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4、変わっていく未来の中でも

 噴水が止んでいた。

 広場には、わたし達以外いない。

 地面にはいつしか、魔法陣が大きく描かれている。

 この人、魔法が使えるの…?

 目を細めて微笑む女冒険者はわたしから剥がした赤いイモリを水路へと放り投げる。

 小さくポチャンと音がした。

 他に、音はない。鳥の鳴き声も、水の音も、何もない。


「あなたはいったい何者なんですか?」

 トイサクの街で出会った女冒険者の黒っぽいマントには、返り血のような染みが増えていた。『ウラガシ旅団』への襲撃を撃退してくれた冒険者の一行のひとりなのかな。少しだけ恩義を感じて、でも警戒心もあって、わたしの声はちょっぴり震えている。何度も会ったことがないはずの相手に何度か会ったことがあると言われてまたもや会ってしまうと、偶然というより無理やりにわたしの行動に自分の予定をぶつけてきているような気がして、実はすっかりこの女の冒険者を警戒した方がいい相手だと思ってしまっている。

 ただ、敵なのか味方なのかわからないけど、わたしという人物と話をしようと思っているからこそ近付いてくるのなら、多分敵ではないと思う。敵ならそもそも近付いてくるなり攻撃してくるだろうし、だいたい奇襲をかける相手に近付いていくのは無駄な手間だと思う。わたしがどういう人物なのかを観察してわたしの隙を狙って、最小限の損失で最大限の損害を与えようと時が熟すのを待っていればいいのだ。味方になれるかどうかを測ろうと思って近付いて試している最中、というのが正解な気がする。

「王国人の冒険者、ですよね?」

 わたし達に共通しているのは、冒険者だという事実だ。一般的な単なる旅行者と冒険者の違いは、月の女神さまに誓っている分、冒険者としての正義があり悪さをしないということぐらいだ。もっとも盗賊に身を落とす冒険者もいたりするので一概にすべてがとは言えないから見極めに来ているのだとしたら、自分の立場を明確にするのが手っ取り早いのではないかと思えたので、相手の立場を指摘してみる。

 決断を迷っているのなら、わたしとしても、味方になりたい相手かどうかを調べさせてもらいたい。


<あなたも冒険者ですわね?>


 声は低い。しっとりとした落ち着いた声だ。日の高い時間帯でも暗い色に見える茶金髪をしっかりと結い上げていても髪の生え際や耳の付近に白髪が見え隠れしていて、肌の張りや艶からしてわたしよりもおそらくずっと年上で、瞼が下がり目が細く見えるのはおそらく加齢によるものだ。マント越しにわかる体つきも首や手首の皺などやや老いた印象があるけど、この人の所作は若々しい。どことなく見かけ年齢と実年齢がちぐはぐな印象があるけど、言葉遣いからして、育った環境に原因があるのではないかと思う。いわゆる、高齢になるまで家を出ることを許してもらえなかった、箱入り娘時代が長かった人ではないのかな。


「何か御用ですか?」


 じっとわたしの顔を見つめて、昨日も会った女冒険者は<今はまだ、ないとしか言えないわ>と答えてくれた。


 今はまだないなら、いつかあったりするのかな。

 もう会いたくないな、と思ってしまった。今はまだないのなら、次に会う時はわたしを利用するつもりがあるのではないかな、と思ってしまったからだ。

「あなたとどこであったのかを思い出せないのです。申し訳ないですが、わたしとどこで会ったのか、教えていただいてもいいでしょうか、」

 王都の聖堂では一般の信者向けに治癒師(ヒーラー)として活動していない。デリーラル公領ホバッサでは、治癒師(ヒーラー)として接触した人たちが少なすぎてよく顔を覚えているのでこんな人はいなかったと断言できる。わたしが冒険者だと知っているのは、フォイラート公領ブロスチでリディアさんたち街の人にお世話になった時期に出会った人だと思うけど、こんな髪の色の人は見かけなかった。

 一方的にわたしを知っているのなら、どうして公国(ヴィエルテ)語ではなく、女神の言葉(マザー・タン)なのかわからない。

 わたしが公国(ヴィエルテ)人で冒険者であり治癒師(ヒーラー)であると知っているのなら、王国語で話しかけているわたしに女神の言葉(マザー・タン)で何故話し返さないのかとどうして尋ねてこないのだろう。

「わたしを知らないのに、嘘をついたのですね?」

 黙っている女の顔を見て推理が当たった気がして、ますます話しかけた意図が見えなくなって、単純に話しかけたかっただけなのではないかななんて思えてくる。

「もう、話しかけてこないでください。」

 ぺこりと頭を下げてわたしは踵を返した。『ウラガシ旅団』の馬車にはまだ女子供が乗っていて不審な言動をする人物との接触を避けたかったというのも本音だけど、最初、冒険者のふりをしていたファーシィという存在を思い出してしまったのもある。


「待って、」


 歩き出そうとしたわたしの腕を捕まえようとしてきたので、振り払う。

「触らないでください。」


「私たちは、本当は最後の日に出会うのよ。半妖の、人ではない親を持つ、ビアトリーチェ・シルフィム・エガーレさん。」


 耳元で囁かれた名前に、わたしは思わず身を捩って距離をとった。

 王国語。冒険者の証である特別通行許可証を盗み見て、ビーアトリスといった王国語で一般的な読み方をしたわけじゃない。ビアトリーチェ読み。

 いつ名乗ったのか覚えがない。いいや、まったく、全然知らない人に秘密を知られているみたいな気分になる。

 わたしは自分の名前を簡単に告げてこなかった。治癒師(ヒーラー)だからと言って、半妖だといちいち出自の秘密を話す必要もない。

 王国では、『治癒師(ヒーラー)のビア』で十分だからだ。それでもせいぜい、ビーア・スペール・エールじゃない?

「あなたは、」


「ごめんなさいね。どうしてもあなたに私という存在を覚えてもらいたかったの。今度の世界では、あなたに早いうちに接触したかったから。堪忍して。」


「今度の世界…?」

 冒険者が冒険者登録をする際に疑似体験する一生は一番優しい未来の夢とされ、『1周目の世界』と呼ばれる。

「わたしはあなたの未来の一部ですか…?」

 この人が登録したのはわたしより後だ。何しろ、わたしの1周目の未来の世界にこの人は現れていない。

 一体どんな未来なのだろう。興味が湧くのと同時に、その世界では自分の素性を話す関係にこの人となったのが意外で、当のわたしだけ知らないのはなんだかちょっとつまらない。

「あなたの名すら知らないのに?」


「私の名は、まだ伝えられないのよ。」

 困り顔で眉を曇らせ、女冒険者は微笑んだ。


「本当のわたしを知っていると、脅しに来たのですか?」

 名前すら教えてくれないのにわたしの秘密を一方的に知っているなんて、不気味でしかない。


「いいえ、違うわ。北の海の聖女を…、半妖狩りのキーラからあなたを守るわ、半妖の治癒師(ヒーラー)さん。」


「次に会う時は、聖堂ですか?」

 キーラが所属しているのは聖堂で、わたしは聖堂に復帰しない限り接点などないはずだ。


「王都よ。聖堂ではないと思うわ。私が会いに行く。」


「あなたは、わたしの居場所も知っているのですか?」

 旅人であるわたしの居場所なんて、わたしにだってわからない。


「言ったでしょう、最後の日に、会ったって。」


 なんだかちょっと、腹が立ってくる。手の内で踊っていると言われているようで、不快感が勝る。

「会いたくないといったら?」


「その時は、あなたから会いに来てくれると思う、きっと、」


 会いたくないな。そう言いかけて、微笑んで誤魔化す。


 そんなわたしを見て微笑み返して「さ、もう行って、」とわたしから離れていく女冒険者は、突然、両手で空をかき混ぜるような仕草をした。


 地面に描かれていた魔法陣が陽炎が揺れるように消えて、水の音が戻る。人の声が蘇って、子供たちが笑い声を上げながら広場へと駆け寄ってくる。


 結界を解いて清々した顔をして、自分の言いたいことをいうだけ言って女冒険者はその場を離れてしまったのだ。


 ※ ※ ※


 見送って、わたしも馬車へと戻る。誰かに相談したくなって、でも一人で、モヤモヤした気分を晴らしたくて帰り途中の街でもう一度リバーラリー商会の看板を探したけど見つからなくて、もっと落ち込んでしまう。

 次の街へと馬車が走り出しても、気が重いままだった。王都に早く戻って師匠と合流しなくてはならないという義務感とか、不可抗力とはいえひとり寄り道をした挙句先に行かせて待たせてしまっているから急がなくてはいけないといった責任感とか、追い詰められていきそうな焦燥感ばかりあったところに、得体の知れない誰かに命の危機を告げられた気がしていた。

 半妖狩りの、北の海の聖女、キーラ。

 まるでわたしはあの女冒険者の未来の世界でキーラに命を刈られるみたいじゃない?

 自分に問いかけて、憂鬱な気分になる。キーラと出会ったのはこの2周目の世界だけで、1周目の世界にはいなかった。どうやら味方ではないらしいのが確定してしまう。

 だけど、守るって、どういう状況なんだろ。どうしてまだあの人は自分を名乗れないのかな。

 わたしの中にある優先順位にてキーラはかなり下の方だ。親しいわけじゃないから、という理由もあるけど、ホバッサで別れたコルが重要過ぎて、王都に戻って聖堂に潜入し直すことになったとしてもコルにどう思われるのかの方が重要だったりする。聖堂に入信して日が浅いのもあるけど、1周目の未来と違ってわたしは未分化じゃないのもあって重要視されていないから扱いが軽い気がするし、あの先輩(アメリア)に早々に見切りをつけられて自己(セルフ・サク)犠牲(リファイス)の呪文まで覚えさせられている程に1周目よりも大切にされていない。本音としては、コルやシューレさんが生きていてくれたら十分だと思っているのもあってひと段落したからしばらく安心だと思っているし、エドガー師が戻ってくる王都に虫使い(アカツチ)のマハトがいる方が王都に向かう意味があるような気がしてならない。キーラに恨まれるほど絡んでいなかったりする。


 もう何人かしか残っていない馬車では、女たちの話し声はどんどん乏しくなっていって、子供たちも誰に話しかけるでもなく膝を抱えて座っている。王都まで残るのはわたしだけらしく、彼女たちも明日には近くの領で降りて行ってしまうらしかった。

 休憩に寄った街でルイーサさんが街へと出かける前のわたしを捕まえて珍しくそんな事情を話してくれたので、つい「何かあるんですか?」と聞いてしまった。これまでのルイーサさんとの会話はどちらかというと簡素な連絡事項ばかりで、個人的な事情など漏らしたりはなかったと思う。

「なあに、お嬢ちゃんひとりになるから、あの子らを降ろしたらこの馬車を掃除して、仕入れた荷物を運ぶのに使おうと思ってね。」

「何か手伝いましょうか?」

 人手が減るなら、掃除はルイーサさんだけでするのかもしれない。

「結構結構。お嬢ちゃんも降りてくれるのが一番だけど、お嬢ちゃんの居場所くらいは空けておいてやるよ、」

 意地悪そうに笑って、ルイーサさんはわたしの腹の辺りをつついた。

「王都に行ったらちゃんと食べるもん食べるんだよ、お前さん、ろくすっぽ喰ってないだろう、」

「少しは食べました。いろいろ忙しかったんです。」

 街の滞在時間内に収めようと時間を切り詰めてやりくりして散策したけど、情報を集めるにはそれでも足りないくらいだった。

「お嬢ちゃんは魔法が使えるんだろ? 控えめなことやってないでがっちり稼いで、今度は1台目に乗って移動できるよう頑張りなよ。王都って街は、半妖が暮らすにはちょうどいい闇があるからさ、」

「気が付いていたんですか?」

 馬車内では魔法を使わないようにしていたのに。

 ニカッと笑って、ルイーサさんはわたしの背を叩いた。

「年の功って奴だよ。」

「答えになってないですよ?」

 ルイーサさんはニヤッと笑って、腕をわたしに見せ、袖を捲った。どちらかというと、毛深い腕である。

「私も半妖さ。野に棲む親に似て身を護る能力ばかりが際立って、攻撃魔法はからっきしでね。だから最後尾を任されているってのもあるんだけどね、」

「もしかして他の馬車の仕切り役の皆さんも、役割があったりするんですか?」

「ああ、1台目は攻撃、2台目は攻撃と防御、3台目は防御って、役割分担が決まっていてね。」

 仕切り役は乗客をうまくあしらうだけじゃないんだと判ってしまうと、いつかモモンガが入って来た時に女たちの態度が冷ややかだったのも思い出す。

「モモンガは、驚きましたね。」

「あれは、油断したのさ。真昼間っからウトウトしていてね。全く魔力を感じなかったしね。いくらあの前の夜に寝損ねていたからって、恥ずかしかったね。」

 前日の夜は襲撃があった。被害は1台目に少しだけだったのは、ルイーサさんの努力の結果なのだと悟る。

「お嬢ちゃんみたいな妖気の塊みたいな子供は昔はちょくちょくいたもんだよ。竜人もいたさ。竜の血が混じると腕の毛がビリビリするような嫌な感じがするもんだが、半妖なら腕の毛が心地いいんだ。判るだろ?」

「毛の感覚はないですけど、判る気がします。」

「ただの人間はこういう感覚、もっと判らないんだろうけどね、私には必要な技能だよ。」

 ルイーサさんは目を細め、街の人込みへと溶け込んでいく同じ馬車の女や子供の後ろ姿を見送りながら寂しそうに言った。

「あの子らは半妖だ。あの女たちは気が付いちゃいない。だからと言って、うちの旅団で引き取るのも違うからねえ。困ったもんだよ。」

「戦火で親を失ったってのは、」

「本当だろうな。半妖の子の親はたいてい片親だ。人間の親に育てられているからね。」

 ファーシィを思い出して、王都でお世話になった『ローズテラス』で働く人たちを連想し、リオネルさんの優しい顔もふんわりと蘇る。

「王国ならどこでも働く場所はあります。きっと大丈夫です。」

 商売で王国を股にかけるリバーラリー商会の、ブレットやルビオさんたちの快活な笑顔が思い浮かぶ。

「言えてるね。ただし、気をつけな? 王都には竜がいるって噂だよ。半妖の私らにとっちゃ、魔物(モンスター)なんかよりもよっぽど天敵さ。」

「神殿にですか?」

 アンシ・シにある地竜王様の大きな神殿には地竜が集まっているらしかった。王都にも神殿はある。

「違う違う、街に暮らしているって話さ。ヒト型で人間のふりをして、うまく紛れてね。」

 1周目の世界で、王都に竜は見つけられなかった。

「竜人ではなくて、ですか?」

 (ドラゴン)騎士(・ナイト)であるシューレさんと一緒に王都の街を散策した時に教えてもらったので、竜人の暮らす場所は何か所か知っている。鉄壁の守りで竜を崇める人々に守られていたのもあってシューレさんは面会できていたけれど、わたしは遠慮するように言われて敷地の外で待っていたのを思い出す。1周目のわたしは未分化の半妖だったので、竜人とはいえ竜の血を引く者には違いなくて、血の本能のままに食べられてしまう危険があったからだ。

「ああ、竜だよ。あの気配、思い出しただけで身の毛がよだつよ、お嬢ちゃん、」

 ルイーサさんは、あーやだねーやだやだ、といいながら首を振って身震いまでする。


 わたしの知っている1周目の世界と、世界は随分変わってしまっている気がしてきた。


 たとえエドガー師の竜化がない未来でも、次の満月の頃の王都には、竜がいるのだ。


 ※ ※ ※


 翌朝、馬車の揺れにも煩さにも慣れたわたしを驚かせてくれたのは、残った女たちの悲鳴と、子供の笑い声と、ルイーサさんの顰め面だった。

「いつの間に入って来たんだい、」

 わたしの頭の髪の天辺に赤いイモリがくっついていたらしく、ぺりっと剥がして摘まんだルイーサさんと目が覚めてそうそう目が合ったのだ。

 

 赤いイモリって確か、


 寝ぼけ眼でやはり同じ色合いと模様だと確認して、アリオハの街の神殿での女冒険者とのやり取りを思い出した。

「いったいどこから入って来たんだろうね、」

 ルイーサさんが走っている幌馬車から後方へ向かって放り投げようとしたので、慌てて止める。

「わたしの知り合いだと思います、」

「お嬢ちゃん、こんな知り合いがいたのかい?」

 よくわからないけど、女冒険者の手掛かりになりそうな気がする。

「魔法で姿を変えられたんです、探していたので、嬉しいです。」

 適当な作り話を口にすると、悲鳴を上げたり「捨てて」と騒いでいた女たちの顔色が変わった。

「お前さん、女心ってやつが判るようになってきたねえ、」

 小声で言ってわたしの髪の上に赤いイモリを戻してくれたルイーサさんは自分の腕をグイッとわたしに見せつけて、「毛がそよいでいるからいい(あやかし)だ。人じゃないね、上級の精霊だ」と言って自分の席へと戻っていった。

ありがとうございました。

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