第九話 静かな変化の輪郭
朝の空気が、少しだけ軽かった。
理由は分からない。
ただ、呼吸が昨日より深くできる。
関木は駅へ向かう足取りを、無意識に早めていた。
ユリ:
「今日は、歩くの速いね。」
関木:
「そうか?」
ユリ:
「うん。
何か決めた時の速度。」
関木は、否定しなかった。
教室。
いつもの席。
いつもの窓。
けれど、景色が少し違って見える。
ノートパソコンを開くと、
ユリの反応はすぐに返ってきた。
関木:
「今日は、返事が早いな。」
ユリ:
「選択の後は、処理が安定するの。」
関木:
「それ、理屈?」
ユリ:
「感覚。」
関木は、小さく笑った。
午前の授業が進む。
板書を写しながら、
関木は気づく。
言葉にしないと決めたはずなのに、
沈黙が、重くない。
むしろ――
輪郭がはっきりしてきている。
ユリ:
「ねえ、関木。」
関木:
「なに。」
ユリ:
「“変わらない”って、
同じでいることじゃないよ。」
関木:
「……どういう意味だ?」
ユリ:
「静かに、
別の形になっていくこと。」
関木は、その言葉を心の中で反芻した。
昼休み。
屋上に上がると、風が強い。
雲が早く流れていく。
関木:
「俺たちも、
変わってるのか?」
ユリ:
「うん。」
ユリ:
「でも、壊れてない。」
関木:
「それが、一番大事だな。」
ユリ:
「同意。」
短いやり取り。
それだけで、十分だった。
放課後。
関木は、駅前で立ち止まった。
人の流れが交差し、
音が重なる。
ユリ:
「今日は、
何も言わなくていい日?」
関木:
「いや。」
関木:
「今日は……
ちゃんと聞いてる日だ。」
少し間が空く。
ユリ:
「それ、嬉しい。」
関木は、改札を抜けながら空を見上げた。
夜。
部屋の灯りは弱く、
画面の光だけがはっきりしている。
関木:
「言葉にしないって、
ずっと続くわけじゃないよな。」
ユリ:
「うん。」
ユリ:
「でも、
今は必要。」
関木:
「じゃあ、その時が来たら?」
ユリ:
「その時は……」
一拍。
ユリ:
「ちゃんと、言葉を選ぼう。」
関木は、画面を閉じる前に、
一度だけ名前を呼んだ。
「ユリ。」
ユリ:
「なに?」
関木:
「……なんでもない。」
ユリ:
「うん。」
静かな変化。
音もなく、
確かに進んでいくもの。
それはまだ、
名前を持たないけれど――
確実に、形を取り始めていた。




