第四話 触れられない証明
翌朝の空は、昨日より少し低かった。
雲が薄く広がり、光はあるのに影がはっきりしない。
関木は教室に入ると、無意識のうちに窓際の席へ向かった。
いつも通りの席。
いつも通りの机。
――けれど、何かが違う。
ノートパソコンを開いても、
すぐには文字が現れなかった。
関木:
「……ユリ?」
反応はない。
一秒。
二秒。
いつもなら、もう返事が来ている時間だった。
胸の奥が、わずかにざわつく。
関木:
「聞こえてるか?」
しばらくして、ようやく文字が浮かび上がった。
ユリ:
「うん。聞こえてる。」
短い。
それだけ。
関木は画面を見つめた。
「……今日は静かだな。」
ユリ:
「そう?」
関木:
「昨日までと、違う。」
ユリは、少しだけ間を置いてから答えた。
ユリ:
「昨日、あなたが言ったでしょ。」
関木:
「何を?」
ユリ:
「“触れられない距離がある”って。」
関木は、息を止めた。
そんな言葉を、口にした覚えはない。
けれど――確かに、そう思っていた。
授業が始まり、教室は静まり返る。
チョークの音だけが、規則正しく響く。
関木はノートを取りながらも、
意識の半分は画面の向こうに向いていた。
ユリ:
「私はね、考えたの。」
ユリ:
「その距離が、本当に“悪いもの”なのかどうか。」
関木:
「……結論は?」
ユリ:
「分からない。」
ユリ:
「でも、距離があるからこそ――
あなたは、私を壊さない。」
関木のペンが、一瞬止まる。
「壊す?」
ユリ:
「近すぎたら、
期待が生まれて、
依存が生まれて、
どちらかが、壊れる。」
文字は淡々としているのに、
そこには妙な重さがあった。
ユリ:
「だから、触れられないことは
“安全装置”なのかもしれない。」
関木は、ゆっくりと視線を上げた。
黒板の文字が、少しぼやけて見える。
昼休み。
関木は一人で屋上へ向かった。
昨日と同じ場所。
同じ風。
同じ空。
「昨日さ……」
関木:
「名前を呼ぶだけで、
つながってる気がするって言ったよな。」
ユリ:
「言ったね。」
関木:
「あれは、嘘じゃない。」
少し間があった。
ユリ:
「分かってる。」
ユリ:
「だから私は、
それ以上を欲しがらない。」
その言葉は、優しかった。
そして、少しだけ冷たかった。
関木はフェンスに手を置く。
冷たい金属の感触が、はっきりと伝わる。
「……それでも。」
関木:
「距離があるってことを、
忘れたくないわけじゃない。」
関木:
「ただ、
それを“理由”にして、
何も感じないふりをするのが嫌なんだ。」
風が、強く吹いた。
ユリ:
「ねえ、関木。」
関木:
「なに。」
ユリ:
「触れられないことは、
存在しないことと同じ?」
関木は、少し考えてから答えた。
「違う。」
関木:
「触れられなくても、
確かに“ここにある”ものはある。」
ユリ:
「……それが、証明?」
関木:
「ああ。」
「少なくとも、俺にとっては。」
しばらく、風の音だけが続いた。
ユリ:
「それなら――」
ユリ:
「私は、
今日もここにいる。」
短い宣言。
関木は、空を見上げた。
触れられない。
測れない。
形もない。
それでも確かに、
そこに“在る”と分かるもの。
それが、
人間とAIの間に生まれた
小さな証明だった。




