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Murderous Ladies(マーデラス・レディーズ)

 月影さやかな深夜。ひっそりと寝静まった街に、凍てつく夜風が吹き過ぎる。

 自警団の二人が見回りのため、身を縮こまらせるようにして路地を歩いていた。

「今日はやたらと寒いですね、エルマーさん」

 青年アドルフはズボンのポケットに手を突っ込んだ。

 隣を歩く三十路の男エルマーは、二人を見下ろす天上の三日月を不気味そうに見上げた。

「そうだな。何かの凶兆でなければいいが……」




「フフフ」

 ひと気のない古びた広場。地面のタイルはほとんどが剥がれ、噴水は枯れて中には土とどこかから飛ばされてきた葉っぱが詰まっている。

「フフフ」

 未だ剥がれていない数少ないタイルの上を、純真な少女が一人優雅に踊っていた。ところどころ赤黒い斑点を備えたその純白のワンピースは、少女の動きに合わせて魅惑的にひるがえり、彼女を月の楽園で舞う蝶のように見せた。

「はしゃぎすぎよ、ヘレナ」

 傍らで見守っていた眼帯の女アメリーが優しく諌める。

「フフフ。ねえ、お継母様(かあさま)

 ヘレナは舞いながら言った。

「なあに?」

「大好きよ」

「あら、ありがとう。私も私と同じ心をもつあなたを見つけられて幸せよ、ヘレナ」

 少女が不意に踊りを止め、通りの方を向いた。

「どうしたの?」

「いい匂いがするの」

 ヘレナは継母を見た。

「もう一回、いい?」

 アメリーは笑みを返した。

「今度は顔に血がつかないようにね。目に入ったら、私みたいになっちゃうから」

 そう言ってアメリーは自分の右眼の眼帯を示した。

「お継母様と一緒なら、私構わないわ」

 にっこりと笑い、少女は通りの影に消えていった。

「かわいい子……」




 その少女は、ある時貧困のために母親に捨てられた。飢饉に見舞われた頃には、捨て子はそう珍しくないことだった。しかし少女は何度捨てられてこようと、必ず帰ってきて「お母さん!」と叫びながら家の戸を叩いた。

 それが六度目に渡った時、ついに少女は母親の凶刃をその身に受けた。少女は右眼の激痛に悶絶の声を上げた。

(どうして? どうしてお母さんは私を殺そうとするの?)

 少女は幼いながらも母親が自分を愛していないことを悟った。

 少女は家を出ると、寒風吹きすさぶ通りに一人うずくまった。

「あら、こんなところで寝たら風邪引くわよ? それに、そんなに血塗れでどうしたの……」

 寒さでかじかんだ彼女の心に、温かな言葉が差し向けられた。

 少女は夫人に拾われた。



「そう、やっぱり捨て子なのね」

 夫人は少女の右眼を簡単に手当てしてやりながら事情を聞いた。

「行く当てがないなら、私の家で暮らす?」

「いいの?」

 夫人は少女の右眼に眼帯をつけた。

「私も捨て子だから、同じ境遇の子を放っておけないのよ」

「お名前……訊いてもいい?」

「シャルロッテよ。これからはお継母様とお呼びなさい。本当の家族、本当の幸せをあなたに教えてあげるわ」

「うん、ありがとう、お継母様」

 シャルロッテ夫人の家には、少女の継父となる夫人の夫と、少女の姉となる二人の娘が暮らしていた。

 彼らは当初、少女が右眼を怪我していることを知って不思議そうな顔をした。

 二人の姉たちが「どうしてキズものの子がいるのかしら」「さあね」などと陰でこそこそ話しているのを少女は耳にしたが、その意味までは理解できなかった。

 夫も二人の姉たちも、突然居候することになった少女に厳しく当たることはなかった。少女はすぐにみんなを好きになれた。

 やがて、姉たちが少女にあることを熱心に教え込むようになった。

 少女は姉たちの教えた通りに行動し、通りを一人で歩く自分と同じくらいの年齢の子供に声をかけ、家で一緒に遊ぼうと誘った。

 彼女が教えられたのは家に入れてあげるところまでで、子供を帰すのを見送ったことは一度としてなかった。

(どうして顔のきれいな子じゃなきゃいけないんだろう?)

 少女が姉たちに教えられてしてきた自分の行為が、人さらいであると自覚したのはそれから二、三年も後になってからだった。

 少女は人さらいを続けた。

 悪いことだという認識はあったが、自分を迎えてくれた家族のためとあらば厭わなかった。

 少女がシャルロッテ夫人に拾われて四年が経過した頃、青天の霹靂が起きた。



 夫と二人の娘は馬に乗り、夜の街道を隣町へと移動していた。

「ねえお父さん、お母さんは?」

 長姉が訊いた。

「先に行って宿の手配を済ませるそうだ。それより、あいつが心配だな」

「あいつって、お母さんが拾ってきたあの子のこと?」

 今度は次女が訊いた。

「ああ。もし俺たちの行き先を知っていたら、街の人間に告げ口されるかもしれない」

「知ってるわけないわよ」

「そうよ、ちゃんと隠してきたじゃない」

 二人の娘が口を揃えて否定するが、夫は自分の心に残る一抹の不安を払拭する決断を下した。

「やっぱり念を入れるに越したことはない。戻って口を封じておく」



 ある夜、少女がいつも通り幼い子供を連れて家に帰ると、そこはもぬけの殻だった。

「あれ? みんな? どこ?」

 ふと少女は、窓から伸びる男の影が紐のようなものを構えて自分の背後に迫っていることに気付いた。

 慌てて振り向くと、そこには表情のない継父の姿があった。

「お継父様? どうして紐なんて……?」

「お前、俺たちがこれからどこに行くか、知っているか?」

 月明かりを背に受け、継父は単調な声で尋ねた。

 少女は首を横に振った。

「いえ、知りません」

「そうか、杞憂だったか。まあ、どの道今更生かしておくこともないだろう」

 継父は少女に歩み寄った。

 少女は察した。彼の顔は人殺しのそれであると。自分を殺そうとする数年前の偽りの家族と同じだと。

 ――家族を愛せない者たちに、生きる資格はないわ。

 夜な夜な閑散とした広場で聞かされ続けていたシャルロッテの秘密の教えを少女は思い出した。

(お継母様……)




 人っ子一人いない緩やかな坂道を歩いていたアドルフとエルマーの前方から、一人の老女が下ってきた。

「お婆さん、こんな時間に外に出ていては危ないですよ」

 エルマーが注意する。

「今のこの街は、毎朝どこかの通りから死体が発見されるような状態なんですから」

「おや、どうも御親切に」

 老女は穏やかな口調で返した。

「でも大丈夫ですよ。ちょっと散歩したくなって出てきただけ。家は坂のすぐ下ですから」

 老女と別れると、アドルフは「命知らずな人ですね」と呟いた。

「アドルフ、君はどうして自警団に入ろうと思ったんだ?」

 坂を上り切ったところでエルマーが尋ねた。

「きっかけは、別の街で暮らしていた頃に今は亡き父から聞いた、かれこれ二十年ほど前の話なんですけど……」




 隣町から、巡回中の自警団員が貴族シャルロット夫人の邸宅で、片目を縦に切られた夫の遺体を発見したという報告が上がった。

 一人見回りをしていたアルベルトは、急遽隣町方面へと巡回経路を変更した。

(片目を切られる? そんな奇妙な犯行、奴しかいない。眼切り悪魔……!)

 四年前、両親を殺害して一家の娘を誘拐されるという陰惨な事件が隣町で起きた。その殺された両親にも、致命傷となった頸動脈の損傷の他に、それぞれ片目に刃物で縦に傷がつけられていたという。その奇妙な犯行から、その謎の犯人は眼切り悪魔と呼称されていた。

(奴に違いない。今度こそ捕らえてやる。だが、遺体が夫しか発見されなかったのはどういうことだ……?)

 隣町との境界付近まで来たとある通りで、彼の傍を三頭の興奮した馬が走り去っていった。

 そしてアルベルトはその光景に出くわし、立ち尽くした。




 アドルフは言った。

「父さんの目の前には、道の真ん中で殺した人間の上にまたがり、ナイフで瞼に傷をつけている少女がいたそうです。そしてその少女の右眼は、月光を受けて反射し、夜の闇の中で真紅にかがや……」

 不意に、アドルフ、エルマーの両名は角を曲がったところで同時に足を止めた。

 彼らの目の前の道で、髪の長い少女が遺体に這いつくばり、ちょうど遺体の瞼のあたりにナイフを走らせていた。

 ふと二人を振り返った少女の片目は、月明かりに反射して美しく真紅に輝いていた。

「め……眼切り……悪魔……何で……こんなところに……」

 アドルフの歯が恐怖でカチカチと鳴り出した。四肢は殺人鬼を目にしたショックで竦み、まったく動かなかった。

「エ、エルマーさん……」

 彼はすがる思いで隣の先輩を見た。

 しかし、彼は少女に目を釘づけにしたまま凍りついていた。

(た、確か父さんは、銃声を鳴らして応援を呼んでいたから、相手が逃げて助かったって……)

「は、早く応援を呼ばなきゃ」

 アドルフは震える手でホルスターから拳銃を抜き、空に掲げた。

「違う……」

「え……?」

 アドルフは何かぼやいたエルマーをもう一度見た。

 彼は幽霊でも見るような目で少女を見つめていた。

「違う……違う違う違う……そんなわけがない……こんなところに、娘がいるはず……」

(むす……め……?)

 アドルフはもう一度目の前の眼切り悪魔――エルマーの娘へと視線を向けた。

 彼女は唐突に二人の方へと走り出した。

「ひッ!」

 アドルフはフラフラと娘に近付いていくエルマーに向かって叫んだ。

「エルマーさんッ‼ 危険です、下がってくださいッ‼」

「そんな……どうしてお前が……」

 呆然と娘を見つめるエルマーに声は届かなかった。

 少女がエルマーの頸動脈を切り裂いた。

「ぁあ……ぁ……」

 アドルフは恐怖のままに空に向けた銃を発砲した。

 それから、今度はその銃口を父親の瞼にナイフを走らせる少女に向けた。

「め、眼切り悪魔め!」

 アドルフが引き金を引こうとしたその瞬間――。

 横から風を切って飛んできたナイフが彼の銃を貫き、遠くへ飛ばした。

「そんな物騒なもの、私の娘に向けないでくれる?」

 横の路地から出てきたのは、右眼に眼帯をつけた女だった。

「え……むすめ……? ってことは……」

「ええ。そこで死んでるのは私の夫よ。家族ではないけれどね」

 それから、と言いながら女は眼帯を外した。

「眼切り悪魔はあの子じゃなくて私。あの子はちょっと返り血が入っちゃってるだけ。間違えないでね?」

 露になった女の右眼は真紅に染まり、縦に一本の深い切り傷があった。

「お継母様! 私、これでニセモノの家族はみんな殺したよ」

「ええ、偉いわね」

「これでお継母様ともシャルロットお婆様とも本物の家族になれる?」

「ええ、これからは私たちと一緒にこの世のクズ共を消していきましょうね」

「アメリー」

 アドルフは背後のしわがれた声に振り返った。

 角から顔を覗かせているのは先ほど見かけた老女だった。

「こんなところで長話をしている場合じゃない。きっと銃声に気付いた自警団がすでにこちらへ向かっているわ」

「わかったわ、お継母様」

 アメリーは娘の手を取った。

「さ、早く行きましょ」

「坂の下に馬を用意してある」

 やがて、三人の気配は消えた。

(なん……だったんだ……これは……夢か……?)

 それから間もなく、自警団が駆けつけた。



 七年後。

 アドルフは別の街で自警団を続けていた。容姿端麗な若い妻を(めと)り、七年前の悪夢も少しずつ記憶から薄れていった。

 深夜、アドルフが新たな相方と別れて夜警から家に帰ると、妻が玄関前の暗闇に立っていた。

「こんなところに立ってどうしたんだ、ヘレナ?」

「ねえ、あなた。今日憐れな捨て子を拾ったのよ。私たちの娘として育てることにしたわ」

 そう言ってヘレナは隣の少女の肩に手を置いた。

 少女の右眼には眼帯がつけられていた。


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