カルヴァン・ランカスターの依頼【II】
乗り合い馬車に揺られる事、暫く。
目当ての場所であるカルヴァンの邸宅へ到着した。
屋敷の主人であるカルヴァンよりも颯爽と石畳に降り立ち、カツンと右手に持ったステッキを打ちつけた。
そうして、半身をカルヴァンに向け、屋敷全体を見上げる姿はさながら役者のように決まっている。
長身が映える美貌を持ち合わせたシュバイツの顔色を伺ってから、己の邸宅を見上げる。
矢張り空にはどんよりと厚い雲が横たわっていた。
「こちらですね?」
カルヴァンはシュバイツの言葉に頷いた。
それを確認した後、二人は屋敷に足を進めた。
長いコンパスを持つシュバイツと歩調を合わせる為に、やや駆け足になる。
「今はお一人でお住まいに?」
屋敷の扉を開け放ち、シュバイツを招き入れた。
「ええ。ご縁が無く、独り身でして。通いの使用人はおりますが、夜になると皆帰りますので、まあ、一人で住んでいます」
玄関ホールを抜け、シュバイツが足を止めずに二階へ続く階段に一歩足をかけた時だ。
みしっ。
ぱきっ。
破裂音のような音が響いた。
カルヴァンは、背筋に寒気が走った。
まるで何者かが、突然現れたシュバイツという異物を拒絶する意思表示をしたように感じたからだ。
「だ、大丈夫でしょうか?」
最早シュバイツに隠れるように縮こまったカルヴァンが尋ねる。
「家鳴りですよ。古い木造の建物には、ままある事です」
「ですが、我が家はっ」
カルヴァンがそれ以上言葉を連ねようとすると、シュバイツは自身の薄い弧を描いた唇に人差し指を添えた。
黙っていろと言う事だろう。
カルヴァンは、石造であるという事実を飲み込んだ。
「こちらが寝室ですね?」
シュバイツは然程も迷わずに、寝室の前に到着するなり、主人であるカルヴァンの了解も得ずにズカズカと侵入した。
「女性をこの部屋以外で見た事はありますか?」
「いいえ、ないです。いつも決まって夜に寝ている時に現れるのです」
「ああ、なるほど」
シュバイツは、そう言って寝室をぐるりと見回した。
すると、入り口の扉近くの壁をコツコツとステッキで下から腰辺りの高さまで叩きだした。
一通り叩き終わるなり、一歩大股で横にずれ、また同じ行動を繰り返す。
窓辺は避け、また繰り返す。
そうする内に、再び入り口付近で所在なげに立ち尽くすカルヴァンの元へ戻って来た。
「ハンマーをお借りしても?」
シュバイツは笑顔でカルヴァンに言った。
「ハンマーですか?」
「後は、体力のある使用人はいますか?男性の」
シュバイツの言わんとしている事が分かり、カルヴァンは、この上無く憂鬱な顔をした。
そのカルヴァンの表情にシュバイツは満足そうに頷いた。
カルヴァンは、屋敷の使用人の内で一番年少かつ力のある者を呼び寄せた。
そして大振りのハンマーを買って来させた。
何やら始めた主人らに、使用人達は興味津々に代わる代わる見物に現れた。
普段であれば叱責している所だが、異様な空気感に人が多い状況が有り難かった。
シュバイツが指し示した場所をカルヴァンは使用人に命じ、ハンマーで壁に穴を開けた。
すると、中からは人骨が出てきた。
集まって来ていた使用人らは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
カルヴァンも逃げ出したいのは山々だったが、シュバイツの指示の下、組み合わせると小さな子供の物のようだった。
「これがマルスだな」
シュバイツは呟いた。
その瞬間、カルヴァンは僅かな違和感を感じたが、次のシュバイツの言葉に気を取られた。
「後は、夜這いをかける本人を探さなければならないな」
シュバイツは片目を瞑ってみせた。
どこまでもふざけた彼の様子にカルヴァンは、この屋敷に来て初めて肩の力が抜けた。
シュバイツは床に寝かせた人骨の辺りを見つめると、何度か首を傾げる仕草をし、顎に手を当てて考える仕草を見せた。
それこそが異様ではあったが、余りにもシュバイツが淡々としていた為に日常と非日常が曖昧に溶け合っていたのだと思う。
カルヴァンは黙ってシュバイツの次の行動を待っていると、稲光が寝室の窓から辺りを照らした。
そして数秒後に激しい轟音が辺りを支配する。
「カルヴァンくん!」
「なっ?!カルヴァンくん?」
雷鳴が止んで直ぐにシュバイツがカルヴァンを呼んだ呼び名に驚いて王蟲返ししてしまう。
「そう、カルヴァンくん。雨が降って来た。しかもこれは多分土砂降りになる。可哀想な私は帰れない。薄情な君の使用人は人骨を見て驚いて帰ってしまった。今夜、君はこの人骨くんと二人きりの熱い夜を過ごすか、私と人骨くんと君で愉快な夜を過ごすか」
にんまりとシュバイツは笑って至極愉しげに恐ろしい二択をカルヴァンに突き付けた。
「拒否権なんて鼻から無いじゃないですか!」
カルヴァンが腕を組んで憤慨する様子を表すと、一際激しい雷鳴が轟いた。
「近いな」
シュバイツがいつものヘラヘラとした笑みを仕舞い、窓の外を見る。
雨粒がガラスを叩いている。
時期に嵐になるだろう。
カルヴァンが溜息を吐くと、シュバイツは笑みを浮かべた。
♢
「味気ないな!実に味気ない」
シュバイツはやや愉快そうにそう言ってワインを飲み干した。
夕方前に使用人が逃げ出した屋敷は、勿論夕食が用意されている筈も無い。
厨房からくすねてきたパンとチーズ、幾枚かのハムにとっておきのワインを開けての簡素な晩餐だった。
シュバイツは大層悪趣味な男で、わざわざ寝室の壁から発見された人骨の頭蓋骨をダイニングテーブルに鎮座させて食卓を囲む事を強要した。
それも、丁度人骨の陥没した眼球部分とカルヴァンの目がばっちりと合うようにセッティングしたのだ。
カルヴァンはなるべく髑髏と目が合わない(目など無いのだが)ようにシュバイツに視線を合わせてワインを煽った。
そうしてシュバイツを見ていると、矢張り現実離れした容姿なのだ。
やや線の細い印象ではあるが、肩幅は広く、精悍と言えない事も無い。
だが、どちらかというと女性的な顔立ちをしているからか性別を曖昧にしている。
中性的な印象が強い。
だが、ワイングラスを持つ節くれだった指先や、ワインを嚥下する度に動く張り出した喉仏。
嫌味な程に長い足を組み替える仕草。
それらが強烈なまでに色香を放っている。
黙って座ってさえいれば、一級品の男なのだ。
にも関わらず口を開けば素っ頓狂な事しか言わず、自身の頭の中で辻褄が合いさえすればいいと言わんばかりに会話は途切れ途切れだ。
その上、怪しさ満載の職。
到底信頼出来る相手では無い。
だが、今この場に置いてはシュバイツ以上に頼りになる存在は居ないのだ。
その事実に目眩がしてカルヴァンは頭を抱えた。
「なんだカルヴァンくん、情け無いぞ。もう酔ったのかい?」
全く明後日の問いにカルヴァンは痛む顳顬を指で押さえた。
「いいえ、先生。それより……、今夜も出るでしょうか?」
カルヴァンが仕切り直しとばかりに尋ねる。
「出るさ。出るよ。出るに決まってる。だって彼女もここで暮らしているからね。我が家に居て何が悪い」
カルヴァンはバンッとダイニングテーブルを力任せに叩く。
「だってここはもう私が買った家なんですよ?!私の家なんです!」
「それは君の道理さ。現世のルールは通用する訳ないよー」
カルヴァンの神経をわざと逆撫でしようとしているとしか思えない脱力した語尾を伸ばした返答。
カルヴァンは怒る気力も無く、項垂れた。
また彼女は出るのか。
あの恐ろしい声。
恐ろしい姿。
あれをまた見なければいけないのか、カルヴァンの憂鬱は絶頂となり、絶望した。
「まあ、大丈夫。今日は添い寝してあげる」
舌足らずにシュバイツは言うと欠伸を一つした。
全く頼りになる気がしない。
しかし頼りの綱は、この男しか居ないのである。
「私はもう寝るぞー。君もうじうじしていないで寝るぞ!骸骨くんはまだ幼いんだ!成長期の男には睡眠は非常に重要な要素なのだからね」
「髑髏に成長期と来たか。先生は大層ユーモアがおありなんですね」
カルヴァンが皮肉を言うと、シュバイツはゲラゲラと笑った。
そして一転真顔になり、
「今日は君の寝室で一緒に朝を迎えたい」
と宣った。
「ご冗談を」
カルヴァンは持ち上がった口端をピクピクと痙攣させながら言う。
「本気だが?」
シュバイツはにんまりと笑ったまま、髑髏片手にカルヴァンを文字通り寝室まで引きずって行った。
カルヴァンの抵抗も虚しく寝室の寝台に大の男二人で寝転がると、シュバイツはあっという間に寝てしまった。
死んでしまったようにピクリともしないシュバイツの寝顔を眺めている内に、気付けばカルヴァンも夢の世界へ溶けていった。
♢
どれくらいの時間が経っただろうか。
ミシッ。
という物音でカルヴァンは覚醒した。
目を開けると、目の前に横たわるシュバイツと目が合った。
呼び掛けようとすると、人差し指を唇に当てられ制される。
パキッ。
ああ、あの女がまた来たのか。
カルヴァンは一気に血の気が引くと共に状況を把握した。
シュバイツの目をじっと見つめるしかなかった。
「マルス……」
「マルス……おいで」
また女の忍び寄る足音。
ぎ。
ぎ。
「マルス……一緒に遊びましょう」
背後から迫り来る気配は、もうそこまで迫っている。
目の前に居るシュバイツは、これ以上無い程に目を爛々と煌めかせている。
女の指先が背筋を這う。
異様な空間が、まるで結界のように張り巡らされ、カルヴァンの寝室を支配している。
焼き切れそうな神経を何とか正常に保とうと、あらゆる思考の渦がカルヴァンを襲った。
カルヴァンが限界点を迎えるその時、
「カルヴァンくん、これは幻想だよ」
シュバイツが言い放つ。
はっ、はっ、と荒い呼吸で最早過呼吸のようになっているカルヴァンにとっては何の慰めにもならない言葉だ。
「マルス……」
遂に女の指先がカルヴァンの顎を伝う。
「マルスをくれてやろう」
シュバイツが言うや否や壁から掘り起こした髑髏を女が居るであろうカルヴァンの背後に放り投げた。
「ああ……!あああああー!!」
耳をつんざくような悲鳴の後に、ごとり、と何かが床に打ちつけられた音がした。
カルヴァンの意識は消えた。
♢
「だからね?カルヴァンくん。幻覚だよ、幻覚」
君は心配だなあ、と呟きながらシュバイツは屋敷の裏にある井戸に梯子を架けて降りて行く。
カルヴァンは井戸に向かって気持ち大きな声を出す。
「でも、実際に見たんです!貴方も見たでしょう?先生!」
カルヴァンの声が井戸に反響する。
「君は浅はかだ!」
シュバイツが随分底の方から声を張っていた。
「だって現に触れられた感触や声なんかもハッキリと覚えています!先生、貴方仮にも霊的な物を生業にしているんでしょう?!なのにどうして否定ばかりするんです?!」
井戸にカルヴァンの声がこだまする。
暗闇を暫く見下ろしていると、シュバイツがにゅっと大きな麻袋を背負って、にゅっと現れた。
突然現れたシュバイツに驚いてカルヴァンが尻もちを突く。
見上げたシュバイツが、カルヴァンに向けて麻袋の中身をばら撒いた。
「これが答えさ」
カルヴァンは訳が分からず、自身の周りを見渡す。
ばら撒かれた物を呆然と見る。
「疲れているんだよ、カルヴァンくん」
カルヴァンはガクガクと震え出した。
「でも貴方、先生!視えるんですよねえ?!」
シュバイツはにっこりと嘲笑った。
「だから言ったでしょう?トリックですよ、トリック」
「そんな、まさか、どうやって」
「依頼者の事を調査するなんて当たり前の事です。ファントムホールは裏の顔なんですよ。表向きは探偵業を生業としているんです。まあ、もっとも。ファントムホールを目当てにやって来る依頼者の方が少ないんです。当たり前でしょう?霊感商法なんかで食ってはいけないんですから」
「僕が……、僕が?」
「そうです。厳密には貴方がサヴィルウェイのこの屋敷に越して来る前に、貴方の社に近い骨董通り近くで一件の失踪事件が起きました。そうしていまだに失踪者は続いています。それもサヴィルウェイのこの屋敷を中心に点々と。過去の失踪事件から遡り、貴方の商いの取引先や下働きの者、部下達、細かく聞き取り調査をしました。加えて過去に連れ去られそうになった女性や子供に犯人の特徴などを聞いて周りましたよ。いずれも被害者は貧困層ばかり。新聞の下世話なニュースにはなっても、貴族層や金持ちを狙った事件では無かった為、警備隊は調べもしなかった。どうです?思い出してきましたか?」
シュバイツは辺りに散らばった人骨を悲しげに見つめて憐憫の表情を浮かべた。
ガクガクと震えが止まらず、顔を真っ青にしたカルヴァンに視線をやる。
「貴方の幻想を断ち切りに来ました」
呆然自失のカルヴァンを尻目にシュバイツが視線を逸らす。
屋敷の影から、ぬっとマーガレットが顔を出した。
「先生も、お人が悪い。ひっひっ」
にたりと笑っている。
「マーガレット!手配は済んだかい?」
「滞りなく。時期に警備隊が来ますよ」
「残念だ。実に残念だ。精神がおかしくなった人間はまともに裁きも受けられない。だが……、これで良かったんだろう?」
マルス———。
シュバイツは、静かに呟いた。
♢
Bブロックにあるアパートメントの三階。
そこに居を構える怪しげな事務所——ファントムホール——。
その主人は、その日の朝刊を眺めて執務机に放り投げた。
立ち上がり、窓辺から空を見上げた。
そこに、助手であるマーガレットが茶を淹れて持ってきた。
「ちゃーんと捕まったようですね。ひっ、ひっ」
朝刊を手に取り、満足そうな薄笑いを浮かべている。
「ああ。だが、精神病院送りが精々だろう。会った時から既に幻覚症状はあったからな」
シュバイツは何でもない風に返した。
「でも依頼人のマルスくんのご用命にはきちんとお応えしたじゃないですか、先生」
「視えてはいけないんだよ、本来は。一線は引くべきなんだ」
カルヴァンは自身の歳の離れた弟、マルスの死後に狂ってしまった。
深い悲しみに暮れたカルヴァンを周囲は大層心配した。
しかし、ある時からまるでマルスなど最初から居なかったかのように日常生活を再開した。
周囲の人間は悲しみを乗り越えようのカルヴァンが悪戦苦闘しているのだろうと何も言わなかった。
まさかカルヴァンがマルスの存在ごと抹消し、胸に空いた穴を埋める為に狂ってしまったとは思わなかったのだ。
周囲の気遣いが、このような悍ましい事件を助長したとも言える。
「境目が曖昧になる。トリックならトリック。幻覚なら幻覚にしなければいけない。そうだろう、マーガレット」
シュバイツは振り向いて自嘲した。
その日、この曇天が常の街は久方ぶりの晴れ晴れとした天気であった。
爽やかな風が吹く、サヴィルウェイの一角にある屋敷、裏庭には、そよそよと風が吹いた。
木漏れ日の中、マルスと呼ばれた少年は笑みを深めて消えた。
了