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Orange Room  作者: 高遠 冴
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箱の話

「おはよう」

 登校した花梨は教室のドアをくぐるとき、誰にともなく挨拶する。特に親しい人はいないけど、ここで声を出さないと一日中、口を開かないことになってしまう。

 出入り口近くにいたクラスメイトが花梨に気づき「おはよう」と返してくれる。朝の挨拶はその程度だ。

 花梨の席は教室の一番前。教卓の目の前だ。

 カバンを置いて、何気なく黒板の方を見たとき教卓の上に箱が置いてあることに気づいた。

 文具屋か百円ショップででも売っていそうなボール紙の箱だ。大して大きくもない。花梨が片手でつかめそうだ。

 何の箱だろう。花梨が手を伸ばしかけた時、キーンコーンカーンコーンと予鈴がなった。ガラガラッと乱暴にドアが開けられ、数人の男子が「セーフ! セーフ!」などと言いながら駆け込んできた。

 花梨がドアの方を見たのは一瞬だった。駆け込んできた男子に(うるさいなぁ)と思って、すぐ視線を戻した。予鈴だって鳴り終わっていない。

 それなのに、教卓の上から箱が消えていた。


 * * *


 放課後、花梨は小部屋にいた。壁際のイスに座り、帆村先輩が煎れてくれた紅茶を飲んでいる。

 帆村先輩は窓側のいつもの位置で知恵の輪をいじっていた。なかなかはずせないらしい。カチャカチャと知恵の輪を引っ張ったり、押し込んでみたり。あきらめたのか、机の上に放り出してしまった。

 時刻は夕方。窓の向こうはうっすら西日に変わりつつある。

「花梨ちゃん、できる?」

 帆村先輩が投げ出した知恵の輪をさして言った。

「無理です。無理。そういうの、私解けたことないんで」

「私もよ。あぁあ。また柊にバカにされちゃう」

 帆村先輩は知恵の輪を摘むと立ち上がり、黒板下のロッカーに置かれているガラクタ入れに放り込んだ。

 柊というのは、帆村先輩の友人の名前だ。よくこの小部屋に出入りしているらしいのだが、花梨はまだ会ったことがなかった。

「花梨ちゃん」

 こちらを振り向いた先輩の髪の毛がフワリと舞った。

「何か面白いお話、なぁい?」

「今朝のことなんです」

 大したことではないんですが、と前置きして花梨は教室で見かけた箱のことを話した。


「不思議なんです。私は教卓のすぐそばに立っていて、目を離したのも一瞬で、誰もそばを通ってないのに、消えてたんです」

 花梨の対面の席に座りなおした先輩は、ふんふん、と頷きながら話を聞いてくれた。帆村先輩はどんな些細な話も、いつも真面目に聞いてくれる。

 大した話ではなかったし、長い話でもなかったので、すぐ話し終わってしまった。こんな話でよかったのだろうか、と思った花梨は無意識に帆村先輩の表情を伺った。

 先ほどよりも西日が強くなっている。花梨も先輩も電気をつけないので、帆村先輩の表情は暗がりに沈んでいる。それでも先輩が微笑んでいるのはわかったので、花梨はほっとしていた。

 帆村先輩はどんな話も真面目に聞いてくれるけれど、自分の琴線に触れない話は「詰まらないわ」と一刀両断するのだ。

「物を移動させるには一瞬でいいし、人は一つの物事に集中すると、他の物事に疎くなるものよ。花梨ちゃんの気づかない間に、箱を動かすなんて、たぶん簡単」

「でも」

 花梨が「誰も近くにいなかったんです」と反論しようとしたとき、

「だって、ほら」

 と帆村先輩が花梨の手元を指さした。ふと机を見ると、手元にあったはずの花梨のマグカップが消えていた。

「あれ?」

「ね?」

 机の下から先輩はマグカップを取り出した。梨の絵が描かれたそれは、花梨専用のマグカップだ。

 花梨が話に夢中になっている間に、隠していたらしい。

「あー」

 花梨は机に突っ伏す。


 一瞬で箱が消えるなんて、不思議だ、不思議だ、とはしゃいでいた自分がとてもバカみたいで、恥ずかしさで花梨は両手で顔を隠した。

 いつもそうだ。先輩の前では思慮深くいたいのに、すぐ墓穴を掘ってしまう。

「じゃあ、やっぱり誰かが移動させただけなんですね」

「ふふ。それが現実的よね。でも、それじゃ面白くないわ」

 窓から差し込む西日が濃くなっている。先輩はすぅっと目を細めた。

「例えば、それは”秘密をしまっておく箱”」

「秘密?」

「誰にも知られたくない秘密をしまっておくの。鍵をかけて、心の虚に隠して。でも秘密という物はあれで目立ちたがりだから、持ち主の気づかぬうちに外に出ようとしている。たぶん、それは誰かの秘密をしまった箱だったのよ。その誰かさんは花梨ちゃんが箱に気づいたことに気がついて、慌ててもう一度しまい込んだの」

 頬杖をついて帆村先輩は話す。上目遣いでどこか遠くを見ている。自分の思いつきを楽しそうに話すけれど、心ここにあらずという風情だ。頬杖をついていない方の指が花梨のマグカップの縁をなぞっていて、花梨はドキッとした。

 帆村先輩は花梨が話す話を聞いて、それからよくこんな風に自分独自の解釈の話を言う。それはほとんど独り言に近く、花梨の反応などお構いなしだ。

 初めはびっくりしたけれど、今はもう慣れてしまった。

「帆村先輩は、誰にも言えない秘密があるんですか?」

「花梨ちゃんこそ、あるの?」

「質問に質問で返すのはずるいですよ」

「そうね。ごめんなさい」


 * * *


 もう帰る時間になった。

「お先に失礼します」と花梨は部屋を出る。

 玄関に向かう途中、花梨は思わず足を止めた。廊下の窓に箱が置かれていた。文具屋か百円ショップで売っていそうなボール紙でできた箱。花梨が片手でつかめそうな大きさ。今朝見た箱と同じような箱が、窓枠にちょん、と引っかかるように置かれてあった。

 誰かの忘れ物だろうか。周りを見るが人気はない。

 一度、完全に箱に背を向けて、もう一度窓の方を向いた。今度は箱は消えず、変わらずに窓枠にのっている。

 これは今朝見た箱と同じものなんだろうか? 中には何が入っているんだろうか? 何も入っていないのだろうか?

 確かめてみようか? もしかしたら中に持ち主の手がかりがあるかもしれない。

 花梨が手を伸ばしたとき「花梨ちゃんこそ、秘密があるの?」という帆村先輩の言葉が耳によみがえった。

 ギュッと手を握りしめ、花梨は歩きだした。

 秘密なんて、そんな。

 確かめたくなかった。



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