幼馴染
俺には一つ年下の後輩が存在する。
何の報告も無しに当然隣の家に引っ越してきて、今後暫くは俺を弄りに遊びに来るようなことを言い出す酷い後輩。暇しないのはそれはそれで良いものの、少しは俺に静寂と言う名の安らぎを与えて欲しいものだ。
「……あれ?」
目が覚めてゆっくりと目を開けると、自分の部屋の天井が見えた。どうやら昨日は俺自身が気付かない内に寝てしまっていたようだ。それだけヒノちゃんの引っ越し作業で疲れてしまっていたんだろう。
でも……何だろうこの感覚は? 俺は何か重要なことを忘れているような気がする。決して目を逸らしてはいけない何かが俺にはあったはずなんだが……。
「うぅ〜ん……ふにゃぁ……」
「っ!?」
取り敢えず身体を起こそうとしたところ、聞きなれない声が真横から聞こえてきて、即座にそっちの方に振り向いた。
隣には、スヤスヤと寝息を立てて眠る女の子がいた。眠っている間にズレてしまったのか、着ている和服が緩んで肩肌と胸元が露出してしまっていた。
「びゃぁあああ!?」
予想外の事態に奇妙な悲鳴が出てしまう。程なくしてドアの向こうから足音が聞こえて来て、勢い良くドアが開かれた。
「どーしたツム兄――な、何ぃ!? 確かに昨日縛っておいたはずなのに!」
俺の実の妹であるミノちゃんが助けに来てくれた。俺と同じで今までずっと寝ていたのか、寝癖で髪の毛が奇妙な植物みたいな形になっている。どう寝たらそんな寝癖が付くんだろう。
……というか、今さらっと物騒な単語が出ていたような。
「もう……朝から騒がしいなぁ」
俺達の大きな声で目が覚めたのか、和服の女の子は目を擦りながらむくりと起き上がった。
「おはようツム君。朝から元気一杯だね。ん〜……」
「うわぁぁぁ!?」
にぱぁ〜っと朗らかに微笑んで来たと思いきや、いきなり顔を近付けて来た。堪らず俺は飛び跳ねるようにベッドの上から脱出して、ミノちゃんを盾にするように背後に回った。
「誰!? 誰なの君!? どうやってこの家に侵入した!?」
「え……そ、そんなぁ、酷いよツム君。もしかして私のこと忘れちゃったの?」
「忘れたって……」
その口振りからして俺の知り合いなのか? でもこんな可愛い娘――じゃなくて、奇妙な娘に全く身に覚えがない。そもそも俺に女の子の知り合いなんて殆どいないし。でも念の為に彼女のことをよく観察してみよう。
まずは顔だが、第一印象は優しそうな目だ。なんとなく由利村さんに近しい癒しを帯びたような雰囲気を感じる。
次に、首の付け根辺りまで伸びた胡桃色の髪。なんかどっかで見たような気がしてきた。
極め付けは、黄緑色の木の葉の模様が入った和服。和服を着た女の子の知り合いって……ん? あれ? ちょっと待てよ? 少しずつだけど色々と思い出して来たぞ。
そうだ、俺はこの娘を知っている。でも何処で会ったかが思い出せない。名前は……名前は何だったか……?
「はっはっはぁ! 残念だったねぇ〜? ツム兄は何も覚えてないってさ〜!」
「むぅぅ……思い出してツム君! ほら、私と最後に会った時に約束したよね? 次また会う時は私のことお嫁さんにしてねって」
「はぃ!? お嫁さんって何!? 俺はそんな約束した覚えは……」
……いや、待て。お嫁さんって、幼稚園の頃にそんなことを言われた記憶があったような。その娘の名前は確か――
「……九十九ちゃん?」
「げっ、思い出しおったよこの人……」
「よ、良かったぁ……。完全に忘れられてたらどうしようかと思ったよ」
そうだ、日向九十九ちゃんだ。昔に俺とミノちゃんと三人でよく一緒に遊んでいた、俺の母親の方の娘である従姉妹。眼鏡を掛けていて、俺と同じで引っ込み思案な女の子だった。
……いやおかしくね? 少なくとも俺が知るつくもちゃんは、こんな明るい性格じゃなかった。出会い頭にキスをしてくるような無邪気さは皆無だったはずなのに……。
ん? あれ? キス? そういえば俺、昨日つくもちゃんと会った時に頬にキスされてたような……。
「っ〜〜!?」
冷静になって思い出した途端に顔が真っ赤に火照り上がった。今まで一度もそんなことされた経験なかったのに、まさか久し振りに再会した女の子からそんな……。あ、熱い熱い熱い! 発熱を起こしてしまいそうなくらいに顔が熱い!
「だ、大丈夫ツム君? いきなりのことでびっくりしちゃったかな?」
「びっくりっていうか、色々と変わり過ぎじゃないかなつくもちゃん!? 君ってそんな活発的な人じゃ無かったよね!?」
「フッフッフッ……それは子供の頃の話だよツム君。女はね、大人になるに連れて成長する生き物なの。昔の私は引っ込み思案で気の弱い女の子だったけど、ツム君に相応しい女になるために変わったのだ! そして今の私がその完成型というわけなのです!」
「何それ格好良い……」
でもまぁ、引っ込み思案よりは明るい方が女の子としては魅力があるとは思うし、何より元気でいてくれたなら良かったことに越したことはない。
「ホントに久し振りだね。でもなんでまたこんな急に?」
「ううん、実は急に来たわけじゃないの。前から何度か連絡してたんだけど、ミノちゃんがツム君に報告してくれてなかったみたいで、結局こんな形になっちゃって……」
「何だって? おい、どういうことか説明してもらえるんだろうねミノちゃん?」
ミノちゃんの方を見ると、つくもちゃんのことを親の仇を見るような目で睨んでいた。なんでこんな敵対心燃やしてんだこいつは。
「単純な理由だよ……。つくものことが嫌いなんじゃい私は」
「嫌い? 昔は仲良く遊んでたのに?」
「それは演技というやつだよツム兄。私は幼稚園時代から演技派だったからね」
そんな腹黒い幼稚園児は嫌だ。しかもそれが妹だから尚更。
「嫌いだなんて傷付くなぁ。一体私がミノちゃんに何をしたの?」
「そうだぞミノちゃん。少なくともつくもちゃんは他人に嫌がらせするような女の子じゃなかったよ」
「ふんっ……分かっていないなら教えてやろう。私がつくもから受けた妨害行為を!」
ミノちゃんは俺達から離れて、昨日の出来事を思い出すかのような素振りを見せ付けながら話し始めた。
「そう、あれは幼稚園時代の頃だった。あの頃はまだつくもがこの近くに住んでいたから、基本私達は三人で遊んでいた。更にその時から既に私は、ツム兄を弄ることの楽しさを熟知していた……」
開幕からしょうもない話の内容だ。そのせいで過去に何度妹に泣かされたことか……。
「しかし、しかしだ。そんな私の楽しみを毎度のこと邪魔立てしてくる存在がいた。それが、いつもツム兄の隣を歩いていたつくも、貴様だぁ!」
「……つまり要約するとどういうことだよ」
「つまりはね……気弱なくせにツム兄を毎度のこと守ろうとしてきていたのが、私的に気に食わなかったのさ。私の楽しみを奪ってツム兄を独占して……。私の兄は私に弄られるために生まれたというのに、それを知らずに貴様はへぶちんっ!?」
聞くに堪えずに頭をハリセンでぶっ叩いてやった。まさか俺の妹がこんなに性格の悪い女の子だったなんて……。これは今後教育していかないと駄目なようだ。
「本当にごめんつくもちゃん。うちの愚妹がとんだご迷惑をお掛けしてしまったようで……」
「愚妹!? 愚妹と言ったかこの兄は!? いつからそんな辛辣な言葉を使うようになったんでぃ!?」
「お前に言われたかねーよ! なんだその身勝手過ぎる理由は!? 十割お前が悪い話でしょーが!」
「だって分かってないんだもんつくも! 身内でありながらも、ツム兄を弄る楽しさを理解してないんだもの! そりゃ怒るに決まってるでしょーが!」
「そりゃお前だけの偏見だ! 他人に自分の常識を押し付けるんじゃありません!」
「あらあらそんなこと言っていいのかな〜!? 私に逆らうということは、今後ツム兄の食事がもやし炒めだけになってしまうけど〜!?」
「うぐっ……」
都合が悪くなったから権力を行使してきやがった。それを言われちゃ何も言い返せないじゃないか……。
言い返したくても言い返せない状況にもどかしさを感じていると、ニコニコ顔になったつくもちゃんが俺の肩に手を置いてきた。
「大丈夫、安心してツム君。今日から夜ご飯は私が作ってあげるから」
「え? ホントに? でもそれってつくもちゃんが帰るまでの間だから、惨めに足掻くも同然の事なんだけど……」
「それも安心して。私も今日からこの家の住民になることになってるから」
「「はぃ!?」」
それはミノちゃんも知らされてないようで、俺と同じく目を見開いていた。もう色々と突発的過ぎて何が何やら……。
「じょ、冗談じゃない! そんなん私が認めるわけねーでしょが! ここは天川家しか住む権利が存在しない不可侵領域なんでね!」
「ふふんっ、それはどうかな〜? これを見てもそんなことを言えるのかな〜?」
そう言うとつくもちゃんは、俺の部屋にいつの間にか置いていた大きな鞄を開けて、一枚の紙を取り出した。遠目から見て何かが書かれているのだけは見える?
「……何それ」
「おばさん直々に書いてもらったサインよ」
「はぁ!? お母さんに会ったってーの!? あの風来坊に会うとかまず無理な話なのに!?」
「ううん、郵便で送ってもらったの。携帯で連絡して頼んでみたら、快く了承してくれたよ」
ミノちゃんが俊敏なる腕使いで書類を奪い取り、俺も横からそれを覗いてみる。そこにはこんな感じで書かれてあった。
『本日を持ちまして、つくもちゃんを我が天川家の一員に任命する。盛って襲うなよ息子(笑)』
悪ふざけがチラ見しててイラっとくる。でも確かに直談判な上に、ご丁寧に判子まで押してあった。
「ふんっ!」
内容を見終えたミノちゃんが書類を真っ二つに破り捨てた。全く躊躇しなかったなぁ。
「はい、これで契約書は無くなりました〜。分かったらとっとと帰れ」
「それただのコピーだから意味ないよミノちゃん。本物はちゃんと別にとってあるから」
「だと思ったよボケがぁ! あの放浪親ゴラァ!」
普段から妙な言葉遣いをしているとはいえ、ここまで口が悪くなっているのはいつ以来だろうか。ここ最近はこうやって怒ることなかったんだけどなぁ。
「そもそもなんでこのタイミングで来る!? 田舎者は黙って田舎に住み続けていればいいってのに!」
「それなんだけど……まずこの地域に引っ越すきっかけになったのは、私が田舎を出て都会の方に住んでみたいってお母さんに言ったからなの」
それからつくもちゃんは、事の全容を全て教えてくれた。
小学生に上がる手前辺りの時期につくもちゃんはこの町を出て行ったのだが、つくもちゃん一人だけは色々と未練があったらしく、いつかまたこの町に帰って来たいと思っていた。
そして高校生になり、つくもちゃんはお母さんに思いの丈を全て伝えた。将来のために都会の空気に慣れ、今から一人暮らしを始めたいと。
可愛い子には旅をさせよとはよく言ったもので、つくもちゃんのお母さんはつくもちゃんの気持ちを尊重してくれた。しかし、いきなり一人で都会に放り出すのも心配。そこでつくもちゃんのお母さんが考えたのが、姉の息子と娘である俺達の存在だった。
ツム君とミノちゃんが一緒であれば、何があっても大丈夫だろう。そう考えたつくもちゃんのお母さんは、すぐさま姉に連絡を入れて許可を取った。
そして、今日こうしてつくもちゃんが俺達の家にやって来た。部屋はお母さん達の寝室を使って良いという許可も貰っているようで、住み込む気は満々だった。
ミノちゃんのせいで唐突な出来事に最初は困惑したものの、お母さんが許したのなら追い返すわけにはいかない。そもそも俺に断る理由なんて無いし。
「というわけで、今日から宜しくお願いします!」
「うん。宜しくね、つくもちゃん」
「いや……いやいやいや!? ちょっと待てちょっと待てぃ! 何を二人で和やかムード醸し出してんの!?」
これだけ説明されて尚、ミノちゃんは納得がいっていないご様子。諦めが悪いなこいつも……。
「私は嫌だからね! 只でさえ兄の面倒見るのに忙しいのに、また一人増えるなんて絶対やだ!」
「面倒っていうか玩具扱いしてるだけでしょーが。我が儘ばっかり言っても聞きませんからね俺は」
「うぐぐぐぐ……まさか私達のベストプレイスに害成す者が現れるなんてぇ……」
一番害を成してるのは誰なのか。自分のことを棚に上げやがってからに。
「えっと……やっぱり迷惑だったかなツム君。ミノちゃん凄く嫌がってるし、それなら他に――」
「いやいや気にしなくていいよつくもちゃん。つくもちゃんが居てくれたらこいつも少しは大人しくなるかもしれないし、是非同居をお願いします」
「そっか。それじゃお言葉に甘えさせてもらうね」
そう言いながらにっこり笑って俺の手を握ってくる。これはもしや、思わぬ救世主が現れてくれたのでは?
女の子相手だときょどる俺ではあるが、幼馴染のつくもちゃんならまだ何とか普通に接することができる。同じ屋根の下っていうのはちょっとアレだけど、きっとその内に意識しないようになって慣れるだろう。
今日から三人で生活……か。また騒がしくなりそうだ。味方が増えてくれるだけ全然マシだけど。
「それじゃ、早速寝室行こっか。そんな時間掛からないだろうけど、部屋作り手伝うよ」
「本当? ありがとうツム君。えへへ……」
「お、おぅおぅぅ……」
嬉しさ余りに横からひしっと抱き付いてきた。ふにょんとした胸の感触が腕に伝わってきて、口から湯気が吹き出そうになる。
こうしてまたよく見ると、かなり美人になったなぁつくもちゃん。格好が和服だからか、凄く清楚な感じがする。それに髪の毛から良い匂いもするし……。
「おいコラツム兄。何を頬緩めとんじゃい」
「ハッ!?」
い、いかんいかん! 無意識の内に良い匂いの誘惑に負けていた!
何と恐ろしい魔力だ。この世にはこれだけで陥落する野郎がいるんじゃないだろうか? 俺も気を付けないと取り返しのつかないことになりそうだ。今日からつくもちゃんもいるんだし、用心しなくては。
「つーかいつまで引っ付いてんじゃい! ツム兄から離れろつくも!」
「……(ぎゅっ)」
無言でミノちゃんを見つめながら、更に強く抱き付いてくる。アカン、そろそろ限界近い。顔が熱過ぎてクラクラしてきた。
「あ、あの、つくもちゃん? そろそろ離れてくれないと何というか……」
「ん〜? 離れてくれないと何がどうなっちゃうのかな?」
悪戯っ子のようにペロッと舌を出して惚けるつくもちゃん。まるで小悪魔のような可愛い仕草に気圧され、目を合わせられなくなる。
「誰の許可得てツム兄誘惑してんじゃオラァ!」
「ばっ!? つくもちゃん離れて!」
ついに実力行使に出たミノちゃんが宙に飛び上がり、飛び蹴りを放ってきた。
咄嗟につくもちゃんの腕を振り解き、前に出て盾になった。そしてその足裏が俺の右頬に炸裂し、すっ飛んで壁の方に激突した。
生まれて初めて受けた妹の本気の暴力。まさかこれ程とは露ほどにも思わなんだ……。
「うおぉ!? 大丈夫かツム兄〜!?」
「……泣きそう」
蹴ってきた張本人が慌てて近付いてくるや否や、今度はつくもちゃんが俺の盾になるように立ち塞がり、ミノちゃんに向けて手のひらを押し付けた。
「暴力反対よミノちゃん。どうやら今後は私がツム君を保護してあげないと、ツム君がいつか壊されちゃうみたいね」
「発端は貴様だろうがぃ! どけぃつくも! ツム兄から離れろぃ!」
「駄目です〜! 暴力振るうミノちゃんにツム君は任せておけません〜! ほら、立てるツム君? 今日からは私が守ってあげるから安心してね」
「守るって何!? 人を害悪扱いすんな!」
「害悪でしょどう考えても! とにかく今日は、ミノちゃんがツム君の面倒を見ることを禁じます!」
「居候の分際で勝手に仕切るな! えぇい! こうなったらキャットファイトじゃい!」
「またそうやって暴力を振るう! でも今回は受けて立つ!」
そうして宣言通りのキャットファイトが始まった。俺の目では捉えられない激しき乱戦。ミノちゃんもつくもちゃんも負けず劣らずの攻防戦を繰り広げ続ける。
俺は完全に蚊帳の外。思い切り蹴られた頬を摩りながら口も挟めず、ただ黙ってそのガチバトルを見守ることしかできなかった。
多少平和になるんじゃないかと思っていたのは束の間の間。やっぱり俺にそんなひと時は無縁らしい……。
〜※〜
決着がついたのは大体二十分くらい経った頃だった。スタミナ切れを起こしたミノちゃんが不意に体勢を崩し、そこをつくもちゃんの大振りのビンタで隙を突かれた。結果ミノちゃんは敗北を記し、今は自分の部屋でぐったりしている。
対するつくもちゃんはつくもちゃんで無傷ではなく、所々にミノちゃんの毒牙の傷跡が残っていた。軽傷と言うには可愛い傷なので別状はないにせよ、その疲労っぷりは誰が見ても一目瞭然だった。
そんなわけで、動けなくなったつくもちゃんを俺が寝室に運び、今はつくもちゃんの代役として部屋の整理の真っ最中だった。
荷物は大きな鞄とキャリーバッグのみで、本当に必要なものだけ持って来ていた。家具は後日に業者が届けに来るとのことなので、ひとまずはほぼすっからかんのタンスの中につくもちゃんの衣類を入れている。
無論、下着には一切手を出してはいない。昨日のヒノちゃんの引っ越し作業で泣き目にあっているので、流石にそこは学習していた。
にしても、着慣れているからなんだろうか。持って来ている衣類が和服しかなく、つくもちゃんに似合うであろう洋服は一着もなかった。服の好みにとやかく言うつもりはないから全然構わないけど、この時期に着物だけ着て暑くないんだろうか?
「これで良しっと……こんなもんで良いかな?」
「うん、大丈夫。ごめんねツム君、色々と迷惑掛けちゃって」
「いやそれはむしろこっちの台詞なんだけどね……」
さっきのやり取りや今日までの経緯を知ってしまった今、つくもちゃんには申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
つくもちゃんは俺を守ってくれると言っていたが、むしろ俺がつくもちゃんをあの馬鹿から守らなくちゃいけないだろう。あいつもしょうもない理由で喧嘩しやがって……フォローする兄の身にもなってほしい。
「他に何か用意した方が良い物ってある?」
「ううん、他は大丈夫。後は家の家具さえ届いてくれればオッケーかな」
「そっか。それならいいんだけど……っと」
ごろんと畳の上に寝っ転がり、ボーッと天井を見上げる。
まだ朝だというのに、一日分の精神力を使ってしまった感がある。今日はもう一日中ゴロゴロしてよう。
「動きっぱなしで疲れちゃった?」
「うん、ぶっちゃけかなり疲れたよ。主にあの馬鹿のせいで」
「たはは……連絡で電話してた時も思ったけど、昔以上に破天荒になってるよねミノちゃん」
「ははっ……いつからああなってしまったのか、今となってはもう分からないよ……」
でもああ見えて子供の頃よりは丸くなっていたりする。ちびっ子時代のミノちゃんはそれはもう鬼畜な女の子で、俺が本気で嫌がる悪戯を懲りずに仕掛けてきて、その度に泣かされていた記憶しかない。
そんな妹に対し、つくもちゃんは実に良い娘に育っていたようだ。俺と顔を合わせてから一度も弄ってこないし、むしろ俺を弄ろうとしてくるミノちゃんから身を守ってくれるし、もう願ったり叶ったりだ。
「でもつくもちゃんは根本的に何も変わってなくて良かったよ。ミノちゃんのようになっていたら今頃俺はどうなっていたことか……」
「むむっ……私としては色々変わったねって言って欲しかったんだけどな〜?」
「あ〜……そ、そうだね! 変わってる変わってる! 気が弱かった昔と違って、凄く明るくなってるもんね!?」
「ん〜……他には? 他には何かない?」
「他……他は……」
ある。一目見て大きく変わったところがはっきりとある。でもそれを言うのは俺的にハードルが高いので、サラッと言えるはずもなし。
「まぁ……うん……だよね。そりゃぁ……そうだよね……成長期なんだし……」
「誤魔化さずにはっきり言ってほしいな〜?」
「うっ……」
またもや見せ付けてくる小悪魔的仕草。これまた俺の周りにはいなかったタイプの女の子だ。気圧されてばかりで全く太刀打ちできない。
「は、恥ずかしいんだよ……それでも言わなきゃ駄目?」
「駄目ってわけじゃないけど、一言だけでいいから口に出して言ってほしいな〜?」
その言い方ズルい。完全に俺の退路を断つ台詞じゃんか。くそぅ、まるでヒノちゃんを相手にしてるようだ。弄って来てるわけじゃないだろうからまだマシなんだけど。
「……綺麗に……なったと思います」
「ふふっ、お褒めの言葉頂きました〜」
くぅ……は、恥ずい! 女の子に綺麗に対して綺麗になったとかストレート過ぎるだろ! 女たらしじゃあるまいし、もっと上手く濁せる言い方を思い付かないのか俺は!?
一人顔を火照らせて悶絶している中、つくもちゃんは満足げに笑みを浮かべていた。平気そうに見えてはいるが、若干頰が赤くなっていた。多少は照れてるんだろうか?
「ツム君は……見た目以外は何も変わってないね。主に可愛いところとか」
「えぇぇ……そう言われると凹むなぁ……」
どいつもこいつもそればっかか! 可愛いと言われても嬉しくないって何度主張すればいいんだ!? それともこの肩書きは一生付き物として取り憑いていくものなのか? すっげぇ嫌だそれ。
「凹むことないよ。可愛い男の子って私好きだよ?」
「好っ……そ、そう……」
落ち着け俺、つくもちゃんはあくまで可愛い男の子を好きと言っただけだ。決して俺を好きだと言ったわけじゃない。都合の良い勘違いしようとするな天川紡。貴様はカースト制度の奈落の底の住民だということを忘れるな。
「ちなみにツム君ってどんな女の子が好みなの?」
「えっ? な、なんでそんな事を聞くの?」
「それは勿論、興味があるからに決まってるでしょ?」
出会い頭の行動といい、今のこの会話といい、何だかグイグイ迫られてるな。一体何を考えているのかこの娘は……?
「べ、別に好みとかは……そもそもそんなこと考えたことないし」
「なら今考えてみて。パッと思い付いたことで良いからさ」
「いきなりそう言われてもなぁ……」
好みの女の子……ねぇ。女の子に飢えた野郎共が何時ぞやにそんな話題で盛り上がっていたような。その時は俺もその輪の中にいたけど、聞くだけで精一杯だった記憶しかない。
「うーん……やっぱりよく分かんないや。極端なことを言うのなら、常識を守って無闇やたらに暴力を振らない人かなぁ」
「それは流石に当たり前の範疇だよ。んーっとねぇ……それじゃあ、家族のミノちゃんと一緒にいる時のような感じで、どんな女の子だったら違和感を感じないかな?」
「違和感……」
余計に質問が難しくなった気がするんだが……一緒にいても自然体でいられる相手ってことか? それがどんな女の子かと聞かれると……。
「……ヒノちゃん」
「え?」
「あ、いや、えっと……きょ、強弱がはっきりしてる人かなぁ!? ほら、ミノちゃんもそんな感じだから、それに似た性格の人なら違和感感じないかもって思ってさ!」
何故そこで特定の名前を出す!? しかもこの言い方だと、まるで俺の好みの女の子がヒノちゃんということになるじゃん!
違う違う違う! ヒノちゃんはあくまで俺の良き後輩! 決してそういう対象ではない! それにヒノちゃんが彼女になったら気苦労絶えずに死んでしまうわ! そもそもヒノちゃん好きな人いるし、俺が入り込む余地なんて一切無いわ!
「強弱がはっきりしてる人かぁ……言いたい事をはっきり言う強気な人、みたいな感じかな?」
「そ、そうだね。俺には絶対できないことだし、自分にできないことを平然とやってのける人には憧れるよ」
よ、よし、なんとか乗り越えてみせた。最終的に上手いこと言えたぞ珍しく。
というか、なんで俺ばっかり質問攻めにされなきゃいけないんだ。こうなったらつくもちゃんにも仕返しして、俺みたいに戸惑わせてやろう……。
「も、もういいだろ俺のことは? 今度はつくもちゃんが言ってよ。可愛い以外にもっと何かあるんでしょ?」
「私? 私は……」
女の子は男に対して理想が高いと聞く。つまり、つくもちゃんが好む男の特徴は一つに限らないはずだ。
さぁ言うんだつくもちゃん。存分に羞恥心を感じながら言ってみるんだ。そしたら俺がどんなに恥ずかしかったのか、身をもって体験できるだろうからね!
「その前に、一つ伝えたいことがあるんだけど……良いかな?」
「へ? う、うん」
すると、さっきまでの冗談染みた雰囲気が消えて、穏やかな雰囲気を感じるようになった。
目を細めて下を向き、何かを想うような表情を浮かべる。もしかしたら真面目な話をするつもりなのかもしれない。
俺は寝そべった状態から起き上がって胡座をかき、黙ってつくもちゃんの話を聞こうと耳を傾ける。
「さっき話したことだけど……私がここに来た理由って覚えてる?」
「えっと……将来のために都会の暮らしになれたいから来たんだよね?」
「……実はね、それ半分は嘘なの」
「え? そうなの? それじゃ本当の理由って……」
「それは……ね。ツム君に会いたくてここに来たの」
「…………うぅん?」
は? 何? 俺に会いに? 一体この娘は何を言ってるんだろうか? 訳がわからないWhy?
軽く混乱していると、不意につくもちゃんが畳に手を付きながら近付いて来た。思わず少しだけ後ろに引いてしまったが、それ以上動くことができずに硬直してしまった。
つくもちゃんの頰がさっきよりも赤く染まっていた。俺を見る目も何処か熱を帯びているように見える。
ま、まさか……ねぇ? ないないありえないって。きっとこれは俺の誤解だ。
「会いたくて来たって、要はあれでしょ? ただ久し振りに顔が見たくなって来た、みたいな? そんな気まぐれ的な感じで――」
「ううん、違うよ。気まぐれなんかじゃない。本当にツム君に会いたくて、そのためにここに来たの」
「そ、それは……なんで?」
「……何となく分かってるくせに、意外とツム君って意地悪なんだね」
そう言うと否や、急に距離を詰めて抱き付いてきた。更に俺の背中に手を回してきて、自分の左頬を俺の右頬をくっ付けてきた。
ぷにぷにした頰と、ふっくらした胸の柔らかい感触。女の子独特の心地良い匂いに、細くて華奢な腕から伝わってくる抱擁感。過去最大の唐突な出来事に脳がショートを起こしてしまい、全身真っ赤になったままカチンコチンに固まってしまった。
「つ、つつつつくもちゃん!?」
「あははっ、凄い顔になってるよツム君」
頰を離して至近距離で俺の顔を見つめてくる。完全に目と目が合い、距離は目と鼻の先。視線を逸らそうにも逸らせない状況になってしまった。
「さっきも言ったけど、ツム君私とした約束覚えてる? もし次また出会った時に大人になっていたら、私をお嫁さんにしてくれますかって」
「う、薄っすらとだけど……」
あれはつくもちゃんがお父さんの都合でこの町から引っ越す日の当日だった。俺と同じで泣き虫だったつくもちゃんは、めそめそ泣きながらも俺にその約束をしてほしいと小指を差し出してきた。
俺はそれを受け入れて、同じくめそめそと泣きながら小指を結び、指切りげんまんと約束を交わした。
もう十年以上も前のことだ。普通ならとっくの昔に忘れていてもおかしくない。酷い話、俺はつくもちゃんに言われるまでは、こうしてすっかり忘れてしまっていた。
子供の頃の約束。それは大人になるに連れて自然と忘れて、無かったものになる。俺はそういう偏見を持っていたけど……つくもちゃんはそうじゃなかった。
「もう……酷いよツム君。私は片時も忘れたことなかったのに、ツム君ときたら私の見た目すら忘れてるんだもん。流石にちょっとショックだったんだよ?」
「……すいません」
己の乏しい記憶力に我ながら泣けてくる。同時にそれを思えば思うほど罪悪感が込み上げてきた。流石は底辺の人間、やる事成す事全て最低だ。
「……なーんて冗談冗談。最後にはすぐにちゃんと思い出してくれたし、何も怒ってないよ」
「そ、そっか……てゆーか、そろそろ離れてくれるとありがたいのですが……」
「ふふっ、もう少しだけこうさせて。ツム君と離れたあの日から、ずっとこうしたいって思ってたから……」
そう言って更に強く抱き締めてきた。完全密着だなんて、これじゃまるで恋人同士――って、何考えてんだ俺!? だから俺の勘違いだって言ってるじゃん!
こういう時は……あれだ。偶数でも数えて気を紛らわせるんだ。あれ? 奇数だったっけ? いやそれもなんか違うような……? やばいまた頭ん中パニクッてきた。
「……そういえば、まだ私の好みの男の子のこと答えて無かったね」
「い、いや、やっぱりいいよ言わなくて」
「どうして? 私にそれを言わせて戸惑わせるんじゃなかったの?」
「えっ!? な、何故それを……」
「ツム君すぐ顔に出すから分かり易いんだもん。今までも誰かにそう言われた覚えがあるんじゃない?」
それはもう滅茶苦茶ある。今まで出会って来た人の殆どにそう言われた記憶しかない。そんなんで社会出れるのかと心配もされた。正直なのは良い事だと褒められたりもした。
俺の個性の一つなんだろうが、俺自身は全く必要としてない。このせいでヒノちゃんやミノちゃんに弄られて来た節あるし。こちらとしては堪ったものじゃない。
「だから、公平になるように私も教えてあげるね。少し耳を拝借っと……」
俺の言い分などお構い無しで、口を耳元に近付けてきた。微かな吐息が左耳に掛かってきて、思わず大声を上げそうになったところを手で塞がれた。
そして囁くように、つくもちゃんは言った。
「私の好みの男の子はね……ツム君だよ」
その後、そっと耳に唇を近付けてきて――またキスをされた。
「バッハァッ!?」
ついに体温の熱がオーバーヒートを起こし、首から上の穴という穴から蒸気が吹き出て、爆発を起こした。
視界が三百六十度ぐるぐる回って後ろに倒れてしまった。つくもちゃんに押し倒される形になってしまったが、そんな体勢に戸惑う以前に体温の熱さで頭の中がいっぱいだった。
「ふふっ、ちょっと刺激が強過ぎたかな? でも私、嘘は言ってないよ。今も昔も、私はツム君のことが大好きだよ」
俺が本気で発熱起こしていることも知らず、つくもちゃんは幸せそうに微笑んでいた。
まさか告白されるなんて思わなかった。俺の事が好きだなんて信じられない。そもそも好かれる理由や原因がさっぱり分からない。
思考回路が現実に追い付かない。もう何も考えられず、ただただつくもちゃんの顔を見上げる事しかできない。
「……ミノちゃんまだ寝てるよね」
その呟きが何を意味するかも考えられずにいると、またつくもちゃんから顔を近付けてきた。
ただ、さっきとまで違うことは、顔を真正面から近付けて来ているということ。それが何を意味するのかはどんな馬鹿でもすぐに分かる。
いつもならすぐに跳ね除けて脱出を試みているところだが、生憎今の俺にそんな余裕はない。金縛りにでもあっているかのように指先一つすら動かず、首を傾けることもできない。
「ツム君……」
つくもちゃんは静かに目を瞑り、そのままゆっくりと顔を近付けてくる。
そして――
〜※〜
「どらぁぁぁ!! ここかつくもぉ!?」
ツム兄の部屋にいない今、二人がいる場所がここなのは明白。
つくもの部屋になる寝室のドアを蹴り飛ばして、即席で作った最高硬度の新聞紙の剣を片手に中に入った。
「ツム兄無事!? 貞操は奪わ……れて……」
中に入って隅のところを見た瞬間、思わず私は絶句した。
ツム兄がつくもに押し倒されてて……キスをされていた。しかも頰にするスキンシップなキスじゃなくて、唇と唇を合わせるソフトなキス。
ブチリと私の中で何かがキレた。
「な……何しとんじゃぁぁぁ!!」
「あいたぁ!?」
隙だらけのその後頭部に思い切り新聞紙ブレードを叩き込んだ。ガチで作った硬度だからかなり痛いはず。現につくもはツム兄の上から離れて、後頭部を抑えながら部屋中をピョンピョンと跳ね回っていた。
「ひ、酷いよぉミノちゃん! どうやったらそんなに硬くなるのそれ!? 思わず木刀か何かを叩き込まれたと思ったよ!」
「喧しいわ! 今何してた!? ツム兄に何してた!?」
「何って……キスだよ?」
「キスだよ? じゃないわぁ! なんちゅーことしてくれとんじゃぁ己!?」
まさかツム兄の“セカンドキス”を奪われるなんて……それは他でもない、ヒノのものになるはずだったのに!
「だって我慢できなかったんだもの! ミノちゃん寝てるだろうからチャンスだと思って、この勢いならイケると確信して――」
「イケるってなんだぁこの破廉恥女ぁ!? んなことツム兄にしたらどうなるか分かってるのかコラァ!? 私がお前を捻り潰すぞつくもコラァ!?」
「そ……それはおかしいよ! なんでツム君とあれこれするのにミノちゃんの許可がいるの? これは私とツム君の話なんだから、ミノちゃんには関係ないよ!」
「うぐっ……痛いところ突きやがって……」
確かにそう。ツム兄が誰とくっ付くかなんて私が決めることじゃない。最終的にそれを決めるのはツム兄本人だ。
これは私の我が儘。そんなことは分かってる。だけどここで引いたら絶対に後悔する。
ツム兄の相手になるのはつくもじゃない。隣に住む紫先輩でもない。勿論妹の私でもない。
ツム兄の相手はもう決まってる。それはツム兄本人だって本当は分かってるはず。だから後は私がタイミングを見て背中を押してやれば良い。
だからこそ……急にパッと出で現れたつくもに邪魔されてたまるかっての!
「あ……生憎だけど、ツム兄には既に好きな人がいるんです〜! 確かにつくもの言う通り、私が口を挟む資格なんてないんだろうけどさ! それ以前に、つくもにも横入りする余裕なんてもうないんだよ!」
「それってもしかして、ヒノちゃんって人のこと?」
「なぬっ!? なんで知ってる!?」
「ううん、知ってるのは名前だけだよ。さっきツム君がぼそっと呟いてたの。私がツム君にどんな女の子が好みなのかなって質問してる時に」
なんと、それは驚いた。ナイスだツム兄、私の知らないところでちゃんと成長できてるじゃないか。これでもっと積極的になってくれたらいいのにねぇ。
何にせよ、この事実はつくもに効いたはず。これで諦めてくれたら楽なんだけど……そうもいかなそうだ。
「でも仮にツム君がそのヒノちゃんって娘のことを好きだったとしても、私は絶対に諦めないよ。最後には私の方に振り向いて貰えるように、これからはどんどんアピールしていくつもりだから!」
「はははっ、それを私がすんなり見過ごすとでも?」
「うっ……で、できればミノちゃんには私達のことを見守ってくれたら嬉しいんだけど……」
「やだね。只でさえ紫先輩という宿敵がいるってのに、そこにまた邪魔者を入れる余地なんて無いっつーの」
「邪魔者って酷いなぁ……え? 紫先輩って?」
「ツム兄と同じ学校に通ってる同い年のお隣さん。学内じゃナンバーワンアイドルの称号を持つ有名人でねぇ。紫先輩って言うんだけど、その人もまたツム兄のことが好きっぽい……いや、好きみたいなんだよねぇ。それに向こうにも私と同じ援護役の友達がいるみたいで、手を焼いてるってわけ」
「ま、まさかそんな……もしかしてツム君って結構モテてるの?」
「モテてるかどうかはよく分からんけど、大体の女子からは可愛い可愛い言われてるよ。その中には密かに恋してる人もいるかもね」
まぁ、それを許すほど私は甘くないけど。現にツム兄を呼び出そうとあれこれ手段を用いていた女子がいたけど、全部バレないようにシャットアウトしてやったし。
もしバレたらと思うとおっかないわぁ……女って基本腹黒い奴ばっかだし。十中八九虐めに遭う未来が見え見えだ。
「とまぁ、今はまだ誰とも付き合ってないけど、それも時間の問題ってね。今年中には私の手でヒノとくっ付かせるつもりなのさ〜」
「そ、そうはいかないよ! ツム君の彼女になるのは私! たとえミノちゃんに邪魔されようとも、絶対ツム君に選んで貰うんだから!」
「ちっ……頑固な女め」
「えぇぇ……それミノちゃんが言うの?」
「私は良いんだよ、割り切ってるから」
「そ、そうですか……」
やっぱり諦めさせるのは無駄……か。とすると、今後は紫先輩だけ危険視してたら駄目だ。いや、むしろつくもの方をより強く警戒しておかないと駄目っぽい感じか。
ヒノや紫先輩と違って、つくもは極端に押しが強い。ツム兄も押しには滅法弱いし、そのまま制圧される可能性が無きにしも非ず。性格も相性ばっちりで仲良いし、常に見張っておかないと何されるか分かったもんじゃない。現に私の目を盗んでキスしやがったし。
……ていうか、やばいなツム兄。今まで見たことないくらい真っ赤に茹で上がってるし、絶対発熱起こしてるよこれ。やれやれ、世話の掛かる兄だこと。
「どれどれ……あっつ!?」
試しに額に手を置くと、ジュワッと私の手が焼き上がる音がなった。これ下手すりゃ死ぬんじゃね?
「ちょいつくも! 冷蔵庫から保冷剤持ってくるから手伝えぃ! このままだとツム兄が沸点超えて死ぬ!」
「えぇ!? そんなに酷いことになっちゃってたの!? 私殺すつもりなんてなかったのに!」
「ツム兄はつくもが思ってるよりも恥ずかしがり屋なんだよ! キスなんてされたらそりゃこうもなるわ! 後で詫び入れろよ詫び!」
「うぅ……ごめんねツム君。それじゃお詫びに今度は額の方にキスを――」
「ボケてんの!? それとも本気!? どちらにせよ磨り潰されたいってか!? あぁんコラァ!?」
血迷っているつくもの首根っこを掴み、急いでリビングの方に向かう。
くっそ……嫌なタイミングで帰って来てさぁ……もうこれ以上私の計画を邪魔されてたまるか! ツム兄は永遠に私とヒノの物だっての! でも今はそれよりツム兄の蘇生が優先ってね!
〜※〜
それからしばらく私とつくもでツム兄の熱を冷まさせるのに尽力し、ツム兄がやっと目覚めたのは数時間後のことだったという……。
恐らくラストのメインヒロイン登場回でした。後にどんな展開になっていくかは、作者の私も謎です。