PART9
火炎に恐怖しない生命は存在しない。何故ならば火とはあらゆる生命を殺し尽くす脅威そのものだからだ。
肉体を細胞ごと焼き尽くし、水を煮え立たせ、離れたものの呼吸すらも奪う火炎。
高度な知性を持った生物が誕生するまで火とは恐怖の対象だった。人類が星を支配してからもその事実は変わらず、生きとし生けるもの全ての遺伝子に刻み込まれている。
ガマン比べなら負けねえぜ――天と地と彼方と此方を埋め尽くす火炎の渦中、ベイクは絶え間ない灼熱地獄を耐えていた。
火の属性を持つ竜の血を特別濃く引いているベイクの肉体は耐熱及び耐火性。あらゆる生命が絶命する火中にあっても彼は生存が可能なのだ。
如何な“魔物”と言えど、遺骸が如き存在感であろうとも、血を流し息をして活動する生命であることに変わりはない。ベイクはそう踏んで火炎に耐性のある自らもろとも人狼を焼いたのだった。
焼け死ぬならば良し。殺せずとも離れさえすれば仕切り直せる。そこからが本当の勝負だとベイクは思っていた。
しかし鮮やかな橙色のただ中、ベイクの双眸が見開かれる。その瞳は驚愕に揺らぎ、映るものは炎に焼かれながらもベイクの右腕に食らいついたままでいる人狼のその真紅の両目。
耐熱耐火性のベイクの肉体ですら限界に近付き、人としての柔肌が赤く焼けただれ始めているというのに、人狼は火炎などまるで意に介していないかのようであった。
ありえねえ――目の前の光景を否定しながらベイクが左拳を振り上げるのと、人狼が彼の右腕を噛み砕かんと顎に力を込めたのがのが同時だった。
みしりとベイクの右腕が軋んだとき、二体を包む火炎が吹き飛び夜の暗闇が帰ってきた。
目を見張るベイクが自らの右腕を見ると、つけられた歯形から流血していたが人狼の姿だけが無かった。そして同時に気付く、目の前に散る光の残滓に。
「ベイクっ」
噛み付かれ引きずり回され、その場に尻餅をついたまま呆けていたベイクの耳に飛び込んだ声。彼が声のした方を向くと飛び込んでくるレアの姿があった。
「べい――ぐぶぅぅっ!?」
すかさず地擦りで身を翻したベイク。彼に飛びつき受け止めてもらう算段だったレアは憐れそのまま、ベイクが居たはずの地点へと顔面から飛び込むハメになる。
彼女と一緒にやって来ていたガウスがその様子に表情を引きつらせる中、彼はあることに気がついた。
そして遅れてリバティウスがやって来る。「マズっ」とガウスが振り返ると、そこにはベイクを見て目を丸くしたリバティウスの姿があった。
「あちゃあ……」
「おい、ガウス? あのぼうや、ありゃ竜人……」
思わず顔を手で被うガウスに、ベイクを指差したリバティウスは彼の“今の姿”について問う。ガウスはリバティウスの顔をばつが悪そうに見ると苦笑をして、そして小さく頷くのだった。
2
「レア、おまえ……なにしてんだ?」
半ば反射的にレアを躱していたベイクはきょとんとした顔をして、地面に顔を埋めてへたり込んでいるレアへとそんな風に声を掛けた。
すると凄まじい勢いで起き上がったレア。彼女は鼻血を噴いた真っ赤な顔で両手に拳を作りベイクの頭をぽこぽこと殴打する。
「なにもなにも、あんたのこと心配して走ってきたのに! なんでよけるのっ、なんでよけるのよ~~っ!? ええ~っ!?」
「くっ、いきなりウゼえ……」
「来てみたら来てみたでなんかとんでもないことになってるし! ほんとにもう、ほんとに心配させないでよっ、もお~~っ!!」
「ああっ、ウゼえ! ヘーキだってのおかげさまでな!」
心配したからか、もしくはすげなくされたせいか、半べそをかいていつまでも頭を叩いてくるレアにいい加減うんざりしたらしいベイクが彼女の両手を掴まえて殴打を止めさせた。
するとベイクの右腕から流れる血にレアが気付き、彼女の表情に陰りが差した。レアの両手から力が抜けたので放すベイク。
解放された両手で今度はベイクの右腕を持ったレアは言った。
「……ケガするの、いっつもベイクだね」
元気の無い沈んだ声。燃え続ける岩山からの光を受けてきらめくベイクの鮮血を見つめてうつむくレア。するとそんな彼女なら右腕が取り上げられた。ベイクが取り戻したのだ。
「しかたねえだろ」
「え……?」
ベイクは右腕を軽く振って纏わりついた鮮血を払い飛ばすと、奇襲から復調して起き上がろうとしている人狼へと目を向けながら、困惑するレアに対しては言うのだった。
「オレがそう決めたから――」
レアが傷付くくらいなら、代わりにオレが――肝心な部分は胸に秘めたまま、ベイクは右拳を握り締める。再び熱された血液が溢れ出して湯気が上がる。
彼の脈絡ない言葉に目を白黒させていつまでも見ているレアへとベイクは不敵な笑みを浮かべ、鼻を鳴らした。
「いい加減しゃんとしやがれ。アイツぶっ倒して進もうぜ」
オレたちの旅は始まったばかりなんだから――ベイクの今度はしっかりと発言された言葉に、僅かな間を置いてやがて理解が追いついたレアは「うんっ」と笑顔を咲かせ頷き、跳ねるような挙動で彼の隣に並び立っては五指を構える。
「俺のこと忘れてない?」
そんな二人の元へとガウスもやってくる。二体の隣に立った彼は向けられる訝しげな視線に対し、「もしかして、ホントのホントに忘れてた、とか……?」とまさかの事態に苦笑を零す。するとぷっとレアが噴き出した。
「だいじょーぶっ、ちゃんと覚えてるって!」
「しゃあっ! やるぜレア、ガウス!!」
「ああっ、ばっちこいよ!」
立ち並び、三者三様の戦闘態勢へと遷移した彼らの前でついに再起を果たした人狼は、煙の上がる体を震え上がらせ、そして目いっぱいに開いた口腔から獣とも人ともつかない、それは歪な咆哮を夜空へと響かせた。




