表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/35

藤澤学級

僕と陣は小学6年生になり、クラスは1学級となっていた。

そして秋先生がいなくなり、僕達の担任は藤澤先生だ。


この先生は依怙贔屓えこひいきなど一切せずクラス皆の一人一人を我が子の様に接してくれ優しく時には愛を持って叱ってくれ、クラス皆一人一人の個性や長所を最大限に引き出してくれる最高の先生で僕の恩師だ。


中学にも藤澤先生がいたら僕はもっとマシな人間になっていたと本当に思う。


藤澤学級になってから僕はますますいろんな活動に力を入れた。


鼓笛隊、運動会での応援団、

【応援団でのチームワーク賞、応援団優秀賞は負けたが、僕は未だに納得していない、僕ぼど、嫌、紅組ほど声を出して応援した者はいなかったはずだ】


老人ホームでの介護の手伝いもそうだが、僕にとって1番力をいれ、1番の思いでは東別府病院の患者さんとのふれ合いだ。


(筋ジストロフィーという難病の患者さん、僕もこの病気の兄弟のような病気、筋型糖減病、またの名を垂井病にかかっていた。これを知るのはまだ先の話になる)


まず始めに東別府病院の患者さんとふれ合い、鼓笛の演奏を聴かせに行こう。

そう声をあげたのは外川君でした。


その外川君の行動力、患者さんの感動の声、病院側の僕達への配慮がとても胸打たれ、僕は東別府病院パート2を計画した。

当時僕は皆との仲間意識にかけており、あまり皆と仲良くできずにいたため、この提案を皆に言ったところ賛成してくれたのは1人だけだった。


そう、後藤陣だ。


それから僕と陣は試行錯誤しこうさくごして何とか皆を賛成へと導けた。

またこの時、藤澤先生のいいところは、一切僕達に力をかさず僕達の力だけで話しを進める事を重視してくれた。


そして当日は患者さんに紙芝居や歌を聴かせたり、患者さんとのふれ合いトークなどで盛り上がった。


すると患者さんの1人に手を握られ、『本当にありがとう』。


そう言われて僕と陣は涙がこぼれた。


そして僕はこの事で三度新聞に載った。

(父は悪さで何度も新聞をにぎわせたが僕はいい事して新聞をにぎわせた。笑)

またこの時、東別府病院パート2が決まるまで僕と陣は幾度いくどなく衝突し喧嘩をしていた。

そしてこの時僕は陣に言ってはならない事を言ってしまった。

『お父さんがおらんくせに』


それがどれほど子供にとって辛い事か1番分かってるはずの僕が。

この時、僕の母も別居をしていて、親がいなくなる辛さを分かってるはずの僕がだ。

それからその事を中々謝れずに今まできたが、この場所をかりて謝りたい。

『本当にすまなかった』。

そして僕達、藤澤学級の皆は涙の卒業式を迎え、新たな舞台へと西川小学校を巣立って行った。

後書き


本文には書ききれなかったためここに書きます。

僕はあの東別府病院パート2をやりきれたからこそ今の諦めの悪い僕がいると思う。

もしあの時、皆に反対された時、そこで投げだしていれば僕はもっと根性なしの僕自身が嫌いな大人になっていただろう。

でも、諦めさせないよう最後まで僕の背中をそっと押してくれてたのは藤澤先生だ。

藤澤先生じゃなかったら、僕は途中で投げ出していただろう。

これは多分、陣も、嫌、クラス全員そうだと思う。


藤澤先生とは今だにご飯に誘われたり呑みに行く仲だ。


そしてこの間の連休にわざわざ別府から大阪の阪大病院まで陣と二人でお見舞いに来てくれた。

本当に、ありがとうございます。

本当に、最高の先生です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ