012:君の名は⇐イマココ。
肩口にドツキまでキメましたとも。
癪なことに、彼の体はビクともしなかったが。
代わりに、視界の端で補佐がビクッと軽く飛び上がった気がしたが、見なかった事にしよう。
呆気にとられた男がポカンとしたのは一瞬で、すぐにムッと眉間に皺を寄せ覗き込んできた。
「では、何という名なのだ?」
問われて、すでに御令嬢の仮面を被るまでも無く突っ込みを入れてしまった身としては不敬の自覚を持ちつつ、両頬の手を払いのけ距離を取り、普段の口調で返してしまう。
「人に名を聞く時は、先に名乗り給え」
何が可笑しいのか、男はクッと口角を上げた。
「気丈だとは思っていたが、ずいぶんと気が強いのだな。夜会の時のしおらしい態度は、猫を被っていたのか」
自分でも自覚あることを揶揄されて、プイと拗ねたように視線を逸らす。
「私は礼儀の話をしているんだ。気の強さと猫は関係ない」
「なるほど?」
熱が集まっている耳に視線を感じる。
きっとニヤニヤと笑っているんだ。
悔しさと恥ずかしさで思わず下唇を噛む。
嘲りとは違う鼻から抜ける溜息を耳にして、おずおずと目だけを戻すと、男は困ったような暖かい頬笑みを浮かべていた。
伸ばされた指先が、そっと唇に触れ、頬から顎のラインを辿る。
毒気を抜かれた私は、いつの間にか再び男と向き合っていた。
雰囲気を壊すようにニッと不敵に笑った男は、おもむろに跪いて私の片手を掬い上げ、見上げてきた。
「俺はマントヴァ侯の第三子、ダンディーニ。ダンディーニ・ゴンザーガだ」
手の甲にキスを受けながら、言葉どころか息までもが詰まる。
我が国の三大侯爵家、その筆頭であるマントヴァ侯のご子息ですと?!
「なんでそんな御大層な御曹司が、こんな、こんな屋根裏部屋までお越し下さってるんだーっ?!」
「気になるのはそこか」
呆れた眼差しを頂きました。
「お前を訪ねて来たら、執事らしき男があからさまにうろたえた対応をするので、不審に思って中へ入らせてもらった。すると、上の方から尋常ではない怒鳴り声が聞こえ、急いで駆け付けたら狂人がフォークを振り下ろそうとしていた。それだけだ」
「それって、押し入ったって言わないか?!」
「助けに対してあんまりじゃないのか?」
「頼んだわけじゃない!」
「あのなあ。女はな、黙って男に守られていればいいのだ」
「誰かを守るのに、男も女もない!」
「ま、確かに良い守りっぷりだったぜ。目は瞑っていたけどな」
「あれはっ!」
言い返そうとした私を、静かな眼差しが押し止める。
「ずっと、気になってた。俺の見ていないところで、傷を増やしているんじゃないのかと。いつもああやって家人を庇っていたのか?」
今までのからかうような雰囲気を払拭し、心の底から心配そうに聞いてくるダンディーニに、呑まれたようにコクリと頷いた。
彼は、今まで掴んでいた私の手をやんわりと引き寄せながら立ち上がり、腕の檻に優しく閉じ込めた。
そして耳元に唇を寄せて、囁きを吹き込む。
「なあ……いい加減、お前の名前を教えてくれないか?」