8 魔術師として、何ができる?
フリッツは公用語で問いかけ、エドガーの後ろについて部屋に帰ろうとしているイリオスやペトロスたちを見つめた。魔法使いたちは振り返り、意表を突かれたのか事情が読めない顔つきで、フリッツの顔を見つめ返している。
「火の精霊王がいるとは思えない。竈に隠しておけるような精霊なのだとしたら、高位の精霊だとして、例えば、鳳凰か、火蜥蜴がこの宿舎にはいるのではないか? 」
「鳳凰も火蜥蜴も、かなり高位の召喚獣ですね?」
ランスが真顔になった。「実際に見た者はいないのではありませんか。いたとしてもそれと判るのでしょうか。そんなに高位の魔獣が召喚されているのなら、場が支配下に置かれているはず…、」
自分の言葉に驚いたランスと顔を見合わせて、クラウザー候とラウル、フォートも気色ばむ。
「だからこの辺り一帯は雨が降らないのか!」
「…どうして、そのようにお考えになるのですかな?」
足を止めて、楽しそうにエドガーがフリッツに尋ねた。「お聞かせいただいてもよろしいかな?」
「いくらドニやオーヴァンが優れた魔法使いでも、あなたのような多才な魔法使いでないのだとしたら、魔香の効果を最大限に維持するには雨を降らせないことだろう。このような大事を起こすのに、たった二人で行動しているとは考えにくい。仲間は魔法使い、しかも精霊使いだと考えた方がいいだろう。その精霊使いが隙を見て竈に、例えば火蜥蜴を隠しておけば、この辺り一帯は火蜥蜴の支配下になり雨が降りにくい土地になる。あなたは風水師だ。何かを感じ取っていたからこそ、私に菫青石を託そうとした。…私に恩を売るために。」
すんなりと雨を降らせる術式を行わなかった理由は、フリッツ自身にあるとフリッツは思った。目の前の魔法使いは、老獪な『夕凪の隠者』だ。
言葉を区切ったフリッツに、エドガーは「続けて?」と促した。
「私の素性を能力に長けたあなたはすぐに見破ったのだろうと思う。私の父に子を助けるようにと言われてきたあなたなら、助けるということが何を意味するのかこの地に来て悟ったのだろう。魔香特別措置法は単純な仕組みだ。無効化するまで修復しながら待つか、自然が洗い流すのを待つか、だ。この法律がこの国で適用されるのは初めてだと私は思うけれど、もしかすると公国ではすでに何度か適用の経験があって、その何度もが、人々の話題となる前に、水の精霊を召還して故意に雨を降らせて、文字通り事態を揉み消してきているのではないか?」
「公国は魔法になじみがあって、この国はなじみがない。だから、手段も方法も、筋道の建て方も、思考の出発点も違う。そういうことですな?」
手を上げて発言するブノワ―に頷きながら、フリッツはまっすぐに魔法使いエドガーの瞳を見つめた。
「この国で魔法使いは希少すぎて魔法とはどういったものなのかすらよく理解されていないと気が付いたあなたは、単純に雨を降らせるのは面白くないと思ったのだと推測する。あなたは、この国の人間が、私が、驚く様子が見たかったのではないか? 私と交渉して私が雨を降らせてほしいと願うように仕向けた。あの精霊憑きの魔石は、シャナ様の湖の水を湛えていたから、あの石の力を使えば簡単だっただろう。」
ふっと、エドガーが微笑んだ。
「…ドニが、私に毒を盛らなければ、フリッツ殿があの石を選んでさえくだされば、私はあの石を使って、フリッツ殿の目の前で魔法を使ってあの場で雨を降らせるつもりだった。石が消えて雨となった、と思わせるような演出も考えていた。あなたが私に尊敬のまなざしを向けてくださるだろうと、期待すらしておった。魔法使いとはすばらしい存在なのだと、あなたに思ってもらいたかった。」
エドガーの目に映っているのはそんな『起こらなかった現実』なのか、うっとりと目を細めた。
フリッツは美丈夫が持って行ってしまった魔石の白い女の子を思い出して、唇を噛みしめる。私は手助けしてもらわないと妖精の姿すら見えなかった。魔香だって、判らなかった。
魔力を持ち魔法が使える存在を素直に尊敬できた頃の純真な気持ちはとっくになくなってしまった、と自覚していた。魔力も魔法も、目の前にあるのに手が届かないじれったい何か、になってしまっている。
「予定外なことばかりが起こってしまった。ドニの毒のおかげで、菫青石を私に使っておしまいなった。シャナ様の湖の水もない。精霊使いを捕まえて火の精霊を帰すことができたとしても、雨が降るかどうかはわからないのだ。召喚術に必要な石がない今、雨を降らせる術はなくなってしまった。」
「エドガー殿、火の精霊を帰すだけではダメなのか?」
「私にもどういった契約で召喚したのか判らない以上、取引が成就したとは言えない状態で精霊を元居た世界に帰しても、まだ制約が残ってしまうのだ…。」
毒で死にかけたのを救われたとはいえ、疲労感も加わりすっかり顔色の悪いエドガーはやんわりと現実を口にする。震える指を空中に差して、「不甲斐無い…、本当に不甲斐無い…、」と瞳を伏せた。
「エドガー殿のお体を考えると無理はさせない方が良かろう。下働きの者を取り調べてみよう。精霊を竈の火の中から探すのは至難だ。ペトロス、力を貸してほしい。」
「クラウザー候。喜んでお受けします。エドガー師、行ってもよろしいですか。」
「ああ、任せたよ。お前なら見付けられるだろう。イリオス、私の代わりに捕まえてこれそうか?」
「やってみます。」
嬉しそうに顔を輝かせたペトロスと興奮して緊張している面持ちなイリオスは、弱弱しく微笑むエドガーに頭を垂れて「必ず、」と誓っている。
「エクスピアの残党が勘付いて逃げ出す前に、フォート、この者たちを連れて急げ。何人か騎士たちも連れて行け、」
クラウザー候が命令するや否や、「ハッ、」と頭を下げると、フォートはイリオスとペトロスを連れて足早に屋内へと入っていった。去っていく後姿を見送っていると、フォートが騎士を呼ぶ声も微かに聞こえている。
よろめいたエドガーの顔色を見て「これ以上引き留め続けるのはよくない、誰か、医者を呼べ。聖堂から治癒師を呼べ、」とクラウザー候が呼びつけた執事に言いつけた。
キュリスとビスターに連れられてエドガーは屋内へと運ばれることになった。
※ ※ ※
バルコニーに残ったのは、クラウザー候、ブノワ―、ラウル、ランス、カークにフリッツ、ドレノにオリヴィエールで、残されたオリヴィエールはフリッツを見て、「改めて、初めまして、殿下、」と頭を垂れた。
「私はフリッツ・レオンだ。その呼び方は止せ。」
「ですが、今からお話しすることは、殿下との方が都合がいいのです。お許しください。」
「判った。」
新人騎士には話せない内容か。まったく厄介だ。
小さく溜め息をついて、フリッツは気持ちを切り替えることにする。クラウザー候やブノワ―がそっと目配せしているのが判る。
「オリヴィエール、ここに殿下がいる事は聖堂は把握しているのか?」
ブノワ―が確認するように尋ねた。
「はい。ドレノがいましたから。ドレノは殿下とは言いませんでしたが、ドレノが誰の手元にいるのかは把握済みです。」
疑われていると感じたのか俯いたドレノに、オリヴィエールは「この子の任務は王子の護衛です。諜報活動ではないので気になさらないよう、」と庇った。
指を折りながら、ブノワ―が「エクスピアの目的はこの大陸の混乱と3国の分断なのだとすると、皇国との国境がこんな調子なら公国側も似た状況かもしれんな、」と呟いた。
「風の精霊王さまの神殿付近で火事も、南部のフォイラート領の近くので大規模な魔物の討伐も、陽動かもしれません、」
ランスが指摘すると、クラウザー候が険しい顔つきになった。
「ブノワ―殿、公国との国境近くにはどういった人員が配置されているのでしょうかな、」
「…国境警備隊自体は他の騎士団や兵団の作戦の影響はないと言えるが、警備隊宿舎を守るのはこの領と同じように地元の領の騎士団の務めとなる。興国の忠臣オルフェス候だ、クラウザー候もあの方の律儀ぶりをご存じだろう?」
フリッツの脳裏に、明るい茶金髪で緑色の瞳の端正な顔立ちの中年男性が思い浮かんだ。クラウザー候と年が近く生真面目な性格のオルフェス候は、フォイラート公を筆頭に華やかさを好む南方の貴族の中では異質で、堅実な領地経営ぶりを発揮し先の大戦で疲弊した民を鼓舞し大地を着実に復興させ、公国との国境を堅実に守ってくれている信頼のおける領主だった。階級差別の根強い南方にしては珍しく平民からも募集した独自の騎士団と独自の自警団を持っていて、能力のある者は出自に関係なく重用する偏見の少ない男性だと把握していた。
「オルフェス候…、質実剛健を絵にかいたような真面目な人物だったように記憶している。苦境にあっても耐え忍び自力で復活を遂げられるようなお方だ。王城には建前を報告している可能性があるな…、」
「かの者だけが貧乏くじを引いて苦境を背負っていると言うのか。じっとしてはおれん。ここを出て実態を把握しに行きたいものだな。」
ブノワ―がイライラし始め、ぶつぶつと呟きながらその場をぐるぐると回り始めた。
クラウザー候は空を見て、深く溜め息をついた。
「聖堂からは、既にオリヴィエール殿のような諜報部隊が動いているのか?」
オリヴィエールは微笑んだまま、答えようとしなかった。知っていても教えるつもりはないということだろう。
「状況が状況だけに、魔香を可視化できる上級の魔法使いの派遣の要請をする必要がありますね。公国に依頼するのか聖堂に依頼するのか…、悩ましい限りです。」
ランスが思案顔で呟くと、フリッツを見て「魔香特別措置法も見直しを提言したほうが良さそうです、」と続けた。
「なんにせよ、まずはここから脱出する必要がある。」
どうにかしてここを出て王城に帰らなくてはいけない。フリッツがここに居続けることで、新たに狙われる可能性が生まれ続ける事態は領民にとっても望ましくない。
「エドガー殿が回復するのを待つしかないのだろうか。ああ、悔しくてならんな。」
ブノワ―の呻くような呟きに、フリッツももどかしくて唇を噛んだ。
ふいに、オリヴィエールは掌を合わせると、合わせた手の間に息を吹きかけた。火花が散るように魔法陣がいくつも空中に現れては消えて、合わせた手の隙間からふわふわと空中に泡のように小さな球がいくつか生まれた。風に乗るとパチンパチンと割れて、小さな蝶が幾匹も生まれる。黄色と焦げ茶色の斑模様の小さな蝶は空に向かって飛んで消えた。
「殿下、魔香が2度も焚かれました。事態は最悪です。緊急を要します。私は諜報部隊の一員でもあり、世界に平和と愛を解く聖堂の信者でもあります。たった今、私の上司に、詳細を伝えました。」
「な、何を言っているのだ、オリヴィエール!」
興奮したブノワ―が唾を飛ばして怒鳴った。
「ブノワ―殿、状況は深刻です。あなたも王都や公国が気になりますよね? 一刻も早くこの地に雨を降らせてここを開放する必要があります。そう思われませんか?」
ぐぬうっと唸って唇を噛んで、ブノワ―は拳を握る。
「この距離なら、あと三日もすれば処理班がやってくるでしょう。殿下、お救いしますからそれまでお待ちを。」
鮮やかな決断にフリッツたちが意表を突かれている間に、ペコリ、と頭を下げて、オリヴィエールは「では、失礼いたします。エドガー師が心配です。付き添いに聖堂へ向かいます、」と背中を向ける。
気を取り直したブノワ―が、去っていくオリヴィエールの背中に問いかけた。
「オリヴィエール、そなたも魔法使いなら、雨を降らせることができるのではないのか?」
「御冗談を。アンシ・シの街はとても広い街です。こんな広範囲に雨を降らせるのなら、水竜か水竜王の召喚が必要になります。召喚魔術師とはいえ、私の力量ではとても無理なのです。」
「なら、魔術師として、何ができる?」
挑戦するようなランスの問いかけにオリヴィエールは小さく微笑むと、「これぐらいなら、できますよ、」と言って呪文を唱え、バルコニーに残るフリッツたちに向かってくるくると指を動かした。火花が散るように魔法陣が放たれて、バルコニーから中庭に向かって突風と共に巨大な光輪が勢いよく走り抜ける。
「フリッツ!」
庇うようにフリッツを体で守ったカークの声が聞こえたと思ったと同時に、光も風も止んだ。
「いったい何が…?」
ペタペタとフリッツの頭や顔を撫で怪我がないか確かめたカークに「大丈夫だ。感謝する、」と言って離れたフリッツが見たのは、バルコニーのあちこちにあった化かし鳥や半人魔鳥の死骸から変化した砂山や薔薇の花弁が散らかり雑然としていたはずの床が一掃された、すっきりとしたありさまだった。
「場を整えるのが風水師…、」
感心したように呟くカークとともに、フリッツは宿舎の廊下の先を行くオリヴィエールの後姿を見送った。
ありがとうございました




