とある子爵の回顧
わたしは一体、何を望んでいたのだろう。
中流の中の中流、そんな貴族の家に長男として生まれた。
王から賜った領地を堅実にお預かりする、という代々受け継がれてきた教えを、わたしもまた踏襲していた。
最初の妻は、ごくありふれた政略結婚だった。
同じ位の家格同士、結束を固める意味での婚姻で、特別な感慨もなく美しい女を娶った。
大切に育てられた貴族の深窓の令嬢が、内に抱く欲望の大きさを発露させたのは直ぐである。
我が家の何もかもが気に入らないと物や家人に当たり散らし、宝石や衣装を買い漁り、夜会だお茶会だと頻繁に家を空ける。
幸か不幸か子どもはすぐに出来た。
数えれば、恐らくは初夜の辺りだろうか。それ以外では、ありえないのだが。
妻は子を産んですぐ、役目は終えたとばかりに、どこぞの愛人を頼りに出奔した。
未練はなかったが、火がついたように泣き責める赤子を抱え途方に暮れた。
そんな時、乳母を連れてきたのは家令であった。
聞けば子を亡くしたばかりの寡婦だと言う。
不思議なことに乳母に抱かれた我が子は、ぴたりと泣き止んだ。
それ以来、一任することになる。
わたしの顔を見るだけでぐずり出すので、近づくことさえままならなかったのだ。
代わりに、のめり込むように領地経営に精を出した。
数年がそのように流れて行った。
二度目の妻を迎えたのは、一族の総意による、これも政略結婚。
亡くなった傍流の下級貴族に跡取りが居らず、残されたそれなりの財産を誰が管理するかを一族で審議した結果、同じように跡取りの居ないわたしに未亡人を娶せ、同時に財産管理も請け負わされることになったのだ。
わたしとしては今さら感のある再婚だったが、迎えた妻と連れ子である娘二人の素朴さや素直さが、とても新鮮に映った。
思えば、この時が一番心安らいだ気がする。
己に寄り添う控え目な妻、はにかみながらも慕ってくる娘たち。貴族として『情』よりも『家』を優先させるよう教えられ、そのように振舞っていた自分が、人の温もりに癒されてゆくのを心地よく受け入れていた。
平穏な日々の中、跡取りが生まれる。
わたしは、人生最高の幸福感に包まれた。
後継の憂いが無くなり、これからは一日でも長く生き、受け継ぐべき領地をより豊かにし、妻と穏やかな余生を送る。
そんな未来を思い描いた。
しかしそれは、砂上の楼閣であった。
突如として、愛らしかった前妻の娘が、狂ったように牙を剥いた。
わたしの目の前で、息子の命を奪おうとしたのだ。
取り押さえようにも見境なく暴れる様を見て、足元から何かが音を立てて崩れていった。
一時的措置として妻と息子を連れて王都の屋敷へ避難する。
頃合いを見計らって様子を見に領地を訪れても、末娘の狂行は続いていた。
まずは気の病を疑った。
高名な医者を国内より探し出し、診てもらう。
しかし、治らない。
次に悪霊付ではないかと思い立ち、高位の司祭を招いて引き合わせたが、治まらない。
もしや呪われているのかもと、有名な魔女を探して国中を駆けずり回った。
渡されたお守りも魔除けも秘薬すらも、効果は無かった。
八方手を尽くし、思い付く限り試したつもりだったが、その全てが徒労に終わった。
気力の一切を失ったわたしは臥せがちになり、家令に後の事を任せる。
幼い子どもを抱えたまま必死に看病してくれる妻が、愛おしかった。
最後に目に浮かんだのは、領地での何気ない午後のひと時、うららかで柔らかな束の間の一時であった。
無意識に呟いた言葉は「すまない」だったのか、「ありがとう」だったのか……
わたしが望んだのは――――ささやかな、幸せ――――