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17 私は私のもの

「耳役シアンの格好だね。可愛らしいしよく似合っているから悪くはないが、この暑さだと、もう少し身軽な格好が動きやすいのではないか?」

 ダールの問いかけは、夏が生まれてから急に暑くなってしまったことを考えると、納得ができるものだった。

「そうですね。脱いでもいいですか、」

 尋ねながらメルがエプロンドレスに手を伸ばしかけると、ダールがさらりと「そのままでいいよ。魔法をかければいいことだからね、」とパチンと指を鳴らした。

 白いシャツが薄いシフォンを重ねた薄黄色のシャツに変わり、白いエプロンドレスも薄い黄緑色のシフォン地を重ねた膝丈のワンピースに変わる。白いズボンは、下着を隠す程度のペチコートパンツに変わった。素材やデザインが変わったからか、涼しくて軽い装いに、メルは嬉しくなってクルリとその場で回転してみた。

「似合うね。なかなかの出来だ、」

 メルの格好を観察すると、ダールは満足そうに頷いた。

「シンが桜の花びらと舞わせると美しかったと言っていたね? 美しく舞うための小道具になればいいなと私も考えて、ここで手に入りそうなものを探してみたんだよ。」

 ダールが言いながら手を打つと、トゥルネが小さな壺を持ってメルに近付いてきた。


 黄色の地に緑色の釉薬のかかった小さな丸い壺は、手のひらに収まるほどの大きさで、深みはなく、広い口にはこんもりと盛られた灰が見えた。

 なんだろう。ドラドリのアイテムじゃないわ。

 見たことがない美しい壺に、メルは心がときめいてしまう。


「私の庭で育てた朽ちた梅の木の炭なら用意できたから、これを使ってみてほしい。効果は君の舞次第だ。念が籠っていれば、それなりに効力を持つ。」

 両手で受け取ったメルに、トゥルネは「これは主様の大事な梅の木が、寿命を終えて朽ちたあと集めて灰にしたものだ。大切に扱うように、な、」と念を押す。

「判りました。やってみます。」

 メルは靴を脱ぐと裸足になり息を整えた。姿勢を正して、壺からたっぷりと灰を手に取って、手首までしっかりと付ける。ほんのりと、酸味のあるような香りに梅の花を思い浮かべて、鮮やかな朱色の花を連想する。

 靴の傍に壺を置いて、屋上の中央に立った。

 天井の遥か高くに見える小さな小さな白い太陽が、眩しく光る。

 パラソルの下にはダールとトゥルネ、階段へのドアの前にはティヒがいる。


 観客は3人だ。

 なのにこの緊張感は何なのだろう。

 失敗すると帰れなくなるかもしれないから?

 ううん、演舞は鉄扇を返してもらうための約束だったはず。出来が帰れる・帰れないの条件に関係してくるとは思えないわ。

 そんなはずはないとしたら。

 ああ、これは、この感じは、…の…会みたい。

 何度となく経験したことがある気がする。


 息を吸って瞳を閉じると、自分の中にある、拍子を取るリズムに意識を集中する。

 手を広げ、つま先で飛び上がると、メルは演舞を舞い始めた。

 昨夜のうちに何度も練習して一通りの流れは完璧に仕上げてある。

 選んだのは、奉納の舞。魔法陣を描かない演舞で、毎年八月満月の夜にしか舞っているのを見たことがない、特別な舞だった。メルが子供の頃は父のラルーサが、最近は兄のカイルがこの舞を舞っている。その姿の印象があるおかげで、すっかり酒場の親父と化してしまっている父が竜の調(ドラゴン・ブ)伏師(レーカー)だったと信じられる。

 7月に入るとラルーサがカイルに舞の稽古をつけていた。メルは自分の稽古をしながらこっそりと盗み見て、いつか自分も稽古をつけてもらえる日を楽しみにしていた。

 直接稽古をつけてもらったことはないけれど、通しで舞ってみて形になっていたこともあって、細かい表現は自己流で足して舞うことに決めたのだった。

 

 演舞を誰かに捧げられるのなら。

 別れを告げたあの子に、私はこの気持ちを捧げたい。

 

 夢の中の、スーシャと名乗った女の子は、メルを大切な人だと言ってくれた。ルーグと一緒にいつか旅に出たいなと、笑っていた。

 短い詠唱でも、別れを惜しみ再会を願う内容だと理解していた。

 ゆっくりと天に向かって広げた手のひらから、花が香るように、金粉が広がり、梅の香がほんのりと広がった。


「うーうーえおぉおー、いいうぅいいおおおー、」

 詠唱の声が、凛として広い屋上に響く。

 どこまでも響けばいいのに。


 あの子が向かった岸の向こうまで。夢なのに、夢だと思えなかった、あの気持ちに。

 もう一度、スーシャに会いたい。


 思いを届けたい。そう思うと、声に張りが増す。怒鳴る訳じゃなく、地の果てまで届くような、力を持った声になる。

 手に付けていた灰が、キラキラと、金粉に変わったかのように光始める。


「あああーぉおいーぃうぉー、」


 彼女のことはあの夢であったのが初めてに思えてならない。

 でも、どうしてだろう。覚えていないけれど、スーシャを思うと、してあげられなかった後悔や自分への不甲斐なさ、歯痒さがふつふつと湧き上がってくる。

 それは、リュードに話をしていた時に感じていた、償いたい気持ちと似ていた。

 どういう訳か、スーシャに、謝りたかった。


 手を振り、クルリと舞い緩やかに体を動かすと、開いた鉄扇から金粉が動いた軌跡を空中になぞるように漂い始める。

 金粉はやがて、光の変化なのか、青色、緑色、赤色、白色を含み始めて、広がり、流れていく。

 メルの手が、鉄扇が、動くたびに生き物のように飛んで、指を弾けば、空中に滞留すると流れて消えていく。


「ああえーぇえうおおーいぃいーおおぉーいいー、」


 聞こえるように。はるか遠くまで届きますように。

 向こう岸まで辿り着いたあの子が、笑顔でいられるように。

 響いて、この思いが伝わりますように。見知らぬ土地で自分一人だと思わなくて済むように、私の思いをあなたに伝えたい。

 私は、スーシャにまた会いたい…。


 メルは溢れてくる想いに、涙を浮かべながら指先まで思いを乗せて舞う。

 手に付けた灰が、香りを持って漂い始める。

 ああ、これは梅の花だ。

 メルが舞う度に、花の香気は深くなる。


「あーあぇえーぇううーああーぁー」


 むすぶ手の しずくににごる 山の井の あかでも人に 別れぬるかな


 元の和歌には、満足に話ができないまま別れてしまった悔しさが込められている。また出会いたいという貪欲なまでの思いが込められている。

 メルは、スーシャに心を寄せる。

 あの子はひとりで行ってしまった。

 いつか一緒に旅がしたいと言ってくれたスーシャ。

 別れは悲しくても、お互いに願うのなら出会えそうな気がしてくる。

 それまでは、離れていてもつないだ手のぬくもりが、どうか、あの子の応援となりますように。どうか力となりますように。


 新鮮な梅のような香気を含んだ風が吹いて、金粉となった灰が、天高く空に向かって舞い上がる。


 吸い込まれるように太陽の元へと吹き飛ばされていった金粉を見送って、メルは両手を掲げて空を仰いでいた。

 詠唱を終え演舞も舞い終え一礼をして顔を上げると、ダールが立ち上がって拍手しながら近寄ってきた。

 いつの間にか、一緒に見学していた様子の、シンまでやってくる。


 私は、多分、あの子の記憶を無くしている。

 メルは息を整えながら、ダールを見つめる。

 あの時、私は覚えていないのに、スーシャは私を知っている様子だった。

 考えられるのはこの場所だ。ここは地の精霊王の神殿。人間の私がいていい場所じゃないと、命の毒が溜まる場所なのだと、知ってしまった。

 私は、知らない間にこの地の精霊王ダールになんらかの魔法をかけられている。思い出そうとしても思い出せない様々な記憶は、その影響だと思う。

 地の精霊王ダールは、私を地上に帰してくれる前に、ここでの記憶を奪うだろうと思えてくる。

 ここに私が連れてこられたのは、耳役シアンの代わりという仕事よりも、そっちの理由の方がしっくりくるように思えてならない。そんな風に扱われてしまうのは、私が人間だからだと思う。私が、勇者じゃないから、特別扱いされないのだわ。 

 覚えていたい。

 夢の中で出会ったあの子のことは、知られてはいけない気がする。


「君には済まないことをしてしまったね。術を発動させていたとはいえ、私が少し目を離した隙に、この神殿や迷いの森は良からぬことをするものに取り込まれてしまっていた。迷惑をかけたね。」

「無理をして人間界のあちこちに分身を送るからだ。もう少し節操を持って分身を操ったらどうだ、」

「シン、お前が私の部屋の家具をすべて蛙にしてしまったのがそもそもの原因だろう。探すのが大変だったんだぞ、」

「すぐ物を無くすお前の為に、あった場所で鳴くようにと魔法をかけただけだ。」

「命の毒が溜まったあんな時期に魔法なんて使うから暴走するんだよ。せめて小鳥にすればいいものを、蛙になってしまっただろ、」

「蛙なら余計に扱いやすいだろ? 」

 ニヤニヤと笑うシンは、「蛙なら飛び立つことはないぞ、」と肩を竦めた。

「シン、お前な、蛙は冬眠するだろ? しかも黒白の池から時代や土地を選ばず転送されてしまった蛙が何匹もいて、回収が大変だったんだぞ。」

 なんの話が始まったのか見当もつかず、痴話喧嘩のようなダールとシンのやり取りに言葉を無くしているメルを見て、ダールがコホン、と咳ばらいをひとつした。

「さて、仕切り直そうか。」

 これから起こるだろうことを警戒して汗ばむメルの手を取り、ダールは両手で包み込んだ。

「君の奉納の舞は素晴らしかったよ。詠唱も、心に響いたよ。なんとも言えない熱い思いが伝わってきた。」

 親指で何でもメルの手の甲を撫でて、ダールは微笑んだ。

「褒美と言っては何だが、加護を与えようと思う。」

「主様、それは、」

 トゥルネが止めようとしても、気にしないのか、ダールはメルの手を取ると、左手の手首にキスをした。

 きらりと茶金色の光が一瞬輝く。加護だ。

「ここでの記憶をすべて消してから地上に帰すおつもりではなかったのですか、」

 ああ。やっぱり。

「この子の瞳の中には私の知らない何かが見える。その何かがある限り、私はこの子の存在を尊重したほうが得な気がするんだよ。」


 メルはギュッと手を握った。何かは、竜の調(ドラゴン・ブ)伏師(レーカー)のことじゃない。ダールは詠唱に驚かなかった。奉納の舞だと言い切ってしまえるのだから、見たことがあるのだと思える。見たことがあるのなら、竜の調(ドラゴン・ブ)伏師(レーカー)の存在も知っていると思った方がいい。だとすると、出会った時にシンやシャナ様が気が付いた私の秘密は、ダールの言う秘密と同じで、おそらく前世の記憶のことなんだろうなと思えてくる。

 前世の記憶は決して、知られてはいけない秘密だわ。メルはそっと、心の奥にしまい込むイメージを思い描いて、ぐっと奥歯を噛みしめた。


「君は多くを失った。あいにくと埋めてあげられることは私にはできない。私にできることは、君に加護を与えて、君の命の輝きが他の者に消されることがないように守ることぐらいだろう。」

「おい、これは私のものだ。そんな余計な真似をしなくても、私が傍にいる。」

 シンがメルとダールの間に割って入って、メルを抱き寄せた。慌ててメルはダールの胸をついて、身を離す。

「私は私のものです。あなたは関係ありません。」

「だってさ。面白いね、シン。」


 ダールがパンパンと手を打つと、メルの足元に魔法陣が描かれ始める。鈍く、黄金色の光を放ち始めた。円が光で描かれて、ぐるりと一周広がると、ぱっと2重に増え、文字が加わる。単語ではなく文章のようで、口で唱える呪文を直接書き込んでいるかのように見えた。文章が外円を一周すると、また円が増える。さらに円が4重5重に増え、外側にも六芒星が書き加わる。空中に浮かび上がるように文字列が変わり、数字が足され、メルの見たことのない立体的な魔法陣が完成する。


「約束通り、君の住む街の近くの、あの穴まで転送しよう。」

「今すぐに、ですか?」

 魔法陣として描かれた光の中に立っているメルは、天空にあるはずの太陽の穴が消えているのに気が付いた。代わりに、黒い霧のようなものが頭上には広がっている。

「なんだ、そうしたかったのではないのかい?」

「ウィエやソージュに…、ルーグにお別れをまだ言ってないのです。」

「なんだそんなこと、」

 ダールはメルの後方を指さした。

 頭上に広がる黒い霧は、黒い雲のようにはっきりとした形にまとまってきていた。さっきまで暑かったはずなのに、肌寒くも感じてくる。

「あの者たちの中にいるだろう? ここでお前が私のために舞を踊ると知らせておいたからね。」

 振り返ると、使用人たちの居住棟の屋上に、人影がたくさん見えた。顔が辛うじて判別できても、そこいたのかと気配を感じるのは難しい距離だった。

「お―い!」

 手摺に身を乗り出し大きな声で手を振る女性たちは、ウィエやソージュに見える。

 メルが手を振り返すと、両手いっぱいに手を振ってくれる。声が聞こえなくても、気持ちが伝わってくるようだった。

「またいつか、遊びに来てほしい。今度は耳役シアンではなく、人間のままで歓迎しよう。その為には余計なことは口にしてはいけない。賢い君なら判っているね?」


 頷いて、試すようなダールの声に答えようとしたメルは、傍に立つシンがそっと灰だらけのメルの手を取って、灰を払いのけているのに気が付いた。

 洗うからいいのに、と言いかけた瞬間、「ここのものはここに置いていけ、それが一番いい、」とシンが呟いた声が聞こえてきた。

 服。この服はいいの?

 着替えないと!


 メルが慌ててカイルのお下がりの在り処を尋ねようとした瞬間、「またね、耳役シアン。メルとして、またおいで、」というダールの声とともに、雷鳴が響いた。


 ドーン


 雷鳴が稲り光り、雷撃が魔法陣に向かって落ちてきた。

 目を瞑って身を竦めたメルが次の瞬間見たのは、明るい草原の道へと切り替わっていた辺りの風景だった。

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