1 あまり雨は期待できない
「今日、王城から今後の方針についての書簡を携えた特使がやってきます。」
ランスに朝食を済ませたらフリッツの部屋に集合してくださいと言われていた時から、何かが決まったのだろうとは思っていた。やっとか。フリッツは、集まったフォートにカーク、キュリス、ビスターといった一行の顔つきが変わるのを感じた。あれ以来すっかりフリッツの自室扱いになっている貴賓室は広く、ソファアやテーブルが完備されているので打ち合わせにはちょうど良かった。
「あの、オーヴァン事件の後、フリッツが眠っていた小一時間ほどの間に早馬で火急の知らせ送りましたが、事態を把握したのは我が国だけではないでしょうね。」
ランスが小さく眉間に皺を寄せた。
魔香を使い黒い甲虫まで使って竜を呪おうとした公国の魔術師オーヴァンから名を取って『オーヴァン事件』と呼ばれることになった先頃の一件から、もう一週間経とうとしていた。
フリッツ自身は王都に帰りたくても、そう容易く願いが叶わないのが現実だった。
第一王子フリードリヒ・レオニールが居合わせた不運も国境警備隊やクラウザー領騎士団によって掌握され、最大の極秘事項とされることになった。老練な騎士たちによる巧みな情報操作によって存在は王子から王族へ王族から王都出身者へと抽象化されて、断定から曖昧なものへと姿を変えて伝えられた。王都からやってきた者たちの集団は、やがて、調査隊の誰かから、騎士団の誰か、国境警備隊の誰か、青い制服を着た誰かとまで範囲を広げていっていた。それでも危険な状況には違いないので、王都からの来訪者を守るという名目の元、フリッツたちは軟禁されることになった。
身分がバレてしまったのでうっかり散策にも出かけらなくなったけれど宿舎内の鍛錬場の出入りは許されていたので、帰れないのなら今できることをすればいいと頭を切り替え、フリッツはキュリスやビスターにカークと供にしごかれる日々を送っていた。フォートは領都ガルースからやってきた騎士や領官たちへの説明と采配、街の商工会の会頭たちへの説明で明け暮れ、ランスは王都からやってきた騎士団への説明と国境警備隊隊長への説明、隣国皇国の国境警備隊への報告と説明で困憊していた。ドレノは聖堂の治癒師と司祭に連れられて街の聖堂へと隔離されてしまっていた。
「この国の情報網として、国境を守る国境警備隊の本部や王城の騎士団、各地にある地竜王の神殿の神官には情報が渡っただろうな。対外的には、魔香の影響を受けたであろう隣国の皇国、首謀者の出身国の公国もだと思った方がいいだろう。どこから漏れたのかは知りたくないが、聖堂も状況を把握しているだろうな。」
腕を組んだフォートが続けた。フリッツもそれはもっともだろうなと思った。
「現段階の情報だと、処理班として、どうやら公国や聖堂からも派遣されてくる人物がいるようです。」
「処理班…、魔香の影響はすごいな。まだ人選は把握できていないのか、」
「フォート、ただの騎士団の教官役の私にはそれ以上の情報の入手は無理ですよ。クラウザー家の方からは何か判りませんか?」
「私のところも同じようなものだ。父が今日、領都からこの街に入ると聞いてはいるが、そうなると父も雨が降るまでのひと月の間は出られなくなるからなあ…、あまりこちらには来させたくはないなと思っている。」
「『魔香特別措置法』の影響ですか。厄介ですが、無垢の領民を危険に晒すわけにはいきませんからねえ。」
フリッツは魔香の存在は知っていても特別措置法のことは知らなかった。ランスに指摘されて初めて、そんな法律があるのだと知ったのだった。さらに発案者は父のアルフォンズだと知って、あの父ならありうる用心深さだと納得したのは言うまでもない。
父なら、魔香特別措置法を守らず王城へと帰還したとしたら、たとえそれが王族であり身内であるフリッツだとしても、ありとあらゆる魔法を用い、考えられうるすべての手段で聖水を用意して城内を清浄化させるだろうなと思う。父は自分自身は面白がって話のあれこれをねだるだろうと思えても、妻であるクララと娘であるラナを守るために浄化は徹底すると思えた。
現にフリッツが眠っている間に、カークたちの手によって手際よくフリッツの持ち物はすべて聖水の張られた水桶に浸けられて一通り浄化されてしまっている。フリッツ自身も、目覚めた後、着替えをと勧められてそのまま有無を言わさずカークに風呂で念入りに磨かれてしまった。
剣も鞘とは別に水に浸けられたと聞いて、フリッツは慌てて猫のような何かの髭を確認してしまった。切れずについていたのでほっとしたのだけれど、それと同じような強引で絶対的な洗浄を王城でもなされるのだろうなと思う。
「『魔香の焚かれた中心地より隣り合わせた5つ以内の街の住民を対象とし、魔物観測日から一か月の間は被香した周辺地区からの外出を禁止する』のだったな。この街は東側をソローロ山脈に隣接している分、対象範囲が狭くていい。ソローロ山脈が程よく他の領や隣国と距離を作ってくれている。この街に隣接した4つの村だけが対象となった。」
「確かその4つの村のすべての入り口には検問所が設けられているはずです。現在どの検問所でもその場での面会なら許されていますが、接触は許されてはいません。手紙のやり取りも『魔香の影響物の持ち出し』として禁じられています。」
「魔香だけなら雨を待てばよかっただろうが、黒い甲虫が使われたからな。検問所自体、建て替えることになったからなあ。大掛かりな事業になってしまった。」
アンシ・シ浄化事業と銘打たれたクラウザー領の事業の責任者はフォートを心配して領都から派遣されてやってきたフォートの次兄ラウルを中心に行われることとなった。旧検問所の更地化、新設の検問所の設置、魔香の影響地区の浄化が主な事業の柱で、フォートとランスはその事業の中心人物として能力が組み込まれてしまっている。
既に、フリッツたちが軟禁されている間に、検問所と備蓄庫は取り壊され、廃材は焼いて処理されてしまった。焼き跡に残った灰は丁寧に麻袋にまとめられ雨が降る日を待つことになった。厩舎にいた馬たちは何度も丁寧に洗われて鬣や尻尾の中に黒い甲虫が残っていないか念入りに確かめられていた。
「魔物に襲撃されて人が傷つけられることに比べれば、被害は少ないのだから大きな目で見れば大したことはないが、幼い頃より慣れ親しんだ検問所がなくなったのは寂しい気がするな。」
「あの庭の木が伐採されなかっただけましですよ。枝葉はすべて落とされてしまいましたが、周囲に日を遮るものがなくなったのですから、きっと蘇るでしょう。」
「地竜王の神殿がある土地だからな。黒い甲虫が一匹でも残っているとよくないことが起こりそうだと誰もが不安に感じていた。それを思うと、検問所の建て替えは必然だった。国境が閉鎖されているから事業に専念できるが、それでも、閉塞感は否めないな。」
ランスがそっと窓の外を見た。魔香特別措置法の影響もあり国境が封鎖されているので、検問所の警備兵はアンシ・シ浄化事業に全力が注げている。だが彼らは兵士で、もともと職人ではなかった。慣れない仕事に疲労している様子が感じ取れてしまう。
「どうにかしたいものだな。」
「そうはいっても、人の行き来は制限されていますからね。例え王族であろうとも違反者は投獄されるのだとはっきりと明文化されてもいますから。おかげでフリッツもここに足止めです。雨を待つしかないでしょうね。」
「気休めにしかならないかもしれないが、南部のフォイラート領の近くの草原地帯で、大規模な魔物の討伐があったようだ。被害は、風の精霊王の神殿の近くの草原が大層焼けたと聞いている。雨が少ない時期だったのもあって魔物の討伐部隊よりも延焼の食い止めに駆り出される農民が多かったと聞く。国のあちこちが混乱しているようだから、王城にフリッツがいなくても大ごとにはならないだろうと予測している。」
そんな時だからこそ王城にいた方がいい気がしたけれど、現実にはここにいるし、ここで、できることを探した方が良さそうだとフリッツは思う。
「そういえば、私たちがこの領に入ってから雨を見ていませんね。フォート、この土地の気候は、いつもこんな感じなのですか?」
カークが首を傾げた。「王都ならこの時期、雨が降ることもありますが…、夏の時期なら夕立がありますよね? 」
「この地は穏やかな気候だ。山が近いせいもあるが、冬は雪が積もる。夏は穏やかに涼しくて過ごしやすい。大嵐や長雨が続くことは少ない。国境の街として、交易都市としても理想的だ。だから、地竜王の神殿があるのだからな。」
各竜王の神殿がある地は、その地が竜王が好む気候であるから、とも言えた。
「ああ、水竜王さまは水を好むので大きな湖に神殿がある、という風に、地竜王さまは穏やかな気候のゆったりと時間の流れる景色を好まれるからこの地をお選びになられた、と言うことですね?」
納得したようにビスターが尋ねる。「そうなると、あまり雨は期待できない、と言うことでしょうか、」
ふうっと、キュリスが溜め息をついた。
「ゆったりとした時間の流れを好む地竜王さまにとってのひと月など、たいしたことないのだろうな。人間のように窮屈に思ったり気が遠くなったりはしないのだろうな。」
「調査隊の企画書の日程通りだと、今事は王都にいて報告書を上げているはず、でしたからね。気が気ではないものもいるでしょう。」
ランスが小さく微笑んだ。
「王都からフリッツの顔色を見に来る者もいるでしょう。…問題は、公国の者たちがどこまで信用できるか、なんですよね、」
「人質に取られることはないだろうが…、厄介だな。」
「カークを身代わりに仕立てるのは無理があるからなあ、」
「キュリス、本気でそれを言ってます? 無理ってどういう意味です? 背ですか? 顔ですか?」
「お前のそういうところだよ、カーク、」
「まあムキにならないで、カーク。キュリスは弟のカークがかわいいからと揶揄ってはいけません。フリッツは旅に出るのですからいずれ自分の手で身の安全を守らなくてはいけないのだと判ってはいますが、この状況で公国側の者に接近させるのは無防備すぎる気がするのです。」
「武器や、防具のことか? 公国とはいえいきなり攻撃してくることなどないだろう?」
フォートの呆れたような質問に、フリッツも、自分自身は弱くてもこれだけこの国の騎士のいるところでいきなり戦闘が始まったりすることはあり得ないと思えた。
「そうではありません。確認しますが、あの日、別行動をした後も、フリッツは旅の目的である地竜王さまの加護を頂けてはいませんね?」
「ああ、頂かなかった。」
フリッツは、地竜王に加護を貰っても魔法を使うことができないのだと教えてもらっただけでも収穫だったと思っていた。地の精霊王の教えてくれた『古い呪い』が魔力を使えない原因なのだとしたら、その呪いを解く方法を見つけないことには、魔力があっても魔法が使えない状態は続くことになる。
地竜王さまは私に道を創ってくださった。そう思えてならなかった。
「それは、私の力不足で、」
フリッツを庇おうと立ち上がって抗議するカークを、キュリスが肩を押して座らせ直した。
「カークは黙っていなさい。表向きの旅の理由は『騎士団による地竜王の神殿付近の現地調査の旅』と言うことになっていたのは覚えていますか?」
「ああ、そうだったな。私が隊長と言うことになっていて、ランス、お前が補佐官だったはずだ。」
「そうです。キュリスとビスターも援護をする騎士役でしたね?」
黙って頷いた二人を見て、ランスは続ける。
「オーヴァンと『赤い鱗』盗賊団との遭遇は、偶然だったのか、と言われると、私たちは偶然だったとしか言いようがありません。企画書になかった出来事だったのですから。でも、そこで、穿った見方をするとしたらどうなると思いますか?」
ランスの険しくなる表情に、察したのか、フォートが表情を無くした。
「この国の権力の中枢部に内通者がいて、王子がいる場で魔香を焚いた、とはなりませんか?」
「ランス、それは考え過ぎです!」
「カーク、そうでしょうか。魔香は公国でもこの国と同じように、存在が危険とされているような代物ではないでしょうか。そんなものを、息子の仇を討つためだと言って一介の魔術師が持ち出せるなんて、おかしいとは思いませんか?」
声を低くして、ランスはドアをちらりと見て、また窓も確認する。
「フリッツのお忍びの外出で終わるはずだったこの旅は、魔香のおかげで公のものとなってしまいました。それも、敵の計画のうちだったとしたら、どうなりますか?」
キュリスとビスターが、無意識なのか剣の柄に手を伸ばしている。
「この場に、援軍を呼べない状態で王子がいる。そういう状況を作りたかったのだとしたら?」
血の気が引く思いがした。
私は、どこかの誰かに死を望まれているのだろうか?
フリッツは、底知れない誰かの悪意に当てられて、体温が下がっていく気がしていた。
悪意を向ける理由は何だ?
単数か? 複数での行動なのか?
その首謀者は誰だ?
8月に成人すれば公国の公女と皇国の皇子と聖堂の騎士とともに竜魔王を倒す旅に出ることは誰もが知っている。
その旅を、望んでいない誰かか?
それとも、別の理由が、私の死を望む理由なのだろうか?
「特使や処理班とはいえ、敵である可能性の方が高いと私は見ています。」
「そうだな、私が暗殺者なら、仕留めるまで何度も機会を作るだろう。フリッツ、敵の姿が把握できない以上、直接の面会は避けた方がいいだろうな。」
フォートの言葉に、キュリスにビスター、カークも黙って頷いた。
「あと数時間もすればクラウザー候もいらっしゃることでしょう。キュリス、ビスター、警護を頼みましたよ。フォートと私は、ギリギリまで情報収集をかけてみます。」
「判った。任せてほしい。」
キュリスはまっすぐにフリッツを見つめていて、ランスたちが立ち上がって部屋を去ったのを見送ると、ビスターとカークに、「待つ間、鍛錬場で稽古をしよう。その方が、剣を手にしている理由があるだろう、」と言った。
「ドレノがこの場にいなくてよかったですね、」とポツリとカークが言った。
「どうしてそう思う?」
フリッツが何気なく尋ねると、「聖堂からの預かりものですよ? 敵か味方か、また判らなくなってしまいましたからね、」と小さく笑った。
ありがとうございました




