「それはまた大袈裟な……でも本当にそうなら良かったよ」
一人が寂しいと思うのは当たり前だろうし、少しでも気を紛らわす手伝いができているならこっちも嬉しい。
「ちなみにこの商店街では、最近から週一で何らかの催し物を開くようになったのだ。お祭り、大会、相談所といったように、その趣向は様々でな。ちなみに今日は匿名希望の恋愛相談室を開いているぞ」
『恋愛』というワードに反応して、反射的にビクッと肩が跳ねた。
「む? どうしたツム君?」
「い……いや、何でもないよ。恋愛相談所とはまた意外だね。そういう場所が本当にあったことすら知らなかったよ俺」
「フフフッ、そうだろうそうだろう。何せ、ここでの行事の内容は殆ど私に決定権があってな。だから私は認知度が低い催しを行うことで、大勢の人を惹きつけるのだ。珍しいものであればあるほど、人は興味を示すものだからな。いやはや好奇心旺盛な生き物とは素晴らしいものだよ」
誰よりも好奇心旺盛な人が言うと説得力があるな。生徒会長の業務で色々と忙しい身のはずなのに、祭姉は余程仕事が好きな人らしい。きっと将来は人の上に立って仕事するスーパーウーマン的な人になるんだろうなぁ。
「そうだツム君よ。もし時間があるなら、少し見学していかないか? 今時の若者達の恋愛事情が聞ける場など滅多に無い場であるからな。色々な話が聞けて面白いものだぞ」
「は、はぁ……」
正直今はあんまり寄り道したくないんだけど……嫌と言っても逃してくれるような状況じゃない。『弟とランデブー』という欲望が文字となり、はっきりと祭姉の顔に書いてある。どんな芸当だよそれ。
腕時計をチラ見して時間を確認する。現在時刻は九時二十分。少しだけならまだ大丈夫……かな?
あんまり寄り道したくない気持ちがあるとは言え、チョロっと恋愛相談所というものにも興味があったりする。祭姉の言う通り滅多に無い機会だろうし、試しに少しだけ覗いていってみよう。
「うん、ならちょっとだけ見学していこうかな。でも相談してるところを見るって良いの? いけないことをするみたいでなんか複雑なんだけど……」
「そこは安心すると良い。相談する時はお互い口元しか見えないようになっているから、正体がバレるということはないのだ。中には律儀に名前を言う人もたまにいるが、基本は匿名希望で相談している者ばかりだ」
「なるほど、ちゃんと相手に配慮した設計になってると。匿名だったら恥ずかしがり屋な人でも気軽に来れるだろうしね」
「そういうことだ。どうだ? 凄いだろう? お姉ちゃんは優秀だろう? 尊敬してしまうだろう?」
「う、うん。実際祭姉は凄いとは思ってるよ」
「フフフッ、そうだろうそうだろう。もしツム君が望むのであれば、夜兎神家の養子になっても構わな――」
「それは遠慮します」
「ぬぅ……即答されては敵わんな。では早速参ろうか」
そう言うと祭姉が手を握ってきて、より人盛りが激しい方へと歩き出した。
「ちょ、早いって祭姉! 痛゛っ!? あだっ!?」
「弟とランデブー……弟とランデブー……フフッ、フフフフフッ……」
相手が相手なので羞恥心が膨らむことはなかったが、半ば強引に手を引っ張ってくるものだから、何度も人にぶつかりながら進む形になった。しかもどんどん突き進むので、俺も他人も迷惑なことこの上無い被害が出た。
そしてやっとの思いで相談所の前にやって来れた時には、既に俺の身体はボロボロだった。弟のことになると見境無しかよこの人。
「着いたぞここだ――むっ? どうしたツム君? 随分やつれてるみたいだが」
「いやアンタのせいだよ! まさに猪突猛進の勢いだったよ!」
「ふむ、それはすまない。お詫びはお姉ちゃんの添い寝で許してくれ」
「そういうのいいから早く中に入ろうって……」
「ぬぅ……仕方あるまい」
残念がりながらも即席で作った感がある小さな相談所の裏手に回る。するとそこには、数人のスタッフ達があれやこれやと動き回っていた。
「おっ、祭さん。今日も見回りかい?」
「お疲れ様です。ちょっと弟と一緒に相談所を覗いて行こうと思いまして」
「はははっ、祭さんも現役の女子高生だもんなぁ。恋愛話に興味を示すのもそりゃ当然だな。ま、ゆっくりしていってくださいな」
仕事人達による軽いコミュニケーションが済んだ後、騒がないように裏口からこっそりと相談所内に入った。中は薄暗いテントのような構造になっていて、まるで占い屋のような装飾が施されていた。
入ってすぐのところには、祭姉が言っていた口元だけ見えるようになっている壁が設置されていて、相談役のスーツ姿の女性が話を聞いている最中だった。だがすぐに相談者の相談が終わり、見学するにはベストタイミングだった。
「おぉ……なんていうか、それっぽい雰囲気が出てる感じがする」
「私は形から入る主義でな。この装飾も私が提案して施してもらったのだ」
「へぇ〜……最早何でも有りッスね祭姉」
「はははっ、こんなのは些細なことだ。流石に何でも有りと言う訳ではない」
相談役の人に迷惑が掛からない程度の声で話をしていると、相談役の人が俺達の気配に気付いて近寄って来た。
「あら、今回も来たのね祭ちゃん」
「うむ、このイベントは興味深いからな。迷惑だっただろうか灯姉さん?」
「ふふっ、そんなことないわよ。可愛い妹だもの」
え? 姉さん? 妹? もしかしてこの二人って……。
「祭姉って姉妹いたの!?」
「うん? 言っていなかったか? こう見えて私は四姉妹の末っ子なのだよ」
マジでか……姉がいることにも驚いたが、それよりも末っ子という事実の方がより驚いた。末っ子どころか長女のイメージがあったのに、世の中分からないもんだな。
にしても姉妹なだけあって、見た目が祭姉にそっくりだ。白髪のロングヘアーの祭姉に対して、お姉さんは黒髪のショートヘアーだけど、目元や鼻の形が殆ど瓜二つだ。
「こんにちは。もしかして君がツム君かしら?」
「えっ? なんで知ってるんですか?」
「祭ちゃんが最近になってその話ばかりしてるのよ。私に可愛い弟ができた〜ってね」
口に手を当ててクスクスと笑うお姉さん。何これどんな羞恥プレイ? めっちゃ恥ずかしいんですけど。
「あの、祭姉? あんまり身内に恥ずかしい話しないでくれません?」
「何を言うかツム君。私達の関係の何処に恥ずかしさがある? あるのは底知れぬ愛情くらいだろう」
「いやそれ祭姉だけの解釈ね? 祭姉が底知れぬ愛情を押し付けてきているだけだからね?」
「そんな寂しいことを言わなくても良いではないか! 嫌いなのか!? もしやツム君は私のこと嫌いなのか!?」
「極端だなぁアンタ!? そこまで言ってないってば! ただ祭姉の愛情が深過ぎると注意してるの俺は!」
「深過ぎる愛情結構! 私は弟のためなら喜んで裸になろう!」
「開き直られても困る――いや脱ぐな脱ぐな! 本当に脱がなくてもいいから!」
「あらあら、仲が良いのね二人共」
俺達のやり取りを見てお姉さんは朗らかに笑っていた。
こうして俺はこれからも色んな人に醜態を晒していくんだな。恥ずかしさあまりにいつか外に出られなくなったりして。将来的に洒落になってない。
「祭ちゃんが祭姉になるのなら、私は灯姉ということになるのかしら?」
「何? それは許さんぞ灯姉さん! ツム君の姉は私一人で十分だ! 弟は私が独り占めだ!」
「すいません、その辺で勘弁してください二人共」
「ふふふっ、ごめんなさい。少し話し過ぎちゃってたわね」
やっぱりからかわれていたのか……俺をからかって来るのは後輩と妹だけで十分だ。その二人もいらん世話だと思ってるがな!
「灯さーん。次の相談者を通しても大丈夫ですかー?」
「あっ、はーい」
そうこうしている内に外の方から呼び掛けられて、灯さんはさっきまで座っていた椅子に座った。やれやれ、ようやく解放されたか……。
「灯姉さん、数回で良いから私にも相談役をさせてもらえぬだろうか?」
俺の話が終わったと思いきや、今度は唐突な提案を申し入れた祭姉。遊び感覚ってわけじゃないんだろうけど、一応業務なんだから無理な話なんじゃ……。
「おっ、それならまたツーマンセルやる?」
「うむ。一人より二人の方が心強いだろう」
「ふふっ、そうね。それじゃ私の隣に座って」
いや良いのかよ! むしろ凄い乗り気だよ灯さん!
姉妹で仲が良いみたいだから息が合うんだろうけど、相談役があの破天荒生徒会長とその姉だからか、何を言うか分かったもんじゃないとハラハラして来た。もしもの時は俺がブレーキ役として入ることを頭に入れておこう。
「こ、こんにちは……」
夜兎神姉妹が並んで座ってスタンバイしたところで、向こう側に一人の相談者が座った。声からして若い女の子のようだ。
「はいこんにちは。早速だけど、どんな相談なのか聞いてもいいですか?」
「は、はい。えっと……その……実は私、今通っている高校に好きな人がいるんですけど……」
何とも王道チックな入り方だった。まさに恋する乙女そのものだな。一番応援したくなるパターンだ。
「今まではただ見つめることしかできていなかったんですけど、思い掛けないことがキッカケになって、最近やっと友達になることが出来たんです」
「ほぅ、それは良かったではないか。ということは、君は次の段階にステップアップしたいためにこの場所にやって来たといったところだろうか?」
「えっ!? な、なんで分かるんですか?」
「フフフッ……伊達に相談話を聞いてきたわけではないからな」
姉のおまけで聞いていたようなもののはずだが、やっぱり祭姉は超人だ。この人やろうと思えば何でもできる人だったりして。
「それで、具体的にはどんなお悩みですか?」
「えっと……実は私、友達が少なくてあまり話す人がいなかったんです。でもその人のお陰で仲良くなれた新しい友達ができて、凄く感謝してるんです。なのでそのお礼にプレゼントを渡したいと思ってるんですけど、いきなりプレゼントを渡しても迷惑なんじゃないかと思いまして……」
えぇ娘や。今時珍しいえぇ娘や。きっと良い親に育てられたんだろうなぁ。感動あまりにほろりと涙が出てきそうになった。
「そういうことですか。ちなみに、その好きな人の特徴ってどんな感じか聞いてもいいですか? 見た目でも中身でも良いですから」
「特徴は……周りの人がよく言ってるんですけど、第一印象は可愛い人だって言われています」
そこで何故か、二人が俺をチラ見してきた。いや違う違う、それ俺のことじゃないから。妙な既視感は覚えるものの、相手は全く別の人だから。
「それと凄く優しい人で……そんな魅力的な人なのに、自分のことを大袈裟に過小評価してるんです。そのことについて一度言い合いになったこともあったんですけど、結局それは治らないままで……って、これは関係無い話でした! ごめんなさい!」
「はははっ、謝らなくて良い。大体相手のことは理解したよ。それと、君がその殿方をどれだけ愛しているのかということもな」
「あ、愛し……あぅぅ……」
恥ずかしがっているようで、両手で顔を覆うシルエットが見えた。
何でだろ。さっきからずっと既視感が消えない。誰かさんに凄い似てる感じがするんだよなぁこの娘……。
「うーん……一つ聞きたいんですが、貴女はその人にどんなプレゼントを渡すつもりなんですか?」
「そ、それも実は決まってなくて……何をあげれば喜んでくれるとか、まだよく男の子のことが分からないので……」
「ふむふむなるほど……うん、分かりました。それでは私からいくつか言わせてもらいますね」
話の根本を理解すると、灯さんは自分を指差しながら祭姉を見つめ、祭姉は何も言わずに頷いた。今回は私が助言するというサインだろう。
それから灯さんは相手を安心させてあげるように、声のトーンを優しくさせて話し始めた。
「まず最初に、プレゼントを渡すキッカケですが……安心して下さい。正直にお礼の内容を伝えてプレゼントを渡せば、その男の子は素直に喜んでくれると思いますよ」
「え? 本当ですか?」
「えぇ。それに男の子っていうのは女の子と違って単純な生き物なんです。女の子からどんなアプローチされても、基本は喜ぶ人種なんです。勿論それはプレゼントも然りです」
ごもっともな意見ですこと。“男という生き物”って表現がちょっと馬鹿っぽい感じに聞こえてアレだけど、実際それは真実だから仕方無い。
「後はそのプレゼントとして渡す物ですが、最初は手作りお菓子といった残らない物が良いと思います。その方が相手の方も気楽に受け取ってくれるでしょうし、強くオススメしますよ」
「わ、分かりました! ありがとうございます! 早速家に帰って作りたいと思います!」
「頑張ってくださいね。恋愛は粘り強く、ですよ」
「はい!」
納得のいく結果に落ち着き、相談者はお辞儀をした後に急いで外に出て行った。俺としてもあの娘には是非その恋心を実らせて欲しいものだ。頑張れ、名も知らぬ女の子よ!
「上手くいくと聞いてるこっちまでほっこりしますね」
「ふふっ、そうなのよ。だから私もこの仕事は気に入ってるの。でもたま〜に面倒臭い人とか、ちょっと感性がズレた人とかもいるんだけどね」
「灯さん、その発言はフラグですって」
「あら、それはいけないいけない」
でもまぁ相手がどんなに面倒臭い人でも、この人なら容易に捌いてみせるんだろうなぁ。なんたって祭姉の姉なんだし、超人の姉は超人ってね。
「さぁ、この調子でどんどんいきましょう。次の方お願いしまーす!」
灯さんの呼び掛けに応じて、次の人が現れて向こう側の席に座った。
口元だけしか見えないので誰なのかは分からないが、肌がガングロで濃い口紅を塗っている姿が見えた瞬間、無意識に俺の片目が吊り上がった。
「こんにちわぁ。今日わぁ、アタシの話を聞いてもらいたくてきたんですけどぉ」
口調が完全にギャルのそれだった。俺が苦手とする女の子の人種の一人だ。そんな人物が一体どんな悩みを持って来たのか、それだけは気になるところだが……。
「えぇ良いですよ。どんなお話でしょうか?」
「えっとぉ、アタシってずっと前から付き合っている彼氏がいるんですけどぉ、つい最近認知してなかった趣味が発覚してぇ、アタシドン引いちゃったってゆーかぁ」
「趣味、ですか? それは一体?」
「所謂ぅ、恋愛ゲーム的なぁ? オタ臭半端ないゲーム的なぁ?」
ぞくりと身体中に悪寒が漂った。他人事なのに他人事に思えないんですけど。
「一緒に部屋にいる時ぃ、たまにゲームに没頭してる時とかあってぇ、つい最近どんなのやってんだろうって思って覗いてみたらぁ、目がくりっくりしたエロい美少女が映っててぇ、マジキモいんですけど〜って思っちゃったんですよぉ」
グサッ!
「もうマジありえない的なぁ? アタシの彼氏も『健気で可愛いんだよね〜』とかマジレスしててぇ。聞いてるこっちは鳥肌パネェのにぃ、そんなこと知らずに二次元彼女を熱弁してきてぇ? んな女この世にいるわけねっつの的なぁ? 夢の見過ぎだっつの的なぁ?」
グサッ! グサッ! グサッ!
「彼女がいるのにそういうゲームに没頭するとかマジ気色悪いって思いませ〜ん? 少なくともアタシ的には見てるだけでゲロ物なんですよぉ。美少女ゲームやってる時点でマジ男として底辺的なぁ? ぶっちゃけ生理的に無理的なぁ? お前将来独り身確定だろ的なぁ? つーわけで別れようと思ってるんですけどぉ、どう思いますぅ?」
ボキッ!!
全身に何本もの槍が刺さり、止めの一撃を貰ったところで心が折れた。
そうだ。彼女の言う通り、やはり俺の見解は間違っていなかった。恋愛シュミレーションゲームを一枚噛んでる俺だとしても、他人から見たらそれは否定的な人間に値するんだ。現実逃避してる愚かで恥ずかしい生き物なんだ。
冷静になることでようやく今の深刻な状況を理解することができた。この隠し事がもし身内の誰かにバレた時、俺は永遠に蔑まれることになるんだと。恋愛シュミレーションゲームをやっているキモい男という、痛々しい汚名を刻まれることになるんだと。
少し寄り道しても大丈夫、なんて考えがまず甘かった。より安全を確保するには、少しでも確率を上げることに越したことはない。今更だが、俺はなんて馬鹿だったんだろう
こうしちゃいられない。他人の恋愛を見学したところで、それは俺には全く関係ない。俺は俺の成すべき事を一刻も早く成さねば、後悔する羽目になるのは必然だ!
「ハァ……どうやら君は何も分かっていないようだな。まずその考え方だが――」
呆れた様子で祭姉がアドバイスをしようと話し出したと同時に、俺は自分の気配を殺してこっそりと外に出て行った。
この趣味は女の敵。理解してくれる女の子なんて一人も存在しやしない。もうこうなったら何が何でもこの秘密を隠し通してやる!
〜※〜
寄り道で大分時間を割いてしまい、本屋の開店時間はとっくのとうに過ぎていた。今ならまだ十分間に合うにせよ、購入して自分の部屋に戻るまでは一切気は抜けない。無事家に帰るまでが遠足。それと同じ原理だ。
怪しまれないようにごく自然に歩き、同時に知り合いに身バレしないように気配を殺し続ける。きっと今の俺なら凄腕の暗殺者になれるに違いない。そんな物騒な人になる根性は持ち合わせてないけど。
そしてついに俺は、無事本屋の目の前に辿り着くことに成功した。
いつもなら軽々と行ける場所のはずだったのに、今日はやたらとここに来るまで長く感じた。何はともあれ結果オーライだ。さて、さっさと購入して家に帰ろう。
今一度周りに誰もいないことを確認する。よし、誰もいない……よな。ならばいざ突入だ!
駆け足で店の入り口に向かい、一度止まって自動ドアを開く。
だが、俺が開ける前にその自動ドアは開かれた。店側から現れた一人の人物によって。
「あっ、こんちにはツム君。こんなところで奇遇ですね」
「…………ジーザス」
思わず白目を剥いてしまい、一瞬気を失いそうになった。
最悪だ……よりにもよって今史上最強最悪、超高校級の弄り屋である後輩に出会ってしまったぁぁぁ!!
「ぷくくっ……どうしましたツム君? 凄い汗が出てますよ?」
いつものニヤニヤ顔に反応するように、異常な量の汗が溢れ出る。おおお落ち着け俺、落ち着くんだ。ここで取り乱せば全て悟られてジ・エンド。今まで積み重ねてきたものが全て無に帰す。それだけは何が何でもNGだぞ。
とは言ったものの、この鉢合わせは想像を絶する程にピンチと言えよう。何せヒノちゃんは、俺が恋愛シュミレーションゲームに一枚噛んでいることを知っている唯一の存在。もし今ここで「もしかしてツム君、新作の恋愛ゲームを買いに来たんですか?」と聞かれた瞬間、ヒノちゃんの極められし観察眼によって俺の目的が筒抜けになるだろう。
意外にも現時点では、まだヒノちゃんにドン引きされてはいなかった。それはきっと、俺が実際にそのゲームをしているところを見ていないし、そもそも買っているところすら見たことがないからだと考えられる。だからこそ、今ここで購入する事がバレてしまったならば……つまりはそういうことになる。
ヒノちゃんと顔を合わせてる今だけはゲームのことを忘れるんだ天川紡。別の話をして気を逸らし、どうにかこの場を切り抜けるんだ!
「今日は熱いから汗が酷いだけだよ。というかヒノちゃん、なんでこんなところにいるのさ? ここって一応は隠れ名店なんだけど……」
「ちょっと用がありまして、ついさっき済ませて来たところなんです。ちなみにツム君は何故ここに来たんですか?」
「俺は……別に店に来たわけじゃないよ。ただ散歩しててたまたまここに辿り着いただけだよ」
「ふーん……そうですか」
ヒノちゃんの一言一言が内心ヒヤヒヤさせる。今のところは内情を探ってくる様子が無いから上手くあしらえているが、いつ何をして来てもおかしくないのがヒノちゃんだ。気を抜かず冷静に対処せねば。
「つまり、今ツム君は暇ということですよね?」
「まぁ……そうだけど……」
「それなら、これから私の家に遊びに来ませんか? ツム君に是非見せたい物があるんです」
率直に断ろうと思って口を開きかけたが、どうにかその前に思い止まった。
断りたい。そんな暇は無いんだとストレートに言ってやりたい。しかしここで仮に俺が断ったら、きっとヒノちゃんはこう聞き返して来るだろう。「それってこれから他に行くところがあるってことですか? なら私も付いて行っても良いですか?」と。
それは所謂、将棋でいう詰み。そこで更に断ったが最後、怪しまれて内情を探られる未来が目に見えてる。
目的の品はもう目前なのに、ここまで来て家に帰る選択肢しかないだなんて、現実って想像以上に残酷だ。きっとこのままヒノちゃんに付き添えば、夜まで一緒に遊ぶことになる。そうなれば流石に隠れ名店と言えど、執念深きマニアの手によってここも陥落していることだろう。
つまり……今ここでヒノちゃんと出会ってしまった時点で、既に俺のスニーキングミッションは失敗していたんだ。最後の最後でやらかすなんて、やっぱり俺はあのガングロギャルの言っていた通り、低脳で愚かしい人間だったんだ。
……帰ろう。
「うん、良いよ。それじゃ行こっか……」
「……ツム君? 元気がないようですけど、何かあったんですか?」
「いや、別に何も無いよ。少し歩き過ぎて疲れちゃったんだと思う」
「大丈夫ですか? それじゃ適当なお店で涼んでから、ゆっくり歩いて帰りましょうか」
「ん……分かった」
嘘をついているにも関わらず、俺を気遣ってくれる。今はその心遣いが少し辛く感じた。
〜※〜
ヒノちゃんの提案によって帰る途中に喫茶店に寄り、そこで話をして時間を潰す。そして思っていたよりも話し込んでしまい、気付けば外はすっかり夕暮れ空になっていた。時間の進む速さを、今日ばかりは呪った。
それから一緒に家に帰り、ヒノちゃんの家にお邪魔した。二人だけで遊ぶのもアレなので「ミノちゃんは誘わないの?」と聞いてみたところ、「今日は二人で遊びましょう」と返された。いつもなら絶対ミノちゃんを呼んでるはずなのに、まさか喧嘩でもしているんだろうか?
……いや、無いか。二人が喧嘩してるところとか全然想像が付かないし。何より喧嘩の引き金になるような事がまず思い浮かばない。
なら……なんでだろう? 何か他に理由があるんだろうか? 考えれば考えるほど気になってきた。
「ちょっと待ってくださいね。今準備しますから」
「準備? 何の?」
「ぷくくっ……さぁ、何でしょうね?」
天丼ネタの聞き返しをくらい、それ以上追求せずに俺はソファーに座った。
するとヒノちゃんはテレビが置かれている台座の方で腰を下ろし、ガチャガチャ音を立てて何かを取り出した。
「プィーエス4?」
それは、俺は持っていない新機のゲーム機である、プィーエス4だった。
意外だ……ヒノちゃんがゲーム機を持っていたなんて知らなかった。もしかしたらミノちゃんと二人でやる時用のために購入していたのかもしれない。
ケーブルやコンセントを全て刺し終えたところで立ち上がり、コントローラーを持って俺の方にやって来る――と思われたのだが、その前に何故かテーブルの方に向かい、外出時に身に付けていたバッグを手に取った。
そしてようやく俺の隣に座ると、俺に背を向けてからゴソゴソとバッグの中身を取り出し、ニヤリと笑った。
「フッフッフッ……じゃーん!」
「…………え?」
そうしてヒノちゃんが見せ付けて来たのは――今日俺が最も求めていた商品である、Tear memoryのパッケージだった。
「な……なんでヒノちゃんがそれを!?」
「ぷくくっ……驚きました? これって今日発売された話題のゲームなんですよね?」
「それはそうだけど……」
これはあくまで男性向けの恋愛ゲーム。オタ臭半端ないと卑下されてもおかしくない美少女ばかりが出てくる、ヒノちゃんとは全く無縁のゲームだ。なのに何故ヒノちゃんがそれを持っているのか、俺には何も分からなかった。
「以前ツム君と二人で話をしていた時なんですけど、その時にツム君がこれの話題に触れていたんですよ。『泣きゲーの中でも大作らしいんだけど、人気が凄すぎて予約もぎっしりなんだって〜』って。なので一応覚えておいたんです。もしかしてツム君、これを買いたがってるんじゃないかな〜って」
恋愛ゲームに一枚噛んでいることを隠しているはずなのに、俺ってばヒノちゃんにだけはそうやってあれこれ話をしていたのか? 自分のことのはずなのに全然覚えてない。どうしてその話題を話すことになったのかという過程すら微塵も思い出せない。馬鹿過ぎるだろ俺。
「だから今日朝早くに家を出て、色んな店を見て回ってたんです。そしたら偶然あの本屋でこれを発見しまして、他の人に買われてしまう前に購入しておいたんです。ちなみにラスト一本なのでギリギリでした。今日は運が良かったみたいですね私」
「そう……なんだ。でもなんていうか、まるで俺のために購入してくれていたみたいな口振りだね」
「それは当たり前ですよ。今ツム君が言った通り、これはツム君のために買っておいた物なんですから」
「はぁ!?」
まさかまさかと思っていたが、本当に俺のために買ってくれていたらしい。だからこそ、俺は余計に分からなくなった。
「な、なんでそこまでしてくれたの?」
「なんで、ですか? そうですね……あっ、ここに私が引っ越して来た時に手伝ってくれたお礼です」
「それ今考えた建前でしょ絶対」
「ぷくくっ……珍しく鋭いですねツム君」
「理由話す前に意味深な呟きしてたらそりゃね!? もしかして馬鹿にしてる!?」
「いえいえ、そんなことはないですよ。多分、恐らく、きっと」
「怪しさ満々じゃん! ハッキリせいハッキリ!」
って、そうじゃないだろ俺。ヒノちゃんのペースに呑まれて誤魔化されるところだった。
「それで、結局なんで俺のためにここまでしてくれたのさ?」
「それはですね……本当のことを言ってしまうと、特に理由はないんです。強いて言うのであれば、ただ私がそうしたいと思っただけなんです」
なんだそれ……理由が分からないんじゃなくて、そもそも理由なんて無かったと言うのかこの娘は?
ヒノちゃん自身にメリットなんてありはしない。むしろ自分の貴重な時間を割くことになったのだから、結果的に損しかしてないはず。なのに今のヒノちゃんはそんなこと気にもせずに、ニッコリと笑っている。お人好しにも程があるだろうに……。
「その……気持ち悪いとか思わないの?」
「気持ち悪い? 何がですか?」
「いやだって、それって恋愛シュミレーションゲームだよ? 絵を見てもオタクっぽさ満開だし、そういうゲームをやってる人っていうのは女の子からしたら気持ち悪い人だと思うだろうし……」
それはあのガングロギャルが立証済み。そしてきっとそれは、ミノちゃんやつくもちゃんも同じだ。無論、ヒノちゃんだって例外じゃない。
――そう思っていた。
「……例えばの話ですけど、仮に私がイケメンばかり出てくる乙女系ゲームをプレイしていたとします。そしたらツム君は私のことを気持ち悪い人だと思いますか?」
「それは……」
つまり、今の俺達の立ち位置が逆だった場合のことを聞いているわけだ。そしてその答えは、少しも悩むことなく導き出した。
「別に気にならないよ。人の趣味なんてそれぞれなんだし、それを否定する権利なんて誰も持ってないから」
「ですよね? ならもう答えは出てるじゃないですか」
「あっ……」
「ツム君。人は誰しもが自分だけの偏見を持っています。今ツム君が言ったように全然気にしないって人がいれば、逆に気持ち悪いと思う人も必ずいます。でも一番重要なのは、自分の身近な人達がどういう気持ちで受け入れてくれるのか。ツム君はそれが不安だったんですよね?」
何も言わずにただ首を縦に振った。
「だったら安心して下さい。他の皆はどういう風に捉えるのかは分からないですけど、少なくとも私はツム君と同じです。余程のことがない限り、私はツム君を軽蔑するようなことはしませんよ」
気を遣って言ってくれているわけじゃない。冗談を言っているわけでもない。本当にそう思ってくれているんだ。
いつもは俺を弄ってくる悪戯っ子な後輩で、度重なるその仕打ちに何度溜息を吐いたか覚えていない。
……けど、俺は知っている。本当のヒノちゃんは、こんなにも優しい人だってことを。
だからこそ、拒まれるのが怖かった。少しでも否定される可能性に怯えていた。でもそれは、全て杞憂だったんだ。
「長い付き合いじゃないですか。もっと私のことを信用してくれても良いんですよ、ツム君」
「……うん」
たったこれっぽっちの言葉を交わしただけなのに、さっきまでの不安感が嘘のように消え去った。そして今は、自分でも驚く程に気持ちが安らいでいる。小さかった頃に母さんの腕の中で眠っていたような、それと全く同じような感覚。
いつもなら気苦労ばかりが絶えないのに、今のヒノちゃんといると不思議なくらい安心する。その影響だろうか、今は正直に自分の気持ちを表現できる。
ずっとこの余韻に浸っていたい、と。
「……ありがとう、ヒノちゃん」
「ふふっ、お礼を言われるようなことじゃないですよ。探し回ると言ってもそんなに苦労したわけじゃ――」
「いや、ゲームの方じゃなくてさ。その……なんて言えばいいのかな……凄く嬉しかった」
「何がですか?」とは聞いて来なかった。勘の鋭いヒノちゃんは今の言葉の意味を悟り、ただ微笑んでくれた。
俺が本当に嬉しかったのはゲームを買ってくれていたことじゃない。この趣味を否定せずに肯定してくれたことでもない。
もっと信用しても良い。ヒノちゃんにとっては当たり前のことなのかもしれないが、俺にとってはその言葉が何よりも嬉しく感じた。
「さて、それでは早速プレイしてみましょうよ。実は私も結構気になってるんです」
「あはは……一応は男向けのゲームなんだけどね」
「人の楽しみ方はそれぞれですよツム君。この後ツム君をどう弄ろうかと、それだけ考えるだけでも相当ワクワクします」
「結局そこに落ち着くんかぃ! 今日くらいは勘弁してくれませんかね!?」
「ぷくくっ……それは私の気分次第です」
「くっ……こいつめ……」
すっかりいつも通りのやり取りになってしまった。この後絶対に弄られる羽目になるんだろうけど……でも不思議と今は、それを嫌だとは思わなかった。
「…………」
「ん? どうしましたツム君? 私の顔に何かついてますか?」
「あっ、いや……別に何でもない……」
妙だ。今はまだ恥ずかしい目に遭っていないのに、顔が熱くなってきているような気がする。それに胸の中から何かが込み上げてくるような感じもして、身が浮き上がりそうになる。
だが本当に妙なのは、その謎の現象が起きたこと自体じゃない。そんな状態になっていて尚、抵抗心を微塵も感じないことだった。
こんなこと今まで一度も無かったはずだけど……いや、今日はいつも以上に神経使い過ぎてたし、極端に疲れが出てるのかもしれないな……多分。
「あっ、どうせなら文章全部音読してください。台詞の部分はそのキャラになりきって感情移入しながら読んでくれればベストです」
「やだよ恥ずかしい! そういうのは自分でやりなさい!」
「ぷくくっ……もしかしてツム君、読めない漢字が出てきた時に恥を掻くんじゃないかと恐れてるんですか? それとも滑舌の悪さを披露したくないとかですか? それなら私も無理強いはしませんけど――」
「別にそれくらい余裕だしぃ!? やってやんよ! 俺やってやんよ!」
「ぷくくっ……期待してますね」
その後、ヒノちゃんの言われるがままに全ての文章を音読した。その結果、自分で自分の首を絞めてしまい、新たに俺の黒歴史の一部に刻まれる羽目になった。
……でも、今日は良い日だったと密かに思っていたのは内緒の話だ。