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58-61,その日の彼ら 下

 デリーラル公領の一部となるよりも遥かな昔、水竜と、ささやかな領地を治めほぼ領民と同じ農民に近い暮らしをする子爵家当主兼神官の家に生まれた娘が恋に落ちた。婚姻関係となり生まれた子供は双子で、ひとりは生まれつき半竜、もうひとりは人間で分化が固定してしまっていた。

 双子のうちのひとりであり生まれつき人間に生まれたハラージは、人間としての生を生きるのだと思っていた。どうやら普通の人間とは違うようだと気が付いたのは、同じ頃合いに生まれた村人たちが年相応に老いて結婚し子を育て始めた頃だった。兄であるチリニーは竜になれる神官として神殿に務めていたので、ハラージは領主代行をしていた母を支え、神官である兄の世話をし、使用人と共に畑を耕して生活をしていた。そろそろ身を固めては?という話がまったくやってこないのは釣り合う身分がないからだと思っていたハラージは、年相応な見かけになりつつある兄とは違い、同年代に比べて自分の姿かたちが異様に若く幼いからだとようやく自覚したのだ。

 ハラージのいつまでたっても成人しない見かけは、分化前の子供にも似ていた。かといって魔力があるわけでもない。自分というものの扱いに困り果てて、同じ神殿の神官のつながりで、当時は当然のように王国にも存在していた時の女神さまの神殿の加護持ちの神官に相談しに行った時、初めて『竜人であるが竜人ではなく、魔力をすべて半竜である兄に持っていかれてしまった、竜人の出来損ないの人間』なのだと教えてもらえた。竜人であるので普通の人間以上に長生きをすると言われても、魔力のないハラージには迷惑な話である。加護持ちの神官からついでに「同じ場所に暮らしていると身辺を面白おかしく扱われたり探られるため、一定の時期で転居した方がいい」とありがたいお言葉を頂いたのだと母に報告すると、母は「ちょうど爵位をお返ししてデリーラル公領にまるっとお世話にならないかというお話があるのよ、旅に出たらどう?」と気軽に言い出した。半竜であると判明した兄のチリニーは「どっちでも同じ」と言い拒絶しなかったので、数少ない領民の今後を思うとよい判断なような気がしてきてハラージも同意した。

 その後、デリーラル公領の一部となったことで煩わしい書類仕事や管理が無くなった安心感からか、母はころりと輪廻の輪に帰って行った。葬礼の後、ハラージが家を出て旅をするには丁度よいきっかけだと、兄は笑って送り出してくれた。

 はじまりは単なる旅人であったハラージが、いつしか馬車移動という便利さを覚えて、乗せてもらう対価に手伝いをし始め、整った容姿から劇団員のひとりとして芸事を学んでいくのはそう時間はかからなかった。現在所属している劇団もいくつか目で、これまでに何度か、ある程度年月が経ち劇団員内でハラージの若い見た目が話題に上り始めたら抜け出すという別れを繰り返してきていた。

「兄さん、そろそろ戻ろうかと思うんだ、」

 ここ数日思う存分空の上を飛び回ってきた兄のチリニーは、すっかり日焼けしてしまった肌を嬉しそうに見て、「ああ、安心して飛び回れるっていいことだよな、」と満足そうに言った。筋骨隆々な体格で簡易な神官服の本物の兄と細身で上質の生地で出来た神官服の偽者ハラージとは、見かけだけだとハラージの方が本物の神官ぽく見える。

「ずっと影を置いておいたから、留守番も楽だっただろう?」

「ああ、感謝してるよ兄さん。邪魔者は来なかったよ。」

 その代わり、厄介ごとの依頼はあった。

 地上から見えていたはるか上空でずっと旋回していた竜は、縄張りを知らせるために半竜である兄チリニーが気を利かせて魔法で作り出しておいてくれた自身を模した影だ。実体がない影でも、見える範囲で何かあった場合は竜がやってくると知らせる合図のような役割を持っていて、竜同士の衝突は避けられる。

「ところで、この匂いは?」

「さっきまで冒険者がいたんだ。治癒師(ヒーラー)で、半妖の娘だよ、太陽神様の加護も持っている。」

「いや、この匂いは、半妖ではないな、」

 クンクンと鼻を鳴らして、神官姿のチリニーは転がったままの水晶(クォーツ)の柱を覗き込み、首を捻りながら立てて直した。ついでとばかりの勢いでハラージに手を引いて起こしてくれるので、ハラージは兄の前に向き合った。

 双子の弟であるハラージに顔が似ている兄のチリニーは、ハラージとそっくりだけれどハラージよりも背が高くてより美麗な容姿で均整の取れたたくましい体格をしている。魔力を持っているのも、しっとりとした柔らかで滑らかな声質も、高い知性も、すべてハラージの上位互換な気がしてならない。

「追いかけるつもりか、ハラージ、」

「兄さん?」

「止めておけ、相手は上級の精霊だ。お前たちの言葉で言う大妖だぞ。」

「兄さん、あの子は半妖の娘だよ、」


 チリニーはあの娘(ビア)が触れ話しかけていた水晶(クォーツ)の表面を指で撫でるようにして3重の輪の魔法陣を描いた。中心には六芒星といくつかの数字と記号も描いていく。


「兄さん、」

 何をするつもりだい?


 尋ねかけたハラージを無視してふっと息を吹きかけチリニーがパチンと指を鳴らすと、魔法陣の中心から発火した青白い炎がテラテラと油を塗ったように光る表面を滑らかにゆっくりと広がった。


「ほら、これをみろ、」

 

 黒い空に暗い丘に焼け野原に降り立つように、獣のようでいて魚のような実在しない動物のような体格をした何者かが、白く光る少女のような人影と向き合っている後ろ姿が映し出されていた。なんだこれは、と言いかけて、両手でハラージは吐き気を押さえた。その場にいなくても、何者かからは妖気というより禍々しい邪気がにおいたつように溢れ出ていて、どす黒い瘴気が全身を黒く染めている。

 ゆらゆらと揺らめく映像は燃えるように消えたのに、息苦しい魔の闇が心に焼け付く。


「兄さん、」

「しばらく前にこの部屋の一部は別の場所とつながっていた。この者たちがいたのはおそらく精霊界ではなく、虚空の闇かその近くだろうな。」

「いや、そうじゃなくて、」

 一瞬きょとんと眼を丸くして、チリニーが首を傾げた。

「ああ。」

 (ビア)と一緒にいるのは誰かと説いたのだとようやく察したらしい兄は、呆れたように答えてくれた。

「ハラージ、お前が呼んだのではないのか。」

「いいえ?」

 単なる劇団員なハラージは、魔法で召喚などできない。

「奇跡が起こる条件が揃っていたのか…?」

 チリニーが何を言いたいのかわからないハラージとしては、「兄さんぐらいしか呼んでないよ?」としか言いようがなかった。

「これは、…だ。」

 伝説に出てくる悪い魔性の精霊そのものを召喚してしまったと知って、ハラージは腰を抜かしそうになった。

「大丈夫かい、ハラージ。手を貸そうか、」

「いえ、大丈夫だよ、だけど、そんな、信じられないよ、兄さん。先の大戦の頃には名を聞かなくなっていただろ? 人間の世界にはもういないのだと思っていたのに。」

皇国(セリオ・トゥエル)で封じられたとされている(いにしえ)の悪しき魔性たちの目撃証言は近年増えつつあるから、何もおかしくはないさ。」

 肩を竦めたチリニーは、「むしろ、復活しても人間には見えていないだけなのではないかい?」と笑ったりもする。

「それにしても、お前、私を今晩どこで眠らせるつもりなんだ? こんなに模様替えをして、」

 床には水晶(クォーツ)の柱のような鏡が転がっているだけの部屋を見回し呆れたように言って、美しい神官は腰に手を当てた。

「いくら魔法が万能でも、これは骨が折れそうだ。もちろん、お前も手伝ってくれるよな?」

「兄さん、その前に、ちょっと助けてほしいんだ。」

「逃げる気かい?」

「違うよ、あのさっきまでここにいた娘、ひとりで飛び出していったんだ。」

「冒険者なら放っておいても大丈夫だろう?」

「そんなわけにはいかないんだ。」


 ハラージはしどろもどろにたどたどしくデリーラル公爵家の方針と末の弟君と、従者である騎士と馭者の話をした。もちろん、肝心(かなめ)な半妖の娘の話もする。


「あの娘、ただでさえ不運なのに古の悪い魔性の精霊に目をつけられたとなると、命を手放してしまいそうじゃないか?」

「なんだハラージ、怖い目に合わせてしまって後味が悪いから、無事に逃がしてすっきりさせたいとでも言うつもりでもあるのかい。」

 言い当てられてしまったハラージは、罪悪感に胃が痛くなる想いがする。

「何事も日頃の行いがすべてだからな。太陽神様の加護があったと言って万能なわけではないし、輪廻の輪に帰ることになってもその娘の寿命なのだろうからなあ、」

「そんなことを言わないでくれ、兄さん。あの娘がこの領を無事に出られるかどうか、守ってやれなくてもせめて見送ってやれないか、」

「できなくはないが…、」

 腕を組んで考え込むふりをして、チリニーはちらりちらりとハラージを盗み見た。

「追いかけようにもその娘の顔をしっかりと知らないからなあ。知っているのはハラージだろ? もちろん、一緒に行ってくれるんだよな?」

「背に乗せてくれるのかい、兄さん、」

「落ちないよう気を付けるんだよ、ハラージ、」

 ニヤニヤと笑う半竜のチリニーはもう出かける気になっていて、外へと指さした。

 昔から、兄さんの背に乗せてもらうと急降下直角移動無駄な回転で悪酔いするんだよな。ハラージは強烈な経験に身震いすると同時に吐き気まで思い出していた。

「くれぐれも落とさないでおくれよ、兄さん。」

「任せておきなさい、」

 得意そうなチリニーが先に裏手へと向かう。歩きながら竜へと変身していくのだから兄さんは相当せっかちだ、とハラージは思った。


 ※ ※ ※


 半竜であるチリニーが竜となり弟であり人間であるハラージを乗せて空へと翼を広げて舞いあがってくれたので、ハラージは安心して目を凝らして地上の影を識別していた。起点である自分たちの神殿の付近には人影自体が乏しく、しばらく空を移動していると、だんだん夜の闇に人影が減っていくのが判って、どんどん領境の検問所が近くなっていくのが判った。

「いるかい?」

 風に混じって、チリニーが尋ねてくる声が聞こえてきた。

「見つからないけど、きっとまだ生きているよ、」

「生きていても誘拐されていたらさすがに私でも追いかけられないよ?」

「それは半竜じゃなくても同じだよ、兄さん。」

 ただの人間である旅の劇団員ハラージの方がすべてにおいて分が悪い。

「検問所についてしまったよ、ハラージ、どうしようか、」

 かなり上空にいるので地上にいる人間には竜の姿のチリニーも、その背にいるハラージも誰にも気取られていない筈だった。


 検問所はいつもはお終いになる時間をとっくに越えた夕方というよりは夜が近い時間でも、日中にあった聖堂との諍いごとの影響もあっていつもよりも長く門を開けているようだった。

 時間が時間なのもあって、移動は明日と割り切ってもう旅を諦めて宿に泊まる者や酒場に繰り出す者がほとんどの中、諦めきれずに足早に移動を続ける者とが混じり合って混雑している。


「騒がしいしいつもよりも人が多い気がするよ、兄さん。地上に降りて、こっそり路地裏からでも見てみたいよ。」

「あいにくと降りれないな、ハラージ。別行動をするならひとりで帰ってこいよ?」

「兄さんについていくよ、加護持ちの魔法使いに対抗できるのは、半竜の神官ぐらいしかいないだろう?」

「喧嘩は避けたいが、どっちにしろ、近付き過ぎたな、」

 上空の、街を見下ろせる高さからあの娘(ビア)を探すのは無理ではないし、ここからでも顔だって見えなくはない。ただ、すぐには助けに行けない距離感だ。

「諦めろっていうのかい、兄さん、」

「そんなことはいってないさ、」

 何か言いたそうな雰囲気のチリニーに気が付かないふりをして、ハラージは視線を遠くの街へと向けた。

 いくら夜の闇に紛れているとはいえ、竜が崇められるのは人間の暮らしの場に踏み込んでこないからであって、人間の暮らしに竜が現れると退治されてしまうという当たり前な事実を思い出して、悔しさに唇を噛んで言葉を飲み込んで気を取り直す。

「もう少しだけ、ここにいたい。あの娘を見つけたら、諦めて帰るから、」

「そうしてくれないか。ハラージ、」


 夜の風が吹き始めた家屋の上空で、ハラージは竜の背に乗って旅人の姿を観察していた。だいたい、女性の姿が少ない。

 まだ到着していないのか?


「変な鳥が来たな、」

 兄の呟きを拾って、ハラージは鳥を探した。 

 見つからず、緩い坂を検問所へと向かって上ってくる旅の女の姿を代わりに見つける。


 目を凝らして見極めていると、あの娘に見えてきた。彼女の姿を見つけたのはハラージだけではないようで、検問所近くの酒場にいた数人の旅人たちが一斉に顔を隠して席を立った。一目散に検問所に並ぶのではなく、娘の到着の頃合いを図るように、案内係にわざとらしく声をかけ丁寧に行くべき道を教えてもらっていたりするが、決して顔が見られないようにしていたりもする。

 もしかして、あの娘を待ち構えている?

「兄さん、」

 興行をして領を旅するハラージたちの劇団でも、これまで何度か盗賊団に狙われたことくらいある。馬車に乗せてやる代わりに、旅の剣士が用心棒として働いてくれ追い返してくれたことだってある。

 冒険者で治癒師(ヒーラー)となると売れるからか。あの娘を捕まえて悪いことを企む者たちに目を付けられたみたいだよ、兄さん、と言いかけたハラージに、竜であるチリニーが「あそこをみろ、ハラージ」と言って体の向きを変えた。さすがに虎目(タイガー)(アイ)の腕輪に頼らないと見えない距離だ。

 検問所を抜けた遥か先の、王都への街道へと向かう合流地点の近くを、灯りを揺らして公爵家の馬車が疾走していた。誰も乗せずに走っているとは考えにくい。乗っているのは、捕まって閉じ込められた末の弟君だろうと見当がつく。

 あの勢いなら追いつかないだろうな。それでも、あの娘は夜の街道を進むのか。女の足では哀れに思えてきて、ハラージは諦めてくれたらいいのに、とこっそり心の中で呟いてみる。

「兄さん、あの馬車、王都まで行くと思うかい?」

「夜中も走ったら早いだろうね。余程の火急の用事なのだろうな、」

 ぐるりと体の位置を動かして、チリニーは「あの娘に関係があるのだろうか、」と検問所近くまでやってきた(ビア)を見やった。

「こんなに早く追いつけるとは思っていなかっただろうから、かわいそうだ。」

「あまりお前の足止めは役に立っていなかったようだな、」

「うるさいよ、兄さん。」

 できる限りの努力をしたつもりだったので、ハラージとしては面白くない。

「末の弟君は王都へ行ったとして、他の、残った忠義者たちはどうすると思う?」

「私が彼らの立場なら…、」

 嫌な予感しかしなくて、ハラージは唇をそっと触った。

「待ち構えて、足の一本や二本、折ってしまうかもしれないな。」

 追いかけられないように、動けないように、心も折ってしまうかもしれない。

治癒師(ヒーラー)なら治してしまうだろうから、監禁もあるだろうな。」

 不穏な未来しか想像できなくて、淡々とした兄の言葉にハラージはついブルッと身震いしてしまった。

 トーストの神殿に連れ帰って明日には領を再び出られるようにしても、明日以降は検問所の対応が違うかもしれない。

 想像でしかないけど、デリーラル公爵家の忠実な家来たちは仕損じたハラージも始末して、娘を消し去る方向で一致団結してしまうかもしれない。

「あの子を、行かせてやりたいんだ、兄さん、」

「どうして? 理由を聞かせてくれないか、ハラージ、」

「半妖だからとか、治癒師(ヒーラー)だからとかじゃないんだ。純粋に、あの子は幸せになってほしいだけなんだよ、ダメかい?」

「マザリモノがこの領ではどういう待遇を受けるかを、知っているからこその助言かい?」

「兄さんも、マザリモノって言われたのを忘れないでいたんだね、」

「当たり前だ。竜の子供は竜を祀る国・王国(スヴィルカーリャ)では崇められているが、精霊の愛する国・公国(ヴィエルテ)では不気味な不吉な子だと言われていたりする。私たちの運命が変わらなかったように、あの子が半妖なのが変わらないし、デリーラル公の末の息子が竜の血をひく者の末裔という事実は変わらない。混ざっていない者が、この国では大半だから。」

「そんなこと、たいしたことないのに。混じったって交わらなくたって、共存はできるだろうに、」

 どうしようもないからこそ、逃がしてやりたい。

「ああ、わかっているよ、」

 辺りは夕方の混雑で、空を見上げている者などいなかった。

「兄さん、検問を出たあたりで待ち伏せしてくれないかい?」

「引き際だって肝心だ。心が苦しくなるからな。ハラージ、それ以上は追いかけないぞ?」

「わかっているよ、兄さん。」

 攻撃はできなくとも、竜が威嚇して吠えるだけでも人間は逃げていくのだと思い出して、ハラージはいざという時に兄に頼る覚悟で了承する。


 何も言わずにチリニーは検問所を出た上空へと向かって飛んでくれ、旅人からでは一見して気が付かれない上空に留まる。ハラージはうっかり見つからないよう、竜の背に隠れて上空から息を殺して見守っていた。

 検問所の出領の検査を受ける列に並ぶ娘を見つけ、そのまま無事にこっちへ向かっておいでと心の中で呼びかけてみる。

 そのまま宿屋を探しなよ、夜道の一人歩きはやめておいた方がいいからさと言いたいけれど、あの娘の敵は領主家だ。街中にいても、宿屋にいても、領主家の差し金である領兵や騎士に襲われたらどうしようもないのだと思ってしまうと、どうか無事に突破でき逃げ切れますようにと祈るしかなくなってくる。

 デリーラル公領の検問所では、先ほどの怪しい男たちは検問所を出てすぐで街道への道を行かず、雑木林の茂みの方へと向かってしまった。

 そんな場所で夜を明かすつもりなのか?

 浮かんでくる疑問を口から音にしてしまいそうなのを堪えて、ハラージは続く娘を待った。

 

 娘は速足に検問所を出て街道に向かって駆け抜けて、道を逸れて小高い丘へと行ってしまった。

 見晴らしがいい場所へと行って野宿でもするのかい? どうして?

 空から見守るハラージはハラハラしながら、後方から人影が忍び寄ってくるのを見つけてしまう。ぎゅっと手に力がこもってしまう。アイツらか?

 月の光に目が慣れてくると、追ってきたのは盗賊団らしき怪しい男たちではなく、足運びから軍人であると判ってくる。

 娘の近くに行き、何かを言い争い、娘が光の球のような魔法をぶつけた瞬間、怯んだ者たちの姿を見てしまう。

 ものすごい勢いで丘を駆け下り爆走する娘の姿に呆気に取られてしまうのと同時に、残された者たちの素性にも何も言えなくなる。アイツら、検問所にいた兵士たちじゃないか、なんてこった。

 状況から考えて、追いかけてきた彼らは領の兵士なのに冒険者狩りをしていたのだと思えてくる。目的は金か、魔石か。なんにせよ、最悪な状況だ。


 舌打ちしそうになって、目がくらんだ兵士たちの後方から、新たな男たちが気配なくやってきたのが見えた。


 どちらにも、ハラージに依頼を持ち掛けた騎士はいなかった。

 回し蹴りを打ち込み倒す男たちは、次々に目が眩んでいる冒険者狩りをする兵士たちを素手で闇討ちにかけている。

 いったい誰なんだ?

 盗賊団だと思われた怪しい男たちは体に強化の魔法をかけているらしく、彼らが急所を素手で一撃する度に、兵士たちが悲鳴もなく倒れていく。鮮やかな拳法から、武闘僧(モンク)なのではないかと思えてきた。

 闇討ちをされている仲間を置いて、兵士たちの何人かは娘を追って走り始めていた。

 

 兄である竜が上空の闇に紛れて娘を追ってくれるので、ハラージはしっかり掴まって状況を観察する。虎目(タイガー)(アイ)の腕輪の効果と娘の光る玉がはじける魔法のおかげもあって、何が起こっているのかがよくわかった。

 追いかける兵士を、後方から追う怪しい男たちの魔法が足元に絡んでこかしていた。風の精霊でも使っていそうな綺麗な足の掬い方だ。

 あの怪しい男たちは、娘の協力者なのか? 

 それにしては、娘は気が付いていないようだったけれど。

 なんにせよ、娘を逃がしたいだけの自分と同じような価値観を持つ者がこの場には揃っていたのだと思い始めると、見守るだけのハラージにも妙な連帯感と高揚感が生まれてくる。


 街道を走る馬車を追いかけて爆走する娘が偶然幌馬車に追いついて飛び乗ったのを見届けると、領から出ず、兄もそこから先は追わずにいてくれた。ハラージは見送るには領内だけで十分だと思っていたし兄さんも同じなのだろうなと感じて、引き返すのを止めたりはしなかった。


 空に向かって竜が鳴いた声が響いて、兵士たちを闇討ちにかけていた怪しい男たちも、我に返ったように素早く手を放してその場を走り去り始めた。一方的に兵士たちを打ちのめしていた彼らは怪我などないようで、兵士たちも伸びてしまっているだけで誰も命を終えてしまった者はいないようだった。


 神殿へと戻る最中、兄の背に掴まりながら、ハラージは近くに見える月を見ていた。

 半分もない月なのに、逃がしてやれた満足感で、とても満たされた気持ちでいっぱいになっていた。

ありがとうございました。

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