4 水竜王を呼ぶための魔石
アークティカに戻ったフリッツは、帰りの馬車の中でランスたちと打ち合わせた通りに、何もしない方針にした。しばらくは新人騎士フリッツ・レオンとして観察して学ぶ機会とする。
フォートがメイシーに、ロレッタの乳母であるセドナの弟で宿屋の主人であるクオアーとの面会を希望すると、すぐさま本館にある応接室へと通してくれた。
部屋の中には品のいい中年紳士であるクオアーが、右腕代わりに重用している番頭頭のイダと一緒に待ってくれていた。街の商人ギルドの長も務めるというクオアーの姿はアークティカの中で見る機会はあまりなかったけれど、白銀髪で暗灰色の瞳のイダはフリッツたちと会えば気楽に話もしてくれていたし、違和感なくこの国の言葉で話が通じていた。メイシーによるとイダは元は異国からの流れ者という話だったけれど、寡黙で裏表のない人柄で真面目な仕事ぶりが評価されて皆に受け入れられたのだと聞いていた。フリッツとしても、イダはいつも小脇に帳簿を抱えて書き物をしているので、とても仕事熱心な印象があった。
「これはこれはフォート坊ちゃま。今日はお帰りが遅いので宿舎へお泊りなのかと案じておりました。どうぞおかけください。」
「すまんな、クオアー。あちらは父上や兄上がいるから落ち着かなくてな。この宿が一番気が楽だ。立ったままでいい。すぐに話は終わらせる。お前は座っていいぞ。年だろう?」
気心が知れた関係なのか、穏やかな口調から、フォートは下心なく本心で言っているのが伝わってくる。フリッツとカークはキュリスとビスターとともに、フォートとランスが交渉している様子を見学する計画になっていたので、黙って部屋の入口に立って控えていた。
「いえ、滅相もありません。このままで大丈夫ですよ、坊ちゃま。」
「忙しい時間に面会を頼んだのは、クオアーではないと頼めない用事ができたからだ。」
「何でございましょう。」
フォートがランスと顔を見合わせた。ランスは優雅な手つきで胸の内ポケットからカークから預かったハンカチの包みを出した。
「これがなんだか、クオアーは判るか?」
恭しく開いた包みの中からランスは丁寧に白い蛇の抜け殻を摘まんで広げた。
「…!」
一目見るなり、驚愕のあまりクオアーは腰を抜かしたのかすぐ傍のソファアに崩れるように座り込み、イダは持っていた帳簿を落としかけて抱きしめ直している。
「幸運の、白蛇の抜け殻、でございますか…? フォート坊ちゃま、どうやってこれを…! この国にはあの秘術を行える者などとうの昔にいなくなったと思っておりましたのに…、」
「ああ。訳あって手に入れた。これをこのまま、売り捌きたいと思っている。アークティカに宿を取る者の中にこれを交渉できそうな上客はいないだろうか? いないようなら、この街の名士でも構わん。クオアーにしか頼めないのだ。」
「このような貴重なもの、金さえあれば私も手に入れたいほどでございますよ、坊ちゃま。なんと立派な…! そのままの形での売買と思うと、家一軒は買えそうです。」
「そんなにか!?」
「この大きさでそのままの形で、しかもどこにも裂け目がないなんて…! こんなに美しいものは、滅多にお目にかかれません…!」
クオアーもイダもしげしげとランスの手の内の抜け殻を見て、「もう、ようございますよ、仕舞って下さいませ。眼福でございました、」と頭を下げる。ランスが丁寧にハンカチを畳み直して胸の内ポケットにしまうのを見届けると、クオアーは大きく溜め息をついて「坊ちゃまはお人が悪い。こんな時間にあんな刺激的なものをお見せになるなんて、」と肩を竦めた。
「父上には了承済みの売買だ。この場所に私がいる理由もご存知だ。この街の巡回する騎士の回数を増やしてくださると仰せだった。防犯は案ずることはないだろう。」
「さようですか。あんなものを買える豪商ですか…、この街に、いえ、この宿に、ですか? イダ、帳簿の方はどうなっている? 本館にお泊りのお客様で、支払いの良い上客で、今回の魔香騒ぎでも動じないような懐事情のお客様は私が思いつくだけで4、5人ほどいらっしゃるけれど、皆さんお泊りかい?」
帳簿をパラパラとめくって、イダは指を滑らせる。
「旦那様の仰る方と私が思う上客は同じ方だと思いますが、3人、お泊りです。宝石商に仲買商、古物商…、同じ番頭仲間から聞いた話だと、この街の他の宿にも羽振りの良い方が他にも何名かお泊りだと思います。商人ではありませんが、地竜王さまの神殿に参拝にいらっしゃった素封家だったと思います。」
「坊ちゃま、他の上級宿の主人にも声をかけましょうか。」
「そうしてくれると助かる。ただ、時間がない。明日には誰かと交渉をしたいと思っている。金が無理なら宝石でもいい。話を付けてくれないか?」
「一晩あれば十分です。」
「クオアーには交渉の場所も借りたいと思っている。頼めそうか?」
「畏まりました。どちらの件もお任せください。坊ちゃま、お休みになられる間、お部屋の付近にも護衛を付けましょう。」
「無理はするな。何しろ私たちは騎士だ。部屋もお前たちの住む母屋にある。大丈夫だろう。」
イダが何かを考えこんでいる様子だったけれど、クオアーは「判りました、お任せください、」と言ってくれた。
フリッツたちは、フォートと共に母屋の自分たちの部屋に戻って、いつも通りに夜を過ごした。ただ一つ違ったのは、フリッツの部屋のソファアには、警護がてらにビスターが仮眠をとる算段になった。あとは、フリッツが自分の枕元の下に白い蛇の抜け殻を隠し持っていた、という事実ぐらいだった。
ランスの部屋のソファアには、警護を兼ねたキュリスが仮眠をとる段取りになっていた。
カークとの部屋のドアがいつもよりも広く開いたままになっていても人の気配が増えていても、気にすることなくフリッツはすぐに眠ってしまった。
自覚していたよりも疲労が溜まっていたようでぐっすりと眠ってしまったフリッツのあどけない寝顔を見て、カークとビスターは「やはり魔力を使われるとお疲れがひどいようですね、」と小さく囁き合った。
翌朝、朝食前にランスの部屋に呼ばれて集まったフリッツたち一行は、得意そうなキュリスが捕縛した人物を見て、やはりな、と思った。案の定というべきなのか、そこにはナチョが縛られていた。
※ ※ ※
「お前が引っ掛かると思っていたよ。どういう魂胆だ?」
腕を組んだカークが公用語で尋ね、縛られ胡坐をかいて座っているナチョの足を蹴った。フリッツは、朝からカークは絶好調だなと思いながら聞いていた。ランスの計画では、話を聞いた者の誰かが抜け駆けしてランスに直接交渉を仕掛けてくるだろうとされていた。
実際は、抜け駆けの交渉ではなく、略奪に来たとしか思えない状況だった。部屋の中には激しいやり取りがあった痕跡があって、家具が無造作に壁際に寄せられていた。位置が随分とズレてしまっているラグマットの上には、袖のない羽織のような異国の服を着たナチョが座らせられ、その周りを王都の騎士団の青い制服姿のランスたちが取り囲んでいる。
「あの白い紙のヒト型人形は情報収集に使っているんだろう? 宿の部屋の内情を探らせているのだろうとは思っていたけれど、お前は宿屋の主人の部屋にまで探りを入れているんだな、」
「あれは有限な道具なのさ。残りの枚数が少ないんだ。もったいないことはしないさ。」
「では、盗み聞いたのか? 」
「いや、待て、違う。まあ、話を聞いてくれ。俺が話を聞いたのは、商人仲間だ。こちらの騎士の兄さんたちが伝説の秘宝を手に入れて、高額な金か宝石と交換を希望されているってね。」
グイッと、剣の鞘でナチョの顎を突いて、キュリスが「嘘を言うな。そんな話なら、明け方に襲いに来たりはしないだろう?」と凄みを利かせた。
「いや、本当だって。寝こみっていうか、明け方にこちらにお邪魔したのは、そりゃ、俺が一番に交渉したかったからさ。他の金持ち商人なんかに渡したくなかったし。それに、」
「それに、なんだ? もったいぶってないで全部話せ、」
カークが手にした剣の鞘でナチョの足をぐりぐりと押し付けた。
「痛いって。言うからやめてくれ。見てみたいに決まってるじゃないか。あの白蛇の抜け殻だぞ。あれを手に入れるには、湖を伝っていく神秘の魔法しかないんだって聞いた記憶がある。そんな魔法が使える人間なら、会ってみたいだろ?」
フリッツの体験談を聞いて知っているだけに、ナチョ以外の面々は顔を見合わせた。目の前のフリッツがその人物だと知ったら、ナチョはどうするつもりだろう。
「だからって夜明け近くに忍んで来る必要はないのではないか?」
「俺らは金を用意できなかった。交渉に時間が思ったよりかかっちまって、あんな時間になっただけだ。」
ナチョは縛られた体を振るって、「俺の服の胸元の内ポケットに、見えてるだろ? これは金とは別に集めた俺らの希望の石だ、」と言った。羽織った袖なしの服の内側に膨らみがあって、黒い紐で縛られた麻袋が見えている。
「希望の石とは何だ?」
ランスが冷静に尋ねると、ナチョは上目遣いにランスを睨みつけた。
「あんたか、白い蛇の抜け殻を持ってるのは。湖を伝っていく魔法が使えるんなら、地の精霊王さまの神殿にだって行けるって証明じゃないか。水の精霊王さまの神殿にだって行ける。そんな魔法を使える能力があるのなら、この石を使って雨を振らせてくれって頼みに来たんだ。決して、白い蛇の抜け殻を盗みに来たわけじゃないからな。」
「ならどうして、急ぐ必要があるんだ?」
「魔力は使うと回復に時間がかかる。手っ取り早いのは女神の神殿で祝福を受けるだけだけど、この辺りの神殿と言えば無人の、神官のいない神殿だって聞いてる。白い蛇の抜け殻を交渉に金が要るのなら、この街を出るつもりがあるってことだろ? 賄賂を役人に撒いて脱出するのなら、この地以外で回復するつもりなんだろ? それじゃあ困るんだよ。俺だって、さっさとこの街に雨を降らせてこの街から出ていきたいんだ。」
「お前、何を根拠に、騎士が役人を買収すると言っているんだ?」
キュリスが低い声で恫喝する。「その舌、二度と話せないように切ってしまうぞ、」
「貴様! 黙って聞いていれば! 騎士が賄賂で逃げ出すと思われているのは屈辱だ!」
呆れて何も言えなくなっているフリッツや静かに怒りを堪えているビスターを尻目に、いきり立ったキュリスとカークが剣を手に鞘を抜いた。
「待ちなさい、」
制するランスに、カークは「もう許してはおけません!」と肩を震わせる。「この者には、言っていいことと悪いことがあると判らせた方が良いのです!」
「この男は一言多い気がするが、落ち着け、」
フォートまでもがカークを宥めている。
「ですが、」
「…フリッツ、下がって下さい。」
カークに話しかけようとしたフリッツを制しているビスターは、静かに微笑んでいても自然に剣に手をかけていた。
「待つんだ。この者たちのように、そんな風におかしな考えになってしまうほど、山火事を起こしてしまえるほど、この街に来た商人たちは追い詰められているという現実だ。」
この国の言葉で諭すように言ったフォートの言葉に、ランスが同意するように相槌を打った。
「しかし、言っていいことと悪いことがあります!」
「この者が育った国ではそうなのだろう。我が国は違う。そうだろう?」
念を押すようにこの国の言葉で尋ねたフリッツに、躊躇った後、キュリスとカークは剣を鞘に納め直した。「我々は、違います。」
剣を収めたカークたちを睨みつけた後小さく笑ったナチョは、ニヤニヤしながらフリッツの顔を品定めしているかのようにじっくりと見ている。
「ナチョ、と言ったな、」
フリッツは公用語で問いかける。皇国語が話せる現実は知らせない方がいい気がする。
「やっぱり使えない兄ちゃんは身分だけは高いのか? 意外だな。」
「お前、口の利き方を弁えろ!」
カークが威嚇するかのように足を鳴らした。
「悪かった。気を付けるって。」
「お前の持っている宝石を見せて欲しい、と言ったらどうする?」
「盗ったりしないか?」
「見るだけだ。盗るつもりならとっくにお前から奪っている。違うか?」
ぐるりと自分を囲むフリッツたち騎士を見回して、ナチョは開き直ったのか胸を反らした。
「判った、見てもいいぞ。おい、そこのあんたなら、俺の服から取り出してもいいぜ、」
顎で差してビスターを指名したナチョに、不快そうに顔から表情を消したビスターは極力触れないようにして麻袋を摘まみだした。
「中を見てもいいぜ。これな、俺らが集めた水竜王を呼ぶための魔石。俺らは魔石だけを集めたけれど、今一つ決め手に欠けてな。ま、俺ら、専門は別にある即席の集まりだからな。」
ビスターがランスに麻袋を渡すと、キュリスとカークがテーブルを壁際から引っ張ってきた。どうやら、中身をテーブルの上に並べるつもりらしかった。
「…鑑定書はあるのか?」
「ああ、公国のお偉い魔法使いが書いてくれるって言うアレな? あるぜ、袋の中に入ってるだろ、」
縛られて座るナチョより少し高い位置にある盤上を、得意そうなナチョは一生懸命背筋を伸ばして顎を上げて見上げている。
中には剥き出しの赤、青、黄色、紺色の4つの石が入っていた。
ありがとうございました




