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PART10

 クラリス・ボトムはクラリス北東部の貧困街だ。

 セントラルには大通りが通っているものの、余計な騒ぎが起きるのを嫌ったクラリス治安維持局によりボトムへの出入りは監視され、半ば封鎖されているようなもの。


 ゆくゆくはボトムを浄化するという話も出ているが、実行は現在まで為されていない。

 “酔之宮”が関わっているという噂もある。


 そんな噂が立つのも、“酔之宮”はクラリスの役人とも繋がりがあるからで、彼らがボトムへと逃げ込むことが出来たのもクラリスがそれを許したからだ――とロックは語った。


「まっ、どこも清廉潔白じゃあやってけないってことよな」


 “鎧殻”を模倣したものであろう、合金製の西洋甲冑ともまた異なった無骨な鎧に身を包み、魔術による現象に、より鋭い指向性を持たせるために設計された特別な銃剣で武装した衛兵を絞め落としながらガウスが嘲笑う。


「ナリは“竜狩り”みてぇなのに、なんだよ、てんで手応えねぇじゃねーかコイツら」


 ベイクも衛兵の一人を兜の上からの殴打によって失神させ、いびきをかくその衛兵を見下ろしては不服げに言う。


「“竜狩り”は下っぱですら手練れだっつーの。いいじゃねーの、楽出来てサ。……あー、コチラ異常無しどーぞー」


 そんなやんちゃなことを言うベイクにガウスは苦笑して、それから衛兵が携帯している通信魔導器に入った定時連絡に彼は適当な返事をした。

 “酔之宮”との接触までの時間を稼ぐためだ。


 不真面目にもほろ酔いだった門番とは異なり、装備からして物々しく、三人一組で隙き無く警戒するボトム監視の衛兵は手強い。

 しかしベイクら三人に掛かれば敵ではなかった。


「手応えなさ過ぎっていうのは同意見。連中の使うゴーレムたちならもう少し歯応えあるだろうから、早く奥へ行こう」

「だなっ」


 どいつもこいつも野蛮だこと――なるべくなら荒事は避けたいガウスとは対極に、ベイクとロックは完全に死闘に魅入られているらしく、呆れたガウスはとほほと肩を落とす。


 彼の計画では衛兵にも“酔之宮”の戦力にも遭遇せずレアを奪還。白服を速やかに処理して問題を解決するはずだったのだが、ずんずんと隠れもせずボトムへと通りを進んでゆく二人を見て不可能だと悟るのだった。


 ――セントラルから見ることの出来るボトムの景観は薄汚れこそしているが浮浪者やゴミのようなものは見られず、殺風景かつ衛兵のせいで物騒に思えこそすれど不潔さは無い。


 しかしそこから更に進み、隣街と石壁で隔絶されたボトム本街へと到達すると途端に風景は一変。

 路上にはちり紙や紙袋、吐瀉物としゃぶつ。何らかの遺骸などといった不衛生なゴミがそこかしこに転がり、人々もまたゴミも同様な風貌で徘徊していた。


 日も沈み始め、夜の帳が下りようとしているボトムの様相は実に退廃的で、欠けて剥がれた漆喰の外壁に割れた窓ガラスの向こうで揺らめく穴の空いたカーテン。路上に点々と置かれたドラム缶に灯った焚き火の明かり。群がる住人はさながら羽虫のようである。


 そこに足を踏み入れたベイク一行。

 嗅覚も人間より優れる竜人であるベイクの鼻に届いた異臭。すえたような悪臭に彼は顔をしかめた。


「どいつもこいつも死骸みてえなニオイしてやがる」

「おん、しゃーねーさ。“異界人”の知恵と魔術のおかげで沢山の湯を沸かすことは簡単になったけど、設備を調えんのも魔導器を手に入れんのにも結局金が要るからな。こんなとこにいる連中にはどっちみち縁遠いってモンさ」


 臭いの元はもちろんボトムに暮らす人々である。他には鼠やら犬猫やらの死骸だとか汚物など様々だが、少なくともベイクが嗅ぎつけて不快感を覚えたのは人の臭いである。


 彼の文句にガウスが肩を竦めて仕方がないとベイクを宥めるが、ベイクの興味は自らの右腕に着いている魔導器の値段に移っていた。

 ベイクは魔導器を弄りながら訊ねる。


「コレ、そんな高いモンなのか?」

「ピンキリっちゃピンキリだけどねん。大体五十リューンが相場かねえ……。あっ、そういや大将。お金の数え方の勉強……」

「ちっ、連中どこに隠れてやがんだ? なあ、ロック?」


 自ら導いた結果であるが、ガウスが“勉強”の二文字を言い終えるか否かのところでベイクはロックへと別な話題を振ってイヤな話から逃れようとする。

 当然ガウスは「おーい、逃げるな~?」と呼び掛けるが、ロックがベイクの質問に応えてしまった。


「このボトム街で地下室のある家は数軒らしい。その内、それらしい出入りがあったのは一軒。ボトムのまた北東にある平屋だそうだけど」

「平屋つったって……」


 ベイクが周りを見渡す。

 浮浪者と焚き火、家屋はほとんど平屋である。


 結局しらみ潰しになるのかとベイクが不満を覚えかけたころ「俺らにも分かるくらいの悪臭ん中だぜ。連中みたいな小綺麗なヤツらは耐えられねえだろうなあ」とガウスが含みのある口調で言った。


「オレの鼻が頼りってワケか」

「ご明察」


 すんと動かした鼻を親指で擦り、片方の口角を吊り上げて笑うベイク。ガウスも自らの意図を察してくれたベイクに指を鳴らし満悦気味で、二人のやり取りを傍観していたロックはなるほどと感心を示す。


 二人を見るロックの表情は何処か嬉しそうであった。


「よし、じゃあさっそく――」


 次の目標を得てやる気をみなぎらせたベイクが意気込み拳同士を打ち合わせようとして、最中にガウスとロックの二人がその場から飛び退いた。


 僅かに遅れたベイクだけが揺れと轟音とともに爆ぜて巻き上がった土煙の中に姿を消してしまう。


「大将っ」


 着地をすれど微かに体勢が乱れよろめいたガウスがたどり着いた家屋の薄汚れた壁面に手を付きながら叫ぶ。

 ロックもまた腰の刃を鞘から解き放ちながら様子を窺った。


「――こんなでけぇサルは初めて見た」


 吹き抜けた風に煙幕がさらわれ、中からベイクが姿を見せる。

 彼は頭上で両腕を交錯させ、舗装もされていない地面を余波で割るような一撃を防いでいた。


 だが完全に防ぎきれたわけではないようで、僅かに裂けた頭皮から鮮血を頬まで滴らせている。

 ベイクが見上げた先にあるのは巨大な拳。五本の指を握りしめた岩のような灰色の皮膚と、雪のように純白の体毛に包まれた固いその拳の主はベイクの言うとおり三メートルはあるかというような巨大な猿であった。


 長銃を構えたガウスの射撃が行われ、旋回して目標へと真っ直ぐに飛翔する超高速の礫を白猿はくえんはその場を飛び退き回避。家屋の屋根に飛び移る。


 血を拭うベイク。銃口を白猿へと向け直すガウス。ベイクの傍らまで歩み寄るロックの三人の視線を注がれた白猿は、黄昏れた空にうっすら見える満月に向け甲高く咆哮した。

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