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1 すべての民に祝福を

 昼食を取りながら簡単ではあるけれど残りの時間の流れを打ち合わせしたフリッツたちは、二手に分かれて行動する方針になった。

 国境警備隊宿舎から戻ってこないラウルの代わりにクラウザー家を代表してフォートが付き添うことになり、フリッツ、ビスター、カークと、ドレノと共にオゾス村へと向かった。


 ランスはキュリスとラウルとともに、警備隊宿舎へ向かい報告を済ませた後、療養しているエドガーの元へ向かった。風水師ペトロスと召喚魔術師イリオスが確実に雨を降すためにできる補助を確認するため、とランスはラウルに言っていたけれど、用事は別にありそうだなとフリッツはランスの本心を隠したような笑顔を見ながら思った。


「つい昨日、瓜とジャムのパンを持って行ったばかりですからね。フリッツ、今日は何を持って行きましょうか、」

 先頭を行くビスターとドレノ、背後を守って歩くフォートに挟まれて歩くフリッツに、隣を歩くカークが尋ねた。宿を出て向かうのはまずは市場、というつもりなのだろう。

「明日には雨が降ってここを離れるのだと思うと、薔薇の花をあんなにくれた狸の半妖たちに出来る限りお礼をしてやりたいですね。」

「今日は、薔薇を貰うつもりはない。」

 無情ともいえるかもしれないけれど、何も買わないで行こうと思っていたフリッツは、春の女神の神殿の薔薇の木の精霊でもある老神官の小柄な姿を思い浮かべていた。アオイと共に毒を貰ってくれた神官が春の女神の神殿の庭に咲き誇る薔薇の元へと戻って英気を養い、無事でいてくれると嬉しいなと思う。

「フリッツ?」

「雨を降らせる術を使うなら、薔薇の花があれば神官さまの助けを期待出来て安心だろうと思う。だがそれは、薔薇の神官様の命を当てにしているということだろう?」

 枯れてしまった薔薇の花を思うと、影響は少なくはないだろう。

 無言になってしまったカークの顔を見て、図星だったのだろうなと思ってしまう。頼りたくなる気持ちは共感できても、一線を引かなくてはただの甘えだとフリッツは思った。

「ですが、薔薇の木の手入れをしてくれているのはあの狸の半妖たちですよ? 食べ物を持って行って与えてやれば、満たされるのではありませんか?」

「あの者たちは食べ物の見返りに薔薇の花を渡す、という物々交換の習慣がついてしまっているのだろう? 薔薇の木から花を手折ってばかりだと薔薇の木が弱るのだから仕方ないだろう。私たちが食べ物を渡さないなら薔薇の木を手折らない。それでいいのではないか?」

「人間の言葉が判るなら、『薔薇の花はいらないけれど世話をしてくれている礼だ、』と言って食べ物を与えてやれる、ということですか? そうですか、…残念ですね。確かに、人の言葉が通じているのかどうか怪しいですもんね。」

「カークはどうしても何かを与えたいようですね、」

 振り返るとビスターがクスリと笑った。

「春の女神の神殿の薔薇の花は、世話をしている狸の半妖に食べ物と交換してもらうのだという仕組みを知っても、まだ半分信じられない。神殿に、狸が巣食っているのか、」

 フォートも訝しげな表情で話に加わる。ドレノもうんうんと頷いていて、見せた方が早いのだろうなとフリッツは思った。

「見れば判りますよ。鳴き声しか聞いたことがありませんから話もできませんけど、純朴で気のいい者たちですよ、」

 カークもビスターも会った経験があるので、顔を見合わせて含み笑いをしている。

「フリッツ、かといって助けていただいた神官様に何もしないと言うのは、王都の王城の騎士としてみっともないと思うのですが、そう思いませんか?」

「カークはお土産に拘りますね、」

「何もせずに挨拶するのが一番だ。カーク、気になるなら何か別の方法で労ってやれ。」

「それに、我がクラウザー家が手入れをすればいいのだからな。改修や補修の必要があるのなら、確認したうえで父上や兄上に私が進言すればいい。」

 領主の息子であるフォートに言われて、やっとカークは納得した様子だった。ビスターが「では、寄り道せずに向かいましょうか、」と市場へと続く曲がり角を見送って先を歩いた。


「本当に雨、降りませんね、」

 道中を警戒しまくっているカークはポケットのあちこちに武器を隠し持っていて装備が重い。陽気に汗を感じて、フリッツは上着を脱ぐと腕に持ち、カークに「お前も脱げばいい。なんなら持ってやる、」と声をかけた。

「滅相もありません。荷物が増えるだけですから、このままでいいのです。従者の習性ですからお構いなく。」

 上着の前のボタンを外して風を送ると、カークはにっこりと笑った。

「あれだけ晴れているのですから、そろそろ雨が降ったっていいと思いますけどね。」

 青く澄んだ空を見上げてたカークにつられてビスターもドレノも、フリッツも空を見上げて歩いた。フォートは時々振り返り後方を警戒して立ち止まり、早歩きで追いかけ合流する、を繰り返している。

「変な人形が追いかけてこなくてよかったですね、フリッツ。」

 カークが何気なく言った言葉に、追いついたフォートが顔を顰めた。

「知っていればアダンの奴の荷物だけ、何度だって検査したのだがな、」

「私たちには見えていなかったのですから、荷物を見ても判らなかったのかもしれませんよ、」

 ビスターが肩を竦める。

「人形と言えば…、」

 カークがちらりと黙って俯いて歩くドレノを見て、言いかけた言葉を引っ込めた。

 ドレノも、と言いたかったのだろうなとフリッツは思った。昼食を終えたフリッツたちが四阿(あずまや)で休憩しながら打ち合わせをしていた時、当のドレノは話を聞いても関心がないようで表情を変えなかった。

 アダンの不気味な人形の話を聞いたランスはじっとフリッツの瞳を見つめて、「ご内密に、」と人差し指を唇の前に立てていた。余計な憶測を呼んではいけないという配慮だったのかもしれない。

「聖水が効かない相手なのか、剣で歯が立つのかもよく判らないですね、」

 ビスターはカークの呟きを聞いていなかったのか話しを進める。

「イリオス殿が何の反応も示していないのですから、精霊ではなさそうです。」

「そんな不気味な奴に、幸運の白い蛇の抜け殻を渡しても良かったのでしょうか。口惜しい気がします。」

「金貨は本物だったのだろう? 不正はなかった。取引は公正だ。違うのか?」

「ですが…、」

 何か言いたそうな顔をしたカークを見て、どんな形だろうと不気味なアダンに関わりたくないのだろうなと察した。思っていたよりも過剰な反応にフリッツは、自分一人にしか見えていなかった人形の話はするべきではなかったかもしれないな、と反省する。

「それはそれ、これはこれ、だからな。終わってしまった取引を惜しんでも仕方ない、」

 フォートは咳ばらいをすると、「もうこの話は終わりだ、」と話を締めくくった。


 ※ ※ ※


 オゾス村近くの山火事の現場を尻目に草原を通り過ぎて村に入ったフリッツたち一行は、人通りのほぼない村の大通りを進んで春の女神の神殿へと向かった。穏やかな村の長閑な時間に、雨が降ろうと降らなかろうとここに住む者たちは気にしなさそうだなと思えてくる。意外にもドレノは村の生活が興味深いのか、目を輝かせてキョロキョロと首を振って見ながら歩いている。

「村の奥にあるのが春の女神の神殿で薔薇園だったな。そんなもの、どこにあるのだ?」

「薔薇園のように見事な春の女神さまの神殿ですよ、フォート。間違ってます。」

「とてもそう見えないが、あれがそうなのか?」

 はっきりと見えてきたのは、枯れてしまって茶色い木に囲まれた禍々しい雰囲気の廃墟だった。

「あれが…、そうです。」

 驚愕に言葉を無くして立ち止まって見上げるビスターとカークとフリッツを見て、訝しげなフォートも怪訝そうなドレノも黙って様子を窺っている。

 突き当りの神殿は、以前来た時と随分様変わりをしていた。

「こんな…、ここまでひどいなんて…、」

 入り口付近の薔薇の花は咲いたまま枯れていて、風が揺れるたびに枯れた花弁を落としている。庭へ進めば進むほど、茶色く枯れた花弁を数枚残して立ち枯れている薔薇の花ばかりになる。


「これはいったい…、」


 驚くばかりの有り様に、フリッツは唇を噛んだ。

 私一人が受けていたら呆気なく死んでしまっていたほどの猛毒の蛇だったのか…。

 毒の脅威を肩代わりしてくれた神官とアオイを思うと、申し訳なくて、ありがたくて、何も知らないでいた自分が悔やまれて胸が苦しくなる。


 何気なく触れた薔薇の枝は、力を入れたわけでもないのに根元から折れてしまった。

 

 丸い、狸の半妖の背中が見当たらない。

 どこに行ってしまったのだろう。


 神殿の中へ一礼して進むと、人の手の入らない朽ち果てた廃墟の閑散とした光景にフリッツたちは再び言葉を失った。清い空気の流れていた清々しい神殿だった場所と同じとは思えないほど朽ちて崩れ、あちこちの壁が崩壊している薄暗い屋内の祭壇の奥に、春の女神の像と湧き出る聖水だけが取り残されるように佇んでいた。

 春の女神の像も埃を被り苔生していて随分長い間人の手が入っていないのだと一目で判る酷さで、たった一日前の神殿とはまるで違う場所に来たような差に、カークが「嘘でしょう、」と呟いたのを否定する気も起きない。

 歩めば歩むほど、苔の青さと黴の鼻のつくような匂い、埃っぽい空気とが、壁穴から時折吹く風に漂ってくる。

 ハンカチをポケットから出して鼻と口を覆ったカークが、フリッツを見て「お気を付け下さい、」と言った。

 ここは魔物がいるかもしれない場所として認識を改めた方がいいというつもりだろうか。

 フリッツは呼吸をしないように小さく頷いて、戸惑う気持ちを押し殺した。


 甘い薔薇の香なんてない。

 清々しい空気なんて、ない。

 ここは、生き物の匂いなんか、しない。


「本当に、ここで合っているのか?」

「ここに来るのはフォートは初めてですから無理はないですね。私たちも住所を間違えてしまったのかと思うほど驚いています。」

 フォートとカークのやり取りを聞きながらも、ビスターは粛々と春の女神の前に跪いて祈りを捧げている。

 ドレノは聖堂の人間らしく祈りを捧げるつもりはないようで、ひとり距離を置いてフリッツたちの後方にいた。聖堂では聖堂の信仰する神以外は神と認めてはいない。祈りを捧げるのは信仰に背く行為だと教えられているのだろう。

 フリッツはビスターを倣って隣で祈りを捧げた。薔薇の神官の魔力がこの神殿を支えていたのだとしたら、こうまでさせてしまったのは私だろう。悔いても悔いても申し訳ない。ふがいなく唇を噛みしめながら頭を下げる。


 薔薇の神官様、お許しください。

 心の中で、届かないだろう懺悔をして、フリッツは瞳を閉じた。


 どこからか、ほっほと、笑い声が聞こえてくる気がした。 


 柔らかな光を感じて春の女神の像を見上げると、光の中に溶け込むように、薔薇の神官が微笑みながら佇んでいる。

 神官様、

 声にならない声で、フリッツは心の底から呼びかけた。

 幻としか思えない存在感の儚い印象に、最後の力を振り絞って現れてくれたのだと思えてくる。

 感謝しても感謝しても、何かを返していける気がしない。


 私が助けを願ったからだ。私が、自力ではエドガーを救えなくて、助けを求めたからだ。

 未熟で申し訳ない。

 力がなくて、申し訳ない。

 どうして私は魔法が使えないのだろう。どうして、こんなにも無力なのだろう。


 詫びる事しかできなくて頭を下げ続けるフリッツの頭に、神官が屈んで手を置いて、そっと髪を撫でてくれた。

「お気に為されるな、」

 そう聞こえた気がして、でも、聞こえたと思えて、フリッツは神官の微笑んだ顔を見上げた。


 どうして、そう思われるのです? 


 責めたりしないのですか、と尋ねかけて、これがこの人なのだろうと納得する。

 神官のくれた無償の愛に、心が震える。


「フリッツ、」

 驚くカークの声にはっと我に返ると、フリッツは頬を伝う涙を急いで拭った。

「あれを、」

 カークが指さしたのは、神殿の崩れた天井から見えた青い空だった。優しい光が、揺れ動いて、固まりに変わる。


 集まる光の中に、輝きながら天に上っていく神官の、両手を広げる姿が見えた。

 柔らかな表情を浮かべた神官は、ゆっくりと口を動かして、何かを唱えた。

 甘やかな囁き声にも似た言葉は魔法の詠唱ではなく、女神に捧げる祝詞のように聞こえる。


「すべての民に祝福を、」


 最後にそう聞こえた瞬間、空へと昇っていく神官を中心に光り輝く球形の魔法陣が出現して、はじけ飛んだ。


 眩しい光に腕で顔を隠しながらフリッツが見たのは、光の中心にいたはずの神官の姿がすべて細かな光の粒状に消え散った一瞬だった。

 爆風が、押し寄せてくる。

 眩しくて目を開けていられない。押し寄せる光と風に、吹き飛ばされそうになる。

 身を守ろうと反射的に地を伏せて、衝撃をやり過ごす。

 この衝撃波は祝福ではない。これは浄化の魔法だ。

 この地に満ちる悪意を消し飛ばすために、神官は最後の力を使ったのだろう。

 最後の最後までどうしてそんなに献身してくれるだろう。ありえない程優しい神官のありえない程の深い愛情に感動してしまう。自分という人間が酷く小さく思えた。


 誰かがフリッツの上に覆い被さった。

 こんな時にまで、私を庇うのか。

 フリッツは自分を守ってくれる誰かの息遣いを感じながら、光が落ち着くのを待った。

 大きな体は、衝撃波からフリッツを守り続けている。


「今のはいったい…、」

 カークが呆然と天井の隙間から見える青い空を見上げている。

 ビスターがフリッツの肩を引いて起こしてくれた。

「フォートは無事か、」

 フリッツの傍に座り込んでいるフォートは、額を手で押さえている。

「どうかしたのか、何か飛んできたのか?」

「眩しかったですね、今の、」

 興奮した様子のカークは、フォートの様子に顔色を変えた。

「フォート?」

 壁際にいたドレノまで寄ってくる。フォートの目は虚ろで、顔色が悪い。

「何かあったのですか、フォート、」

 心配して顔を覗き込んだカークをそっと払いのけて、いきなり立ち上がったフォートは引き寄せられるようにふらふらと神殿の裏庭へと続く出入口へと向かった。

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