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Orange Room  作者: 高遠 冴
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レモンの香り

ふっ、てレモンの匂いがするんです。


 アズミは身ぶり手ぶりを交えてそんな話をした。

 放課後の小部屋。窓側の席に帆村先輩。壁際の出入り口に近い方に花梨が座り、その横、黒板側にアズミが座っていた。

「こう振り向いた時とか、物を取った時とか、芳香剤みたいにわざとらしい匂いじゃなくて、なんていうんですか、瑞々しいっていうか、レモンの皮をナイフで傷つけてあふれた果汁が香ってくるみたいな香りなんです」

 アズミも花梨と同じく剣崎学園高等部の一年生だ。ただクラスは違う。花梨は十二組、アズミは五組だ。高等部は一学年に十三クラスあって、大体五百人前後いる。全学年で千五百人超だ。花梨とアズミは入学したコースも教室のある建物も違うので、普通だったら接点はおろかお互い存在すら知らないところだ。

 その二人が並んで紅茶を飲んでいるのも、ひとえにこの小部屋に出入りしているからに他ならない。

「トイレとか、体育館の倉庫とか、授業中とか、通学路とかですね、レモンも何もないところで酸っぱくて新鮮な香りがするんですよ。一瞬なんですけど」

 花梨はこの小部屋を知ってから、放課後はほとんど毎日のように小部屋を訪ねている。花梨がこの小部屋の存在を知ったのは入学してすぐだから、かれこれ二カ月近くになるが、アズミとは一カ月ほど前、知り合った。アズミもちょくちょくこの部屋に遊びにくるらしいが、時間帯が合わなかったようだ。アズミの方は帆村先輩から花梨のことを聞いていたらしく、初めて顔を合わせたとき「君が花梨? はじめまして。嬉しいなぁ、一緒にパシられようね!」と笑顔で握手を求められた。

「帆村先輩、聞いてますかぁ?」

「聞いているわ。不思議ね」

 話しかけられた帆村先輩は、しかし爪にやすりをかけていた。左手の人差し指にふぅと息を吹きかけて満足そうに眺めている。

「いいえ! 聞いてませんね! 先輩が何か物をいじっているときは、人の話を聞いていない証拠ですもん!」

「聞いているわ。人聞きの悪い。レモンの香りがするんでしょう?」

「はい!」

「で?」

「え?」

「それ以上、内容がないじゃない」

 ねぇ? と帆村先輩はニッと口角をあげて花梨に同意を求めてきた。帆村先輩にはっきりと同意するのも、アズミに悪い気がして花梨は「えぇ、あの、まぁ」と曖昧にお茶を濁す。

 帆村先輩はアズミには遠慮がなかった。花梨に対しても遠まわしにいじめてくることがあるが、アズミにはこうしてバシバシ突っ込みをいれる。

「最近、先輩冷たいですよ。今のお気に入りは花梨かもしれませんけど、私も構ってくださいよ!」

 アズミは机の上に身を乗り出し、帆村先輩の方へ顔を近づける。帆村先輩は花梨の正面に座っていたから、机を斜めに横断している。左ひざを机の上に乗せ、乗り出す、というより机の上に這う形だ。

 行儀が悪い、と帆村先輩がペシンと彼女の額を叩いた。戻りなさい、と促されてしぶしぶアズミはイスに座り直す。

「あーん、先輩のいけず。やっぱりあたしみたいなお古の雑巾よりピチピチ新鮮な後輩の方がいいんですね?」

 両手で顔を隠したアズミが泣き真似をする。

「知らなかった。アズミちゃんは雑巾だったのね?」

「違いますー。言葉のあやですー」

 二人の寸劇のようなやり取りを、花梨は笑いをこらえながら見ていた。出汁にされているのは自分のことだが、二人のやりとりが親密さを表していて少し羨ましかった。自分も時間をかければ二人のやりとりに加われるだろうか。

 やれやれ、と呆れた帆村先輩はやすりを持ちかえた。

「ピチピチ新鮮なレモンの香りのする後輩のアズミちゃん。お願いがあるんだけど」

「なんでございましょうか」

「お茶菓子が終わってしまったの。買ってきてくれないかしら?」

「またパシリですかぁ? 柊に頼めばいいじゃないですか? アイツはどこに行ってるんです?」

 不満げにアズミが頬を膨らませる。

「お・ね・が・い。ね?」

 すーっと帆村先輩の目が細められる。

「い、行ってきます! 花梨も一緒に行こう」

 アズミに肩をたたかれ、花梨も立ち上がった。



 * * *



 小部屋を出て廊下を真っすぐ行くと、玄関がある。ここは花梨たち特進コースの教室がある第二校舎で、花梨の下駄箱がある。アズミは一般コースの生徒なので、渡り廊下を渡って第一校舎まで行かなければいけない。

 花梨は自分の下駄箱に向かうが、アズミはその背後を駆け抜けながら

「すぐ行くから! 中玄関で待ってて!」

 と叫んだ。

「転ばないでね」

 外に出ると向かい側が第一校舎だ。渡り廊下を見上げるとアズミらしき人影が走り抜ける姿があった。

 反対に顔を向けると、遠くに校門とバス停が見える。そのさらに遠くに夕焼けがあった。綺麗な夕日だなぁ、とその眩しさに目を細めていると、

「お待たせー!」

 後ろからアズミに抱きつかれた。勢いで倒れそうになるが、こらえた。

「早いね」

 第二校舎から第一校舎の中央玄関までは階段を昇って渡り廊下を渡って階段を下りなければならない。何より中央玄関は教職員とお客様用の玄関で、生徒の玄関はもっと遠くなのだ。生徒玄関から靴を持って戻ってくる、というとさらに遠回りのはずだ。

「は、走ったからね!」

 ゼー、ゼー、ゼー、とアズミは呼吸も荒く肩で息をしていた。

「ちょっと待って…。息、整える、からさ。…。行こう」

 二人が目指すのは、校門の隣にあるコンビニだ。このコンビニは剣崎生のためにあると言っても過言ではない。

 校門に向かうということは、夕日を目指すということだった。

 緋色の夕日が目にしみる。

「アズミと、帆村先輩は付き合いが長いの?」

 何気ない風を装って花梨は聞いた。多分、そうなんだろうな、と思っているがきちんと確認したことはなかった。

「うーん、それほどでもないよ。あたしが中学の時からだからねー。パシリ歴も同じで」

 まいっちゃうよねー。あはははは、とアズミが笑う。あっけらかんとしたその声は、ちっとも困ってはいなかった。

「あ、今した」

 顎を上げて夕焼けを見ていたアズミが、こちらを見た。

「レモンの?」

「そう。もう消えた。残ってない」

 ホントに一瞬でさ、吸いこもうとするともう分からなくなっちゃうんだ、と残念そうにアズミは言う。

「ずっとしてればいいのにね」

 花梨は深く考えずに言った。そんなに惜しむなら、一瞬で消えずに残ればいいのに。

 てっきりすぐ、そうだよねー、と軽く返事が返ってくると思っていた。しかしアズミからの答えはなく、しばらく二人で黙々と歩いた。記念講堂の前を通り過ぎ、スクールバスのロータリーに差し掛かったとき、やっとアズミが口を開いた。

「ずっとだと、飽きるよ」

「そうかな?」

 訥々とアズミは言う。

「人間てそういうものだよ。一瞬だから、何度も求めるんだよ」

 花梨はアズミの顔をマジマジと見てしまった。

 夕日はどんどん色味を増している。もうすぐ、消えてしまうだろう。


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