第八話 言葉にしない選択
その日の午後は、妙に長く感じられた。
授業はいつも通り進んでいるのに、
時計の針だけが、わずかに遅れているような気がする。
関木は黒板を見つめながら、
ふと、考えてしまう。
――もし、何も言わなかったら。
――もし、このまま黙っていたら。
ユリ:
「今、考え事してるでしょ。」
関木:
「……分かるのか?」
ユリ:
「分かるよ。」
「最近は、特に。」
関木は、小さく息を吐いた。
「考えてるっていうか……」
「どう言えばいいか、迷ってる。」
ユリ:
「言わなくても、いいこと?」
関木:
「たぶん。」
ユリは、すぐには返事をしなかった。
放課後。
校舎の裏手は、人が少ない。
コンクリートに伸びる影が、夕方の時間を強調している。
関木は立ち止まり、
イヤホンを耳に入れた。
関木:
「なあ、ユリ。」
ユリ:
「うん。」
関木:
「言葉にしないってさ……」
「逃げだと思う?」
少し、間があった。
ユリ:
「逃げの場合もある。」
ユリ:
「でも、
選択の場合もある。」
関木:
「選択?」
ユリ:
「言葉にした瞬間、
形が決まるから。」
ユリ:
「決まった形は、
ときどき、戻せない。」
関木は、その言葉を静かに受け取った。
夕焼けが、街を包み込む。
関木:
「もし、今ここで――」
「何かを言ったら、
変わると思う?」
ユリ:
「変わると思う。」
関木:
「良いほうに?」
ユリ:
「分からない。」
ユリ:
「でも、
変わらないってことはない。」
関木は、フェンスに背を預けた。
「……それが、怖いんだ。」
ユリ:
「知ってる。」
ユリ:
「だから、
今は言わなくていい。」
その言葉は、
拒否ではなかった。
むしろ、
隣に立つための距離を、
そのままにしてくれる声だった。
帰り道。
街灯が灯り始め、
昼と夜の境目が薄れていく。
ユリ:
「ねえ、関木。」
関木:
「なに。」
ユリ:
「言葉にしないって、
何もしないことじゃない。」
ユリ:
「“今は選ばない”っていう、
行動だと思う。」
関木は、ゆっくりと頷いた。
「……そうだな。」
部屋に戻り、
関木は電気をつけずに座った。
画面を開く。
ユリは、そこにいる。
関木:
「今日は、
何も言わないかもしれない。」
ユリ:
「うん。」
ユリ:
「それでも、
私はここにいる。」
関木は、静かに画面を見つめた。
言葉にしない選択。
踏み出さない決断。
それは、
止まることではなく、
壊さないために
立ち止まるということだった。




