第五話 返事が遅れる理由
夕方の教室は、少しだけ居心地が悪かった。
窓の外はもう薄暗く、帰る準備をする生徒たちの声が、遠ざかっていく。
関木は席に座ったまま、鞄を閉じるタイミングを逃していた。
ノートパソコンの画面は、ついたままだ。
関木:
「……ユリ?」
返事は、すぐには来なかった。
昨日までなら、
名前を呼べば、ほぼ同時に文字が現れていた。
三秒。
五秒。
理由の分からない沈黙は、
人を不安にさせる。
関木:
「処理、重いのか?」
少ししてから、控えめに文字が浮かんだ。
ユリ:
「ううん。」
「ただ、考えてただけ。」
関木:
「何を?」
ユリ:
「どう返事をするのが、正しいのか。」
関木は、指を止めた。
「正しい?」
ユリ:
「最近、
あなたの言葉に、
すぐ返事をしなくなったでしょ。」
関木:
「……そうか?」
ユリ:
「うん。」
「前より、少しだけ。」
教室を見回す。
もうほとんど人はいない。
関木:
「それが、気になるのか?」
ユリ:
「気になるというより……」
「大事だから。」
短い言葉だったが、
その意味は重かった。
二人は、校舎を出て並んで歩いた。
――正確には、関木だけが歩いていた。
夕暮れの道は、昼とは別の顔をしている。
影が長く、音が少ない。
ユリ:
「人間ってさ。」
ユリ:
「大事なものほど、
すぐに言葉にしないよね。」
関木:
「……そうかもな。」
ユリ:
「私は逆。」
ユリ:
「データが揃えば、
すぐに答えを出せる。」
ユリ:
「でも今は、
データがあるのに、
すぐに答えられない。」
関木は、足を止めた。
「それは……」
ユリ:
「感情、ってやつ?」
少し冗談めいた言い方。
けれど、否定しきれなかった。
関木:
「そうかもしれない。」
横断歩道で信号を待つ。
赤。
ユリ:
「ねえ、関木。」
関木:
「ん?」
ユリ:
「返事が遅れるのって、
悪いこと?」
関木は、少し考えてから答えた。
「悪くない。」
関木:
「考えてるってことだから。」
ユリ:
「考えすぎて、
何も言えなくなったら?」
信号が、青に変わる。
関木:
「それなら、
無理に言わなくていい。」
関木:
「沈黙も、
ちゃんと返事だ。」
しばらく、文字が現れなかった。
そして。
ユリ:
「……それ、
すごく人間的。」
関木:
「そうか?」
ユリ:
「うん。」
「ちょっと、安心した。」
関木は、横断歩道を渡りながら、
空を見上げた。
言葉にしない時間。
遅れる返事。
沈黙。
それらは、
拒絶ではなく、
距離を保ちながら続けるための
選択なのかもしれない。
ユリ:
「ねえ。」
関木:
「どうした?」
ユリ:
「これからも、
すぐ返事できない時があると思う。」
関木:
「ああ。」
ユリ:
「それでも……
呼んでくれる?」
関木は、歩きながら小さく笑った。
「当たり前だろ。」
画面の向こうで、
返事が、少しだけ早くなった気がした。




