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1 助ける条件

 隣村とはいえ、舗装された街道を走っていっても小一時間ほどかかる。メルは息を切らして月の無い暗がりの道を急いだ。魔物が出るような危険な地域ではないと知っている。夜だって、遭遇するのはスライムよりも蛇や野犬の方が怖いと思うような地域だ。

 北西の辺境伯領へと抜けていく西街道と、南の隣の領へと抜けていく南街道とに街道が二股に分かれる根元に在るはじまりの村・エルスは、この領の街道の中心にある重要な場所だからこそ、この領で一番古い神殿でもある月の女神の神殿があった。

 時々マントのフードがずれそうになるのを一生懸命直しながら気配を忍ばせて走り、メルは隣村の入口に辿り着くと息を整え、外れにある奥の神殿を目指した。


 隣村エルスの突き当りにある神殿は月の女神エリーナを祀っていて、かなりしっかりと大きな石造りだった。神殿を飾る彫刻や装飾は繊細かつ優美で、神殿中央の広間に鎮座する美しい女神の台座には影響の波動を表現した細かく波の意匠が彫られている。

 昼間は何人もの神官が周辺の街から通っているこの神殿では、各地からやってきた冒険者たちが討伐宣誓書を書き正義のための討伐を女神に誓い、月の女神の3原則を神官からしっかりと叩き込まれて鉅の指輪で契約する。

 討伐宣誓書を収めると引き換えにもらう月の女神の神殿からの特別通行許可証は旅に欠かせなかった。この特別通行許可証さえあれば、運が良ければ各領の領主にも謁見できてしまう。しかも、戦いの女神とされる月の女神エリーナの加護を得るために武運と安全の祈祷を受けることができた。


 自警のための戸締りをしっかりしているのか、灯りの漏れている家もまばらだった。

 村は、自称勇者たちを恐れて夜が早い。冒険者がまともな正義の勇者か無頼者で危険な自称勇者かなんて、村人には区別がつけようがない。以前は女神の信仰のために村を訪れる旅行者のための宿もあったのだけれど、客層が変わり宿屋なんて物騒過ぎて小さな村には重荷となり、冒険者を相手にする商売は昼間だけになってしまった。

 月明りも乏しい中、メルは目を凝らして月の神殿の位置を確認する。夜は気味が悪いほど静かだって聞いたことはあったけど、こんなに静かな村なんだ…。

 月が雲から顔を出したのか、道が少し明るくなった。


 誰も歩いていない。野犬すらいないみたい。


 それでも人目に立ちたくないなとメルは思う。夜間に女性が出歩くのはあまり褒められたことではない。人さらいに捕まって遠くの街に売られる、というのは都市伝説ではなかった。メルはマントのフードでしっかり顔まで隠すと、影を縫うように街の中を静かに駆け抜ける。

 人気のない裏通りを目立たないように気配を殺して静かに走り、メルは通りの果ての神殿まで辿り着いた。


 神殿の前の少し開けた広場には、誰かが野営をした跡が残っていた。


 こんなところに人が? こんな田舎に? 討伐部隊なら宿屋や酒場がある大きな街にさっさと移動したほうがいいだろうに。心が少しざわついて、焚火の燃え滓に手を翳してみる。温度は感じられない。炭に触ってみても暖かさもない。いったい誰がいつこんなところで?

 勇者を名乗る誰かの残り香を感じたような気がして、メルは表情を引き締めた。


 私はここへ黄金星草を取りに来た。人を探しに来たわけじゃないわ。勇者ならまだいい。自称勇者な盗賊なら最悪だわ。取り締まるなら昼間の方がいい。今日はそういうつもりでここに来ていない。


 きょろきょろと見まわして、メルは人の気配がないのを確かめると、小さく頷いて音をたてないようにそっと歩いて、神殿の裏手へと回ってみる。

 雑木林が暗闇の中に存在していた。以前、昼間のうちに見つけておいた苗は、確か、少し入った先にあるはずで、満月の夜に木の根元に光る小さな草が黄金星草だという証だった。

 早く見つけて帰ろう。

 小さく頷いてメルが小道を歩いて適度に刈られている草を避けて進むと、どこかで鳥の鳴く声が聞こえた。カサカサと、何かが蠢く音もする。


 なんだろう。さっきの野営に関係してる?

 でも小さな音だわ、きっと、夜行性の小動物か何かだわ…。


 自分自身に大丈夫と言い聞かせ、メルは息を殺して、歩き続ける。


 雑木林の中に目的の月の光を浴びて輝く黄金星草を見つけた。


 一見桔梗の形に似ていて、でも色は透けるように白くて、おしべとめしべが黄色く光る黄金星草は生える条件が決まっていた。必ず神殿の近くであること、必ず満月の夜にしか咲かないこと、必ず咲いている間に摘まないと効果が期待できないこと…。


 メルは空を見上げた。静かな夜空に月が見える。丸い綺麗な満月だった。黄金星草は以前見つけたときよりも株が増えていて群生していた。

 とても美しい眺めだわ、そっと溜め息をついてメルは見惚れてしまう。

 暗闇に、ラッパが音を吹き出すように光の粉を放出して、花が、咲いている。


 ここは神殿の裏手で満月で、誰の邪魔もない。条件は揃っている。摘むなら今しかない。

 メルはしゃがんで茎に手をかけた。月を見上げながら手折る。1本、2本、と数えながら5本ほど摘む。あんまり摘んでしまって、株が増えていき難くなっても困ってしまう。

 摘んだ黄金星草は持ってきた麻袋に入れて袋の口を丁寧に縛って、腰のベルトに括りつけた。これで、走っても落とすことはないだろう。

 さ、急いで帰ろう、母さんにいないと気が付かれても困る。

 メルはそっと立ち上がると、ひたひたと神殿まで静かに歩き出した。


 月が、雲に隠れた。辺りは闇の濃度が深くなる。


 ぐらり、と地面が揺れた気がした。


 地震? 眩暈を感じて立ち止まり、メルは首を竦めるとあたりの気配を伺って、誰も騒いでいる様子がないのを確かめると、静かに空を見上げた。雑木林の中に微かにあった小動物の気配が消えた気がした。

 満月が雲に隠れようとしていた。


 自分が立っている場所から見えたはずの神殿が、見えなくなっていることに気が付く。


「?」


 雑木林の中に戻ってる? 揺れた瞬間に私、その場でぐるっと回ったのかしら。


 メルは首を傾げならまた背を向けて開けた方へと向かって歩き始めた。


 ※ ※ ※


 いくら歩いても神殿が見えず変だなと思いつつメルが雑木林の中を進んでいると、やがて、人の声が聞こえ始めた。


 まずい、見つかるわ。


 慌てて背を向けて逃げようとしたメルは、しなやかで柔らかい壁にぶつかった。

「?」

 衝撃に目を凝らすと、背の高い男性が立っている。メルのように黒いマントを頭からかぶって、平然とした様子でメルを見下ろしていた。大人の男性だ。落ち着いた雰囲気と場慣れた様子から、年の頃は20代後半から30代といったあたりだろうか。微かにスパイシーなムスクが香る。

「お前はあの者の仲間か?」

「誰?」

 メルが思わず聞き返すと、男はメルの頭からマントのフードをパッと取り払うと、顎を掴んで顔をじっくりと見つめてきた。


 爪が長い、やけに、体温が低い?

 怜悧な光を讃えた緑色の瞳が、黒いフードの中から私を見つめている…。


 メルは敵と判断して、手刀で手を跳ね上げると、勢いをつけて身を翻して後退った。マントが、風を切る音を立てる。

「ナニモノ、」


 間合いを取ってもわかる。この男は強い。威圧されてしまう。


「警戒するな、女には手は出さん。」

 にやりと笑って、背の高いマントの男は歩み寄るとパチンと指を鳴らした。

「こっちへ来い、いいものを見せてやる。」

 そう言って抱き寄せたメルの口を手で塞ぐと、自分のマントの中に隠して気配を消した。

「…?」

 もごもごとメルが抵抗して動こうとしていると、男はメルの耳元で優しい静かな声で囁いてきた。

「静かにしろ。何もしなければ手は離してやる、女は優しくして喜ばせてやるものだからな、」


 こんな状況でそんな例えを口にするなんて変態だわ、とメルはこっそり思ったけれどこのマントの男が自分よりも強いのだと悟ってしまっている以上、抵抗しない方がいいように思えていた。

 心の中で変態男とあだ名をつけて黙り従うふりをしていると、変態男はメルの口を塞いでいた手を離し、包み込むように優しく抱きしめてきた。


「見ろ、」

 何を見ると言うの? メルがきょろきょろと視線を動かしていると、何かが動いている影を見つけた。


 影が動いている。人間だろうか。月が雲から現れて、辺りが明るくなった。

 メルたちがいる木の陰から少し距離のある木の根元に大勢の何かが集まっていて、足の間からに地面に転がされている人の姿のようなものが見えた。

 目を凝らしてみれば金髪の少年が、捕まって後ろ手に縛られている。従者だろうか、20代半ばといった雰囲気の男も縛られて、地面に転がされている。

 取り囲むように何人かの…、あれは魔物(モンスター)? 

 メルは異形の者たちの姿に驚いた。毛むくじゃらの、頭の様子は牛や狼、犬のようなのに、服を着て二本足で立って何かを喚いている。数は10から15…。魔物の集団に人間が捕まったんだわ、とメルは理解した。こんな平和な地域にあんな魔物がいたなんて、と驚きもする。


 何かを離しているような雰囲気だったけれど、メルには聞こえなかった。頭一つ分ほど背の高い変態男をちらりと振り返り見上げると、理解できているのか、じっと話を聞いているように見えた。

 変態男は小さく頷いて、「聞こえないのか、人間はつまらんな、」とメルの両耳を触る。

「…手間取らせやがって、」

 かなり遠くなはずなのに、声がハッキリと聞こえ始める。

「おい、こいつら人間の分際で俺らの縄張りにのこのこやって来たんだから、目にもの見せてやろう、」

「そうだな、こっちは程よく育っているから奴隷だろう、」

「こっちは綺麗な髪をしているから、女の(あやかし)に売りつけてやろう。髪を伸ばして刈り取って、いい織物が出来そうだ、」

 犬頭に足で蹴られた金髪の少年は、痛そうに顔を顰めた。

 もぞもぞと従者らしき者が蠢いて、隠し持っていたナイフで縛っていた縄を勢い良く切ると、そのまま獣のような狼頭の足にナイフを突き立てた。雄たけびのような悲鳴が響き渡る。

「何をする!」

 魔物たちが動き出そうとする前に、従者は金髪の少年を抱え起こして縄を剣で切って「お逃げ下さい、」と叫んだ。


 どことなく少年は、取出くんに似ていた。


 メルは目をぱちくりして、まさかね、と思った。取出くんは黒髪茶色目で、目の前の少年は金髪碧眼だった。髪の色も違うし、瞳の色も違うのに、似ているはずなんかない。

 金髪の少年が立ち上がろうとした時、背を向けている従者に向かって犬頭が飛びかかった。

「危ないっ! 後ろ!」

 メルが思わず叫んだ声は、その場にいた全員の動きを止めるには十分な響きがあった。

「あっちにもいるぞ、」

「女は生け捕りにしろ。」

「傷をつけるなよ、価値が下がる、急げ、」


 魔物たちが分散したすきに、体勢を起こした少年たちを見て、メルはほっとして、気持ちを引き締め直し、魔物を迎え撃とうと覚悟を決める。

 雑木林だと言って適当な木片が落ちているわけではない。仕方ない。手刀か、蹴りか…。


 金髪の少年が剣を手に従者と背中合わせに取り囲む魔物たちを睨みつけている。

 隠れていたメルの方へも、何人かの魔物が草を掻き分けてやってきた。


「お前を助けてやってもいい。だが条件がある、」


 声を出したメルを責めることはなく、変態男はメルに囁いた。

「あなたもあいつらの仲間なの?」

「似たようなものだが、違う。どうだ、条件を飲むか?」

 メルは息を呑んで、相手の出方を窺った。

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