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カルヴァン・ランカスターの依頼【I】




アパートメントが立ち並ぶ通り。

ひび割れが目立つ石畳の道の両脇を固めるように、同じ顔をして並ぶ姿が妙に趣がある。

その内の一つ。

Bブロックに建つ焦茶色の三階建てのアパートメント。

ビルを見渡すついでに見上げた空は曇天であった。

この街は一年の内、その殆どが曇りだ。


アパートメントの入り口を入ると、内階段が直ぐ目の前に現れた。

折り返し階段を登って行くと、丁度息の切れた頃に目的地のフロア三階が現れた。

ドアは真っ黒。

取手の煤けたアンティークゴールドがやけに浮いている。

勿論、表札は無い。

ドアに付けられたドアノッカーをカツカツと三回叩いた。

暫く後に、開いたドアからは背の小さい老婆がひょっこりと顔を出した。


「ご用件は?」


前置きも無くしわがれた声で彼女は言う。


「先生にご助言を頂きたく」


そう言うと、扉を更に開き招き入れてくれた。

曲がった腰をとんとんと叩きながら先導してくれる。


フロアに通されると、そこには大きな執務机が一つ。

その前に応接セットがあり、そこに腰掛けるように促された。

黒い革貼りのソファに座ると、老婆が茶を入れてくれた。


「どちらからお越しなさったんですか?」


老婆は自分にも茶を淹れながら尋ねてきた。


「サヴィルウェイの辺りからです」


「そうですか。先生にはどんなご用が?」


老婆は腰を労りながらゆっくり座ると茶を啜って一息吐いた。

釣られて茶を啜った。

スモーキーな芳香が鼻を抜ける。


「自宅が、どうもおかしくて……」


事の発端はこうだった。


サヴィルウェイのある一件の邸宅が売りに出された事に始まる。

その頃は約二年程前から失踪事件などがちらほらと新聞に取り上げられており、年間を通して曇天のこの街は世相を反映したかのように酷く暗いニュースが賑わっていた。

カルヴァンの商いも世相から需要が細かく変わる為、多少なりとも影響はあったのだ。

カルヴァン・ランカスターは、それまで住まいとして構えていた自宅より広い物件を探していた折に見つけたサヴィルウェイの物件を気に入り購入した。

気分転換を含め、カルヴァンが事務所として構えていた場所に程々に近い場所だった。

少々古くはあったが、手入れの行き届いた物件は清潔感もあり、造りもしっかりしていた為、カルヴァンは気に入っていた。

荷解きを使用人にさせ、新しい物件で住み始めて一年程経った夜。

いつも寝付きの良い筈のカルヴァンが、その夜なかなか寝付けずに寝台の上で寝返りを打った時だった。

寝室の扉に背を向ける形で窓の方へ向いた瞬間だ。

身体がぴくりとも動かず、自身が金縛りにあった事を直感した。

嫌な脂汗が額を伝う感覚。

必死に指先だけでも動かそうと力を入れた時だった。


ぎっ、ぎっ、と何者かの足音が背後から聞こえたのだ。


背後から忍び寄る足音。

荒い呼吸。

時折、何かを呟く声。


「マルス……おいで……」


女の声で、カルヴァンに向かってマルスと呼び掛けてくる。

カルヴァンは必死に声にならない声で、違う、違う、マルスでは無いと呟いた。


「マルス……一緒に遊びましょう」


嫌だ、嫌だ、カルヴァンは呪文のように呟いた。


「マルス……こっちへおいで」


帰ってくれ、帰ってくれ、帰ってくれ、ひたすらに拒絶を表した。


一歩、また一歩と忍び寄る足音。

もう自分の真後ろまで迫り来る何者か。


「マルス?」


氷のように冷たい指先がカルヴァンの頬を撫でた。

恐怖に目を瞑る事も出来ないカルヴァンの目の前に、背後から覗き込むように、見知らぬ血塗れの女がヌッと顔を出した。

悲鳴にもならない叫び声をカルヴァンが上げる。


女は、


「帰らないわよ?」


そう言い残した。

カルヴァンの意識は薄れていった。








⭐︎




カルヴァンは、その日から日常的に始まった邸宅内でのラップ音や、度々現れる血塗れの女の存在に悩まされる事になった。

日に日にやつれていき、カルヴァンの生業である輸入業にも支障が出始めていた。

カルヴァンの顔色が日に日に悪くなるのを見兼ねた同業者の友人である、ライオネル・ハートが紹介してくれた。

Bブロックにあるアパートメントの三階。

そこには、降霊術から呪い、悪魔祓いまで精通する男がいるらしい。

ライオネルは行った事は無いそうだが、ライオネルの直属の部下の奥方がある日から急に伏せり出し、衰弱した事があったそうだ。

街中の医者や薬師に見せたが、解決の糸口が無く弱り切っていた際に、掛かっていた薬師から駄目元だからと紹介された場所だったそうだ。

怪しみながらも男に相談すると、一週間もしない内に奥方は快方へ向かったそうだ。

男が言うには、奥方に恋慕していた近所に住うパン屋の主人の生き霊が原因との事だった。

それらを見事に解決したのが、今回カルヴァンが訪ねた男である。


経緯を話し終えると老婆は、ふうむ、とまるで溜め息を溢すように頷いた。


「先生は少々変わっておりますが、悪いお人じゃございません、ひっ、ひっ」


そう言って隙間が目立つ歯を見せて、にたりと笑った。

カルヴァンは、この日何度目かの後悔を噛み潰しながら、頷いた。


「それで、先生はどちらに?」


「もうすぐ帰って来られるかと存じます。何せ気紛れな方ですが、約束を守られる程度の誠実さはございます。ええ、ええ、ご安心くださいませ、ひひっ」


矢張りにたりと笑う老婆を見ていられずにカルヴァンは視線を入り口へ向けた。


その時だった。

木製の扉がやや勢いよく開いた。


「やあ、マーガレット」


そう言って、ひょろりと背の高い男性が首を傾げるように開け放った扉から入ってきた。


「先生、おかえりなさいませ」


呆気に取られるカルヴァンを置き去りに、マーガレットと呼ばれた老婆は、にたにたと笑みを深めた。


「元気そうで何よりだ!辛気臭い笑顔をさせたらマーガレットの右に出る者はいないなっ。さて、ん?こちらの方は?ははあ、そうか」


失礼極まりない事を捲し立てながら、男性は長い足を大股にズカズカと室内に侵入する。

そしてカルヴァンが座るソファの前に立つと、カルヴァンを見下ろして何やら有り気に一人納得している。


「初めまして、カルヴァン・ランカスターと申します」


カルヴァンが俄かに腰を浮かし、右手を差し出すと、先生と呼ばれた男性は握手を交わしてくれた。

そうしてカルヴァンの向かいのソファにどかりと座った。


「やあ、やあ。私がこちらのファントムホールの主人、シュバイツ・コールマンです。わざわざお越しいただき光栄です」


挨拶を交わす横で静々とマーガレットが茶を置いた。


「貴方……、ああ、今日はサヴィルウェイからお越しいただいたんですね?」


カルヴァンはギョッとした。

何故ならついさっき帰ってきたシュバイツが知りうる筈が無い情報だからだ。

カルヴァンを他所にシュバイツがマーガレットの淹れた茶を一口啜る。


「家……。屋敷で何かありましたか?……女性、ですね」


カルヴァンがは驚愕に次ぐ驚愕で目を見開いた。


「み、み、み、視えるんですか?」


乾いた上唇を湿らしてから漸く捻り出した間抜けな声にシュバイツは高らかに笑った。

そして、急に真顔に戻り、身を乗り出し言う。


「そんな訳ないですよ。トリックですよ、トリック。僕は純粋な貴方が心配です」


「へ?」


カルヴァンはシュバイツの様子に呑まれて間抜けな返事しか出来ない。


「見てください、こちらのテーブルを。横に五本、縦に二十本の直線が交差するように均等に張り巡らされていますね?例えば、一番右側の縦線の私から見て上から二本目の横線であれば、シールズ通りの辺り。反対の一番左の縦線はボルトン河の辺り。そのように取り決めがされているんです。簡単なトリックですよ」


「では何故自宅だと?」


乱れた前髪をカルヴァンが撫で付けながら伺った。種明かしをされた後も自身の間抜けさから目を背けたいばかりに、何故かシュバイツのペテンを認めたくない気分になる。


「茶葉ですよ。茶葉の種類により、マーガレットが仕入れた情報を私に伝えてくれたんです。うちの助手は高齢ですから何事も億劫なんだそうですよ。まあ、今となってはこうやって貴方のように驚いてくださるお客様の反応を私も楽しんでおります」


カーッと首まで赤くなった事を自覚してから居た堪れなくなり、カルヴァンは立ち上がった。


「どちらへ?」


「か、帰らせていただきます」


カルヴァンの言葉を聞いたシュバイツも立ち上がり、カルヴァンの両肩へ手を乗せた。


「お困りでしょう?私もご一緒しましょう」


月のように冴え冴えとした笑みを浮かべてシュバイツは言った。















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