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殺人鬼カイの秘密  作者: 御崎かなで
第一章 殺人鬼カイ
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第一章「殺人鬼カイ」 第一話

 閑静な住宅街に陽が落ちる。大通りは人の気配もなく、呼吸の音と足音だけが街に反響した。

「この家か……」

 黒装束に身を包んだ少年は無言で石階段を駆け登る。ボヌール街33-1号館。堅い煉瓦の壁で覆われ、濃緑の屋根が乳白色の窓枠に映えている。柵から覗く庭園は丁寧に整えられ、噴水が夕日に反射していた。いかにも傲慢な貴族の建てそうな家――――少年はそう思うと顔をしかめる。

 そして足音を気にすることもなくドアの前に着くと、一呼吸置いてから呼び鈴を鳴らした。呼び鈴は埃を被り、その振動で少年の頭上にパラパラと落下する。思わず少年は咳き込んだ。

「はい、どなた?」

 勢いよくドアが開かれ、丸々と肥えた婦人が顔を覗かせた。その顔を見て少年は肩を落とす。どうして貴族の婦人というのは皆どれも豚のようにだらしがない身体なのだろう。婦人は少年を一瞥すると、怪訝な表情で口を開いた。

「貧相な黒衣の坊やがうちに何の用?」

嘲笑するがの如く婦人は目を細める。少年はそれに反応せず婦人を見据えた。

「アンタの娘、この間の猫泥棒の犯人だろ」

「アンタ……!」

 その言葉を聞いた婦人の顔はみるみる紅潮し、鼻息を荒げた。

「下品で礼儀のなってない坊やだこと!うちの娘の事などお前には無関係でしょう!」

「その反応、ってことはやっぱり犯人なんだ」

 少年は素早く身を捩じり、ドアの隙間に足を滑らせ玄関に入り込んだ。後ろ手でドアを閉め、迅速に鍵を掛ける。その余りの素早さに婦人は茫然としたあと、周囲を見渡して腰を抜かした。

「なっ……何を……!」

「噂になってるんだよね。アンタの娘が同じボヌール街34号館の猫盗んだの。気付いてるでしょ?」

 婦人は足をもつれさせながらドアに張り付くが、鍵を掛けたドアは微動だにしない。後ずさりする婦人の足を少年は愉快そうに引っかけた。そのまま転んでパニックになった婦人は、恐怖と怒りで顔をしわくちゃに歪ませ玄関の絨毯に手を這わせる。そして身近にあったガラス瓶を掴むと闘士の様に少年に向かって構えた。

 その不釣り合いな滑稽な姿に少年は吹き出す。

「あっあの猫は下賤で卑劣な下層町民の家の猫よ!うちは貴族だから罪に問われないわ!」

「馬鹿な貴族が下層町民を侮辱したところで何にも変わらないんだけどな」

 少年は溜め息をつくと絨毯をつま先で蹴り上げた。裏返った絨毯が婦人の身体に纏わりつく。同時に投げようとしたガラス瓶が方向を失いドアに向かって転がった。少年はガラス瓶を拾い上げ、左手で弄ぶ。

「まあアンタじゃなくて娘が悪いんだから同情するよ。どうして貴族の家の猫を盗んだのかな」

「だから何を言って……」

「母親が無知だから仕方ないか。今月から一部の貴族は下層町民を取り締まる為に、住居を下層町民の住宅に移したの知らないんだろ。元々のあの家の下層町民は更に劣悪な環境に引っ越させられたよ。今住んでるのはアンタよりもっと位の高い……第二級貴族だ」

 そう言い終わると同時に少年はガラス瓶を床に投げ落とした。耳を裂くような破砕音と共に破片が散らばる。婦人の手にも粉々になった破片がかかるが、もはや気付いていない。第二級貴族……第二級貴族……とうわ言を繰り返しながら顔面蒼白になった婦人は、少年に掴みかかった。

「だったら今すぐに返しに行くわ!一緒にお前も謝罪に行ってちょうだい!」

 狂気に満ちた目で少年の首を締め上げ、婦人が我を忘れ叫び続ける。


 婦人の属する第三級貴族は貴族とはいえど、本格的に高貴な身分ではない。町民より上の位ではあるが第三級と第二級の間には巨大な溝があり、その溝は町民と第三級貴族の間の何倍もある。言わば第三級貴族はひとつの階級であり、貴族と町民の間に位置する中間階級であった。そのため第二級貴族の尊厳を侵すことは絶対的な悪とみなされる。婦人はそれに怯えていた。

「娘もまだ物心ついて間もないから分からなかったのよ!そうでしょう?私達は悪くないわ!」

「残念だけど」

 少年は婦人の手を掴み逆手に捻り上げる。婦人がその痛みで手を離した隙に、少年は婦人を躊躇なく押し倒した。床に打ち付けられた衝撃で目を眩ます婦人の足を抑え、口に手を当てる。悲鳴が手の中でくぐもった。

「……アンタ、相当恨まれてるぜ」

 婦人の目が絶望に見開かれた。少年は婦人に向かって微笑んだ後、懐から鋭利なナイフを抜き取る。そのナイフが婦人の目に捉えられる前に、腎臓に向かって刃を振り下ろした。ズブリ、と粘着質な音がした後刃先から浅黒い血液の塊が染み出してくる。ゆっくり抉るように刃物を抜き取ると、婦人は耐え難い激痛に悶えだした。

 人を殺すのは簡単だが、あまり痛みを味わわせるのは好みではない。

 少年は間を入れず刃を右耳に刺し、左耳までの咽喉を切り裂いていく。ブチブチと頸動脈の切れる音と同時に大量の血飛沫が飛んだ。そうして少年の手は鮮血を浴び、黒装束は返り血に染まる。婦人の息はもう絶えていた。

 残されたのは禍々しい程の静寂と闇。少年は念のため婦人の脈を確認した後、大きく深呼吸をする。一人の命を己の手で奪ったことに何の興味も無かった。ただ今日は正当な殺人の理由があっただけに清々しい思いで帰ることが出来る。少年は頷くと黒装束に手をかけ投げるように脱いだ。その下に現れたのは白いブラウスと黒色のズボンを身に着けた――黒髪の利発そうな顔立ちの少年だった。鮮血の手を黒装束で拭うと、少年は立ち上がる。

「お腹が空いたから何か奪って帰るか……」

 少年は玄関棚に飾られていた高級そうな造花の飾りを数個掴むと、強引にポケットに押し込んだ。これが今日分の少年のお小遣いとなる。そしてつまらなさそうに婦人の遺体を眺めた後、ドアのカギを開け外に出た。

 冬の冷え切った風が頬を撫で、白い息が夜空へ立ち上っていく。


 少年は石階段を軽快に降り、婦人の家を振り返ることなく大通りの闇へと姿を消した。


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