6、正攻法で王都に戻ってくる
夜の裏街道を走る『ウラガシ旅団』の3台目の馬車はわたしと仕切り役のルイーサさんしか乗っていなくて、明日の朝には王都に入るとかで、日持ちする農作物の籠が積まれていた。幸いまだ荷物が半分ほどしか積みこまれていないので、お互いの顔が見える。風通しを良くするために、幌は上がったままになっていた。
仕切り役であるルイーサさんは膝を折り相変わらず小さくまとまって自分の場所を維持して座っているので、わたしも割り当てられた場所からはみ出さないように膝を抱えて座って、夜の空を見上げていた。わたしの他の乗客はいないからと言って、手足を伸ばして床に横たわるわけにはいかない気がしていた。星座は、公国で見つけるものと違う。かなり北にやってきていた。
夜間も飛ばし続ける馬車は裏街道を駆け抜けるので、月が道沿いの木々に隠れては見えを繰り返している。レモンを彷彿させる楕円の形にふっくらとしてきていて、もう満月が近付いてきているのだと判ってくる。
ルイーサさんは黙って座っているので、わたしも、黙っていた。
ラボア様に頂いた任務を遂行するのだとして、アンシ・シから無事にエドガー師が移動してくるかどうかわからない上、わたし自身が王都にいない。急いでいるとは言えまだ到着していないし、師匠とも合流出来ていない。わたしが分化したり竜騎士であるシューレさんがいないという1周目の未来とズレが生じているから何も起こらないのではないかという期待があっても、王都にわたしとコルとエドガー師が集まってしまう事実は変わらないままなので、シューレさんの代わりとなる竜騎士まで揃ってしまったら何かが起こってしまうのではないかという悪い予感はまだ残っている。
だからといって、このまま王都に向かっていいのかどうかなんて迷ったところで、王都に行かないわけにはいかない。
庭園管理員でありたいと望む限り、わたしには任務を放棄してまでして行きたい場所などなかった。スタリオス卿やラボア様の命令は絶対であり、任務は放棄など考えず遂行できる可能性を探るのが最良の選択だ。なにより、今度こそ任務を完遂したい。
決意を込めて小指を噛んで現時点までの報告をアリエル様にしていると、昨日からまとわりつかれている赤いイモリがわたしの髪の上から首や肩を伝って降りてきて、腕の上に留まり、チロりと青い舌を見せてきた。夜の闇の中にも艶々と輝く瞳は何かを言いたそうにじっとわたしと目線を合わせてくるので、わたしも、何か言わなくてはいけないのだろうかとつい思ってしまう。
不意に前方から力が加わって、胸を蹴られた衝撃があって、蹴り飛ばされ空中に投げ出される。
「???」
馬車から落ちる?
息が出来なくなるほどの風圧を感じたのにその場から動いていなくて、混乱しつつ、幻覚だったのだと納得しようとして、腕を見て身震いをする。
赤いイモリは消えてしまっていて、通り過ぎ、遠くなっていく下道の真ん中に、人が立っているのが見えた。
赤い髪は豊かに肩にかかり長くとんがった耳をしていて、闇に浮かぶゆったりとした白い服をきた人物は、師匠に顔立ちが似ていた。いや、同じ雰囲気を感じた。
師匠と名前を呼ぼうとして、違う気がして、見つめたまま遠くなっていく人影がやがて暗闇に馴染んで見えなくなっていくまで、わたしは視線を逸らせなかった。
ヒト型をとれる精霊はわたしの傍に赤いイモリのふりをしてとどまって何を探っていたのか、ちっとも想像がつかなかった。
※ ※ ※
日が昇った頃に寄った街で最後の休憩をして、農作物が詰まった籠を積み込めるだけ仕入れて、『ウラガシ旅団』の馬車は走りはじめけた。
限りなく隅っこの、幌の近くに座ったわたしの向かいにはルイーサさんが座っている。農作物満載の馬車は揺れると籠から農作物が転げて落ちてきそうな程に窮屈だったのもあって気が気じゃなくて、朝日はまだ登り始めたばかりなのに目が冴えてしまって眠れない。
「王都に行ったら、どこへ行くつもりなんだい、」
暇つぶしみたいなルイーサさんの質問に、わたしは「市場に行こうと思っています、」とだけ答えておく。公国の花屋に行けば、庭園管理員の仲間たちや師匠がいるはずだった。
「ああ、それがいいさ。この馬車の目的地は近くの公園だよ。その足で酒場に行けば手堅く冒険者がいるもんなア、いい判断だ。」
ルイーサさんは頷きながら言って、「私等はこの先、王都で客を拾って元来た道を戻って南下するつもりさ。出発は明日の朝だよ」と、聞いてもいないのに今後の予定まで教えてくれる。
そうですか、というのも妙な気がして黙っていると、「なあ、お嬢ちゃん、」と、ルイーサさんはまたもや声をかけてきた。
「聞きたいことがあるんだけどね、答えてくれないかい、」
父さんやわたしの家族構成をしつこく気にしているのかなと思ったのもあって返事もせずに黙っていると、ルイーサさんは小さく咳払いをした。
「冒険者の半妖だから聞いているんじゃないよ、乗せた客の皆に聞いているんだ、変な質問じゃないんだ。まずは聞いておくれ。」
答えないと頑なに意地を張っているみたいに思われてしまいそうで、「なんでしょう、」と返事をしてみる。
「魔物がどこから来たのか、お嬢ちゃんは知っているかい、」
「さあ、判らないです。」
魔物は精霊とは違って魔力がなければ見えないという存在ではなく、言語が通じず人の暮らしを脅かし浸食し奪い、お互いを尊重して共存はできなさそうな相手だということぐらいは判ってきている。もともといつからいたのかまでは知らないけど、最初に発生したのは王国の僻地説が有名だ。
ルイーサさんが何を言いたいのかわからなくて首を傾げて言葉を待っていると、ルイーサさんは「このまま魔物に世界が乗っ取られてしまったら、どうなるんだろうね、」とわざとらしく首を傾げた。
答えを知っているから質問したという感じではなさそうな雰囲気に、わたしとしても戸惑ってしまう。
「先の大戦の頃、戦争が終わらないかもしれないと嘆いて、わたしの住んでいた村では好いた相手と一緒に滝壺に身を投げた娘がいたんだよ。」
「はあ、」
話の行方が見えなくて、どう相づちを打ったらいいのかわからない。
「あのふたりは気持ちが負けてしまって命を終わらせたけど、私はこうやって生き残っている。どんなことがあったって生き残るって決めていたからね。この世界に勝ってやるって、決めていたからね。」
ルイーサさんの声は決して大きくないのにはっきりとわたしの心に届いていた。
「だから嬢ちゃんも、魔物に負けそうになったって、自分で負けを認めたらダメなんだ。判るだろ?」
「ええ、そうですね、」
「冒険者なんだからって無理することもないけど、冒険者なんだから、生き残ってまた顔を見せておくれよ、いいね?」
「ええ。そうします。」
どうしてこんな話になったのかわからなかったけれど、ルイーサさんはわたしのことを心配してくれているんだってことは判った。
この世界に勝つって、生き残るってことなんだ。当たり前のことなのに、なんだかとても心が強くなる。
「市場の酒場で仲間が見つからなかったら、もう一回出直すつもりでしばらく王都を離れたっていい。わかったかい?」
「ええ、」
わたしは頷いて膝を抱える力を強めた。
王都へ行くのを迷っている姿が、未来が変わらないかもしれないという不安が呼んだ表情が、王都へ行く前から負けそうになっているように思われたんじゃないかなって思えてきて、心配させてしまっていたんだっていう恥ずかしさもあって、揺れている自分自身が情けなくて、こんなことじゃダメだって思えてきて、気持ちが引き締まる。
しっかりしなさいと言われたわけじゃないのに、迷っていたらダメだってわかってくる。
絶対にルイーサさんの元には戻らないですって誓ってしまおうかって思いそうになって、小さく首を振る。
全部終わったら、大丈夫でしたって言いに来よう。
絶対に負けたりなんかしない。生き残って、あなたに会いに来よう。
心に決めた思いを言葉にしたいと思えてきて、わたしは顔を上げて、ルイーサさんをまっすぐに見て、「決して負けたりなんかしません。生き残って、1台目の馬車に乗せてもらいに来ます」と誓っておいた。
※ ※ ※
王国の都に来るのは、約半月前だった。
王都の街を囲む高い壁は容易く乗り越えられなくて、街道からそのまま王都の通りへと続く道の出入り口でもある王都の門のすぐ傍にある検問所の前では、朝も早い時間だというのに検問街の多くの馬車や旅人の行列ができていた。『ウラガシ旅団』もその列に加わり、のろのろと動く。周辺の馬車ものろのろと動いていて、荷台から降りてのんびりと歩く者、他の馬車の者たちと交流を始める者なんかがいて、日差しも明るくて晴れやかなのもあって賑やかで和やかな雰囲気だった。
ルイーサさんはつまらなさそうに明るい空を見上げていたのもあって、わたしは降りずに座っていた。おとなしく様子を窺っている方がよさそうだと判断したのだ。先を行く馬車は停車しないでのろのろと進んでいる。よく見ていると、検問所に勤務する兵士たちが確認役と書記役との組になってのろのろと動く馬車に寄ってきて、積み荷を確認したり乗員に声をかけていたりしている。どうやら手分けして流れ作業で検問を行っているようだと判ってくる。
冒険者が見つかると、何人かの割合で気まぐれに特別通行許可証の提示と内容の確認が成されているようだった。鉅の指輪を見せるだけの者もいたりして、もっと厳格に王都入りを審査されるのかと思っていただけに、想定と違う状況に困惑してしまう。
「ああ、今は試験運転中らしいから、こんなもんだよ」
ルイーサさんは驚きもせずに教えてくれる。
「誰もかれも確認していないのは早朝という時間帯なのと、通行人も門番も同じ時間帯はだいたい毎度の面々だろ、お互いに慣れてしまって妙な信頼関係が生まれてしまっているのさ。」
いわゆる顔が通行許可証状態なのだろうなと思う。
「そのうち検問が厳しくなったら、一日に捌ける人数も判ってくるだろうし、入場制限も始まるだろうね、」
「王子様の旅が始まるのって、来月でしたっけ、」
魔物の討伐の旅に各国の代表が少数精鋭でもって派遣されていくのはもう少し先なはずだった。
「夏の盛りだった気がするよ。それまでにもう一度、王都に来たいもんだね、」
兵士たちがこの馬車にも確認にやってきていた。
挨拶をして許可が下りたルイーサさんと違ってわたしは身分を証明するものを提示するように言われてしまう。
正直に冒険者だと告げ、鉅の指輪と特別通行許可証を見せてみる。書記係が分厚い帳簿にわたしのことを記録している。
ついてないね、とばかりにルイーサさんは目配せしてきた。疚しいことなど何もないのに、不審に思われて拘束されたらどうしよう、なんて不安が一瞬頭を過ったけれど、むしろ安心して王都に入れるのだと思うと、もう後ろめたさもなくてわたしとしてはありがたかった。転送されていきなり王都に入り検問所を通過していないので王都を出る時ややこしい状態となる、という経験を繰り返すのはできれば避けたい。国境警備隊の役付きなスタリオス卿を公国から呼び出す羽目になってしまったのも遠慮したいのもあって、正攻法な検問突破は、この後は堂々と胸を張って検問所から出て行けばいいのだという喜びに胸が震える。
検問が無事に終わり、検問所を無事に通過して王都に入った。
王城へと連なる大通りへ続く道へと馬車は進んでいく。市場の近くの公園まで行ってしまうと、旅団の今回の旅は終わりとなるらしかった。
「なあに、気にすることないさ。王都を訪れる冒険者なんて毎日わんさかといるんだよ、お嬢ちゃんの情報はじきに埋もれていくよ。」
ルイーサさんは、検問所の書記係がわたしのことを記録していたのをじっと見ていたのを、わたしが不安がっていたからの行動だと受け止めたようだ。
むしろその逆で、王都に堂々と検問所を通過して入ってこれたという事実に感激していたというのが正しい気がするけれど、もうじき別れる予定のルイーサさんにわたしの事情を打ち明けるのは気が引けたので、素直に「ありがとうございます」と心遣いに感謝だけしておく。
「ま、女子供の情報を売る奴もいることはいるから、一概には言えないけどね、」
「この馬車に乗っていた女たちが王都に寄らずに降りたのは、もしかして、」
「変な奴らに捕まったりすると面倒だからだろうさ。」
ルイーサさんは淡々と言った。「王都には真っ当な仕事の斡旋業もいるけど、どう考えたって胡散臭い人身売買の輩もいるからね。女は弱いよ。」
「盗賊団ギルドとかですか?」
ブロスチで公国人の冒険者を攫っては売っていた者たちがいたのを思い出す。
「あいつら、まだ捕まっていないからねえ。」
ルイーサさんは気難しそうに眉間に皺を寄せた。
父さんが話していた、ヘビ男の行方が気にかかる。
「お嬢ちゃんも気を付けるんだよ。」
「そうします。」
わたしとしては、わたし自身を囮にでも使って盗賊団ギルドを捕まえたいのもやまやまだけど、庭園管理員としての任務の方が優先したかった。何しろ満月の夜が近い。
ぎこちない笑顔を作って同意して、話を誤魔化しておく。
ごとごとと揺れながら走る馬車は、通りを一本西に入って北上し始めた。見慣れた街並みに、1周目の未来での思い出と2周目の現在の世界の記憶が重なっていく。ここは、シューレさんと歩き回った街だ。1周目の未来でのシューレさんの姿と2周目のこの世界での筋骨隆々なシューレさんの容姿の差に、わたしが努力している以上に未来が変わっているのを実感してしまう。
いつか入り口の植え込みの前で、猫の集会を見た広場に到着する。1台目2台目の馬車から降りてきた人達の歓喜に弾む話し声が聞こえ始める。広場には商人らしき男たちの姿もあって、3台目のわたし達の馬車が運んできた荷物を買い付けに来たようだと判ってくる。彼らは力仕事を任せるつもりの従業員を連れていたりするので、全体として結構な人数が集まっていた。
ルイーサさんは「さ、そろそろだね、」と言いながら立ち上がった。
「さ、ここでお別れだ、忘れ物はないかい?」
言葉に従って肩掛け鞄の中を確認して、わたしは「大丈夫です」と答えておく。
「そうかい。じゃあな、気を付けて。」
拍子抜けするくらいにあっさりと、ルイーサさんは軽く手を振った。
「ありがとうございます、お世話になりました。」
「なあに、どんな御縁だろうと、金に換えるのが私ら『ウラガシ旅団』の基本理念だからね。お嬢ちゃん、もうあんな無茶はいけないよ?」
「わかってます。」
無茶をしたくて無茶を選んでいるわけではないので、もう無茶はしないと約束などできない。
ぺこりと頭を下げて停まった馬車を降りて、わたしは歩き出した。
背後では運んできた荷物を早速卸すための掛け声が聞こえ始めていた。
自分の意志で逸れたわけじゃないので師匠に会う前に寄り道をしたってかまわないのではと思ったりもするけど、師匠に無駄に怒られるのは面倒な気がして、律儀にまっすぐに朝の賑やかな市場へと入り、公国人の庭園管理員のかりそめの姿である花屋へと向かった。
途中の串焼き肉の店の前で、焼き立てのパンの入った袋を下げたブレットを見かけたりもする。足元には一見すると小太りな犬に見えるタヌキがまとわりついていた。ブレットは変なものに好かれる体質なので、仕方ないことなのかなと思う。
王都に帰ってきたんだ。
しみじみと実感が湧いてくる。
そういえば、朝食をまだとっていないわ。
わたしはお腹を擦りながら、かといって師匠に会う前に買い食いするのも後々面倒な気がしてそのまま花屋への裏道へと入っていった。
ありがとうございました。




