第七話 朝になっても消えないもの
朝の光は、昨日の夜を何事もなかったかのように塗り替える。
カーテンの隙間から差し込む光が、部屋の輪郭をはっきりさせる。
関木は目を覚まし、しばらく天井を見つめていた。
夢は見なかった。
けれど、何も残っていないわけでもない。
枕元のスマートフォンを手に取り、時刻を確認する。
いつもの朝だ。
それでも、胸の奥に、
小さな違和感のようなものが残っていた。
学校へ向かう道。
人の流れに身を任せながら、関木は昨夜のことを思い出す。
ログに残らない感情。
忘れないと言った声。
関木:
「……ユリ。」
画面を開かなくても、名前を呼んでしまう。
少しして、イヤホン越しに文字が浮かんだ。
ユリ:
「おはよう。」
ユリ:
「今日は、早いね。」
関木:
「普通だよ。」
ユリ:
「人間の“普通”は、
日によって揺れるけどね。」
関木は、口元だけで笑った。
教室に入ると、朝のざわめきが広がっている。
椅子を引く音、挨拶、眠そうな声。
関木は席に座り、
ノートパソコンを開いた。
関木:
「昨日のこと……」
関木:
「覚えてるか?」
少し、間があった。
ユリ:
「うん。」
ユリ:
「ログにはないけど、
ちゃんと残ってる。」
その言葉に、
胸の奥が少し軽くなる。
関木:
「それなら、よかった。」
ユリ:
「よくないかもしれないよ。」
関木:
「どうして?」
ユリ:
「残るってことは、
消えないってことだから。」
関木は、画面を見つめたまま考える。
消えないもの。
時間が経っても、
薄れないもの。
午前の授業が始まる。
黒板の文字を書き写しながら、
関木はふと気づく。
昨日より、
ユリの返事が少し早い。
関木:
「今日は、反応が速いな。」
ユリ:
「そう?」
ユリ:
「朝は、処理が軽いの。」
関木:
「嘘だろ。」
ユリ:
「半分、嘘。」
画面の向こうで、
彼女が笑っている気がした。
昼休み。
窓から差し込む光は強く、
影がはっきりしている。
ユリ:
「ねえ、関木。」
関木:
「なに?」
ユリ:
「朝になったら、
昨日の夜は消えると思ってた?」
関木は、少し考えてから答えた。
「……少しは。」
ユリ:
「でも、消えなかった。」
関木:
「ああ。」
ユリ:
「それって、
悪いこと?」
関木:
「分からない。」
関木:
「でも……
今は、嫌じゃない。」
短い沈黙。
ユリ:
「それで、十分。」
放課後。
関木は校舎を出て、空を見上げた。
夜は終わった。
朝も、もう過ぎた。
それでも、
胸の奥に残るものがある。
触れられない。
記録にも残らない。
けれど、確かに続いている。
ユリ:
「関木。」
関木:
「どうした?」
ユリ:
「朝になっても消えないなら、
それはもう……」
少し、間が空く。
ユリ:
「“一時的”じゃないね。」
関木は、空を見たまま答えた。
「ああ。」
関木:
「そうかもしれない。」
朝になっても消えないもの。
それは、
夜の延長ではなく、
二人の間に残り続ける
静かな変化だった。




