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崑崙召喚放浪記!!

抱きしめたその後で

作者: 石田空

 見上げると空が青かった。

 キレイ。

 私はボンヤリと空を見ていた。

 雨で洗い流された空は、ひどく高く見えた。

 私はボンヤリとした意識のまま、ゆっくりと起き上がった。

 口の中はジャリジャリして、泥の味がする。

 水分を充分に吸った制服が肌に張り付いて、ひどく動きにくい。

 私そう言えば。

 何でこんな所で寝てたんだ?

 今日は台風で休校になったはずなのに。

 台風のせいだろうか。人も車もまばらな歩行者天国のど真ん中で、私は仰向けで倒れていたのだ。

 スカートを雑巾絞りし、ようやく私は立ち上がった。


 ガチャリ


「え……?」


 私の携帯電話がポケットからこぼれ落ちた。

 やだな。水溜りに落としてたらデータ飛ぶとこだった。

 そう思い、携帯電話を拾い、いつも通りに覗き込んだ。


「え……?」


 私は目を大きく開いた。

 何コレ。

 私は携帯の画面を何度も何度もスクロールした。

 ガチャガチャ。

 何コレ何コレ何コレ。

 私は画面に映る文字の羅列を目で追った。

 ガチャガチャガチャガチャ。

 何コレ何コレ何コレ何コレ何コレ何コレ。

 全ての羅列を追い終えた後。

 私は液晶画面も世界も、歪んで見えた。

 涙が溢れて、止まらないのだ。


/*/


 世の中は、要領よく生きたモン勝ち。

 別に教科書にも書いていないし、大人もこぞって教えようとはしない。

 しかし世の聡い『子供』と呼ばれる人種は、様々な経験を経て、自ら体得していくものである。

 要領よくない人間は?

 もちろん。

 こぞって餌にされます。


「ねえ、山下さん、お願い。先週のノートあるぅ?」


 またか。

 内心舌打ちしながら、目の前のクラスメイトを見た。


「あるよ」

「お願いっ、一瞬でいいからノート貸してっ」


 あんたの一瞬は何時間あるんだ。あんたは宇宙か。無限大なのか。

 私はイライラしたが、それは丸めて飲み込んで、努めて愛想よく笑う。ワハハ。


「いいよ、どうぞ」

「ありがとう~、恩に切りまぁす」


 クラスメイトは「ルンタルンタ」と擬音を貼り付けて去って行った。

 さよなら古典のノート。おそらく次回に会うのはテストの日だろう。

 私はおそらく隣のクラスにまでたらい回しされるノートを見送り、古典のテストは教科書に頼るしかないと、点数を諦める心の準備をした。


「ゆっこ、また森坂達にノート貸したの? どうせテスト当日にならないとノート帰ってこないよ。アンタまた赤点取りたいの?」

「そんな事言われても……目、付けられたくなかったし」


 私は数少ない友人の夢見さんに怒られ、小さくなりながらお弁当をつまんだ。

 夢見さんはイライラとしながらおにぎりを頬張っている。


「ノートまだ抜けてるとか、忘れたとか、適当にかわせばいいでしょ、そんなの」

「思いつかなかったんだもん……」

「も~う、アンタって子は!!」


 夢見さんは私の頭をバシバシ叩きながら、自分のノートを突き出した。


「さっさとこれ、コピってきなさい! アンタまた、出来もしない教科書丸暗記で乗り切ろうとしてるでしょ? 化学も生物もあるのにキリないからやめちまいなさい!」

「あ……ありがと……」

「回れ右! さっさと行けぇ!!」

「う、うんっ……」


 私は夢見さんに言われるまま、図書館まで走る事となった。


/*/


 はあ。

 ノートを見ながら溜め息をついた。

 何で世の中、こんなに住みにくいんだろ。

 自分の要領の悪さに、私は情けなくて情けなくて仕方がなかった。

 コピー機は、私の気持ちなどさっぱり分からずに、まずいものでも吐き出すかのように、ぺっぺぺっぺと吐き出していた。

 私は吐き出す紙を集めながら、もう一度溜め息をついた。


 本が好きだからって、頭がいいと勝手に勘違いされ、頭いい人のノートはキレイと、いつもテスト前になるとノートが消えてしまう。黒板丸写ししかしていないのに。

 メガネつけてるのだって、本の読み過ぎの近視だし、図書委員してるのだって、ただ司書さんと仲がいいだけ。なのに、周りは勝手にレッテルを貼る。

 やめてよ。

 私はノート丸暗記しかできない人間だし(だから暗記できない数学と英語は悲劇的に点数が悪い)教科書なんか5日で丸暗記できてたまるか。

 なんて、いつものように愚痴愚痴考えている間に、コピー機は不快に大きく揺れた後、停止してしまった。

「ビィ――――」と言う音を出して。

 モニターには「紙詰まり」と点滅している。

 嘘っ、ちょっと待って。

 司書さんが飛んでくるまで、テスト用のコピー待ちの列と、勉強していた生徒達から白い目で見られるのを、私は小さく小さくなって待つ事しかできなかった。


/*/


 要領が悪い人間は不幸だ。

 間が悪い人間も不幸だ。

 どっちも悪い人間なんて、最悪だ。


「ただいまぁ」


 親はどちらもまだ帰ってきてはいない。

 だから誰もいるはずのない玄関でこう言うのは、無意味で仕方がない。

 しかし、言ってしまうのだからしょうがない。

 私は靴を脱いで揃えると、そのまま自分の部屋に入っていった。

 適当にブラウスとスカートを脱いで、どうせ1人だしいいやと、服着る前にパソコンを立ち上げた。

 パソコンが立ち上がるのを待ち、その間にモゾモゾと適当にTシャツとジーンズを引っ張り出して着替える。

 パソコンのモニターが空のスクリーンになったのを確認してから、私はインターネットを立ち上げた。

 ネットの海をマウスのクリックで潜り、一つのブログを救い上げる。

 ここは私の城だった。

 カタカタカタカタ、キーボードを叩く。

 普段とろくて、思考と言動を同時にできない私にとって、パソコンはとても便利なツールだった。打ちながら言葉を直せる。言葉を操りながら、次の事を考えられる。しゃべる事が得手の人には分からないだろうが、私にとってパソコンは不可欠なものだった。

 ブログには今日の出来事が流れていた。

 名前さえ、住んでいる所さえ、打たなければ、ごくごく在り来たりの内容である。

 私はブログの更新を確認し、うーん、と背伸びした。

 ようやく思いついて、窓を開けた。

 7月を目前に、空は冴えない色をしていた。


/*/


 テストまであと4日。

 私はノートを見ながら歩いた。

 古典は後回しだ。先に化学だけでも片付けよう。

 目をぐるぐるさせながらノートの内容をぶつぶつ言いながら暗記しつつ、角を曲がった。

 その時だった。


「こっちへ来るナ!!」

「……え?」


 目の前で、女の子が吹き飛んでいた。

 女の子は舌打ちし、きれいに転がった後、体勢を整えるように膝をついた。

 はあ……?

 私は女の子をしばし凝視した後、彼女が飛んできた方向を見た。

 何故かそこには、ブリキ人形のようないでたちの巨大ロボットが、キャタピラでコンクリートを削りながら鼻みたいなものからプシュープシューと煙を出していた。


 何コレ。

 私は思わず辺りを見回した。

 何かの撮影? どうしよう。ここ通らないと学校に行けないのに。

 女の子も怪我してなさそうだし、ここ、通っても問題ないわよね?

 私はブリキ人形からできる限り距離を取りつつ、横切ろうとした。


「来るナって言ってるでショ!!」


 まだ怒声だ。

 先ほど吹き飛んだ女の子は、ファイティングポーズを取ってブリキ人形を睨み続けている。

 よくよく見ると、この女の子の格好も相当変だ。

 形だけならセーラー服なのだが、色は有り得ない位作り物めいた青でおまけに化学繊維でテカテカに光っていて、襟も無駄に後ろが長い。極めつけは校章で、そこには校章の替わりに何描いているのかよく分からない絵だ。

 ちらりとテレビに映っていた秋葉原の光景が頭をかすめた。

 やっぱりこれは何かの撮影だ。

 さっさとここを通り抜けよう。

 そう考え、私はその場を後にしようとした。


 ヒュンッッッ


 何かが私の横を飛んでいった。


『ピピピッッッ…………ガ……ガ……』


 ブリキ人形は電子音を上げた。

 振り返ると、女の子の手には、何本も何本も何本も鉛筆があった。


「来るナ、言ったでショ……」


 ひどくなまった口調で女の子は吐き出すようにしゃべり、もう一度鉛筆を投げた。


 ヒュンヒュン


 ブリキ人形のキャタピラの動作部分にきれいに挟まった。

 キャタピラは鉛筆を巻き込んで回ろうとするが、上手く作動できないらしい。


 女の子はようやく動きを止めたブリキ人形に目掛け、バチバチと火花を散らすものを投げつけた。

 ……って、あれって、テレビとかに出てくるスタンガン?

 私は呆然と軌跡を見守っていたら。


「伏せロ!!」


 女の子に髪を掴まれ、そのまま地面に激突した。


 ドカァァァァァァァァァァァァァァァン!


 大きな震動の後に背後を見ると、ブリキ人形が木っ端微塵に粉砕されていた。


「大丈夫?」


 女の子は先ほどまでの鋭い視線を和らげ、ニコニコと笑った。


「あ……はい……」

「よかったぁぁぁ」


 女の子は起き上がった。


「じゃあ行くネ?」


 そのまま女の子は、元気に走っていった。

 ……砂煙上げて走る人なんて、マンガ以外で初めて見た。

 私はしばらくボウっとした後、ようやく思い出してノートを拾った。

 さっきの爆発でどうも近所の人達も気がついたらしい。道に人が集まり始めた。

 もし騒ぎになって、あの変な女の子の事を聞かれても嫌だな。警察に連れて行かれて、変な噂とか立てられたくないし。

 私は警察が駆けつけて来ない内に学校に急ぐ事にした。


/*/


「ここ数日、付近では事故が多発しています。皆さんも登下校の際には用心を持って……」


 学校では案の定、朝の事を言っていた。

 あれ? おかしいな。

 私はボンヤリと思った。

 何であのブリキ人形の事、ニュースとかで流れないんだろ?

 まあ、そんな事どっちでもいいか。

 私はアクビを噛み締めながら、ホームルームを聴いているフリをしてノートのコピーを必死で目で追っていた。

 テストが延期とかにならないといいな。夏休みに入るのが遅れちゃう。テストの為なんかに夏休み消費なんて馬鹿らしいし。

 窓の外の景色は、やはり冴えない灰色の空を映していた。


/*/


 いつの間にやら、今日の授業は終えていた。

 もっとも、私だけでなく、全員が全員、内職よろしくテストの丸暗記に必死だったので、ほとんどが授業の内容を覚えていなかった(唯一覚えているのが「これテストに出るぞ」のセリフだけで、教科書で指摘された部分にマーカー引いていたのだから馬鹿らしい)


 校門を出ると、全員が全員、教科書、ノート、単語帳を持って、それに必死で目を通している。

 いつか近所に住む幼馴染が私の学校の登下校を「集団登下校しているの?」と訊かれ、「してないよ」と答えた事を思い出した。それくらい、思想統一でもされているのだろうか、うちの学校は。

 もちろん、テスト前にそんな事はどうでもいい事なので、さっさと忘れた。

 目の前を、中国四千年の歴史が通り過ぎていた。

 本当に馬鹿馬鹿しい気分になっていた所だった。


「めっケ」


 甲高いアニメ声が飛んできたのは。


「朝、私と一緒にいたよネ? いたよネ?」


 アニメ声が私の周りにチョロチョロ聴こえる。

 私はようやくノートから顔を上げて絶句した。

 朝にいた、ブリキ人形とファイティングしていた変な子がいたのだ。


「な……」

「あのね、私ここらへんの事分からないんダ。部品売ってる所ってあル?」


 彼女の変ななまりが「ある」と言うと、ひどく中国語のように聴こえる。


「し……知らない……」


 何とか他人のフリをしようとしても、周りはこちらをマジマジと見ている。


「コスプレ?」

「何かのイベント?」

「アキバ系アイドルって奴?」

「うわぁ、あれうちのクラスの山下だよ。あいつネクラだと思ってたらアキバ系だったんだ?」


 恥ずかしくて、今気絶できたら、どれだけいいだろうと思った。


「ねえ、ねえ、ぶーひーんー」


 私の気持ちなど全く分かりもしないアニメ声は、私の周りをウロチョロウロチョロした。

 やめてよ……本当に、勘弁してよ……。

 私は何とか勇気を振り絞って縮こまる声帯に仕事をさせた。


「そんなに部品が欲しいなら、電機屋でもどこでも行けばいいじゃない……」

「デンキヤ?」

「あるでしょ? 駅前とか、ここからだって歩いてでも……」


 アニメ声は、「うーん……」と首を大きく捻り、やがてブンブンと振った。


「多分ここら辺だと売ってないヨ。専門的なところがいイ」


 私は頭を抱えた。

 どうにかこの子から離れたかったので。

 逃げた。


/*/


 何なのよ。

 何なのよ。

 やめてよ。私は普通でいたいだけなんだから。

 私はカタコトを通り過ぎ、バンガンバンと言う音を立ててキーボードを叩いた。いや、もはや殴りつけていた。

 走って走って、逃げても逃げても、あの砂煙を巻いて走る彼女から逃げる事は不可能だった。

 せめて、悪目立ちしている彼女と一緒に歩きたくない一心で、嫌々人目のつかない私の部屋にまで連れてきた。

 屈辱だった。

 学校の人だけは、絶対家になんか入れたくないのに、見ず知らずの女の子を入れる羽目になるなんて。

 彼女は分かっているのか分かっていないのか、私の部屋の天井を見たり、壁を見たり、パソコンを見よう……として私は思わず「見ないで!」と言って突き飛ばした……りしてキョロキョロと目線を彷徨わせていた。


「で……結局の所あなた誰?」


 私は一通り口汚い文をブログに載せ終えた後、ようやく彼女の方を見た。

 見れば見るほど、何でこんな子が現実にいるのかと頭を抱えたくなる子だった。


「ああ、私は、カナン」

「……日本人?」


 彼女は「うーん」と首を捻った。

 本当に何なのよ。

 コスプレ、変ななまり、存在そのものが変。

 何なのよ。

 私は彼女をじっと見つめ、彼女はニパァっと笑った。


「ねえ、これ、パソコン?」

「……そうだけど」


 彼女は嬉しそうに私のパソコンを見た。

 と思ったらいきなり下ろした。


「! 何するのよ!」

「んーっと……」


 いきなりディスプレイを触りたくったと思ったら、いきなりポケットからドライバーを取り出し、ハードディスクの中をパカッと開けた。


「何するの! やめて! パソコン潰れちゃう!」

「うーん……」


 彼女はガチャガチャとパソコンの本体の中をいじくった後、何事もなかったようにフタを閉めた。


「やっぱダメだぁ……キャパシティー足りない……」

「だ・か・ら! あなた一体何なのよ! 『部品』とか言ったり! パソコン開けたり! 何するのよ!」


 とうとう私は怒った。

 彼女はキョトンとした顔をし、パソコンを指差した。


「キャパシティー増やしたい。部品ある?」

「ないわよ! そんなの……」


 彼女は困ったような顔をし、口をモゴモゴさせた。

 やがて、ようやく思いついたように口走った。


「あのね! ええっと……うー……そう! このパソコンのメモリとハードディスクの容量増やしたいノ! 売ってる所あル?」

「メモリと、ハードディスク? 電機屋さん?」

「ええっと、あと……ジャンク! 部品イッパイジャンク売ってる所あル?」


 私は彼女が何故そんなに私のパソコンを弄くりたいのか分からなかった。

 しかし、彼女は用事が終わるまで私の部屋に居座る気満々らしい。

 私は溜め息をついた。


「秋葉原だったら、売ってるかもしれない」


/*/


 テスト前なのに。これから丸暗記いっぱいしなきゃいけないのに。

 私、何でこんな所にいるんだろう?


 秋葉原なんて、初めて親戚に連れて行ってもらって以来2度と行くもんかと思った場所である。あの時も私の乏しいお小遣いだったらパソコンなんて買えないと泣いていたら、気の毒がった親戚の叔父さんに連れて行ってもらったのだ。パソコン目当てじゃなきゃ誰がこんな所に来るか。

 辺り一面、訳の分からない亜空間だった。

 いわゆる「萌え」アニメのポスターがあちこちで貼られ、いわゆる「アキバ系」と呼ばれる、太くてメガネでタオルを頭に巻いた人々が、脂ぎった肌をテラテラと光らせて闊歩していた。

 そして何より嫌だったのは。


「うわっ、萌え!」

「可愛い! あの子誰?」

「うわぁ」


 ……このカナンが、あまりにもこの地に適合した素材だったのだ。

 秋葉原駅に降り立った途端、今まで奇異の目を向けられていたのが、好意の視線に変わってしまった。どっちにしても余計なものだ。恥ずかしい。

 彼女は何度も何度も写真を頼まれたが、彼女なりの天然なのか思案があってなのか、「カナン、写真嫌イ。プレート持たなきゃダメだから。ヤ」と言って断っていた。

 写メールを撮る人に至ってはあの砂煙を巻き上げる脚力で追いかけていって携帯電話を壊しに行くから驚きである。

 そんなよく分からない目に合いながら、私が叔父さんに連れて行かれたパソコン屋に、ようやく着いた。

 久しぶりだ。

 高校入学が決まってから、パソコン欲しいと言ったら叔父さんが連れて来てくれたきりだった。

 私には何だかよく分からないパソコンのパーツがビンの中に大量に差し込まれていて、メモリも、ハードディスクも、何かのパソコンから抜かれた物が山積みになっていた。

 店の店員さんは相変わらず何人かよく分からない人だった。

 私はカナンを手招きし、指差した。


「ここ。パソコンのパーツもあるから。……これで勘弁して」


 私はできるだけ小さくなって、彼女を見た。

 カナンは分かってか分からずか、コクンと頷いてからパーツを物色し始めた。


 私は気持ち悪くて仕方がなかった。

 何やってるんだ。私は本当に。

 テスト前なのに。

 いつもいつもテスト前になると極度にストレスが溜まって、奇行に走った。

 部屋をいきなり大掃除なんて軽いものではない。

 いきなり海が見たくなって、湘南まで出掛け、行方不明になったと大騒ぎになった事がある。(それ以来私の携帯電話所持は義務化された)。とりあえず何か割ってみようと思い立って、家中の空き瓶を集め、手当たり次第ベランダで割って、それを箒で掃除した事もある。

 もしかすると、これも私の奇行の原因なんだろうか?

 これは私の夢なのではないだろうか?

 私はカナンが必死で物色する様をじっと見た。

 彼女の存在は、あまりにもマンガ過ぎる。

 まさか私は、自分の妄想でそんなあらぬ存在まで生み出してしまったのではないか。

 これが私の妄想じゃないと何で言い切れる。

 私は自分の頬をギュッと引っ張った。

 痛い。

 これも妄想なんだろうか?

 私は再度頬を引っ張った。


 カナンはポケットからお金を支払おうとした。

 店の店員さんは首を振っている。

 カナンはムッとしたらしい。


「I am poor man Cost down!!」


 何語かよく分からない言葉で叫んだ。

 って、これって、英語?


「We even saying such a thing...」

「They are too expensive!!」

「So...」

「The goods of inferior quality of your store will be advertized!!」

「……」


 カナンはどうも店員さんを根負けさせたらしい。

 ルンルンと言う擬音を貼り付けて戻ってきた。


「……何を言ったの?」

「あんまリぼったくろうとするから、『お前の店の粗悪品ブチマケルぞ』と言ったら値引きしてくれた。銃で脅迫してこないなんていい人だネ!」


 彼女はスラム街の出身なんだろうか。

 私は絶句した。


/*/


 天気は相変わらず、はっきりしない空の色だった。

 雨が降りそうで降らない。

 それでもじっとりとした湿度。


『もうすぐ、東京には台風が……』


 テレビのニュースを尻目に、私は皿にご飯を注いだ。


「優子、あなた自分の部屋でご飯食べるの?」


 仕事から帰ってきた母さんが、眠たそうな声で訊いた。


「うん。テスト近いし。食器は自分で洗うから」

「そう」


 母さんの眠たそうな声にヒヤヒヤした。

 部屋の中に入ってこられたらまずいし。


「そう言えば」


 母さんの声に私はギクリとした。


「さっきから優子の部屋、うるさくない?」

「……最近上の階の人リフォームしてるみたいなんだ。嫌だよね、もう夜なのに」

「そう?」


 母さんは首を傾げたが納得してくれたらしい。

 私はこれ以上追及されないよう、コソコソとお盆にカレーライスを乗せて台所を後にした。

 テスト前と言ってるし、後で菓子パン持っていっても何も言わないだろう。自分用に台所に母さんの仕事前のおやつのパンも一緒にかっぱらった。


「これ、ご飯」

「うわぁ~、すごーい。カリーカリー」


 カナンはノー天気な声を上げた。

 本当にお気楽だ。

 彼女は、秋葉原から帰ってきてからそっち、ひたすらよく分からない部品を組み立てていたのだ。私には、それが何かがよく分からなかった。

 勝手に私のパソコンを「増設」と称してメモリを本体開けて突っ込み、外付けのハードディスクを繋いだ(外付けと言うタイプらしい。彼女曰く「このパソコン、中にハードディスク入れられない」らしい)。そして彼女の組み立てた部品を繋いでいた。

 まるでSF映画のようだ。


「さっきから組み立ててる、これ何?」


 私は少し離れている内に変貌を遂げた私のパソコンを見て、唖然とした。

 カナンはニコニコしながら、カレーを頬張っていた。


「ああ、実験するんだヨ」


 食べてる顔が、CMにも出れそうな位幸せそうな顔をしていた。


「実験? まさか今朝のブリキ人形……」

「ああアレ? うん。あれ大変だもんネ」


 彼女はスプーンでカレーを口に入れつつ、組み立てた部品をガチャガチャ動かした。

 部品はキュイーンと言う音を立てて動き出した。

 まるで無線みたい。

 パソコンのモニターが点滅した。

 世界地図と日本地図、あとよく分からない円が描かれていた。


「これ、本当に何の部品?」

「監視衛星のチェックー」

「か……監視衛星……?」

「うん。AmericaとかRussiaとかChinaとかに見つかったらマズイもんネー」


 英語の発音だけはやたらと流暢だった。

 私は彼女がカレーをモグモグ平らげながらモニターを見ている様を伺いながら、菓子パンを頬張った。

 英語の勉強、彼女とやってみたらいいかもしれない。

 私は教科書を引っ張り出した。英語は最終日だったので、できるだけ考えたくなかったけれど。


「ねえ、これ、読める?」


 カナンはキョトンとした顔でこっちを見て、文字の羅列を凝視した。


「ム・ムムッ・ムムムムム……」


 カナンの目線がおかしい。

 彼女はまるで「プシュー」と音を立ててオーバーヒートしたみたいに引っくり返った。


「ダメだぁぁぁぁ。全然読めないヤ~。時間さえあれば丸暗記できたのにィィィィ」


 またもや、訳の分からない事を言ってジタバタジタバタした。

 私は唖然とした。

 どうも彼女は、「しゃべれる」だけで、字は全く「読めない」みたいだ。

 そしてふと気が付いた。

 私は試しに携帯電話を取り出し、カチカチとテキトーに文字を打って出してみた。


  『読める』


「読める?」


 カナンは液晶画面を凝視した後、固まってしまった。


「………分かんなイ」


 涙目でこっちを見てきた。

 やっぱり。

 私はこのよく分からない子をどうしようかと考えた。

 でも、彼女を追い出そうにも、彼女が私のパソコンに繋いだよく分からないものを外してもらわないといけないし。何よりも、彼女は私のストレスから来る幻覚ではなさそうだ。

 しばらく彼女を観察してみても、悪くはないかもしれない。

 数年ぶりに、好奇心と言うものがムクムク沸いてきていた。

 ちょうど、もうすぐやってくる台風の入道雲のように。


/*/


 ガチャガチャガチャガチャ


 その夜、カナンがパソコンのモニターを凝視している中、私はメールを打っていた。

 パソコンが使えない以上、携帯電話でしか、ブログは更新できなかった。


「それ、楽しイ?」


 カナンがキョトンとした顔で、私の携帯電話を見た。


「分からない」


 私は正直に答えた。

 カナンは「ふうん」とだけ答えた。


/*/


 テストまで、あと3日。

 いよいよ天気はおかしくなった。

 本気でテストと夏休み延期を考えなければならない位、空は暗く、空気はジットリを通り越してジメジメして、制服が肌に張り付いた。

 カナンは朝早くに(幸い父さんと母さんが出て行くより早かった)どこかに出かけてしまった。部品が片付けられていたから、もう戻ってこないかもしれない。もしかすると、あれは本当に私の妄想だったんじゃないだろうか?

 私はそう思いながら、ノートのコピーを読んでいた。

 角を曲がった所で最近耳に馴染んできたなまった声が聴こえた。


「伏せロ!!」


 カナンだった。


 ドガァァァァン


 爆発音がした。

 昨日のブリキ人形に良く似た腕が飛んできて、私の足元に落ちた。

 そして驚いた事に。

 ブリキ人形は貯水タンクでも積んでいたのか、大量の水が溢れ出てきた。

 カナンはいきなり私の腕を掴んだ。


「痛っ」

「逃げル! 捕まっテ!」


 カナンは私を抱きかかえて、そのまま地面を強く蹴った。

 と、さっきまで歩いていた場所から、ゴォォォと言う音が聴こえてきたのに気付き、下を見て絶句した。

 あのブリキ人形の破壊された場所は、みるみる水で溢れ、雨だけじゃありえない、ちょうど海の浅瀬くらいまで水位が上がっていた。

 カナンに抱えられたまま、私は人の家の屋根に降りた。

 私は何度も何度も口の中の皮を噛んだ。

 夢じゃないの? 夢じゃないの? 夢じゃないの?

 私が震えているのを見てなのか、カナンがポンポンと私の頭を叩く。

 私は震えたまま、カナンを見た。


「何よ、本当に……アレ」

「あの人形、水、持って帰る予定」

「水って……」

「水爆」

「すいば……えぇっ!?」

「言ってなかっタ?」

「聞いてない! そんなの聞いてない!!」


 カナンは私の叫び声にビクッと背を震わせ、やがて、初めて見る真顔になった。


「私が来たのは、それを止める為だかラ」


/*/


 学校までカナンに送ってもらったけど(周りは水浸しで、塀の上を歩かなければスカートを捲り上げるしか学校に向かう術はなかった)、学校では長靴を履いた先生が「今日は臨時休校」と叫んでいた。

 私は憮然とした顔のまま、カナンを見た。

 カナンは困ったような顔をしてみせた。


「カナン、貴女結局誰? あのブリキ人形とかは結局何? あの良く分からない部品は?」

「……あのね、私が他の世界から来たって言ったラ、分かル?」

「…………は?」

「あのね……」


 カナンは水圧で折れた枝を拾い、壁に絵を描き始めた。

 25個の円を並べ、さらに数個の円はペケで潰した。

 そしてもう一つ、横に太い楕円形を描いた。


「あのね、この世界は、私達はサイドXって呼んでるノ。この世界は、他の世界を認識できない、まだ辺境の地なのネ」

「……」


 私は口の中の皮を再度噛んだ。

 皮は破れ、血の味がした。

 本当に、これは夢じゃないの?


「でね、隣が、サイドY。今、サイドZと戦争をしてるの。他世界観戦争。でね、どっちの世界も、もう隣の世界を滅ぼすだけの資源なくなっちゃったノ」


 彼女は枝を動かし、「X」「Y」「Z」と描いた。


「……なら、貴女はどうして字が書けるの? 貴女、英語読めなかったじゃない」


 一応、つっこめる所だけはつっこんでおこう。


「分かんなイ」


 カナンは溜め息をついた。


「世界観ルールは複雑ナノ。隣同士でも言葉は通じないし、字も勉強しないと読めなイ。私は世界と世界の間を行き来する組織、世界観測班で今回の任務の為にこの国の言葉を覚えたノ。他の任務の帰りだったかラ、録音を聴いて1日で丸暗記。喋れるだけの勉強時間しかなかったかラ。Romeはどの世界にも存在するし、Englishも話す事はできるけど、文章のルールが変わるから読む事はできなイ」


 彼女のなまりは、どうもそこから来る……と言い張っている。


「なら、何で貴女は、この辺りにいるの? そもそもこれが本当なら、何で貴女はこの辺りをウロウロしているの? そもそも何でこの辺りに訳の分からないブリキ人形が来るのよ?」

「さっきも言っタ。もう、2つの世界には、相手の国を滅ぼすだけの燃料も、国を維持するだけの燃料も、もうなイ。だから、辺境のサイドXに来た。ここだったら、水爆の燃料が、水があるから」


 私は、垂れ流していたニュースを思い出した。

 季節外れの台風が、もうすぐ来る。


「まさか、あのブリキ人形、台風に乗じて?」


 カナンはこっくりうなずいた。


「AmericaもRussiaもChinaもまだ、他世界の存在気付いてなイ。この国、1番監視衛星で監視されてて、この場所、1番監視衛星の密度濃イ。密度濃いから、互いの電波が相殺し合って、1番統計取れなイ」


 彼女の言っている事はさっぱりだったが、ようやく分かった事がある。

 私はどうも、世界を救うヒロインになれるかもしれない。


/*/


 カナンは私を抱きかかえて屋根の上をポンポンと走っていた。

 砂煙を上げて走っていた彼女に抱えらると、吐きそうになって胃がムカムカする。

 しかし、どうしても見てみたかった。

 これが現実だと言うのなら、世界を救うって言うのは、どう言うものか。


「ねえ、カナン」

「何?」

「貴女の世界はどんな所だったの?」

「もうないヨ」


 彼女は淡々と言った。

 私は思わずカナンの顔を見たが、彼女の思考は全く読めなかった。


「生まれた時から戦争してたかラ。学校も世界観測班に拾われなきゃ行ってないもン。生まれた時に先に教えられたのは、銃の撃ち方。そんな事ばっかりやってたから、戦争する資源も、復興する資源もなくなっちゃっタ。だから、最終的に隣の世界に突っ込んで、世界ごと砕けてなくなっちゃっタ。私も死ぬはずだったけど、世界観測班に拾われたから、助かっタ」


 想像してみた。

 隕石のように、自分の世界が他の世界にぶつかっていく。


 想像:できない。


 その時、カナンの世界の人達がどう思っていたのかも、戦争相手の国がどう思ったのかも。

 それは、多分カナンじゃないと理解できないのではないだろうか?

 もう自分の世界も帰る場所もないカナンじゃないと。

 カナンはその後何も言わなかった。

 なので私も何も言わなかった。

 人と人だから分かり合えないのかなと思ったけど、そうじゃないみたい。

 相手の事をもっと理解しようとか、相手の気持ちになってみようとか道徳の時間に習うけど、それは全く役に立たないこと位分かってる。

 たださ、相手の話を聞いてみる。

 それだけで随分変わるのかもしれないなあ。

 私はそれだけをボンヤリと考えた。


「分からなくてもいいから、しゃべってみていい?」

「いいヨ」


 カナンは案外話を聞いてくれる気らしい。私は眉を寄せ、言葉を集めた。


「あのね、私、登校拒否してたの。何でかはよく覚えていない。ただ突然、学校に行くのが嫌になったの。掃除しててね、下に沢山あぶらとり紙が落ちてるの。誰かが使った奴で、人の油で透けている奴よ。信じられる? それをホウキで掃いてて思ったの。それを捨てた子達は、きっとすごく要領のいい子達だって。私なんて、バカだししゃべるの下手だし、勉強していい成績取らないと、先生に名前も覚えてもらえないのよ。その子達は要領すごくよくって、どんなに悪事を働いても、結局先生には怒られないのよ。それを見てたら、すごく空しくなったの。それで、家に引きこもってみて考えたけれど、結局答えが出なかった。バカなのよね、結局私は普通に単位が気になって学校に戻ったの。その間も、親も友達も何も言わなかった。結局みんな、世間体さえどうにかなれば、他なんてどうでもいいのかなって、かなり幻滅した」


 私は久々に、長いことしゃべった。

 カナンは黙って聞いているだけだった。

 恐らく、私が何を言っているのかよく分かっていないのだと思う。

 けど、私はありがたかった。

 私は結局、誰かに話を聞いて欲しかっただけなのだ。


/*/


 台風が近づいている。

 風が体に絡み付いてくるような、そんな強く湿った風が吹いていた。

 カナンがようやく地面に降り立った所は、大きな歩行者天国だった。

 恐らく今頃台風で警報が出て交通規制がかかっているのだろう。人も車も見受けられなかった。

 そこでは、ブリキ人形が何台も何台も、まるで何かを吸い込むように、ガシャーンガシャーンと言う音を立てて歩いていた。

 風が吹いた。

 お湿りが取れ、ドライヤーのような乾いた風に変わった。

 あのブリキ人形は、どうしてもこの世界の水が欲しいらしい。


「あのね、優子。多分危ないから、向こうに行ってテ」


 邪魔だからコッチに来るな。


「それなら素直に、「邪魔だからコッチに来るな」と言ったら?」


 私は逆らった。

 カナンは少しだけ目を見開いた。


「別にね、世界を救うって、格好いいことじゃないヨ。ただ、誰も気付かないだけなんだラら」


 カナンはまたよく分からない事を言って、ポケットから鉛筆を取り出した。

 私はあれにどうやって立ち向かおう?

 そう思い、ポケットをまさぐった。

 入っているのは携帯電話位だ。

 携帯電話……。

 私は適当にメールを打ち始めた。

 もしかするともしかするかもしれないと言う大きな賭けだったのだけど。



 到着する前、カナンは簡単なブリキ人形の話をしていた。


「世界観ルールがあってね、他世界の人間は他の世界に、1人しか入ることができないノ」

「貴女のいる世界観測班も?」

「うん。あそこは、どの世界にも属さないし、この法律も他世界を認知している世界でしか適応できないんだけどネ」

「じゃあブリキ人形も、貴女が壊さない限り、1台しか来ないんじゃ……」

「機械はその法律に入らないノ。それに、世界観ルールで、他世界の技術を持ってくる事はできないの。持ってきても、あのRobotみたいに、おかしな形になってしまうノ。だから、私は部品買ってきて、優子のパソコンに繋がないと、ソイツラのいる場所の特定も、世界観測班と連絡や連携もできなイ」

「じゃああれは、誰かが動かしてるの?」

「ううん。多分遠隔操作。この世界から水爆作れるほど水分奪い取ったら、操作してる人間の水分もなくなっちゃウ。だから、台風来る前に全部壊せばもう大丈夫」

「何で?」

「気候変化。世界と世界が離れる時は、嵐が起こるから。多分台風来るのはサイドXからサイドYが離れていってるかラ。完全に離れてしまえば、世界観測班の班員以外は他の世界に行く事できなイ。だから大丈夫」


 私は、生まれて初めて、本気で走った。

 ブリキ人形は「ピーガシャピーガシャ」と言う音を立てて私に襲い掛かってきた。

 こっちに来るな。こっちに来るな。

 私は携帯電話でメールを打ち、送信した。

 ブリキ人形の動きが鈍る。

 カナンは的確に鉛筆をブリキ人形の間接部に投げた。

 私は必死でブリキ人形の間をすり抜け、逃げた。

 人形と人形がぶつかり、火花を散らして爆発する。

 爆風と震動で、私は引っくり返った。

 痛い。地面に叩きつけられた時、膝を擦りむいたのだ。

 カナンはもう慣れたように普通に伏せて寝ていた。


「ねえ、何でブリキ人形動き鈍くなったノ?」


 カナンが伏せながら訊いて来た。


「多分、これ」


 私は携帯電話を指差した。


「これの電波。これの電波って、完全にではないけど、少しずつピースメイカー……心臓を動かく機械の事ね……それを壊すって言うから、もしかするとこれで少しずつ電波妨害してくれるんじゃないかなって」

「そっカ」


 カナンはひょこんと立ち上がった。

 またもやファイティングポーズを取り直し、ポケットから鉛筆を取り出した。


「頑張ろっ」

「……うん」


 初めてだった。

 自分の意思で、危ない事をしてみようと言うのは。

 初めてだった。

 自分から戦おうとしたのは。

 風が吹いていた。

 地面にしっかり足を踏み締めていないと飛ばされてしまいそうな位に、強い風。

 その湿気を含んだ風が、今は気持ちよかった。

 嵐が来た。


/*/


 泥の匂いがした。雨とコンクリートの粒が、顔に当たった。

 ブリキ人形は、気付けば無くなっていた。

 破壊されて貯水庫から流れた水が、排水口に流れていく。

 川・川・川。

 雨が肌に張り付いて、気持ち悪い。

 私は、背中で息をし、カナンに振り返った。

 カナンはようやく一息ついたように、「ふぃ――」とだけ言い、疲れなど微塵にも見せなかった。


「カナン、これからどうするの?」


 私は訊いた。


「帰ル」


 彼女はあいかわらずなまった口調でそう答えた。


「そう」


 私はそれだけ言った。


「ここ、どうなるのかな?」

「大丈夫。世界には強制力があるかラ。他の世界に侵されたら、世界は修復しようとすル。だから、すぐに元に戻るヨ。それに」


 カナンは私の背中をバンバン叩いた。


「私の事も、ちゃんと忘れるかラ、大丈夫」

「え……」


 私は固まった。


「何で……?」

「私、この世界では異物。だから、この世界から離れたらみんなから忘れられル。それが世界の強制力」

「……ねえ、ここにずっといるのはダメなの? 貴女は別に、ここにいてもいいのに?」

「ダメ。ここに来たのは、任務だかラ。次の仕事が待ってル。私は、私みたいな人、もう出したくなイ。帰る場所ないのは、寂しいヨ?」

「……じゃあ、私がそこに、世界……観測団だっけ? そこに行くのは?」

「……やめた方がいいヨ。サイドXは1番平和。ヒトをヒトとも思わない世界なんていくらでもあるかラ」


 それに。

 カナンはにっこりと笑った。

 ちょうど台風の風が雲を押しのけ、隙間から陽が差したように。


「優子、ちゃんと頑張ったじゃなイ。自分の世界の為ニ」

「……あれは、違う……ただ、ヒロイン気取りをしたかっただけ……」

「自分大好きな人いっぱいいル。それが普通。でも優子、自分が危ないの、考えなかっタ。考えないだけで、いっぱい頑張れる、それはとってもいい事。だから、優子はこの世界でもいっぱい頑張れル」


 カナンは最後に私を力いっぱい抱きしめた。


「…………」


 そこからの記憶が、ない。


/*/


 テストまであと2日。

 台風明けの学校は、忙しかった。

 授業が抜けた分を取り戻そうと、先生達は必死で授業を詰める。

 生徒も生徒で、暗記しなきゃいけない分、書かなきゃいけない分を必死でノートや教科書に書き込みを加え、コピーしたノートにマーカーを引き続けていた。


「森坂さん」


 私は休み時間、森坂さん達のグループに近づいた。

 彼女達はバイクの免許でも取るのか、教習所の資料を読み比べたり、テスト勉強用コピーを広げたりしていた。


「何?」

「ゴメン、限界。そろそろノート返して」

「えっ、でもまだ書けてな……」

「ゴメン、返して」

「あぁ、ゴメンね山下さん」


 森坂さんは慌てて必要事項をコピーに書き込んでから、私にノートを付き返した。


「ありがとう」

「うん」


 そのまま彼女達の机の島から離れた。


「どうしたのユッコ」

「何が?」


 夢見さんはノートを読みながら目をパチクリしていた。


「いや何と言うかね」


 夢見さんはパチクリとしたまま、ノートと私を交互に見た。


「さっぱりした?」

「えっ、何が?」

「ユッコ」

「そうなの?」

「うん。アンタしゃべる時、いつもいつも詰まってたじゃない。詰まらなくなったなあって。「つまらない」んじゃなくってさ、よどみがなくなったと言うか」

「そう?」

「うん」


 私はふと窓を見た。


 空は昨日の台風が嘘のように、雲ひとつない空だった。


/*/


 今までの事が、私の夢だったのか、妄想だったのかは私でも分からない。

 ただ、夢見さんが言うように、私には何らかの変化があったらしい。

 日付の上では、たった2日の事なのに。


 気付けば私は、歩行者天国で倒れていた。

 あの時、私は自分に何があったのかは全く覚えていなかった。

 いや、あの時の事は、今でも私は思い出せないのだ。

 ただ、私の携帯電話のメールフォルダーの中に、確かにそれはあったのだ。

 私のブログには、その時の出来事は何1つ書かれていなかった。

 ただ、携帯電話の中に、送信しようとしていたメールだけが、残っていた。

 あの時の涙は、彼女が確かに「いた」のだと、私はそう思いたい。


 彼女は、最後に私に何と言ったのだろうか?

 

「またね」多分違う。

「さよなら」そんな事言わないと思う。


「頑張れ」


 多分。

 彼女はそう言いたかったんじゃないだろうか?


 私は、要領がよくない。間も悪い。

 しゃべる事も、人を信じる事も、あまりできないと、思う。

 それでも、私の妄想なのか、想像なのか分からないこのメールを読んだ時、私はこの世界で生きてみたいと、そう思った。

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