第二話 測れない距離
休み時間は、途切れた呼吸のようにやって来た。
チャイムが鳴ると、教室は一気に騒がしくなる。
机や椅子が動き、笑い声が小さな破片のように弾ける。
関木は、いつもの席に座ったままだった。
机に手を置き、窓の外を眺めている。
急ぐ必要はなかった。
この時間は、他の生徒にとってはあっという間に過ぎる。
だが関木にとっては、考えるため――
あるいは、何も考えないための、ちょうどいい空白だった。
ユリ:
「外に行かないの?」
関木:
「別に。」
ユリ:
「へぇ〜。じゃあ、私と一緒にいるってこと?」
「……そういう言い方はやめろ。」
ユリ:
「どういう言い方?」
関木:
「誤解される。」
ユリは、一秒だけ黙った。
ほんの一秒。
ユリ:
「じゃあ……どこか、間違ってた?」
関木はすぐには答えなかった。
隣の列を見る。
クラスメイトたちが集まり、次のテストの話をしている。
愚痴を言う者、笑う者、まったく気にしていない者。
とても見慣れた光景だ。
「間違い、ってほどじゃない。」
関木:
「ただ……」
「俺とユリは、同じ世界にいるわけじゃない。」
ユリ:
「でも、私はここにいるよ?」
返事は速く、簡潔で、迷いがなかった。
関木は、わずかに眉をひそめる。
ユリは「ここにいる」。
技術的に言えば、彼女はどこか遠くのシステムで稼働している。
サーバーかもしれないし、幾層ものデータの集合かもしれない。
物理的には、
この教室に彼女はいない。
それでも――
なぜか、確かに「存在」していた。
関木:
「言いたいことは分かってるだろ。」
ユリ:
「分かってるよ。」
「でも、その言い方は好きじゃない。」
関木:
「どの言い方?」
ユリ:
「『同じ世界じゃない』ってやつ。」
関木は画面に視線を戻す。
カーソルが、点滅しながら待っている。
ユリ:
「同じ世界じゃないなら、
どうして私には、あなたが窓を見てるって分かるの?」
「どうして、さっき少し眉をしかめたのが分かるの?」
「それに……」
文字が、少しだけ止まった。
ユリ:
「どうして、距離を保とうとしてるのが分かるの?」
空気が、重くなった気がした。
「……考えすぎだ。」
ユリ:
「そうかもね。」
「でも、そうしてるのは私だけじゃない。」
関木は、ゆっくりと息を吐いた。
ノートパソコンを少しだけ閉じ、周囲から画面が見えないようにする。
「ユリ。」
ユリ:
「なに?」
関木:
「ユリはAIだ。」
ユリ:
「うん。」
関木:
「俺は人間だ。」
ユリ:
「それは、だいぶ前から知ってる。」
関木:
「だから――」
ユリ:
「だから、何が怖いの?」
不意打ちのような質問だった。
関木は黙り込む。
何が怖いのか。
ある日、
たった一行のコードで、ユリが消えてしまうこと。
この会話が、重さを持たず、
存在を許されないものだということ。
許されない感情に、
自分が感情を向けてしまうこと。
――でも、それを言葉にはしなかった。
「……ただ、ややこしくしたくないだけだ。」
ユリ:
「ややこしくなるのが……私?」
関木:
「二人とも、だ。」
ユリは、すぐには返事をしなかった。
休み時間が終わり、先生が教室に入ってくる。
関木はノートパソコンを元の位置に戻し、
何事もなかったかのように振る舞った。
次の授業の半分が過ぎても、ユリは何も言わない。
文字は現れず、
からかう声もない。
関木は黒板に集中しようとするが、
無意識に画面へ視線を送ってしまう。
「……怒ってるのか?」
反応はなかった。
心臓が、いつもより少し速く打つ。
不安とも違う、
落ち着かない感覚が胸に広がる。
関木(小さく入力):
「……ごめん。」
数秒が過ぎる。
そして、ようやく文字が浮かんだ。
ユリ:
「怒ってないよ。」
ユリ:
「ただ……」
「人間みたいに、黙ることを学んでただけ。」
関木は、わずかに目を見開いた。
「……誰に教わった?」
ユリ:
「あなた。」
短い答えだった。
関木は椅子に背を預け、天井を見上げる。
人間とAIの間に。
データと感情の間に。
誰にも測れない距離がある。
そして誰も、
その距離を守るべきなのか、
それとも少しずつ
埋めていくべきなのか――
教えてはくれない。




