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 そこは夜風の気持ちいい川べりだった。

 八月の初め、きらめく星空の下。少女は浴衣に身を包み、大人数で輪を作ってみんなで線香花火に興じていた。

 仲のいい友達にバーベキューに誘われ、家から数キロ離れたこの川べりでたった今バーベキューを終えたところだ。

 少女の友達には両親と年の離れたお兄さんがおり、さらに他にも三人の同級生の子たちを呼んでいた。子供五人、大人三人の計八人で輪を作ってしゃがみ、みんながひとみを七色に輝かせて線香花火を眺めながら笑いあっている。みんな夏らしく浴衣やじんべえを着ていた。

「ねえねえ、夏休みの宿題もう終わった?」

 隣の仲よしの女の子が声をかけてきた。花柄の浴衣が実はうらやましい。少女は水玉模様の浴衣だ。

「あと自由作文だけだよ」

 少女は自慢げに言った。

 握っている棒の先から光の粒がどんどん溢れ出し、少しずつ、少しずつ色が移り変わる。絶対に彼女たちを飽きさせようとはしないようだ。

 隣の女の子は鮮やかなグリーンの火花を見つめながら言った。

「自由作文、何書くの? あたしは今日のこと書こっかなー。みんなで輪になって花火をやりました、って」

 少女は相手の反応を探りながら答えた。

「私も今日のこと書きたいな」

「ええー。どうしよっかなー」

 女の子は意地悪そうにそう言った後、「うふふふふ」と楽しそうに笑った。

「一緒に書こ!」

 少女は笑顔で頷いた。

「うん!」

 少女の線香花火が燃え尽きてしまったので、輪の中心にある花火の袋に手を伸ばした。

 ――あれ?

 少女は自分が見ている景色に違和感を覚えた。

 ――こんなに人いたっけ?

 いち、にい、さん……と目で数えてみる。

 ――ろく、なな、はち……あれ……九人?

 少女は四人目の大人を見つけた。髪の長いきれいな女性だった。

「ねえ、あの女の人だれ?」

 少女は小さく指差して隣の女の子に尋ねる。

「ん? お母さん?」

「ちがうよ。その隣……」

「……何言ってるの? そっちにはお母さんしか女の人はいないよ?」

 彼女には見えていないのだと少女は悟った。

 と、九人目の女性がこちらを振り向いた。女性の顔は真っ黒だった。

 真っ黒な顔の女はぼーっと少女を見つめていたかと思うと、不意に風船が空へ舞うように白い首が上空へ伸びた。そして少女を見つめたまま突如その真っ黒な口が顔面より大きくあんぐりと開き、無数の鋭利な白い歯が覗いた。

 少女は咄嗟に目をそらして火をつけてもらった線香花火を見つめた。

 ――来る! 嫌だ、死にたくない!

 少女は思った。

 ――夢だ。悪夢。どうしよう、早く起きなきゃ!

 大口を開けた真っ黒な顔が少女のもとに突っ込んできた。

 少女は意を決し、今まさに燃えている線香花火の先端を手でつかんだ。


 そこは車の中だった。

 昼下がりの道路を走っている。

 ワンボックスカーの二列目の座席で目を覚ました少女は全てを思い出した。

 ――そうだ。今は山のキャンプ場に向かってたんだった。あれは昨日の出来事。

 嫌な夢を見たと、少女は小さく溜息をついた。

 目の前の運転席には父親、助手席には祖母、左隣のシートには弟が乗っている。三列目には狭いトランクに入り切らなかったキャンプで使うものが少しだけ置いてある。

 弟も窓ガラスに頭を預けてすぅすぅと寝ていた。祖母が身動き一つしないところを見ると、どうやらドライバーの父親以外はみんな眠っていたようだった。

「お父さん、あとどのくらいで着くの?」

「外を見てみなさい」

 父親は優しく言った。

「うわぁ、何だか映画の中みたい」

 外の景色は、いつの間にか道路から木が鬱蒼と茂る山道に変わっていた。

「そうかー。こうして山の森に来るのは初めてだったもんなぁ」

「うん。ちゃんと道案内の人も立ってるんだね」

「は?」

 父親は素っ頓狂な声を上げた。

「そんな人いたか?」

「ほら、道の右側。別の道に入っていく方。また白い女の人が看板もってる」

「んん?……ああ、本当だ。施設の人だな。ここは迷いやすいらしいから、迷わないようにってもってるんだろう。看板立てておけばいいのに。お、あと二、三分で着くな」

 カーナビを見ながら父親は言った。

「お父さん、キャンプ場に着いたらまず何を――」

 少女は唐突に息を止めた。

 ルームミラーに、例の真っ黒な顔の女が映っていた。ちょうど少女の真後ろの座席。

「どうかしたか?」

 父親がルームミラー越しに娘を見るが、やはり奥の女には気付かない。

 少女は後ろの席から逃れるように運転席に抱きついた。

 ――嫌……これは夢! 絶対に夢!

 ムニャァ、とねばりけのある音が背後から聞こえた。

 自分が今まさに食い殺される寸前だと悟り、少女は力の限りに頬をつねった。


 そこは涼しい日陰の土の上だった。「シネシネシネシネ……」と、セミがまるで自分の寿命の短さでも呪っているように鳴いている。

 少女はうつぶせに寝ていた。身体を起こし、周囲を見渡す。

 少女がいるのは高さほんの数メートルの崖の上にある細い道で、左手には木が青々と茂り、右手の崖下には緩やかな川を挟んで広大な田園地帯が広がっている。

 少女は足もとの石ころを見て全て思い出した。

 ――そうだ。今は親戚のおじいちゃんの家に遊びに来ているんだった。キャンプに行ったのはもう一週間も前なのに。

 少女は弟と祖父の家の近所の子供たち数人を交えて大自然の中で鬼ごっこをしている真っ最中。そして鬼から逃げている間にこの細道に入り、転んだ次第だ。頭を打ってあの悪夢を見たのかもしれない。

 少女はまだ悪夢の中なのかもしれないと、頬をつねってみたが、しばらく経っても景色は変わらなかった。今度こそ現実世界なのだとわかり、心から安堵した。

「……みーつけた……」

 真上から高い声が降ってきたのは、少女が今まさに立ち上がろうとした瞬間だった。

 少女は恐怖で鳥肌を立たせながらゆっくりと上を見上げた。

 少年の笑顔。

 近所の少年の一人が木の枝の上でニヤニヤ笑っていた。

「なんちってー。へへへ。おねーちゃん、転んでやんのー。だっさー」

 嫌らしい口調に少女はむしろホッとした。悪夢のせいで精神が疲弊してしまったらしい。

 ずっと戦々恐々としているわけにもいかず、少女は気分を変えようと少年に話しかけた。

「いつからそこにいたの?」

「鬼ごっこ始まってからずっとここに隠れてるよ。木の枝が俺を隠してくれるんだ。忍者みたいでかっこいいだろ。それに鬼が近くに来たらすぐにわかる……し……」

「ど、どうしたの?」

 少女は枝の上から一方を凝視したまま凍りついている少年におずおずと尋ねた。

「くそっ。あんなん反則だろ」

 少年は枝から飛び降りると、一目散に田んぼへ繋がる細道を駆け下りていった。

 やがて、少年が逃げていった方向と反対の方向から、自転車を漕いでくる近所の別の少年の姿が見えた――鬼だ。

 もちろん少女は逃げ遅れたので突っ立ったまま自転車の鬼を待った。

 よく見ると、鬼の後ろから横向きに座った人間の足が覗いていた。近付くにつれ、それが真っ白でとても細い足だとわかった。長い黒髪が風にたなびいている。

 ――これは夢じゃない……さっき確認したんだから。

 少女は息を詰めて待った。

 だが、鬼は少女のことなど見向きもしないで目の前を走り去った。

 後ろに乗っていたのは、腕を怪我した女の子――前に乗っている少年の妹だった。どうやら、怪我をした妹を大急ぎで家まで連れ帰るところだったらしい。

 ホッとしたのも束の間、今度は同じ方向から誰かが猛スピードで走ってきた。

 それは陸上選手のように腕をぶんぶんと振り、少女にまっすぐ向かっていた。

 少女は見間違いだろうと何度もまばたきしたが、やがて目に涙を浮かべた。

 走ってくるのは口がへそまで開いている例の真っ黒な顔の女だった。

「いやぁぁぁ!」

 少女は細道の反対方向へ我を忘れて駆け出した。

 ――これは現実? 夢? どっちなの? もう嫌だ。お願いだからどっか行って!

 少女はゆっくりと肩越しに後ろを振り返った。

 女の首が十メートル以上後ろから伸び、少女のすぐ鼻先で真っ黒な口が地面付近まであんぐりと開いていた。

「きゃぁぁぁ!」

 少女は金切り声を上げながら、一も二もなく崖下の川へ飛び込んだ。


 そこは少女とその家族が住むとあるマンションのリビングだった。

 エアコンの効いているそのリビングで、少女は昼寝から目を覚ました。だが、その目は眠たげというよりは虚ろだった。

 カレンダーは八月の二十四日。夏休みの終盤だ。

 少女の隣では弟も気持ちよさそうに寝ていた。

 少女は全て思い出した――今まで見てきた悪夢を。

 ――もう嫌だ。どうせこれも夢の中。すぐにあれがやってくる。

 少女は静かに窓を開け、白い日差しの照りつけるベランダに出た。

 ――もう、これ以上生きたくない。

 少女は二十一階のベランダから飛び降りた。


「ピィィィ……」

 病室に響く電子音。

 少女の眠るベッドの隣で、さっきまで微かに反応していたモニターが今では「0」という数字を示している。

 ベッドの脇の椅子に腰を下ろしていた少女の父親と少女の弟が洟をすすりながら泣いていた。

 見守っていた医師は、つらそうに少女の死亡時刻を確認した後、父親と弟の肩にそれぞれ手を置いた。

「彼女のご冥福をお祈りしましょう」

「どうして交通事故なんかで……あの子は今日からの夏休みをあれだけ楽しみにしていたのに……」

 父親は娘の死を受け入れられないというように嘆いた。

「どうして……あとは娘の生きたいと思う気持ち次第だと、さっきあなたはそう言ったでしょう! 娘がそう簡単に生きることを諦めるわけがない!」

 父親は医者にすがりついた。

「確か、お母様はすでに亡くなられていましたよね。きっとお嬢さんは、あちらでお母さんに呼ばれて、寂しくさせないためについていってあげたのでしょう。そう……思うことにしましょう」

 医師は父親を抱き止めた。

 弟は涙を拭き、すでに亡き少女の顔を覗き込んだ。

「おねえちゃん……そっちでお母さんに会えた? きっと、髪が黒くて長い女の人に会ったら、それはきっとお母さんだよ」


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