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PART8

 レアとガウス。そしてリバティウス率いるシェリフたちが魔狼の殲滅を行っているとき、ベイクは――


「ちっ……」


 五つのぞっとするほどに冴えた軌跡に対し、ベイクは上体を後方へと反らすことで間一髪、回避した。

 飛んで避けなかったのは反撃のためであり、重心移動の勢いを使用した短距離からの破壊力ある拳を彼がお返しに見舞おうとして、右腕はしかし直前に軌道を変えて防御に転じた。

 二度目の舌打ちとともにベイクの体勢が大きく崩れる。具体的には防御に転じた右腕が弾き飛ばされたのだ。すぐさまベイクはその場から飛び退る。


「犬ころには見えねえな。テメェ、なんだ?」


 レアたちが魔狼と対峙しているとき、ベイクが対峙していたのは魔狼ではなかった。いや、魔狼ではあるのかもしれない。だがその形は狼とはあまりにも似ていない。

 それはまるで人のように二足で真っ直ぐに起立していた。それの前肢はまるで人のように肩から垂れ下がっていた。それの両手にはまるで人のような五本指があった。

 全身は魔狼同様に毛皮と甲殻に被われ、骨と皮だけのような痩躯には威容を纏い、狼そのままの頭部のその顎には鋭い牙。


 この世界には幾つかの人種がある。

 守人(エルフ)から始まり、人間(ヒュー)強人(オーク)小人(ドワーフ)竜人(ドラゴニュート)。そして獣人(セリアン)

 それは獣人として見ることもできる姿かたちをしているが、獣人が“獣の要素を持った人間”であるのに対してそれは逆に“、人間の要素を持った獣”といった趣だった。


 何よりそれからは“生気”を感じないのだ。まるで遺骸を見るようなおぞましさが“魔物”に対して懐く感覚の正体だとベイクは遂にたどり着く。

 “人狼”はベイクの問い掛けに答えない。ただ唸りを上げ、獣らしくベイクの目を見て機会をうかがっている。

 そんな中、ベイクは人狼の攻撃を防いだ自らの右腕に視線を移す。人狼の腕力に弾かれこそしたが裂傷は無く、腕を覆う竜鱗も健在。


 ベイクが余所見をした隙に付け入り、人狼が彼へと飛び掛かった。最強たる武器である顎による噛み付きである。しかし――


「トーゼンだ、犬に爪はねぇからなっ」


 突き出された人狼の横面を強かに打ち据えたのは、ベイクが放った右の回し蹴り。その踵だった。

 首を大きく逸らされ、前身が止まった人狼へと、蹴りの勢いのままに一回転したベイクの、今度は左足が襲いかかる。

 鞭のように“しなった”ベイクの左による回し蹴りは再び人狼の頭部を打ち、遂にその巨体が宙を舞って叩きつけられた地面に弾む。


 地べたに這いずり蠢く人狼を見下ろしながら、ベイクは口元に不敵な笑みをたたえつつ腰を落とした戦闘態勢へと遷移せんい。握り締めた拳がぎゅうと苦しげに鳴いた。


「さっさとテメェをぶちのめして、レアとガウスんとこいかねえとな……」


 しかし余裕綽々といった態度と言葉とは裏腹に、ベイクの唇は乾き、喉と舌が干上がっていた。

 人の形をしていても、見せる動きは獣然としている人狼を相手に負ける気などしていないのに。ベイクは湧き上がろうとする疑念を抑え込み、早々に決着をつけるべく人狼へと突撃した。


 地面にへばりつく相手を前に、ベイクは間合いを跳躍にて埋め、落下の勢いを利用した右拳による打ち下ろしを行って人狼の頭部を粉砕しにかかる。

 しかし彼の拳が叩きのめしたのは何もない地面で、人狼は既にベイクの側面に回り込み、彼の首筋目掛けて突き出た顎を向けていた。

 悪態をつくベイク。人狼の牙が柔肌を晒す首へと迫った刹那、跳ね上がったベイクの膝が人狼の顎を突き上げ閉ざした。


「ごぉあぁあっ」


 それだけに留まらず、気合いとともにベイクは人狼の頭頂部へと肘を落とした。膝に突き上げられた頭部を狙う、鋭い肘の打ち下ろしは分厚い獣の頭蓋骨すら叩き割る威力がある。

 だが人狼もむざむざ頭を潰されまいと突き出した両手でベイクの体を突き飛ばした。


 子ども故に小柄で軽いベイクは人狼の怪力に敵わず大きく弾け、地面へと背中から落下するもののすぐさま後転し両足の鉤爪を地面に刺して彼は踏み留まった。

 そうしてからベイクが顔を上げると人狼はすぐ目の前。突き飛ばしてすぐに追ってきたのだろう。

 危険を感じ、体勢が崩れたままながらもベイクは右拳を人狼の鼻先に目掛け放った。


「なにっ!?」


 前傾姿勢で突っ込んでくる人狼の顔面の位置はちょうどベイクがまっすぐ拳を射出できる位置にあった。崩れた体からでもそれなりの一撃が見舞える位置に。

 万全ではないにせよ、高速で打ち出されたベイクの拳は命中したかに見えた。が、実際は違う。人狼は首を傾げて紙一重、拳を避けていたのだ。

 そして人狼の牙がベイクの右前腕を捕らえる。


 ぺきっ、めきっ――竜鱗が穿かれ、砕かれる音が響いた。溢れ出した鮮血は人狼の牙が鱗を突破してベイクの肉を裂いた証だ。

 右前腕から走った痛みにベイクが表情を険しく変えた。瞬時に左拳が宙を駆けて人狼の眉間を狙う。しかし――


「くそっ……!」


 人狼は咥えたベイクを体全体を使って振り回し始める。ベイクの小さな体がまるで布のように軽々と宙に舞い、地面に叩きつけられ引きずり回される。

 その勢いは凄まじく、左手すら満足に振るうことが出来ない。人狼に噛み付かれた右腕から鮮血が飛び散る。肘や肩の関節が負担に悲鳴を上げていた。

 先程の動作。明らかに獣のそれではない。ベイクは目の前の“魔物”が急速に成長……進化を果たしているように感じた。


 このままではまずいとベイクが覚えた危機感は己への危機感ではない。この人狼――“魔物”をこれ以上放置してはならない。

 ベイクの全身に熱が迸った。にわかに血液が発熱し、穏やかな気候の中で湯気を上げる。口腔からは火の粉が溢れ出し、丸く拡大した瞳孔に隠れがちになっている金色の瞳がらんとして輝きを増した。

 そして大量に外気を吸い込んだベイクの胸が広がり、腹部が膨らむ。直後、ベイクは口腔より自らすら呑み込むほど膨大な量の火炎を吐き出した。

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