いばらとひめ
考える事を放棄したアンジェリーナは、殿下の温情で公爵邸の一角を賜り、妄想と現実の狭間を彷徨うように暮らしていた。
私と姉は、出来るだけ時間を割いて、アンジェリーナの身の回りの世話を焼くことにした。
その日の夜は、私が当っていて――――
「乳母やは?乳母やはどこ?」
「乳母やは、国外追放になったよ」
「そう。あたしを置いて、魔法の国へ帰ったんだね」
この遣り取りを、何度したことだろう。
「――――寝る前に温めたミルクはどう?」
「ちょうだい」
「これを飲んで、よくお眠り」
「そうね。さながら、あたしは眠り姫ね」
「今度は眠り姫、か?」
「そう。イバラに包まれた、眠り姫。目覚めた時に王国が朽ちていないよう、陛下におかれましては千代に八千代に泰平な治世が続きます事を……」
「大げさだな」
「そうかなあ……そうか……どちらかと言ったら、あたし自身がイバラだったのかも……」
「え?なにか言ったか?」
「早く、冷めない内に、ミルク」
「ああ、ほら」
「あそこの蜂蜜を入れて」
「これだね?あと一匙しか無いようだけど、買い足しておくかい?」
「いい、いらない。これで終わりだから。乳母やにもらった、最後、だから」
「?そうか?お休み、アンジェリーナ。良い夢を……」
「うん、さよなら……ありがとう……義姉さま……色々と、ごめん……」
そう言い残し、アンジェリーナは、お伽の国の住人になった。
蜂蜜の空瓶を胸に抱いて。
「乳母やにもらったって。終わりだって、最後だって言っていたのに、私、気付かなくて……」
「仕方が無いわよ。まさか乳母やが、アンジェリーナの死すらも支配していたなんて、誰にも分かりはしなかったわ」
「でも、どうして毒なんか渡していたのかな」
「自分が居なくてはアンジェリーナが生きていけないと思っていたか、居ない所で生きていて欲しくなかったか……」
「どんなつもりでも、アンジェリーナを死へと導くなんて、ずいぶん自分勝手な考えだ!」
「そうね。とても寂しい人だったのかも知れないわね。アンジェリーナを道連れにしなければ、旅立てない程に」
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黄金の眠りが 瞳にキスを
目覚めた時には微笑が
泣かずに おやすみ 可愛い子
歌ってあげるよ 子守唄
ゆらゆら ゆらゆら 子守唄
いばらが夢を 守ってあげる
わたしの宝 あなたが全て
だから おやすみ 愛しい子
歌ってあげるよ 子守唄
ゆりかご ゆらして 子守唄
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『乳母や。乳母やは、どこ?』
『はいはい。こちらに居りますよ』
『もう、どこにも行かないでね?』
『はいはい。どこにも行きはしませんよ』
『信じられないな。乳母やは嘘つきだからなあ』
『あらあら、いつ嘘をつきました?』
『あたしはシンデレラじゃなかったから。イバラ姫だったから』
『おやおや。でしたら乳母めは、お側に居られませんねえ』
『それは嫌!じゃあ乳母やは、あたしを守るイバラになればいい』
『イバラ、でございますか?』
『あたし自身がイバラかと思ったけど、乳母やが居ないなら、ただの姫でいいや。だから、乳母やは姫を守るイバラ!ね?そうすれば、ずっと一緒だよ!』
『左様でございますね。ずっと一緒でございますねえ』
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ゆらゆら ゆらゆら 子守唄
ゆりかご ゆらして 子守唄
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