ダイヤモンドダスト
「ねぇ! 外を見て! キラキラしてて奇麗よ!」
「本当だね。きっとダイヤモンドダストだね」
「へぇ……こんなところでも見えるんだ。もっと寒いところじゃないと観れないと思ってたのに……。海外じゃないと見れないと思ったのに」
俺と彼女が冬の北海道に旅行した記憶だ。その日は特段に冷え込んだ日で、放射冷却の影響でマイナス三十度を下回った日だった。地元の人に聞いても珍しい現象で、毎回見れるものでは無いという。俺たちはそのキラキラと光る極小の欠片から乱反射する光を見入っていた。
そんな思い出だ。そう……想い出となったのだった。
「くそぉ!! なんで!!」
彼女は不慮の事故によって亡くなってしまった。交通事故。相手の無理な追い越しに巻き込まれた形だった。彼女には夢があり、もう少しで俺が叶えてやれるところだったのに……。悔やんだ。もっと早くにその夢を叶えてやれればと。
彼女の夢は富士山の登頂だった。俺はそんな彼女の夢を叶えてやるためにも必死になって働き稼いでいた。そのせいで彼女をかまってあげられなくなったものだから、今振り返ってみると彼女にとっては本末転倒の結果であったに違いない。全く、俺は大馬鹿者だったと悔やんでいる。
愚鈍で愚者で愚行をしてしまった俺は、今度は愚案で愚直な行動を考える。
悲観に浸って。
悲劇のヒーローと言わんばかりに。
悲壮と言い訳をしながら。
悲恋を全うするために。
悲痛にも俺は進んで行った。
何をしたかというと、冬山の富士山に一人で登ることを決意したのだった。
何故そうしたかったのか? わからない。
何故冬にしたのか? わからない。
何故富士山なのか? それは彼女の夢だから。
人々は無謀と言った。そんな一人の冬山、まして富士山。重々過酷な事は知っている。何せ日本人が海外の山脈にアタックする時の練習場にするぐらい、冬の富士山は厳しい。
でも……。そうすることで俺は彼女と一緒になれる、そんな気がしたのかも知れない。俺は二年訓練をして冬の富士山に挑んだ。誰からも反対されながら……。誰からも危険だと止められながら……。それでも俺にとっては、こうすることしかできなかったのだった。彼女との想い出と決別するのに。そういう想いが強かったのだと思う。
登頂初日、天候は快晴。きっと俺は山頂に着いて、この想いを晴らせるのだろうと、そう思っていた。
そして。物資の中にはもう一つ思い入れのあるものを持ってきた。
彼女の遺灰。
富士山の山頂から振りまく……そして、彼女の夢を叶えたかったから。富士山に登りたいと。俺と富士山に登りたかったと。その夢を今叶えてやるんだと。本当はそんなことは許されないだろう、俺はこっそりと持って行った。
登山は最初は順調だった。しかし天候は急変し吹雪になった。これ以上進むことは難しいと判断して、俺は物資で持ってきたテントを張り、吹雪が止むのを待つことにした。一週間の天気も確認してきたが、荒れるなんて一言も言ってなかった。ふとした違和感を覚えながら、明日には晴れるだろうと気楽に考えて一夜を過ごした。
二日目。依然と吹雪は吹き止まない。何かがおかしい。冬の登山は厳しいと言われるが、この日本で吹雪がこんなに続くものかと。俺はそう思っていた。
三日目。最低限の食糧しか物資しか持っていなかったのと、冬の富士山をなめていた俺が悪かったようで、燃料も尽きてしまった。吹き止まぬ吹雪の中、俺は少しずつ衰弱していった。凍えるような寒さ、耐えられるような装備は持っていなかったのだから。徐々に、徐々に体力は奪われていった。
そして。
食料も尽きたその日。
俺はテントの外を見るとまばゆい位の光りに満ち溢れ、昨日までの吹雪は嘘のように止んでいた。
それは俺を嘲笑うかのように。もしこの天候が一日でも早ければ、きっと俺は助かっていただろう。そう、もう下山するだけの物資や体力は残っていないのだから、この晴天はもし神が居るとするのであれば、最後に見させてくれた光景なのかもしれない。
見渡す限りの雪原、全ての世界がまるで凍り付いてしまったかのような。いや、実際に凍り付いているのだからそんな表現は陳腐にしか過ぎない。その中に映るものは、俺が最後にたどり着きたかった山頂、それと本来ならば帰られるはずであった平野を見渡すことが出来る。
俺はテントからゆっくりと歩みだす。残された体力を振り絞って、一歩また一歩とテントから離れていく。日差しが暑いからだろうか? とても登山着が暑く感じる。俺は一枚づつ脱ぎ捨てながら歩みを止めない。それにしても暑い。この暑さなら雪も解けてしまうんじゃないかと思うほどに。いや、多分これはあれだろう、俺の最後が近づいているサインでは無いのだろうか。
そして。
俺の意識は遠退いていき、幻影を見せる。
あの時に見たダイヤモンドダストの様に。
キラキラと。キラキラと。
彼女の差し出した手が見えたような気がした。俺はその手を握った。その手はとても冷たくあの頃のと変わらない体温に感じた。
そして、俺の命はその想い出とともに凍り付いた。
永遠に……。