PART6
クラリスと呼ばれる街への道のりは穏やかなものであった。
季節は春が過ぎて暑さが顔を出すかという頃。竜骸山脈を横目にする街道へとベイクとレア、そしてガウスの一行は辿り着き、そこから山脈に背を向けて道なりに歩みを進める。
最初はベイクもレアも“竜狩り”と出くわさないかと警戒していたが、山を下りる経路が違うのか街道にそれらしい一団の姿は無かった。
「わたしたちの山って、あんな風になってたんだね」
歩き疲れたと駄々をこねてまんまとベイクに肩車させたレアがぐいと背中をしならせ背後を逆さまに見ては言った。
「竜骸山脈って言ってサ、竜の背中みたいにトゲトゲしてっからそー呼ばれるようになったらしいぜ」
「竜の背中かぁ……どーりで安心できたわけだね、ベイク」
色とりどりの花が咲き、草たちは陽光を受けて黄緑色に輝きを放つ。遠くから鳥のさえずりが聞こえ、合間の静寂にはそよ風が草花を鳴らす。白と黄色の蝶々が二匹、花の上で踊っていた。
さくりさくりと荒れた街道の土を踏み鳴らすガウスがうんちくを述べ、故郷たる竜骸山脈の由来に感慨深くレアがベイクへと呼び掛けた。そして彼女の足をしっかと握り落とさないようにしているベイクは鼻を鳴らす。
「もうあそこにはなにもねえんだ。親父もお袋も、ジジイもいねえ。レア、振り返ったって意味ねえよ」
「ねえねえねえねえ、そればっかじゃん……」
「みんなを取り戻すんだ。そうすりゃもう“ねえ”なんて言わねえよ」
「父さま、母さま……ケガとかしてないかな」
一瞬、三人を影が過ぎていった。皆が一様に快晴を見上げてみると、天高くに大きな翼を広げた鳥が飛んでいた。
「タカ……かな。雄大だねぇ」
右手でひさしを作りながら鳥が何なのかガウスが口にすると、ベイクは“竜狩り”の目かと警戒した。
やがて何処かへと飛び去ってゆくそのタカを見送り、ガウスはベイクに分からないと言う。
「鳥なんか幾らでも、どこにでも飛んでんだから、そんなもんにいちいち警戒してちゃ疲れちまうぜ、大将」
「仕方ねえだろ。あんたやこいつが危ない目に遭うかもしれねえんだ。オレが気合い入れておかねえと……」
「優しいねぇ。ケド、俺もレアちゃんも護られようなんて思っちゃねーんじゃねえかな?」
「あン? どういうことだよ」
すると突如ベイクから悲鳴が上がって、草むらにいた野ウサギが文字通り脱兎のごとく跳び去ってゆく。ベイクの両のこめかみにレアの中指、その第二関節がめり込んでいた。
「ナメんなって意味よっ!」
「イテテテっ!? なんっ、イテェっ! イテェって!!」
「なはははっ、そうそう! その通りってワケよ」
ぐりぐりとねじ込まれる鋭利な関節に、こめかみから広がる痛みに右往左往して悶えるベイクを見てレアとガウスは笑う。
堪らずに肩車しているレアの足をベイクが離すと、彼女は彼の肩から飛び降り、そして腹を抱えて笑い続けているガウスの側へ後方回転跳びなどしてゆくと、痛みを訴えるこめかみをさするベイクを指差し言った。
「わたしだって戦うよ! ずっと一緒だったじゃん」
言って微笑を浮かべるレア。するとそんな彼女を遮るようにして前に出てきたガウスが続く。レアの文句も聞かず。
「一応俺っちも腕には自信あんだぜ? なんせそれで食ってるもんでね。でなきゃフツー、おたくらみたいなお荷物抱えたりしねえよ。どお? 俺の責任感、分かってくれた?」
誰がお荷物ですかっ――言い終えるや否やガウスによじ登り彼の赤毛のポニーテールを引っ張り出すレア。斜に構え、片目など閉ざして気障に決めたはずのガウスであったが、どうやらそれが祟った形となったようだ。
「ちょちょっ、ちょっとちょっとレアちゃん! 止めてっ、尻尾は止めてちょーだいよってばっ!! 頭の尻尾は引っ張っちゃダーメだってばァっ」
嫌がり暴れるガウスを握りしめたポニーテールを手綱代わりにしてレアは乗りこなし、その隙に彼女は再びベイクと向き合う。微笑だったものは強気かつ勝気で不敵、そして快活な満開の笑顔に変わっていた。
「これからもずっと一緒! わたしとベイクはずっとずっと一緒!! だから二人で――」
「三人だってばサぁっ! ちょっとおっ」
「あはっ、じゃあ三人でみんな助けちゃおっ!!」
もちろん何をすべきなのか、どうするべきなのか分かった上での発言ではない。強がって無理をして、大切な存在を元気付けるために紡いだその場しのぎでの言葉である。
しかしそんなレアの献身を察してか、あるいは底抜けにお人好しで大馬鹿なのか便乗したガウスによって彼女の言葉はある種の現実味を帯びるに至った。
少なくとも、気負い弱って傾きかけるベイクの心の支柱の一つになる程度には……
二人の激励を浴びたベイクはその瞬間こそ呆然と立ち尽くしていたが、やがて徐な動作で持ち上げた右手に拳を握り締めた。彼の胸の奥に熱が入り、その熱が心臓の鼓動を強め、そこから血流に乗って全身へと回ってゆく。
すると鼻息に火の粉が混じり、今は秘匿された両手足の鱗の合間には橙色の光が灯る。握った右拳からは陽炎が発せられていた。
陽光を受け、そよ風に揺られ草花が奏でる音の中でベイクが瞳をまぶたに閉ざす。ほんの少し前まであったはずの、窮屈で退屈だが幸せと呼べる日々の姿が蘇った。そして憧れた彼方の“世界樹”も。
彼の様子を心配して、ガウスに首根っこを掴まれ吊るされたレアがベイクに呼び掛けた。真一文字に結ばれた唇が綻び、ベイクが小さな笑みを浮かべる。
「……そうだな。助けるんだ、オレたちでみんなを」
そしてベイクはまぶたを開き、彼方の空を見る。そこには相変わらず天を穿ちそびえ立つ、巨大な“世界樹”が薄っすら在った。
「そんで、約束通り“世界樹”に行く。そこで竜を見付けるんだ!!」
夢と約束。二つが結び付くと、それは頑強頑固な目標となる。
ベイクが二人を見て頷くと、レアはガウスの手を振り解いて着地。するや否やベイクへと駆け出して飛び付いた。
受け止めたベイクが思わずその場で旋回して、レアの両足が宙に投げ出される。二体は再び心からの笑顔を取り戻していた。
そんな二体を見るガウスは目を伏せる。まるで眩しすぎるものを避けるように、嫌がるように。微かに残った笑顔の残滓は何処か物憂げにも見えた。