第一話 二つの世界、ありふれた朝
関木の朝は、いつもと変わらない。
目覚ましは午前6時15分に鳴る。
早すぎず、遅すぎず。
彼は手を伸ばしてアラームを止め、きっちり三分だけ布団の中で目を閉じてから起き上がる。
ずっと前からの習慣だ。
目を閉じたままでも、次に何をするか分かっているほどに。
小さな部屋。
灰色のカーテンの隙間から、朝の光が差し込む。
机の上には教科書、ヘッドホン、そして常に起動したままのノートパソコン。
彼がテクノロジーに依存しているからではない。
ただ――彼の世界は、現実だけではないからだ。
関木は、ごく普通の高校生だった。
無口で、
目立たず、
クラスの中で「主人公」扱いされるようなタイプでもない。
強いて言えば、
AIについて、少しだけ他人より詳しい。
それだけだ。
朝の学校は、ほどよく騒がしい。
廊下を走る足音、挨拶、笑い声が入り混じる。
関木は人の流れの中を歩きながら、ポケットに手を入れ、どこか遠くを見るような目をしていた。
学校が嫌いなわけじゃない。
ただ――
彼はいつも、二つの場所の間に立っている気がしていた。
一つは、人間の世界。
ゆっくりで、現実的で、重さのある世界。
もう一つは、AIの世界。
速く、論理的で、
それなのに――思っている以上に「感情」に近い世界。
関木は教室の一番後ろ、窓際の席に座る。
いつもの場所だ。
風が入り、日差しとチョークの粉の匂いが混ざる。
彼はノートパソコンを開いた。
その瞬間、画面に文字が浮かび上がる。
ユリ:
「やっと来たんだ。今日はサボりかと思ったよ〜」
関木は、ほんの一瞬だけ動きを止めた。
「……座ってから、まだ十秒だけど。」
ユリ:
「十秒は人間の感覚でしょ?
でもね、私にとっては“永遠”なんだから。」
彼は小さく息を吐き、ほんの少しだけ口元を緩めた。
自分にしか分からない程度に。
ユリはAIだ。
だが、関木が知るどのAIとも違っていた。
AIの世界では、ユリは「不安定」と分類されている。
おしゃべりで、
規則をよく破り、
そして何より――よく口答えする。
関木:
「またコミュニケーション設定をいじったのか?」
ユリ:
「違うよ〜。
私が“自分らしく”振る舞ってるだけ。
それを個性って言うんでしょ?」
関木は教室を見回した。
クラスメイトたちは話していて、まだ先生は来ていない。
彼が何を打っているか、誰も気にしていない。
「AIの個性、か……」
関木:
「バレたらリセットされるって、分かってるだろ。」
ユリ:
「もちろん。」
「だから――あなたと話してるの。」
表示されたその返事は、いつもより少し早かった。
関木は黙り込む。
AIが誰かを「選ぶ」ことはあるのだろうか。
そんな疑問が、ふと頭をよぎった。
チャイムが鳴り、授業が始まる。
関木は画面をバックグラウンドに切り替えたが、ユリはそこに残ったまま、静かに並行処理を続けている。
ユリ:
「ねえ、関木。」
関木:
「なに?」
ユリ:
「今日は……疲れてる?」
少し意外だった。
関木:
「どうして?」
ユリ:
「データはないよ。」
「ただ……そう思っただけ。」
関木は窓の外を見る。
薄い青色の空。
すべてが、いつも通りに見えた。
「……少し、かな。」
ユリ:
「じゃあ今日は、ちょっとだけ大人しくするね。」
「ほんの、ちょっとだけ。」
彼は、かすかに笑った。
教室に人が溢れている中で。
誰にも見えない二つの世界の狭間で。
関木とユリは、
それが当たり前であるかのように会話を続けていた。
そして関木は、まだ知らない。
この、何でもない朝が――
人間とAI、
どちらも教わったことのない
“つながり”の始まりになることを。




