45、秘密の扉は絨毯に隠してある
わたしに宛がわれていた客室は一階の東側の南向きにあって、この部屋はわたし達が夕食を食べた大広間だった記憶がある。力任せに騎士様がドアをこじ開けると、「若様、ご無事で!」といくつも声が響いて、ランタンを手にした執事長や執事、侍女たちが互いに協力し合いながら廊下へと出てきた。騎士様が無事なのを嬉しそうな顔をして見つめる一人一人に「大丈夫か」と声を駆けながら、騎士様とわたしは怪我はないかを確認していく。幸いと言うべきなのか、驚いてこけて捻挫した者がいたくらいで、すばやく『治癒』で対応できた。彼らがいた部屋にあった燭台に灯してあった蝋燭は既に消してあり、他に灯りがなくて、どんな惨状となっていたのかが見えるわけでもない。ランタンは非常用で置いてあったものだそうだ。彼らの言葉を信じるなら、重厚なカーテンのおかげで外からの侵入者はなく、窓のガラスで怪我をする者もなかったらしかった。
「この部屋に皆で集まっていたのかい、」
人数を確認し終え、執事に騎士様は念を押すように尋ねている。
「夕食の片付けの後は、明日の朝食の用意と決まっているものですから、」
ちなみに彼らの食事はわたし達の夕食前に済ませてあったそうだ。
「厨房に人はいたのか、」
「おりません、食糧庫へ明日使う食材を調達に出かけている時間だと思われます。」
「中で火を使っていたものは?」
「すべてが終わってから合流して、打ち合わせも兼ねたお夜食を頂くことになっておりました。」
「そうか、よかったが、よくないな。王都なら夜店もあるが、ここでは自前だからなあ。」
騎士様はしみじみ頷いて我に返って、「無事で何よりだった、」と言い直した。取り繕うように、「中庭側から外に出ているのか。危険だな、他の者は、」とも尋ねる。
「邸内に警備の騎士たちはおりません。外との交代の時間なのです。」
「ああ、その隙を狙われたのか、」
悩ましそうな騎士様は、唸るように呟く。
「当家の事情を知っている者たちの仕業でしょうか、」
「違うだろうな。何しろ、普段いない私とビアがいる。」
騎士様は言葉を区切って、わたし達を見回した。
「ここを離れよう、」
反対する理由もないので、誰もが黙って頷いて、先頭を行く騎士様について歩き出した。騎士様の傍をランタンを手にした執事長がほぼ隣を急ぎ足で追いかけ、その後をわたしや他の執事、侍女たちがついて歩くのだ。
ほんのりと照らされた床には倒れた花瓶や剥がれ落ちた天井だった廃材、細やかな照明として天井につるってあったはずの破損したガラス細工だった塊やら破片やらが落ちている。
足場の悪い廊下を進みながら、廊下の先の入り口ホールを目指して進むしかなかった。見たところ邸内の基礎となるだいたいの骨格は無事なようだ。
開けっ放しのドアから、内装も崩れている部屋とそうではない部屋があるのが見える。元居た客室の方向からカサカサという音が聞こえてこないのが不気味で、いっそこのまま別の場所からも聞こえてきませんようにと願ってしまったりもする。
屋敷の西側から廊下へ出てくる者たちはいなくて、階段から降りてくる者たちもいなかった。
ただし、ギイーっと何かが軋んだり、悲鳴のような、キンと剣の交わるような音が、西側のどこかの部屋から聞こえてきている。
「屋敷の中に無事にいるのは我々だけか…、」
騎士様は入り口ホール前の角まで来て立ち止った。屋敷の西側、ここから見て灯りのない向こう側は、暗闇なのに交戦音が聞こえてくる。
「お前たちは外へ出なさい。中にいるよりは安全だから。」
目が合うとわたしに向かって騎士様は頷いているので、一緒に来てほしいという意味なのだと悟る。西側にきっと領主代行様がいるのだ。あのもの音からすると、侵入者もきっといる。
黙ってついてきていた使用人たちがざわつき始めた。意外な反応に、「どうした?」と騎士様が見回している。
「領主代行様もいらっしゃいます。中にいた方が安全ではありませんか、」
恐る恐る侍女のひとりが尋ねている。「大勢でいた方が、お力になれるやもしれません、」凛とした、覚悟の決まった声だ。
屋敷の西側の部屋に領主代行様がいると、誰もが知っているからこその発言なのだと思えた。騎士として王都で働く騎士様と違って、領主代行様はあまり武芸が得意そうには見えなかった印象がある。
他の者たちも「お願いです、いさせてください、」と口々に主張し出したので、騎士様は不機嫌そうな顔をすると、「ダメだ、話を聞け、」とまず言った。
あれだけ騒がしかったのに騎士様の一言で誰もが黙っている。主従関係が確立されているのってすごい。
「先ほど、侵入者があった。」
なんだ、そんなこと、とどこからともなく小声がいくつも聞こえ、慣れた表情に誰もが変わったので、領主家でのお勤めは結構物騒なのだと理解する。
「私たちは魔法が使えます、単なる領民ではありません、」
「先祖代々御奉公させていただいた恩義があります。これぐらい、」
「お役に立とうとお勤めに励んでまいりました。やらせてください、」
血気盛んな執事たちはともかく、侍女たちまで戦うつもりがあるのってすごいと感心してしまう。
湖の神事の何代かの巫女役を愛し娘様の侍女だった者たちが務めていたのを思い出す。この人たちの先祖の誰かは、死を覚悟しても前水竜王様と愛し娘様の元へ幼い老女神官様をお連れしてあげていた人たちなんだ…。
「だからこそ、ダメだ。」
稲妻のようなはっきりとした声で、騎士様が拒絶する。
場が震える。あまりの迫力に空気が震えて、偶然だと思いたいけど、背後の天井から破片が転がり落ちてきて転がった。わたしは染まるように場の雰囲気に飲まれていたのもあって、つい身震いしてしまった。
連鎖する衝撃に緊張する者たちを一瞥すると、騎士様は改めて険しい表情に変わった。
「人ではない。兄上と…、あそこにいるのは魔物だと覚悟してほしい。」
魔物と聞いて死人を思い出したものもいたようで、ヒィという小さな悲鳴が侍女たちから聞こえてくる。
「外に出さえすれば、当直の警護の騎士たちがいる。聞いてくれ。戦うにしても、戦い慣れた者の方が生き残れる。慣れていないと自分の身で盾になろうとするからな。盾が増えても、私は嬉しくない。わかってくれ。」
心の内を指摘されたようで身を竦める者たちがいるのが見えてしまう。
「兄上は私が何とかする。私を信じてほしい。お前たちはどうか無事でいてほしい。」
「ならば代表して私めが、」
執事長が残ろうとすると、他の者たちが手を上げて、「私の方が若いです」、「私の方がお役に立てます」と口々に自分の強みをアピールして立候補し始めた。
「ダメだ、ひとりもダメだ。頼む、」
騎士様が困ったような嬉しそうな顔をして首を振った。
「頼む。わかってくれ、すべてが終わったら、ここへ戻ってきて一緒に片付けをしてくれないか。」
頭を下げてまでして騎士様がきっぱりと言った。
「私は片付けは不得手だ。皆も知っているだろう?」
黙ってしまった執事長をはじめとする使用人たちは、お互いの顔を見あっていた。
「若様、わかりました。」
執事長が騎士様にランタンを手渡した後、一礼すると、他の使用人たちも礼を倣って礼をしていた。
「あとのことはお任せください。」
「兄上は私が必ず連れて行く。外の…、他の者たちのことは頼んだ。」
「お待ちしています。」
「ああ、」
騎士様はなぜか得意げで、わたしはちょっとだけ、大丈夫なのかなと思ってしまった。
入り口ホールの先の暗い闇を背に、灯りを手にした人々がやってくる様子が見えた。
「応援が来たようだな、」
「合流します。」
「魔物を退治するまでは入るなとだけ伝えてくれ、いいな?」
「わかりましてございます。」
緊張した面持ちできびきびと執事長を先頭に執事や侍女たちが入り口ホールの開いたままのドアから出て行ってしまうと、騎士様はわたしを見て「どうして残ったんだ?」と言い出した。今更それを聞くの?
「残りますよ、気になりますし。」
なにしろ騎士様は魔法が得意ではないみたいだし、わたしは治癒師だけど一応冒険者なので、やれることは何でもやっておきたかったりする。
「魔法、使いますよ?」
騎士様に『治癒』と『回復』の魔法をかけて、「どこか、痛いところはないですか?」と念のため聞いてみる。
「ない。これからも痛くなる予定はないな。」
「わたしもそうありたいです。」
崩れがひどいのは東側よりも西側なのだと、暗闇の不穏な静けさを前に感じる。
「地属性の魔法使いが相手なら、わたしが引き受けます。」
「さすがビアは頼もしいな。」
屋敷の西側へと歩き出した騎士様は、さりげなくわたしに手を差し伸ばしてきた。
「お嬢さん、お手を拝借したい。」
「足元、そんなに危険に見えないですよ?」
「いいから、」
手を重ねると、騎士様はわたしの手を包むようにして握った。
引き寄せられるように並んで歩いて、一緒に、廊下を進む。
「どの部屋か、わかるんですか?」
「ドアが閉まっているのは父上の部屋だけだから、多分そこだ。」
「何かあるんですか、」
ぎゅっと手を握る力が強くなって、「痛いです、」と呟いてみると、「すまない」と謝ってくれ、手の力を緩めてくれた。
「兄上は、おそらく掴まっている。」
「わかるんですか?」
「ビアと話をした後、一緒に水見の館へ伺う予定をしていた。」
「こんな夜更けにですか?」
「神官様の様子がおかしかった。もう一度話を聞けるのなら、逃げる前に話しておきたかった。」
西側の南にある領主の部屋だけがドアが閉められ、周辺の廊下の天井の崩壊が激しい。入れないよう特に念入りに瓦礫が落ちているようにも見えた。
「逃げるって、」
話の流れからすると老女神官様が逃げるのだろうけど、どうしてそう思うのか知りたくなる。わたしは逃げないと思う根拠って何か聞いてみたくなる。
騎士様はわたしを見て、ゆっくりと空中へと目を向けた。
「ビアは、逃げなかったな、」
「どうして一緒に行くと思ったんですか?」
頷きあったあの瞬間、心が通じたみたいで勇気づけられたとは言えない。
「同じだろうと思ったから。」
その通りです、とは恥ずかしくて言えそうにない。ちょっとだけ、友達になってもいいと思えてきたとも言わない。
「騎士様は止めよう、ニアキンと呼んでほしい。ビア、それ以外は、呼ばないように。いいかい?」
「ええ、わかりました。ニアキン。」
「やっと呼んでくれたな。ニアキン様も止せ、いいな?」
「ニアキン、ですね。」
「魔物対策とはいえこんなきっかけで名前を呼びあう仲になろうとはな、」
嬉しそうな騎士様を見て、こっそり、この人本当に名を呼んでくれるような友達がいないのかもしれないと思ったのは内緒だ。
※ ※ ※
どうにも動かないドアを蹴破って中に入ってみれば、領主であるデリーラル公の執務室というその部屋は、何一つ被害もなく、誰一人の姿もなかった。他の部屋や廊下の崩壊がひどいだけに、何か特別な仕掛けのある部屋なのだろうなとはわかってくる。
「兄上…?」
騎士様は部屋に入るなりランタンを手に燭台の蝋燭に火を灯していき、閉められていたカーテンを開けて、窓の向こうまで確認していた。
カーテンや大きな本棚の影にも、カウチやソファアの影にも、誰かは潜んでなどいない。
「どうなっているんですか?」
この部屋じゃないとか?
首を捻るわたしなどお構いなく、しゃがんだ騎士様は床にひかれていた絨毯を巻きとり始めていた。
分厚い絨毯が丸く厚くなっていく間に、だんだん床が黒い御影石なのだと判ってきた。正確には、部屋の床の中央に黒い御影石が四角形になるよう配置されていて、周りは明るい灰色の御影石なのだと判ってくる。
ふつうは綺麗に木目の揃った板張りなのではないのかな。
あまり絨毯を巻き取ってみたり絨毯の下を覗いてみたりしたことはないけど、こんな風に墓石みたいな感じではない気がした。
墓石?
自分の閃きに戸惑っていると、巻き取り終えたニアキンが、「ビア、兄上はこの向こうだ、」と言った。
執務机に絨毯を立てかけると、「少しだけ黙ってくれないか」と言って、いきなり御影石のタイルを掴み一枚剥ぎ取り、かき回す手つきで他を動かし、石の位置をやすやすと入れ替える。耳は滑らせる音に集中している。
「お店、始めるんですか?」
揶揄かうわたしを一瞥すると、騎士様は「いや、違うな、秘密の部屋の鍵だ、この領の、」と言って最後の一枚を嵌めた。
ありがとうございました。




