第一章「殺人鬼カイ」 第三話
ラージュ広場から大通りは徒歩数分の距離で繋がっている。部隊の支援物資調達や依頼受領の手続きなどは全て大通りで行われていた。普段は日々の買い出しの為に大勢の貴族婦人で賑わっているが、流石に休日の朝は人もまばらだ。隊長は大通りの一番奥、香辛料の露店まで行くと店番の男に声をかける。
「本日も異常無しだ。借りるぞ」
有無を言わさぬ圧迫的な目線を送る。店番の男は大通りを眺めながら愉快そうに方眉を上げ、髭を梳かした。
「使用料の依頼人名簿の開示、来月までには渡せ。忘れるなよ」
「…………」
本来名簿の開示は王都側から禁止されている。しかし隊長は裏取引の場提供と引き換えに、店番の男と名簿の共有をしていた。バレたら隊長降格だけでなくその命さえ飛ぶだろう。フッと鼻で笑うと隊長は男の肩を拳で軽く殴る。そして男の首輪にかけられた鍵を取り、奥の古びたドアを開けた。その様子を男は他人事のように見ることはない。
「もうじき黒髪の少年がここに来るだろう。適当に誘導してくれ」
「お前の良く話すあの少年か?」
「まあそんなもんだ」
隊長は重々しくその隠し部屋に踏み込んだ。室内はまだ昼前だというのに薄暗く、どことなく陰鬱な空気が立ち込めている。手探りでランプに灯りをつけ、支柱に頑丈に括り付けた。隊長がこの部屋を使いだして3年が経とうとしている。それでも隊員の中でこの部屋に足を踏み入れたのはまだ数名しかいない。そして今日、選ばれた最少年の彼がここに来る。
隊長はゆっくりと半壊した二人掛けソファに腰を下ろす。瞑目をし静かに少年の到着を待った。
「はぁ……隊長足早すぎるんだよ……くそ、見失った」
大通りの露店街を見渡しながらカイが呟く。もう追っていた隊長の姿はどこにも確認出来なかった。少しくらい少年の為に待っててくれても良いのに、とカイは頬を膨らませる。
「それにしても……」
電飾のついた色とりどりの店看板、香ばしい煮込み料理の匂い、魚類や野菜の新鮮な自然の香りがカイの五感を刺激する。下層町民には願っても手に入らない日常がそこにはあった。貴族の贅沢な暮らしを目の当たりにしたカイは、コートに首をすくめ無言で歩みを早める。その姿は大通りでは異様だった。そんな少年が暗殺部隊の隊員だとはつゆ知らず、店の呼び込み使用人が声を張る。
「坊ちゃん、坊ちゃんのお母様にこの高級チーズはいかが?」
小指を立てチーズの切れ端をカイに突きつける。カイは一瞬怯んだ後、使用人の顔を見ると口に放り投げた。チーズは口の中で甘く溶ろけ、爽やかな酸味と濃厚な脂肪分が舌の上で広がる。それは一言で表すと美味そのものだった。
「……どう?美味しくて倒れそうでしょ?」
「……」
カイは頭を横に振り、一回深呼吸してから使用人に笑顔を向けた。
「くそ不味いな」
「なっ……!」
笑顔を崩すことなくカイは使用人に詰め寄る。使用人の鼻は膨らみ、口元が歪んだ。
「ボヌール街の町民が作った腐りかけの卵サンドの方がまだマシだ」
「……!」
使用人の手の平がカイの頬を叩き上げるより早くカイが身を避ける。憤慨した使用人はカイの手首を掴み、唾を吐きかけた。が、残念ながらその唾はカイの手を通り抜け、使用人の革靴へと落下する。
「汚らしいオジサンだ」
カイは煽るように舌を見せ、大通りの奥へと駈け出した。使用人が何やら喚くが、周囲の店の音に掻き消され何も聞こえない。遠くなるチーズの露店を振り返りながら、カイは喉元に手をやり腹部をさすった。
「明日腹壊してないといいけど……」
カイは悔しげに唇を噛む。美味しいと感じた己の味覚に腹が立った。それはカイにとって屈辱であり下層町民としてのプライドが揺らいだ瞬間であった。それでも連日の依頼遂行の疲労が溜まって感覚を損なっただけだと自分に言い聞かす。カイは貴族の物に触れるたびに、こうして嫉妬や欲望と葛藤していた。だから大通りは嫌いなんだ、とカイは吐き捨てる。
そうしてカイの足が大通りの奥の突き当りに踏み入れた時だった。
「君が殺人鬼くんか」
一番奥の小さな露店の前、そこにあぐらをかいて座っている髭を生やした男が声をかけた。
カイは驚いて足を止め、男を凝視する。店番にしては地味な格好で髪はボサボサ、何かを探しているようだが目はカイを見ていない。
「殺人鬼……お前、名を何という」
「カイだ」
カイは自分を殺人鬼と呼ぶ男を疑り深く見つめた。この男は暗殺部隊を知っているのだろうか。しかし何故男は自分を殺人鬼と呼ぶのか理解出来ない。カイは十分な距離を取りながら男に向き直った。
「お前は何者だ」
「ふははっ……」
男は膝を掻きながらパン、と手を叩く。そして立ち上がると強引にカイの頭を引き寄せた。
「隊長が奥で待っている。入れ」
「隊長!?」
大声で叫ぶカイの口に男が手を添える。男は頷いて奥の古びたドアを指差した。確かに隙間から僅かに明かりが漏れている。カイは言葉を飲み込み神妙な顔で男の手を振り払った。
「……入ればいいんだな」
男は再度あぐらをかいて座り込んだ。またぼんやりと大通りを眺め始める。もう男はカイに興味が無いようだった。それを感じ取ったカイは奥に進むと、慎重にドアを開ける。ドアと柱の擦れる音が響き、薄暗い部屋が目の前に広がった。そこにはただ一人、隊長がソファに腰かけている。
「隊長!」
カイに呼ばれると隊長は目を開けた。そしてカイの姿を確認すると、顎で部屋に入るように促す。カイは直ぐに部屋に入り隊長の正面に立った。
「遅かったな」
「隊長が早いんだろ……じゃない、すみませんでした」
溜め息をつくと隊長は姿勢を正した。手を組み、カイの目を見つめる。
「報酬の件だが」
部屋の隅に置いてある木箱に視線をやると、カイに微笑んだ。
「あの木箱に入ってる物は全部お前の報酬だ。有難く受け取っておけ」
「全部?」
「お前は今回も部隊一の成果を上げた。お前が未成年じゃなかったらもっと報酬の額は上がるんだが……まあいい。その遂行能力に見合うだけの報酬が用意できないのは申し訳ない。これで満足して欲しい」
「いやこの木箱全部って相当じゃ……」
カイは唾を飲むと木箱を持ち上げようとした。が、木箱は微動だにしないまま一向に床から持ち上がらない。歯を食いしばりながら奮闘するカイに、隊長は吹き出した。
「重いだろう。後で取っ手付きの車輪板を持ってくるからそれで運べ」
「……はい」
赤面したカイは木箱を足元に大事に引き寄せる。隊長は目を細めたが、すぐに真剣な目をして背筋を伸ばした。
「カイ」
拳を握ると隊長は真っ直ぐにカイを見た。そして一気に息を吐き出す。
「お前に特別依頼が要請されている」
カチカチとランプの炎が風を受け点滅する。二人の間の空気が一変して張りつめた。
「依頼人の名は伏せておくが……アンニュ街4号室の家主を暗殺せよとのことだ」
「アンニュ街……ということは第二級貴族ですか?」
「いや、家主自体は貴族ではない……今回、特別と名がついている理由はそこだ」
隊長がソファに腰を掛けなおす。カイは黙ってその言葉の続きを待った。
「家主は元々上層町民であり、定職には就かず独自の能力を活かして生計を立てていたらしい。その能力が少々厄介でな」
「というと?」
「我々と同じ、人殺しだ」
人殺し、とカイは心の中で復唱する。暗殺と言えば聞こえはいいが、所詮自分も人殺しなんだと思うとカイの心境は複雑だった。そしてその人殺しで生活を送っている人が自分達以外にもいることに驚く。
「家主は我々暗殺部隊とは違い、面倒な手続きは無しに依頼日にすぐ遂行することで有名だったらしい。危険な依頼にも愚痴ることなく成功を上げ続け、とうとう先日その能力が第一級貴族に見つかった」
「第一級貴族……」
「知ってるとは思うが、第一級ともなると皆腹の中に何かしら黒いモノを抱えてるような身分だ。それを自分の手を汚すことなく片付けてくれる人がいたら……重宝されるだろうな」
隊長は目を伏せると足先で床の割れ目をなぞった。そして顔を上げ宙を睨む。
「それで家主は町民の中では異例だが、第二級貴族への格上げが決まったそうだ。しかしそれもごく最近のことだが」
「そんな家主を暗殺しても大丈夫なんですか」
「大丈夫なわけがないだろう」
カイは苦しげな隊長から目を離すことが出来なかった。こんな無茶な依頼をしてくる人物とは一体誰なのだろうと考え込む。
「確かに大丈夫ではないが……その場合の保障と責任は全て依頼人が負うと契約してくれた。報酬はカイ、その木箱の五倍はあるだろう」
「しかし何でそんな大変な依頼を俺に」
「お前は未成年だからだ」
隊長がピシャリと言い放つ。カイは息を飲んだ。
「未成年だと最悪の場合でも処刑されることはない。無知で純粋無垢なように振る舞えば見逃してくれることもあるだろう。それに半端な隊員だと殺す前に殺されるだろうからな」
「……要するに俺は好都合な捨て駒ってことですか」
「お前しかいないんだ」
隊長の目は嘘や動揺を見抜く力がある。カイは一瞬保身に揺らいだが、それを追い払い自分自身を奮い立たせた。暗殺部隊で生きていくには、この依頼を受けるしかないのだと。成功への不安、それでいて湧き上がる自信を持ちながらカイは口を開いた。
「キャンディッド・カイ、確かに特別依頼を受領いたしました」
「……うむ」
隊長は立ち上がり、即座にカイの顔を覗き込んだかと思うと、その大きな両腕でカイを包み込んだ。
「わっ!?」
「すまない。助かる」
カイが暴れ出す前に隊長は両腕を離すと、ドアの前に歩み寄りこう言った。
「今日はテントに戻って一日ゆっくり過ごすといい。依頼日まであと三日ある。遂行計画は綿密に練っておけ。それと」
茫然と立ち尽くすカイを振り返り、小声になる。
「この特別依頼のことを他の隊員に話すな。以上だ」
隊長は木箱を運ぶための車輪版を取りに行く、と部屋から出ると、そのまま店を通り大通りに歩いていった。ひとり部屋の中に取り残されたカイはその場にしゃがみ込み、木箱を撫でる。薄汚い木箱からは香辛料の匂いがした。そのままカイは腕に顔を突っ伏すと、ぽつんと言葉を漏らす。
「俺、いつまで生きていられるのかな……」
暗殺部隊の中には依頼成功の恨みで殺された隊員が何人もいる。その何人かに将来自分も含まれるようになるのではないかとカイは誰にも言えなかった。
そして現在、その答えは誰も知らない。