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果たてのカノン  作者: アラタ
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「今回は大量だな。帰ったら飲み放題だぜ」


深い谷間に夕闇が迫っていた。

砂利の上を荷車が動く音。

小石を跳ね上げる蹄の音。

そして男たちの談笑が、静謐な谷に反響している。

その内容は簒奪をよしとする聞くに堪えないものであった。


「今回の遠征で17人か。男4人に女13人。

男が少ないのが残念だが、これだけ売り払えばしばらくは金に困らねぇな」

「でもよ、最近、奴隷商人の奴ら足元見てきやがる。

こないだなんて健康体の二十歳の野郎だったのに4万スロとかほざきやがった。

どんどん奴隷の供給が追いついてきてやがる」

「そろそろこの周辺は撤退するかね。どう思うよリーダー?」


そう呼びかけられ、隊列の先頭を行く外套の男は答えた。


「そうだね。今回の商品を売り払ったらここらとはおさらばしよう。

僕もいい加減仕事量に見合わないとは思い始めてた。

最初のほうはよかったけどね。2年も経てば市場も変わる。

長居するし、商人や同業者とは良好な関係性を築きたいから下手に出よう。

なんて方針がそもそも間違ってた。

やっぱり、僕らみたいな職業は国から国へ転々と稼ぎをするのが合ってるね」


男性としては少し高い優しげな声は、その雰囲気とは裏腹な非道なセリフをさわやかに言い放った。


「どの口が言ってんだよ。

もとはと言えば、あんたが『旅をするのは疲れたよ』『拠点を構えて、一つの地域に専念してみよう』なんていうからじゃねぇか。

それまでは行く先行く先でやりたい放題やってたのによ」


冗談めかしく声を荒げ、現状の原因は外套の男にあると男の部下は主張する。


「すまない。確かに僕の提案だったね。

でも帰る場所があるのはいいものだったろう。

環境だけで言ったら今が一番いいと僕は思うよ。

旅をしながらじゃ街のうまい飯屋も分からないだろ。

お前たちだって、ヘルンの町じゃずいぶん楽しんでたじゃないか」

「それは、そうだけどよ」


反論された男はバツが悪そうに呟く。


「ごめんごめん。確かにいくら居心地がよくたって金には代えられないよな。

今度はもっと規模のデカい所に行ってみるか。アウラ帝国なんてどうだ。

あれだけデカい都市なら労働力なんていくらあっても足りないだろうから良い値段がつくよきっと。楽しみだな」


そう言ったのち、鼻唄をうたいながら外套を揺らしリズムを刻みはじめた。


そんな男たちの会話を荷車の中で聞くひとりの少女は、荷車を覆う布に空いた小さな穴から外を眺めていた。

少女が見つめる薄い暗がりの中で、青っぽく見える木々の其処此処(そこここ)に白い蕾がついていた。

まるで夜空に遠くかすむ星のようだと少女は思う。


少女は自身の行く末を想像し、深くため息をつく。


少女には記憶がなかった。目が覚めるとこの荷車の中にいたため、はじめは混乱したものの周りの様子を伺い状況を把握した。

自身が奴隷売買をする者に捕まったのだと。


しばらくしたら少女は、左手にいた小刻みに震える栗色の髪をもつ女に自身が捕まった状況を聞き出した。

彼女曰く、この谷に入る前に抜けた森の中で倒れていたとのことだった。


荷車の中にいたので直接見ることができたわけではないようだったが、男たちの話し声から推測するにそのような状況であったらしい。


なぜ森の中で?

そもそもここはどこなのか?

なぜ倒れていたのか?


次々と浮かんでくる疑問を解決しようとしたが、すぐに意味のないことだと思考を放棄した。


これから奴隷になる自分に過去はないほうが都合がよいと考えたためである。

もし自身の過去が幸福なものであったら、これからの悲惨な将来がより際立ってしまうことが予見できてしまい、心を守るためには致し方ないことだった。


そして、なによりももこれからどう生き抜いていくのか。

その手段を画策するほうが生産的であると考える程度に彼女は逞しかったからである。


「今回の商品はなるべく高く叩き売ってくるから。

そしたらすぐ街から出るぞ。お縄にかかるわけにはいかないからね。

準備しといてよー」

「お縄って。どんな売り方するつもりなんだよ」


男たちは笑う。


少女はその下卑た笑い声が気持ち悪くて仕方なかった。


数時間前のことすら記憶にない少女だったが、理不尽な形で人としてのあるべき生き方を壊されたのが不愉快で、その原因である男たちが幸福そうにしているのが許せないからであった。


「ねぇ。あなた。名前はなんていうの?」


先ほど少女が捕らわれるまでのいきさつを話した女が突然少女に問いを投げかける。


「突然ね。まあいいわ。私の名前はルノ。あなたは?」

「私はミーア。いきなりごめんなさいルノ。でも、すごく怖い顔してたから。気がまぎれればって思って」


顔に出ていただろうか、とルノは顔を赤らめる。

しかし、そんな素振りを悟られないよう気丈にふるまう。


「別に。なんでもないわよ。

それより聞きたいのだけど、私たちはこれからどのようにして売り払われるの?」


ミーアは少し言い淀む。


「詳しいことは分からないけど、まずは奴隷商に売られ、そして奴隷商のもとに来た貴族なんかに買われるんだと思うわ。

奴隷を大切に扱う人もいるようだけど、それはごく一部の話。

大半はまともな環境で生きることは許されないし、終生自由になることはないわ」


ルノの問いにミーアは沈んだ表情で答える。

しかし、そんなミーアの様子とは裏腹にルノは軽快に言った。


「あら、じゃあ当たりの貴族に買われる可能性もあるのね。安心したわ」

「安心って…。あなたは心が強いわね。いや、楽観的なだけかしら」

「あなたが悲観的なだけよ。

別に当たりを引かなくたって、どうにでもなるわよ。

逃げ出せばいいだけよ。

1年かかったって、10年かかったって。

きっとできるはずよ」


その言葉を聞き、ミーアは静かに笑った。


「すごいわねあなた。こんな状況でもすごく元気で、未来を見据えてる。

私にはとても…」

「そんなようじゃダメなのよ。

私も協力するわ。

だからあなたも協力しなさい。

共犯者がいたほうが逃走の成功率は上がるもの。

そのためにはまず、同じ飼い主に買われないとダメよね。どうすればいいかしら?」


奴隷になった後の脱走計画のことを淡々と話し始めたルノに、ミーアはあっけにとられていた。

ルノの力強く生きようとするその姿勢に対してはもちろん、自分まで奴隷の身から逃げるのを手助けしてくれようとしたからである。

無論ルノが言った通り、それは協力者としての申し出であり、共犯者としての関係だということをミーアは理解していたが、それでも彼女は、まるで自分を助けてくれる者が現れたように感じた。


ミーアはそんなルノに不思議な感情を持ちつつも会話が紡がれていった。


どのようにして同じ飼い主に買われるか?

奴隷になったさきでどう逃げるか?

何年ほど準備はかかるのか?


その内容の悲惨さとは異なり、彼女たちの小さな話声は、まるで恋を語る同年代の友のようであった。

そんなまるで要領を得ない脱走計画の密談を荷車が止まるまでしていた。

____


それからミーアは評判の悪い小太りの貴族に買われた。

なんでも加虐趣味があるという噂を持つ貴族であり、男の奴隷は血が薄黒く滲んだ包帯を巻いているものがほとんどだった。


一方、ルノは貴族の中でも格の高い者に買われた。

広大な土地を持ち、その開拓に多くの労働力を欲しており、買われた奴隷たちは日夜開拓作業に追われ、その多くがわら小屋の中で息絶えた。


それを処理するのもルノ達奴隷の仕事であった。

薄い布切れを纏った肉塊は奴隷によって掘られた大穴に放り込まれる。

そこは奴隷が死んだ際、死体処分を目的に貴族たちが共有している死体処理用の大穴であった。

穴底が見えないほどの死骸が積み立てられ、泥のように溶けた体は、酷く臭った。


ルノが奴隷になり2年ほどが経った日、ある噂が耳に入った。


悪趣味な小太りの貴族の奴隷が脱走を失敗し、罰を受けていると。

思わず目をふさぎたくなるような凄惨な罰で四肢は壊死し、歯と舌を奪われ喋ることすら叶わない体でまだ死ぬことすら許されていないのだと。


ルノが奴隷になり3年ほど経った日、奇妙な死体が大穴にあった。


手足が削られてしまっているのか、四肢は異様に短く、また頭髪が一切なくその頭は勾玉のように凹んでいた。

かすかに開かれたちぎれた唇からは歯も舌も見えず、蛆が蠢いている。

顔を見ると本来眼球があるはずの部位には真っ黒な穴が開いていた。

眼窩に広がる完全な暗闇を見つめていると気が狂いそうで、ルナはその場から足早に立ち去った。


ルナが、あの死体がミーアの死体だと理解したのはそれから7年の月日が経つ頃だった。

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