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Orange Room  作者: 高遠 冴
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煙草の吸殻

いつも通りに花梨が小部屋を訪ねると、何やら臭かった。

 これは…、タバコ?

 ドアを開けるとゴミの崖がそびえているが、花梨はそれにもう怯えることはない。ゴミの崖をしり目に奥を目指すと、ゴミと小部屋を別ける棚のすぐ横の席に大きな背中があった。

 後姿だが男の人だ。生徒じゃない。くたびれた白いワイシャツに黒いスラックス。多分、先生だ。

 この忘れられたような部屋になんで先生がいるんだろう。ここは学校なんだからその一室に教師がいること自体は不思議ではない。でもここには出入りする生徒(主にアズミだ)が勝手に私物を持ちこんでいる。マンガとかケータイの充電器とか、ゲーム機のハードとテレビとか。先生たちに見つかってはまずい品が平気で放置されているので、てっきり先生たちはここの存在を一切、知らないのだと思っていた。

 それとも、今、見つかってしまって帆村先輩が怒られているんだろうか? そんな雰囲気には見えないが。

「花梨ちゃん?」

 帆村先輩の声が聞こえる。どうやら先輩は、いつもの窓側の定位置にいるらしい。

「うん? お前が新入りか?」

 先生が先輩の声に反応して、こちらを見た。背中を斜めに反らして、顔を向けてくる。少し四角っぽい顔で、チラチラとひげが生えている。武骨な顔で睨まれたように感じた。

 見たことがある先生だ。花梨が通う特進コースの先生ではなく、アズミの通う普通コースの先生だったと思う。名前までは覚えていないが、よく全校集会なんかが始まる前に壇上に上がり「静かにしろ!」と説教をしている先生だ。

「ほら、花梨ちゃんが来たわ。そこをどいて」

「へーへー。女王様の言うとおりにしようかね」

 よっこらせ、と先生が立ち上がった。花梨は慌ててゴミの崖の方に避ける。先生はだいぶ体格がよく、お互い壁に背中をつけても身体がぶつかってしまった。

「すまんね。おい、帆村」

 すれ違いざま先生は身体がぶつかったことを花梨に謝った。ついで、奥にいる先輩に対して声を上げる。

「なぁに?」

「冬加に言っとけ。私物を持ち込むなって」

「一応、言っておくわ。無駄だと思うけど」

 先生の背中を見送って、花梨は奥へ向かった。

 先ほどまで先生が座っていた席には誰かが飲んだらしい缶コーヒーが置かれていた。口元が黒ずんでいて、覗き込むとタバコの吸い殻が押し込まれていた。うぇ、と花梨は眉を寄せた。

 いつもの席に座っていた帆村先輩が机の上に身を乗り出し、缶をつまんだ。そして足元のゴミ箱に捨てる。

 まだ臭いが残っている。狭い室内で換気扇もないのでタバコの臭いが消えるまでにはもうしばらくかかるだろう。

 タバコの缶があった席に座るのが何となく嫌で、花梨はその隣に腰を下ろした。

「さっきの、一般の先生ですよね?」

「そうよ。花梨ちゃんは特進だったわね。アイツは黒田高義。覚えるほどの人物じゃないから。全く。未成年の集まる場所を、タバコ飲みの隠れ家にしないでほしいわ」

 先輩は立ち上がると、紅茶を淹れてくれた。梨の柄のマグカップは花梨専用だ。ティーパックの紅茶だったが湯気と共に香りが広がり、いがらっぽいタバコの臭いを押しのけてくれる。

「先生たちもここを知ってるんですね。誰も知らない部屋だと思ってました」

 マグカップを両手で包み込むようにして訪ねると、

「他の教師は知らないはずよ。彼は、その、知り合いだから」

 先輩は黒板の方を向きながら、歯切れ悪く帆村先輩は言う。

「ねぇ、花梨ちゃん。アイツが持ってきたお話を聞かない? それなりに面白かったから」

 急にこちらを向いたかと思うと、帆村先輩は瞳を輝かせて言った。




 これはアイツが同僚から聞いた話だそうよ。匿名が条件だから、適当なイニシャルで。そうね、ここはショートショートの伝統に則ってエヌ先生と呼びましょう。面白いわよ? 星新一。


 エヌ先生は校舎裏でこっそりタバコを吸っていたらしいの。生徒には「未成年が吸うな」同僚の先生には「喫煙スペースで吸え」ってうるさく注意していたくせに、エヌ先生は人が集まる場所でタバコを吸うのは嫌いなんですって。誰にも邪魔されず、静かに吸いたい、とか言って勝手に人気のない校舎裏で長いこと吸っていたの。

 いつからか、エヌ先生は視線を感じるようになった。視線を感じるたびに校舎の壁に背をつけて、右を見て、左を見て、上を見て、誰が見ているのかって確かめるんだけど、誰もいないらしいわ。

 何となくうすら寒いものを感じて、視線を感じるとすぐ吸い殻を捨ててそこを立ち去ることにしていた。生徒にばれても具合が悪いし、他の先生に見つかったら大変なことになるから。

 でもバカよね。だって、吸い殻はそこに捨てっぱなし。エヌ先生以外誰もそこにいかないからエヌ先生がそこで吸うようになってからの吸い殻が一か所にたまってるんだもの。エヌ先生がそこで何をしていたかなんて、一目瞭然じゃない。

 ある日。いつものようにエヌ先生が秘密の喫煙所を目指したとき、黒い何かがいたんですって。たまりにたまって、小さな山を作っていた吸い殻の上に覆いかぶさるように、黒くぬらりと光る何かが。それは四本足で、頭を吸い殻の山につっこんでいるように見えた。犬ほと大きくないけれど、猫ほど小さくもない。

 なんだろう、と思って目を凝らすんだけれど、形がよく分からない。たぶん四本足で頭を吸い殻に突っ込んでいるように見えるんだけど、頭の形も足の大きさも茫洋としてはっきりしない。

 なんだろう、なんだろう、と思ってエヌ先生は身を乗り出してよく見ようとした。

 赤いものが見えた。

 くいっ、て吸い殻の山に突っ込まれていた頭がエヌ先生のほうに向いたんですって。

 目があった、とエヌ先生は思ったそうよ。全身真っ黒なそれの中で、顔が赤い。顎を大きく開いたようにも血に濡れているようにも見えた。

 タバコ飲みって不思議ね。怖くて怖くてパニックになって、まずしたことがタバコを口に咥えて火をつけることだった。

 その瞬間、黒くて赤い何かがエヌ先生めがけて飛びかかってきた。咄嗟のことでエヌ先生は避けることができず、あ、と思った時には黒いものの牙がタバコごと自分の右手にかみついていたんですって。

 エヌ先生はあまりの痛みに、タバコを取り落とした。黒いものはタバコにくらいついて、そのままどこかへ消えてしまった。

 後には手から血を流すエヌ先生と、荒らされた吸い殻の山だけが残されていたんですって。


 帆村先輩はそこまでを一気に語り終えると、満足そうに紅茶に口をつけた。

 花梨はその怪談じみた内容に、ぞくり、と背中を震わせる。いつの間にか先輩の語りに引き込まれていた。

「高義はポイ捨てしたばちがあたったんだ、なんて言ってたけど。全く詰まらない発想だわ」

「ははははは。でも、本当だったら怖いですね」

 何気ない発言のつもりだった。

 お茶菓子入れの中のバームクーヘンのパッケージをいじっていた帆村先輩がはた、と花梨を見た。

 帆村先輩がマジマジと花梨を見るので、花梨はドキドキして思わず目を下に反らした。

 何か変なこと言ったかな…?

「ふふふ、そうね。本当だったら、怖いわね」


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