2 厄災を取り除く手伝いをしてやってもいい
庭を背にして座るのは主客のエドガーで、その右隣りが主人役のクラウザー候、エドガーの左隣がブノワ―と、席が用意されていた。フリッツは一番下座の、廊下からバルコニーに入ってすぐの席となった。
エドガーの背中越しに見える庭には検問所の建築に必要な資材が置かれていて扱いはもはや資材置き場で、バルコニーの柵のギリギリまで花瓶をいくつも並べて誤魔化そうとしていても働く者たちの行き来も感じられて慌ただしい。主客の席は景色を楽しむ為に一番いい席が用意されるのが常だけれど、この場合一番喧騒を見なくていい席という基準なのだろうなとフリッツは思った。
会場には、主客エドガーの付き添いとしてドニ、イリオス、ペトロス、オリヴィエールが付き添いとして入っていた。給仕の執事にはカークとメイド役のドレノが紛れて、聞いていた通り、バルコニーの警備には近衛兵としてキュリスとビスター、バルコニー外の中庭の警備兵として騎士団の騎士のランスとフォートが任務に就いている。
フリッツが視線を合わすと、ランスもフォートも頷いてくれ、キュリスとビスターはにっこりと微笑んでくれた。カークとドレノはさりげなく近寄ってきて、「何かあったらすぐにお助けしますから、」と声をかけてくれる。
青空には太陽が燦燦と輝いていて日差しの一番きつい時間帯に始まったお茶会は、屋外ということもあって席の後方に大きな扇子を仰ぐ係の騎士までいた。席に座っているのは4人だけだったけれど、給仕や警備、扇子係と、多くの人間がバルコニーには居ることになる。
時間通りに開始したお茶会は公用語で会話することになり、エドガーの訛りのきつい聞き取りにくい話し方に少々うんざりしながら聞き役に徹してフリッツは食事していた。運ばれてくる食事は茶会用の軽食ではなく昼食会といった趣でしっかりとコースになっていて、前菜の盛り合わせも鴨のコンフィイも香りのいいバターブレッドも想像していたよりも量があった。
テーブルに飾られた鮮やかなオレンジ色の薔薇はフリッツがオゾス村で狸の半妖に交換してもらってきた薔薇で、白く輝く食器やクリームイエロー色のテーブルクロスとよく馴染んでいる。
魔香やイズルリの話は食事時にする話ではないと自覚があるのか、エドガーは一切その話題を振らなかったし、クラウザー候もブノワ―伯も話題にもしなかった。当たり障りのない食材の話ばかりで、南国である公国の食生活の蘊蓄が語られていた。
付き添いで入っていたドニたちは、バルコニーの端に設けられたカウンターテーブルに用意された軽食を立ったまま摘まんでいる。口を動かしていても顔や耳はフリッツたちに向けられていたので、無言で食べながらフリッツたちの会話に注目しているのだと察しがついた。
「さて、腹も膨れましたから、本題に入りたいのですが、よろしいかな?」
デザートの果物の盛り合わせを前に、ナフキンで口を拭うと、エドガーがクラウザー候を見た。エドガーの手元にはドニによって運ばれた五枚の花弁の花のような形の木のトレイが用意されていた。
トレイの上には紺色のベルベットの小さな箱が5つ置かれている。
指輪? 貴金属の入っていそうな大きさだ、とフリッツは思った。
頬がちりちりとするような感覚がする。猫のような何かのくれた髭が、何かを教えようとしてくれている。フリッツは注意深く小さな箱を見た。
意識を集中していると、ベルベットの箱の上には色がついた陽炎が揺れているように見えた。フリッツに近い手前の箱は緑、次に並んだ3つの箱の左から赤、白、青、一番奥のひとつは黄色い陽炎がそれぞれ揺れている。
「この箱の中には、石が入っております。」
陽炎を触らないようにそっと掌で差して、エドガーは一同を見回して微笑んだ。
「公国の魔術師は本業の魔法使いの他に、副業をいくつか持っています。私は大精霊使いとなるまでに、さまざまな職を覚えてきました。」
魔法使いが技を覚えて階級を上げていくようなものだろうか。剣士なら剣にまつわる様々な職を経験するのだろうかとフリッツは思った。
「これは魔石と言いましてな。魔力を封じ込めた宝石のことを言います。公国の由緒ある貴族ならどの家でも何かしらの魔石を代々受け継ぎます。我が家も代々守ってきている石があります。魔石は魔法使いが長い年月をかけて作り上げることが多いです。稀に発掘される鉱石にも時々混じっていますが、最近は市場に出回ることすら珍しい。」
「ほう…、そんな貴重な石を、5つもお持ちなのですか、」
ブノワ―が驚いたように言った。「この国ではあまりなじみがありませんな。」
国民のほとんどが魔力を持たないこの国では、宝石や貴金属は鉱石であってそれ以上の物の価値は付加していなかった。
「魔力がないと意味をなさないものですからな。魔力がないとただの石か魔石なのかの違いも判りませんし、な。」
エドガーが小さく肩を竦めた。
「宝石には、上玉と呼ばれる精霊憑きの魔石があります。今日この場にお持ちしたこちらの石です。」
あの揺れている陽炎は魔力の色なのか。フリッツは宝石の色と同じように陽炎の色が見えているのかもしれないなと思った。
もう少しはっきり見えたらいいのに。ふとそう思ったフリッツは、視界の隅に、クラウザー候と自分の席との間に誰かがいるのを感じてしまった。
扇子係か、給仕の者か?
座っている…?
無意識に視線を動かすと、席が一つ増えていて、赤黒い髪の男が足を組んで、もともとそこに自分の席があったかのように自然に溶け込んで座っていた。
美しい顔立ちの背の高い印象の美丈夫で、赤黒い髪に緑色の瞳は、どこかで見た記憶がある。
誰も、この男の存在に気が付いていない?
フリッツは興味深く魔力を持っているはずの魔法使いたちの表情を観察したけれど、誰も、気が付いている気配もなく見えてもいない様子だった。
魔物か?
「精霊憑き、とは何でしょうか。お教え願いたいものですな、」
ブノワ―が尋ねると、エドガーをちらりとドニが見た。話せないことなのだろうか。
「精霊憑きとは、力を持った精霊が魔石に棲まうことを言います。こういった石を、武器や防具、宝飾品に使うと、精霊の憑りついた道具となり、効力が付加されます。」
ドニが丁寧に説明をし始めた。
「ようやく気が付いたか。」
フリッツの隣の席の男は、フリッツに向かって話しかけてきた。公用語だ。
はっきりとした話し声なのに、フリッツの他には誰も聞こえてはいないのか、誰も反応しない。
「お前は、どれを取り除いてほしいのだ?」
取り除く?
私がこの男に何かを取り除いてほしくて呼びだしたとでも言いたいのか?
呼び出した覚えもないけれど、この男は人間ではないのだということは判った。
色々聞きたいことはある。でも、確実に対応しなくてはいけないことがあるように思えた。
取り除くという言い回しから考えられるのは、この男に見えている世界はフリッツの見えている世界とは違って、困難が見えているということだろう。
どれを、と問われているということは、取り除くことは一つではないのだろうか。
「安心しろ。結界を張った。私とお前以外には私たちの会話は聞こえない。」
「一番の厄災を、取り除く手伝いをしてほしい。」
この男が信頼できるかどうかわからないだけに、厄災を取り除いてほしいと願ったらどんなやり方でされるのか見当がつかない。フリッツは慎重に希望を伝える。
「他は?」
すべてを、と言いたいところだけれど、自分で契約していない妖との交渉は、契約の内容が判らないだけに多くを望んではいけない気がした。
「私が何とかしよう。ただ、判らないことばかりだ。私にも理解できるようにしてほしい。」
知覚か視覚かに魔力で効果を与えてほしいとフリッツは遠回しに願った。
「了解した。報酬は、そうだな、あの中の石のひとつが欲しい。」
そう言って、男はエドガーの手元の小箱を指さした。
報酬がいるのか? ますます厄介な手伝いだ。フリッツの持ち物ではない魔石を欲しがられるとは…。
「どれだ?」
「ああ、見えないのか。」
パチンと、指を鳴らして、男はフリッツに改めて指を指し示す。
小箱の上に小さな小さな妖精が座っているのがくっきりと見えた。陽炎だと思っていたものは妖精だったのかと驚きながら観察していると、妖精たちは5人いて、フリッツやクラウザー候たちの様子を興味深そうに見ていた。
人とトカゲが混じったような爬虫類に顔つきが似た小さな羽の赤い服を着た妖精、ずんぐりとした体形のビーバーに似た妖精、蜻蛉の翅を背に付けたこの中では一番背の高い緑色の質素な服を着た真面目そうな職人のような恰好をした青年の精霊、藍色の花弁を重ねたような軽やかなドレスを着た藍色の髪を巻き上げた澄まし顔の美しい若い女性の精霊、白い髪の白い簡素なドレスを着た幼い平凡な顔の女の子の精霊がそこにはいた。
「見えた。どの石のことだ?」
「あの中で一番高位なのは美しいヒト型を保っている者だ。判るか?」
魔力の大小で姿かたちが違ってくるとでも言うのだろうか。魅了する力を持つ華やかさが魔力の大きさになるのか。美しいヒト型…。
「あの、藍色の髪の若い女性の姿の精霊か?」
フリッツと男のやり取りに気が付いたのか、若い女性の精霊が、嬉しそうに立ち上がって手を振ってくれた。笑顔を向けられると、魂が惹きつけられる錯覚がする。確かに魅了されそうだと思える。
「そうだ。美しければ美しいほど魔力を持つ高位の妖だ。だが、私が欲しいのは、あの白い子供だ。」
「白い髪の白い服を着た女の子、だな?」
男の言う魔力の持つ基準で考えると、5人の中では真ん中くらいではないのかとフリッツは思い、不思議だと思った。
「その子を手に入れてくれたら厄災を取り除く手伝いをしてやってもいい。」
手に入れないことにはどうしようもないのか。
「判った。」
フリッツが頷くと、男は「早くしろ、厄災は育つぞ、」と小さく笑った。
エドガーや他の魔法使いたちにはフリッツと男のやり取りは本当に気が付かれていないようで、彼の手元の精霊たちだけが自分たちの姿を認識しているフリッツに驚いて嬉しそうに話をし始めていた。何を話しているのかまでは聞こえないし聞き取れなかったけれど、好印象を持ってもらえている様子なのは判った。
「この石は、今回の依頼で使う必要があるならと思い公国から持ち込みました。思ったよりも簡単な依頼で使う機会などなさそうだと思っておりましたが、大変興味深いものを目の当たりにして気が変わりました。私は、フリッツ殿の返答次第なら、どれかを差し上げてもいいと思っています。それぐらい、あなたの体験には価値がある。」
オオオォオ、とクラウザー候とブノワ―が低く唸った。
「これから、いくつか質問をさせていただきたい。」
「魔石は惹かれますが、質問にもよりますな。騎士は我が国の守り。無碍に危険に晒すわけにはいきませんからな、」とブノワ―が牽制する。
「フリッツ殿、エドガー殿はこう申されていますが、いかがなさいますか? 無理にお話を受けなくても、無礼には当たりません。」
クラウザー候が優しくフリッツに問いかけた。「そうですね? エドガー殿。」
一瞬不服そうな表情になったエドガーは、すぐにうっすらと笑みを浮かべて頷いた。この場じゃなくても他にも手段はあると暗に言われたような気がしたけれど、あの白い女の子の石を手に入れなくてはならないフリッツは、「大丈夫です。お答えしましょう、」と答えることにした。
「ありがとうございます。では、お聞きしたい。」
「何なりと。お応えできる答えがあなたのお望みになるとは限りませんが。」
話せることは話すけれど素直にすべて話す気はないフリッツは、ちらりと隣の席に座る美しい男を見た。ニヤニヤと笑っている男の顔を見ていると、厄災がどういったものか判らないけれど現在進行中のものなのだとすると早く石を手に入れ解決した方がいいように思えた。具体的な数値を出して語ることは難しいけれど、この美しい男が、このバルコニーにいるすべての生き物の中で一番魔力を持っているように思えてならなかった。
汗を拭うブノワ―を見ると、エドガーは問いかけた。
「あなたは、感じられない魔香を感じ取った。お会いしてからのあなたを見ていると、魔法で探知している様子ではない。私がこの地に来て見聞きして得たものから考えると、誰か妖の協力を得ていたとしか思えない。その存在は魔香の影響を受けるような下位の者ではなく、冷静に対応できる高位の存在だと思える。…如何かな?」
白い小さな老人だと思っていた弱い無力な妖は実は地の精霊王ダールだったなんてあの時は思いもよらなかったけれど、高位の精霊だったからこそ、魔香の影響を受けずに冷静に状況を判断してフリッツに教えてくれた。
フリッツは納得して「そうです、」と頷いた。
「騎士の方々が話していたのを聞いた。あなたは地竜王の神殿の前の広場で精霊を召還して『強制移譲』の術式を行った。間違いはありませんかな?」
広場に魔法陣を描いた白い小さな老人から光の矢を放ったように感じた、あの体力が回復した魔法のことだろうか。
驚いた表情になったブノワ―やクラウザー候の視線を気にせずに、堂々と、フリッツは「そうです、」と答えた。
場の動きが止まり、警護の兵士や騎士たちがフリッツを注目していた。エドガーとフリッツの話の展開に、給仕をしている者たちの誰もが足を止めていた。
魔法使いたち、とくにイリオスは興奮した面持ちになっている。
「そうですか。上級の回復系魔法『強制移譲』を使える妖はそうそういません。ましてや日中にはっきりとした人間の姿、しかも老人の姿を取れる精霊となると、限られてきます。」
エドガーはじっとフリッツの瞳を見つめて、確かめるように尋ねてきた。
「あなたは、地の精霊王ダールと共にこの地に来た。…間違いありませんね?」
「そうです。」
正確には、フリッツの陰に潜んでいた白い小さな老人をフリッツが移動することで結果として運んだと言える、と思えた。フリッツ自身は自分自身の目的があってこの地に来ていた。
「それは、どこからですか? お教え願いませんか?」
言っていいものかどうか迷ったけれど、嘘をつくことで石が手に入らなくなるのは悔しい。
「ガルースにある、クラウザー侯爵邸からお連れしました。」
クラウザー候やラウル、フォートが驚き、目を見開いている気配がする。フリッツと同じ日に同じ屋敷にいたのだから、びっくりもするだろう。
フリッツの傍で給仕をするために控えていたカークが驚いているのも感じる。
「侯爵邸のリラの木に棲む古い妖精の魔力を分けてもらった、と仰っていました。なんでも、手入れをしてやった、とのことでした。」
魔力の補給がしたくてあのリラの木を頼ったとは、彼の名誉のために言わなくてもいい気がした。探索虫を使いすぎて魔力がなくなったのだろうとフリッツは推測したけれど、それも言わなくてもいいことのような気がする。
「そうですか、」
何かを考えながら、エドガーは舌なめずりをした。
「あなたは、この箱に何が入っているのか、もうお判りなのですかな?」
判った、と言えばその根拠を問われるのだろう。フリッツ自身に魔法を使える能力はないのだと見破られてしまっている。影に地の精霊王ダールを隠していたおかげの報酬で魔香の存在を感付けたのだと思ってもらっているからこそ、王城のフリッツの部屋に棲む猫のような何かの話をしなくても済んでいる。
沈黙しているフリッツの顔を見つめたまま、エドガーはひとつひとつ箱の上を指さした。
エドガーにはそこに精霊がいるのを判っているのかのように、精霊の頭を爪先で確実に狙って順番に突いている。
トカゲの妖精、ビーバーの妖精、真面目な職人の青年の精霊、白い女の子の精霊、藍色の美しく若い女性の精霊…、どの精霊も、痛かったのか、嫌そうに顔を顰めて突かれた頭を手で撫でている。
あの者たちからすると人の爪など熱くて大きな不快な存在だろうに、と思うと、一番小さな女の子の精霊がかわいそうに思えてきて、不快を我慢しきれなくてフリッツはムッとした表情を知らず知らずのうちに作っていた。
「ほう…、あなたは見えているのですね。面白い。魔力もなく魔法も使えないあなたが、私のような大精霊使いでない限りそうそう見えない精霊の姿を、見えているのですねえ…!」
大きな声で愉快そうに言ったエドガーの言葉に、ドニたち魔法使いたちが驚いたように小箱を見て、驚愕と畏敬の籠った目でフリッツを睨みつけた。
「素晴らしい。見えない者が持つ魔石など単なる石にすぎません。精霊使いの願いは自然と人間の秩序の融合と共存です。ますますあなたをこちら側の人間にしたくなった。私の手元に置いて世界の素晴らしさを語り合いたい…!」
「それはダメです、エドガー殿。そのようなお話はこの国を代表してきっぱりとお断りいたします。」
気を取り直したブノワ―が咄嗟に断りを入れる。
「惜しい。本当に惜しい。我が国に連れて帰りたいものですな。この者たち二人と交換でもいい。」
「御冗談を。大切なお弟子さんをそのように扱ってはいけません、」
冗談には思えない言い方に、クラウザー候も焦ったように否定する。揶揄い半分なのか、エドガーはフォッフォと肩を揺らして笑った。
落ち着くのを待って様子を伺っている場の空気を察したのか、エドガーは「最後の質問にしましょうか、」と言った。
この流れでの最後の質問はもっと突っ込んだことを尋ねてきそうだ、とフリッツは思ったけれど、覚悟を決めて頷いておく。
「ではフリッツ殿、最後にお尋ねしたい。あなたは、『名前のない人』にお会いになりましたな?」
バルコニーにいた誰もが息を飲んだのが判った。
ありがとうございました




