47、君は僕の花冠の乙女
※ 残酷な描写があります。お気を付けください。※
「おかしいな、」
ここから先はうっすらと霧の広がる、石畳の広場に見える。
続くわたしも、ニアキンと共に霧の中に立っていた。時間が判るとしたら朝の光量だ。
呟いた声と、何かを探すようなそぶりのニアキンにつられて、わたしも辺りを見回してみる。
振り返っても、霧に消えた入り口は判らなくなり、再び結界の中に閉じられてしまったいるように感じる。わたし達は帰り道を見失ってしまったとしか思えない。
「ここは、どこかわかりますか?」
おかしいと思うのなら、おかしくない原型を知っているはずだ。
「もう少し進んでみよう。答えを出すには手掛かりが少なすぎる。」
ニアキンは何かに気が付いている…?
明確な答えになるまで口に出さないなんて、慎重にしなくてはいけない理由があるからだとすれば、急かしても教えてくれない予感がする。
「そうですね、それもそうです。」
わたしはこの場所を知らない。石畳の広場なんてどこにでもありそうで、どこでもないどこかに特定するのなら、特別な手掛かりがないと難しい。
公国ではない気がする。公国の公都でもないわ…。
霧の中にある神殿で他の場所との違いを探すなら空気感や香りぐらいだ。花の香気がないから公国じゃない木々の精気がするから王国、と言ってしまうには情報が足りなさすぎる。気を取り直して霧の上空に太陽を探して顔を上げ、先に行くニアキンに続いて進むと覚悟を決める。
「せめて風があればいいのに、」
視界が悪いので遠くまで見渡せないのも、ここがどこかわからない原因のひとつだったりする。
「任せてくれないか、霧なら消せそうだ、」
ニアキンが言葉と共に再び剣を抜いて、くるりと一度旋回させた。
風が起こるというよりは一陣の旋風が遠く先まで吹き抜けたと言える勢いで霧が消えて、光が差し込んだ。
空が晴れてきた。
明るい、とびきりの陽光だ。
真夜中の領主邸から御影石の道で移動する間に翌日の昼間まで時間が過ぎてしまったのかな。単純に考えて、なんとなく納得してしまった。妖の道に似た階段をかなり長く歩いて移動したのだと思えてくる。
視界が開けてくると、石畳が広がっていたのは神殿の前の広場で、腕を広げ仰向きに倒れている青年と、身動きが取れない程しっかりと捕縛の縄に捕まった子供が投げ出されるように転がっているのが見えてきた。
「来るな!」
誰かが叫んだ。
「ようやく来たか、」
響く声は、聴きなれない声だ。わたしの名を呼んだ誰かとは違うようだ。
広場の中心にいるのは黒尽くめの男で、すぐ傍の地面には、やはり縄を巻かれた領主代行様も転がされている。そうすると、わたしの名を呼んだのは、青年か子供?
あれは、誰なんだろう。黒尽くめの見知らぬ誰かは青白い顔をしていて、くすんだ黒い肌も薄汚れた髪も黒い服も、すべてが禍々しい。手には大きな鎌を持っていて、刃先は青年の首筋へあてられている。
「ここが決闘の場か。」
決闘とするには、青年と子供相手にもう決着がついたのか、騎士様を待っていたのか、のどちらかな状況に見える。
「迎えに来たのか、あいつが、」
得体の知れない黒尽くめの男に向かってニアキンは走り出していて、剣を手に取ると、「ウォオオオオー!」と雄たけびを上げながらまっすぐに向かっていった。
カキン!
押すように接近したニアキンの剣のぶつかる音がして、黒尽くめの男がたじろぎ、押されながら大鎌で応戦しているのが見えた。ニアキンを睨んでいる黒尽くめの男は、領主代行様や人質たちから意識が逸れている。
「おのれ!」
すぐさまニアキンは飛び退いて体当たりをして、後方へよろけた黒尽くめの男にすぐさまもう一度下方から剣を突き上げた。
「人質とは、卑怯者め!」
ジャリジャリジャリ…。
剣に煌めく光と揺らめいた黒尽くめの男が見えたと思った瞬間、四方八方に黒い鎖が噴き出すように飛び出した。わたしや領主代行様たちへも鎖は伸びて、まるで手足みたいに自由に動き回り、守ろうと剣を振るうニアキンの行動を邪魔をする。
わたしにできることはないのかな。
高い空に太陽が見えている。ラーシュ様に願えば、力は貸してもらえるだろう。だけど、どんな力を借りるというのか見当がつかないでいる。
できるのは、領主代行様や人質たちを守る手助けをすることだ。
「ニアキン! わたしも行くわ!」
わたしを守ってくれなくていい。背を向けたまま、戦いに集中してくれたらいい。駆け寄って、身を屈め、剣や大鎌の攻撃の範囲内に入らぬよう、地を這うようにして領主代行様を引っ張って少し離れた場所まで救い出し、『治癒』を唱えた。
「わたしが判りますか。大丈夫ですか、」
「ああ、来たのか、」
「ええ、治癒師ですから、」
領主代行様は縄を見て「取ってくれないか」と言った。
武器を持たないわたしにはなかなかに無茶な要求で、手ぶらなんですとばかりに何も持たない両手を見せてみる。
「そうだな、治癒師だったな。それなら、私の腰の剣を使え、」
護身用と思われる片手剣は、ニアキンの持つ剣よりも華美で、鞘も持ち手も美麗な装飾品のような趣がある。
刀身を抜いて手にかけようとした時、ガチャンと鎖がしなるように再び飛んでいくのが見えた。
地に横たわる青年たちが危ない。
「一度だけ、挑戦してみます。」
返事がないのは答えようがないからだと思う。転がる領主代行様の背後に回り、剣を掴んで逆手で杖のように握って、用心しながら背の縄に刃を当てて削ってみる。
「動かないでくださいね、」
なかなかなじまない動作なだけに、服や体まで裂いてしまわないように、重なった部分に慎重に刃を当てる。
ブチッと鈍い音がして、縄が切れた。
思わず大きく溜め息をついてしまった。領主代行様もなので、お互いに息を殺して集中していたみたいだ。
念のために『回復』の魔法をかけておく。もう、大丈夫だ。
「あとで、もう一度来ます、」
返事を待つ前に、わたしは駆け出した。鎖が彼らを攻撃しないとは限らない。ある意味無差別な中距離での遠隔攻撃は、至近距離で戦闘中のニアキンではなく、無差別攻撃で錯乱させ、混乱を狙っているとしか思えない。
「ビア、無理はするな!」
大鎌に刃を当て剣を向けつつ体勢を変え、場所を移動し、わたしを見ないまま叫ぶニアキンは逆に、しなる鎖が近寄ったのに手を伸ばして掴み、手繰り寄せ、自身の片手に鎖を集めた。一本、動きが潰された。
わたしも、できるはず。力になれるはず。
勇気をもらって、心が強くなる。
駆け寄り、鎖に打たれて呻く青年から鎖を捕まえ、わたしに向かってきた新たな鎖を打たれつつ捕まえ結んで、黒尽くめの男に向かって投げつけてみる。
自分自身に『治癒』をして裂けた肌を治していると、わたしが結んだ鎖が重そうに地に引き擦られてのたうつのが見えた。ちょっと気分が良い。
仰向けに倒れる青年は血まみれで怪我だらけで、服の色が黒いと思ったのは血のようだ。口元に耳を近付け呼吸しているのを確認して、その場で『治癒』と『回復』を唱える。全快まではいかなくとも、あと何度か繰り返せば動けそうではある。
縄に動きを封じられている転がる子供は顔を赤くし涙を流していて、口には葉が一枚くっついてしまっている。刃の表面に記号のような図形が見えたので、封じられているようだ。血まみれな上、汗も涙も一緒にしている子供の顔はどこかで見たことがある。
もう一度『治癒』を唱えて、青年の服を引っ張って、引き摺るよう動かそうとして、まっすぐに飛んでくる鎖を『強化』を唱えて手で払い除ける。あと5本ある鎖はとても厄介だ。
「ビア!」
ニアキンが叫ぶのが聞こえる。
鎖が飛んでくる。捕まえようとした腕に巻き付いて来ようとするので懸命に躱すと、別方向から来た一本の鎖に背中を打たれてしまった。
痛くて、重くて、思わず地に這いつくばってしまう。
背中を撫でながら『治癒』を唱えて、『強化』もかけておく、
落ち着いて魔法が使えない。
再び鎖が動き出す前に急いで青年の腕に手をかけて、後ろ歩きに移動する。
「待ってて、あなたも助けるから!」
子供に向かって囁きかけると、泣きながら何度も頷いてくれた。
鎖を掴んでいたらニアキンだって動けないのに、と思った瞬間、半身を翻して、ニアキンは後ろ蹴りをして男の顎へ踵を突っ込んだ。
ガチャン
ニアキンに鎖が引っ張られ鎖がきしむ音がした。
グハッと黒い血を吐く黒尽くめの男に重なるように、「アアア、」という呻き声が聞こえた。
「兄上をよくも!」
決死の表情で、体勢を整え、ニアキンは剣を突き上げていた。
「待て! 話せばわかる!」
「うるさい!」
黒尽くめの男の言葉が戦闘の停止を提案していると理解する前に、ニアキンの風砕の剣は急所を貫いていた。
剣が破壊するのは頭部も、額も黒い肌も腕も服も毛もすべてで、驚愕の表情を浮かべたままの黒尽くめの男が命を終えようとしているのが見て取れた。
ヒトの姿に蜘蛛が粉砕されていく残像が重なって見えて、あっという間に粉々に砕け散った。
ひとの肉片ではなく、ヒト型の欠片でもなく、無数の蜘蛛の集合体が細かな命へと切り離されて細かく粉砕されて消えていく。
「蜘蛛の本体はお前か、」
中でもひときわ大きく禍々しく黒光りする黒い蜘蛛が逃げ出そうと動き出したのを、ニアキンは素早く一撃で仕留めた。
シューッと赤い煙のような瘴気が漂ったかと思うと、風に消えていく。
茶金色の砂の小山を息を切らし汗を拭いながら見やると、ニアキンは空を仰いで空中に向かって大きく剣を振り回した。
キーンと風を鳴らして旋回した剣で、ニアキンは各地に散らばって行こうとする蜘蛛という蜘蛛を一瞬にして切り払った。
「悪しきものよ、すべて無に帰れ、」
仕留めたニアキンは淡々と剣を収めながら「先に手を出したお前が悪い、私に決闘を申し込むなら正々堂々とすればよかったものを、」と吐き捨てた。
蜘蛛だった男は、さらさらと音を立てるようにして黄茶色の砂となってあちこちに小さな山を作ってこの世界から姿を消されてしまった。
※ ※ ※
口を塞いでいた葉が落ちると、子供の顔は見たことがある少年の幼い様相なのだと判った。
「ラスタ、ラスタよね、」
「ビア!」
どうしたの、その姿。続けようとして、わたしは問いかけを口にできなかった。
子供だと思ったのは、ラスタの手足が手首から先、膝から先が無くなってしまっているからだと気が付く。膝など布が巻かれて止血されているとはいえ、体が縮んだと思えるほどに、背丈が小さく刻まれてしまっている。
「会いたかった、無事だったんだね、ビア、」
近寄って、手足に『回復』と『治癒』の魔法をかけて、蘇生を試みる。
糸のような何かで括られた先は、魔力の輝きを吸って、効果を得る前には消える。
「何よ、これ…、」
正常に魔力が馴染んでいかない。弾かれてしまうのは、この糸が原因だ。
手首の糸の先に見える皮は、小さく干からびた手だった一部だ。
考えられるのは呪物、しかも魔力に耐性がある。
「ダメなんだ、ビア、これは、」
膝から先がなくて体を支えられず起き上がれないラスタを、縛る縄を切ったニアキンが後ろから抱きかかえて起こした。
「ラスタ、何があったの。ああ、なんてむごいことを、」
なにがあったのかを想像すると怒りで手が震えてくる。精霊とはいえ子供を拷問するなんて、許せない。
「いいから、僕はいいから、兄ちゃんを、」
「よくないわ、」
ニアキンがわたしを見て、顔を振った。黙って話を聞け、とでも言いたそうな面持ちだ。
「兄ちゃんを助けてあげてくれないか、ビア、」
「兄ちゃんって、」
「そこにいる。アイツらに奇襲されて、あそこで輪廻の輪に戻りかけているのが、僕の兄ちゃん。ビア、助けて。僕はいいから、兄ちゃんを助けて。」
倒れていたのはラスタのお兄さんなら、このホバッサの守護精霊だ。
わたしにしてみればどちらも重篤な患者なのに、ラスタは兄を優先してほしいと言う。
受け入れたくなくて首を振って、「でも、ラスタが、」と抗いたくなって、目の前にいるラスタが泣いているのを見てしまって、自分が何をしなくてはいけないのかを改めて認識する。
ラスタを知っているのはわたしだけで、おそらくニアキンも領主代行様もラスタたち兄弟の役割を知らない。
「ビア、」
「ニアキン、この子たちは、ホバッサの守護精霊です。こっちの子が、神事の際にわたしを助けてくれたラスタです。この子のお兄さんであるホバッサの守護精霊とのつながりが、神官様たちをこの地へ帰してくれたんです。」
顔色を変えたニアキンは、ラスタの手足を見て、地に横たわったままの青年とを見比べた。
「ニアキン、どうかしたのか、」
「兄上、この者たちはホバッサの守護精霊です。当家の先祖との契約を守る者たちです。」
のろのろと這うように近付いてきていた領主代行様は、ニアキンの言葉に俯いた。
「そうか、すまないことをした。その者は、私が連れてこられたときは無事だった。その子を庇っていて、私を巻き込むのを咎めて、戦闘になった。」
「ラスタ、じゃあ、その怪我は…、」
神官様たちとクレイドルに乗り、わたしと別れたあの夜、ラスタの手足はしっかりとあった。
「誰がやったの、ラスタ。もしかして、ここへ戻るために、手足を捧げたの、」
大切なものを願掛けに使うのは古来からある儀式だってわかっている。もちろん、手足を捧げたりなんかしない。体を奪われる場合があるのは精霊間でのいざこざで、何らかの対価に要求された場合だと、想像がつく。
「違う、違うから、ビア、」
「じゃあ、誰が、」
対価を要求する精霊として脳裏をかすめるのは、ニアキンが打ち取った蜘蛛しかない。
「僕のことは気にしなくていいから、ビア、早く兄ちゃんを助けて、」
泣きそうな顔をしているラスタを助ける方が重要で、ラスタを傷つけた者を懲らしめたいという欲求の方が爆発しそうだった。
「ビア、頼む、助けてやってくれないか、」
「頼む、ビア、」
冷静なニアキンも、泣くのを堪えているラスタも、頷いている。
優先しなくてはいけない相手を決めるのは、時として治癒師のわたしじゃない。思いの強い誰かの願いだ。いったん自分のエゴを閉じ込めて、言われるままに青年に『治癒』と『回復』を繰り返していると、顔や体の血色がだんだんよくなり、魔法が十分に彼の助けとなって行っているのが目に見えてわかった。
顔色を確かめるため『清皮』の魔法で綺麗にすると、ラスタによく似た顔立ちなのだと判ってくる。年のころはニアキンと同じくらいに見える外見だけど、中身はかなり高齢の精霊だ。
魔力の回復の助けとなるようにわたしは鞄の中からチュリパちゃんに貰った黄水晶を出して、無理やりに手に握らせてみた。茶金髪に緑色の瞳のヒト型の青年は、手にある魔石をじっと見つめ、「すまないな」と呟いた。
魔力が空になった黄水晶をわたしに返すと、自身の回復した手足を不思議そうに眺めて、やがて、ゆっくりと体を起こしていた。
「話せますか、」
意識も回復しているのかを確かめたくて、ゆっくりと問いかけてみる。
「あなたは、誰ですか、」
「リコルテ…、このホバッサの守護精霊で、あそこにいるラスタの兄だ。あなたは、ビア、だね、ラスタを助けてくれてありがとう。」
「わたしが、ラスタに助けられたんです。ラスタが頑張ってくれたんです。」
「ここへは、ラスタが呼んだのか、」
「違います、きっと、」
単なる治癒師のわたしがここにいるのは、偶然ここに来れただけだからだったりする。何らかの役目を以てこの決闘の場に来た訳じゃない。
「わたしは治癒師です。そこにいる、この土地を守るデリーラル公爵家の領主代行様とあなたたちを助けに、領主家のニアキンとここへきました。」
「もしかして、カカンノオトメに選ばれたのか、」
「カカンって、勇敢っていう意味ですか?」
「違うよ、花の冠だ。」
花冠の、乙女…。
聞き慣れない言葉に戸惑っていると、リコルテさんは話を切り替え、ラスタの方へ目を向ける。
「兄ちゃん、」
手首から先がない腕を振るラスタは、とても痛々しく見える。
「ビアが来てくれたんだ、兄ちゃん、」
「ラスタ、」
嬉しそうに急いで立ち上がり、リコルテと名乗った青年はよろよろとラスタの元へと歩いた。
まだ足元がおぼつかないのを、急いでわたしは支えながら歩いてみる。
もう一度『回復』をかけてみると、「ありがとう、」とわたしに笑顔を向けてくれたので、リコルテはいい人なのだと思えてきた。
「ビア、この子は、」
ニアキンが抱きかかえたままなのを、屈んでリコルテが受け取った。抱き起されたままのラスタは、自分で態勢を整えて地に座り直していた。
「ラスタ、魔法をかけさせて、」
「ビア、ダメなんだ、」
俯き、首を振るラスタは、「いいから、僕はいいから、」としか言わない。
「どうかしたんですか、リコルテさん、訳を知っていたりしますか?」
視線を合わせるようにわたしも地に座ると、ニアキンも領主代行様も、その場に座った。
「これは呪いだ。」
「ホバッサに戻ってから受けた呪いですか?」
「そうです。人間を連れて前水竜王様が作った仕掛けでこの地へ戻ってこれたのには、私も驚きました。あれは…、土地に魔力が回復して、術の仕掛けとなる湖が消えて、このままこの地は復活するのだと思っていた矢先でした。迎えが、来たんです。」
ニアキンと領主代行様が顔を見合わせた。
「土地を守る契約は、守護精霊となる精霊と、領主家として土地を収める人間と、供物となる花冠の乙女とで成り立ちます。前水竜王様が土地に魔力を戻す儀式を行い成功した結果、新たに契約を更新する機会が生まれたのです。本来ならこの土地を収める領主家と守護精霊とのどちらかが契約を放棄しないと新たに契約する機会は生まれませんが、土地自体がまっさらな土地になったため、土地と契約する精霊との契約が解除となってしまいました。このまま挑戦する権利を持つ者が現れなければ、私が継続してこの土地の守護精霊として契約を維持できたのですが、挑戦する者が現れました。」
花冠を乗せた乙女が供物になる様子を想像して、わたしの心は重くなる。古の王国では死してもなお役割を持たせていたのだわ。花冠の乙女って、花嫁のことだもの。土地に身を捧げるのは、土地に嫁ぐのと同じと考えるのね…。
「それがあの、蜘蛛男ですか?」
領主代行様の着眼点はわたしとは違うようだ。
「そうです。ラスタは魔道具を使って人間たちとこの土地に帰ってきた時、あの者に目を付けられたようです。掴まってしまい、手足に枷となる鎖をつけられてしまいました。」
「鎖など…、」
手首や膝から先がないラスタは、当然、鎖など巻かれてはいない。
「枷は、取れたんですか、」
「私に危険を知らせるために、ラスタは手足の枷を千切ってまでして逃げてきたのです。」
「そんな…、」
手足ごと枷を切ったのだと、目の前の痛々しい姿は物語っている。
「取り方を失敗したようだな。魔道具が呪物に進化してしまったのだからな。」
ニアキンが唸るように呟いた。
せめて、この糸が切れたなら。願いながら絡まる糸に爪を立てると、ラスタは仰け反った。
「痛いから止めて、ビア。」
「糸が取れたら、治癒の魔法だって効くのに。」
わたしの思いを、リコルテさんが代弁してくれる。
「兄ちゃん、もういいんだ。ビアは、僕が弱かっただけなんだ、こんなもの、いつか治るから、」
痛々しい姿のラスタを抱きしめて、リコルテさんは首を振った。
「ラスタ、お前は弱くないから。兄ちゃんはちゃんと知っている。」
「治す手段はないのか、」
リコルテさんは首を振る。
「地の精霊王様なら、解決してくださると思います。私は、この土地を守るよう、父と母からラスタを託されています。戦って死ねるのなら本望と思っていましたが、ラスタは死なせられません。父と母からもらった、大事な弟なんです。だけど、離れられないのです。」
守護精霊ゆえの悩みに、リコルテさんは顔を歪める。
「私が捕まったから、戦ったのか、」
領主代行様が問いかける。
「守護精霊の座を奪うために人間を使うのは卑怯です。巻き込みたくなかった。それに人間のあなたは、領主家の主ではなく代行です。こんな儀式のために命を落とさせるわけにはいきません。」
「だからと言って、守護精霊であるあなたまで命を懸ける必要などなかっただろうに、」
苦しそうに言って、領主代行様は首を振った。
「そこの騎士が、花冠の乙女を連れて現れた時、守護精霊の座をかけての決闘が始まるのだと悟りました。立ち会うのは領主代行であるあなたと、花冠の乙女です。私は譲る気はありませんでしたが、無様に負けました。」
「決闘とは、精霊同士の決闘かい、」
ニアキンが尋ねると、「そうです、」とリコルテさんは即答する。
「引退しない場合は、決闘で残った方が守護精霊となります。あなたという領主家の協力で、私は守護精霊を続けられます。」
ラスタたちは、ニアキンの正義に助けられたのだ。
「花冠の乙女とは…、供物と言ったか、」
領主代行様が怪訝な顔付きになったのに、リコルテさんとラスタはどことなく嬉しそうだ。真逆な反応とも言える。
「守護精霊が交代する時、土地との絆を強めるために魔力の強い無垢な乙女を捧げます。選ばれないとここへはこれません。幸いにも、前水竜王様の契約を持つその娘は、私の弟とも縁があるようです。」
ん? わたしが花冠の乙女なの?
「いや、まて、ビアは偶然一緒に来ただけの私の大切な友人だ。供物などにはしない。」
ニアキンが大きな声で、はっきりと言った。
ありがとうございました。




