39、優しい人が善人面しているとは限らない
ふるふると、首を振ってみる。
「虚空の闇と呼ばれる何もない場所から、わたしと世界をつなぐ縁を信じて戻ってこれたばかりなんです。東北のクラウザー領のガルースから、北西のデリーラル公領のロザリンド様と連絡する術を持っていません。」
隣に座る師匠を見上げる。師匠の瞳はずっと何かを言いたそうでもどかしそうだ。手を握ってくれているこの人が持っていた翡翠のアマガエルとアリアドネの糸がなければ、わたしはここにいない。
連絡するとして、実父である前水竜王様ではなくわたしが生き残っている事実を老女神官様は許せるのだろうか。冷静に、わたしも伝えられるだろうか。父さんとシンがあの場所にわたしとコルとシューレさんとを引き寄せなければ違った結果になっていたかもしれないと思うと、シンや父さんのことを語らずに見たままの結果を話せる自信がない。誤魔化しや嘘を、大切な人を亡くした人に伝えるのは酷だ。本音を言えば、わたしの生存が曖昧なままなら、すべてが曖昧なままで終わりそうな予感がする。白黒はっきりさせたがる聖堂にだって真実は隠しておきたいわたしとしては、願ったりかなったりな状況に持って行けるのだ。
「ガルースからここへ?」
遠く離れたオルフェス領のハツシバの水竜王様の神殿の大神官であるキーラ様は目を見張る。
「直接ではないです。この街に来る前には公都に戻って実家で母に会いました。」
「そう。あなたのお母さまは御健在なのね?」
「元気です。服飾の職人なので、この服にも刺繍をしてくれたくらいです。」
「太陽神様の神殿にお仕えする神官のうちでも、特に皇国出身の者が好む文様ね?」
大神官様はわたしの服をじっと見つめている。心の奥底まで覗かれているようでちょっと恥ずかしい。
「わたしの母は、太陽神様の神殿にお仕えする神官のシルフィムの家の出です。わたしは、ビアトリーチェ・シルフィム・エガーレと言います。」
「やっと名乗ってくれたわね。」
大神官様は微笑んで、「お父さまは、公国にいらっしゃるのかしら?」と聞いてきた。エガーレという名字が父方を現すのだと公国の名前の規則を知っているのなら、父親は精霊ではないと判断したのかもしれなかった。父さんは大層悪い古の魔性なので人間の身分証明くらい持っているとはさすがに言えない。
「父にも会って、一緒に食事もとりました。」
どこかから帰ってきてどこかへと消えた、なんてとても言えない。
「あなたのご両親は健在なのね?」
「そうです。」
大神官様はわたしの瞳の中を探っている。父さんの影を追っているの?
「虚空の闇とは、厄災の地竜が閉じ込められていた場所でしょう?」
大神官様は首を傾げた。
「あなたは厄災の地竜に出会ったの?」
シンが『厄災の者』と呼ばれて、忌み名と言って嫌がったのは知っている。
シンの為に作られた妖の道の原型となるはずの場所について、水竜王様の影響下にある人たちは『厄災の地竜』を閉じ込めてあった場所だと捉えているのが驚きだった。
「厄災の地竜とは、特別な地竜なのですか? 他にも同じよう竜がいたりするのですか?」
わたしの質問に、大神官様は笑い出した。
「そう、知らないのね。厄災の地竜は一匹だけよ。あらゆる加護を手に入れているから死ねない竜だと聞いているわ。水竜王様も一目置かれている特異な存在らしいから、あんな竜が何匹もいたら大変でしょうね。」
厄災の者であるシンは厄災の地竜であり、父さんの友達であり取引相手であり、わたしの知人でもある…。
シューレさんは地竜を召喚できていた。シンが記憶を消してしまわなければ。功績のひとつになっていただろうにと思う。
「つかぬことをお聞きしますが、虚空の闇は厄災の地竜を閉じ込めた場所なのですか?」
師匠が口を挟んだ。精霊の愛する国・公国としては竜についての情報は竜を祀る国・王国に劣るのだから興味を示してもおかしくはない。
「そうよ? 厄災の地竜はすべてを欲しがってすべてを破壊しようとする厄介な存在だから、厄災の地竜があまりにも突拍子もないことをしでかした時、竜王様たちが罰として閉じ込めた場所だと聞いているわ? あなたのような…、竜人でも竜でもない半妖がそのような場所に閉じ込められてしまうなんて、前代未聞かもしれないわね。」
シンは竜だからこそ、己の目的を邪魔をした半妖に罰を与えたのだとしたら、たまたま偶然あの場所に弾き飛ばされたのだと思っていたのは勘違いとなってしまう。
「虚空の闇では、わたしは、わたしの精霊にしか出会っていません。」
なにしろシンはとっくに自分の目的を果たしてどこかに消えた後だったのだから。
「その精霊は、連れて帰ってこれたのかしら?」
「はい、大丈夫です。」
皇国の春の女神様の神殿に所縁があるという白鷺のクロヴィスは、方解石の白い鳥に憑いていてくれて、ガルースでも楽しそうに姿を現してくれていた。
「もしかして、厄災の地竜も先の水竜王様の最期にかかわっていたのかしら?」
邪魔となったであろう存在だったのは事実に思えたので否定せず、小さく首を傾げた大神官様に「わかりません」とだけ伝えておく。前水竜王様の記憶は守られて、ホバッサの街にかけられた術も成功したのだから、直接は関係ない気もする。
厄災の者に、厄災の地竜。邪神に、悪しき魔性、『強欲』。シンもわたしの父さんも、キーラにしか見えない大神官様やわたしの婚約者となった退魔師である師匠とは相いれない存在なような気がしてきた。
「どうしてそんな顔をしているの? あなたは生きて戻ってこれたし、湖の神事が成功したのに、何を恥じる必要があるのかしら。」
陰鬱な表情になっていたらしく、口元を隠して俯いてみた。考えを唇の動きから読まれるのも表情から感情を読まれるのも嬉しくはないし、ましてや大神官で竜人で、敵意をぶつけてくるキーラに似ているとなると、いくらキーラと同じではないと繰り返されようとも、あまり好意を持てる相手ではない。
「冒険者である限り、あなたたちは月の女神さまと契約をしているのだから、何か後ろめたいことをしたわけでもないでしょうに。」
ホホホと優雅に笑うキーラの顔で指摘されると、なんだかちょっと腹が立つ。刺激して隠し事を掘り当てようとするのはやめてほしい。
「そんな場所から生還したのなら、最後の別れをしたロザリンドに無事だと連絡するのが筋ではないかしら? 幾日も経っているのに何もしていないのは、あなたがロザリンドを軽視しているからかしら?」
「…そんなつもりはありません。」
連絡が必要な相手だと認識していなかったと言い切ってしまうと嘘になる。わたしにとって重要なのはコルとシューレさんが無事にホバッサから出られたかどうかだっただけなのだ。優先順位が違っていた、というのが正しい気がする。
「わたしを気にかけてくださっていたのでしたら、謝ります。」
大神官様は「あなたは何か勘違いしているようね、」と突然強い口調で言った。
「竜人であろうとも、私たちは人の子なのよ。あなたが半妖でも人の子であるのと同じように、温かい血が通っているわ。あなたを助けるために自分の父親である先の水竜王様が命を懸けたのなら、あなたがどうなったのかを知りたいと思うのは、当たり前の感情でしょう。」
稲妻が走るように、大神官様の強い言葉がわたしを貫いた。わたしが悪い魔性の子であるからと言って、前水竜王様と契約した半妖であるという事実は変わらないのだと思い知る。
「ホバッサの街は無事よ? 先の水竜王様は勇敢な契約者をお守りくださり、当初の目的通りにお子様と土地とをお守りになられた。父親をあの子は誇っているし、あなたの無事を願っている。誇りを持ちなさい。」
言葉を発しようとすると、自然と涙が零れてきた。わたしが誰の子だろうとどんな存在だろうと認めてくれた存在があるのだと思うと嬉しくて、思うように言葉にならない。
「ロザリンドに必ず会うのですよ、いいですね?」
頷いて、わたしは師匠を見上げた。回り道になってもいいですかと囁いて眼差しで訴えると、暖かな眼差しが返ってくる。
大神官様が立ち上がり、控えていた神官たちに向かって宣言した。
「この者は先の水竜王様の御心残りである。決して手を出さぬよう、各地の水竜王様の神殿に仕えし者に伝令を出せ、」
「わかりましてございます。」
頭を下げて静々と神官たちが部屋を出ていく。隠し戸の向こうに控えていたらしい他の神官たちも、それぞれに姿を消していく。
床に置かれた剥製の動物たちばかりが残っていて、「誰かおらぬか、」と大神官様は声を張り上げた。
「まだ話は終わっておらぬ。誰か、残って私の茶の世話をする者が必要だと思わないか、」
しばらく待って通路の影に若い神官が数名現れて、大神官様はわたしと師匠を振り向き、「もう少し付き合ってちょうだいね、」と言った。
※ ※ ※
「私の生まれた街は、海に面した小さな町で、そう、港町ね。私の家は代々網元として漁師を束ねて街を守って、領主さまにお仕えして治水工事だってやったし、近くの神殿のお世話もしていたわ。」
竜人の神官のキーラ様はなみなみと注がれた紅茶の香るカップを片手に、優雅に足を組んだ。
「私のおばあ様は町一番の美人で魔力も高くて若い頃には神官をおやりになっていた経験をお持ちだったのだそうよ。町の有力者であるおじいさまの元へ嫁がれて、魔力と容姿に恵まれた伯父さまたちが生まれて、当然、末娘のお母さまも美しくお生まれになったそうよ。とても魔力が高く美しくお生まれになったから、幼いうちから巫女もおやりになっていた。春と夏と秋に行われる神事で出会った水竜であるお父さまに見初められて、お母さまは私を生んだわ。家族がお母さまを守ったのとお母さまご自身が|高い魔力を持っていたから愛し娘になる必要がなかった影響で、水竜は仲間に連れられてお母さまの元を去ったのですって。お母さまは事情を知る人間の男と改めて結婚なさって、私には妹が生まれたわ。竜人として生まれた私には容易いことも、小さなわたしのかわいい妹にはできなかったわ。あの子、とっても手間のかかる子で、好き嫌いも多いし、わがままばかりの怠け者で、扱いにくくって世話を焼くのが大変だったわ。でも、楽しかった…。竜人の子として特別になれた私を私の妹は二人目の母のように慕ってくれたけれど、お母さまは義理の父親になった男に遠慮していつも困った顔をしていたわ。お母さまはいつの頃からか床に伏せがちになって、私が成人を迎える頃に天寿を全うされたわ。長子が婿を取って家を継ぐって風習がある街だったけれど、義理の父親は手元に妹を置いておきたいだろうってわかっていたし、血のつながりのない私は家を出たの。竜人として生きると決めていたから、こちらの神殿で神官になる道が用意していただけたからくいっぱぐれはしなかったわ。」
キーラ様は一旦言葉を止めて、指に光る紅玉髄を見つめた。
聖堂の『北の海の聖女』であるキーラも、紅玉髄の指輪を手にしていた。
「家を出る時、妹にはお母さまが水竜に貰ったという謂れのある紅玉髄をあげたのを覚えているわ。私の形見にして頂戴って言い残してあったのを、忘れないでいてくれたかしら。あの子、いつも羨ましがっていたから。」
話の流れからすると、聖堂のキーラの先祖は大神官であるキーラ様の義理の妹さんだ。
「これは伯父さまの子たちが私が大神官となった暁に街を代表して献上してくれたもの。皆の思いと喜びが輝いている。私には、こっちの方がずっと似合っているわね。」
大神官であるキーラ様の手にある紅玉髄の指輪と聖堂のキーラが指に嵌めていた紅玉髄とは由来が別なのだとしても、どちらも特別な価値を持っているのだと思えてきた。
どちらも家族の証には違いなくても、家族であり続ける証となった紅玉髄は、大神官であるキーラ様のお手元にある。
じっと翳した手に輝く紅玉髄を眺めて、わたしに視線を向けて、「お茶のお替りはいかが?」と尋ねてくれる。
話を聞いているうちに師匠は紅茶を空にしてしまっていた。わたしはまだ半分くらいある。
「お願いします。」
断らない師匠の優しさに感心しつつも、わたしは違うと線引きして、わたしにまで給仕しようとする若い神官へと注がなくていいと手で制する。
「何か、困ったことはないかしら?」
柔らかな微笑みを浮かべたキーラ様の問いかけに、はっきりと帰りたいですとも言えず、師匠が「ありません」と答えるのを黙って聞いてみる。
若い神官たちは俯いたままで表情が判らない。
「そう、」
キーラ様は足を組みなおして、「私の生まれた街は、」と話を繰り返し始めた。
※ ※ ※
どうして同じ話を繰り返すのか意図が判らないまま2度めを聞いて、わたし達は再び「お茶のお替りはいかが、」と尋ねられてしまった。
思わず、師匠と顔を見合わせてしまう。一言一句同じなのにも驚いたし、質問まで同じな状況に戸惑ってしまった。
先ほどはお茶のお替りが欲しいと答えてしまったので、師匠は「いりません、」とはっきり断っていた。
「何か、困ったことはないかしら、」
表情も柔らかなのは同じなキーラ様に、師匠は慎重に「ありません」と答えている。これで退室できるのかな。返事を変えたので、反応も変わるはずだ。
若い神官たちは俯いた姿勢で表情を変えていない。
「そう、」
キーラ様は再び足を組みなおして、「私の生まれた街は、」と再び同じ話を繰り返し始めた。
※ ※ ※
さすがに3度目に聞く話は音声として聞き流すことができたので、わたしはキーラ様を観察しながら自分の考えの中に没頭することができた。
聖堂のキーラは竜人ではないとバレてしまわないよう、ホバッサの任務から外れたのではないかと思えてきた。
竜人だろうと半妖だろうと人間だろうと貴族階級出身だろうと平民だろうと、聖堂は利用できる価値があれば出自など問題視しないのだとわたしは経験から知っている。
今度聖堂のキーラに会っても、半妖狩りを容認する立場のキーラを怖いと敬遠しないでいられる気がする。
問題は、大神官であるキーラ様の謎かけだ。終わらない限りはここから出られそうにない。
次の3度目をなんと答えたらこの終わらない話の輪から抜けられるのか、考えてみる。
師匠はお茶のお替りに関して意思表示をしていた。1回目は好意を受け取り、2回目はきっぱり断っている。
師匠はもうお茶を飲んですらいないので、お替りの話にはならないし、なったとしてもいらないとはっきり断られるとキーラ様ご本人もわかっているのではないかなと思う。
目配せすると師匠も同じように考えていたようで、キーラ様を見て、紅茶を見て、わたしに頷いてくれた。
話が終わると、キーラ様は案の定、「お茶のお替りはいかが、」と尋ねてきた。口調も表情も同じだ。
「いりません、」と師匠は答え、次の「何か、困ったことはないかしら、」という問いには「あります、」と答えていた。
「何かしら?」
「大神官様の謎かけの答えが知りたいです、」
師匠の焦りが出たとはいえ、答えを知っているのは大神官キーラ様だけだ。当のご本人様は「そう、」と答えると「私の生まれた街は、」と結局同じ話を騙り始めた。
唖然とする師匠とわたしを見ても同じ部屋にいる神官たちは表情を変えないので、彼らはこんなやり取りに慣れていて、正解を待っているのかもしれないなと思えてきた。観察する限り神官たちは焦りがない態度であると判ってくると、わたしと師匠が短気を起して怒ることなど想定内だろうと思えたし、この部屋から出ようと騒ぎを起こそうとするのもわかりきっていそうだ。最悪の事態となるなら事前に街の噂として広まっていそうなのに、酒場でも月の女神さまの神殿でも水竜王様の神殿での醜態や悪い噂は耳にしていない。大神官様に関する情報も皆無だ。直前まで一緒だったビュイスさんもこんな状況になったらどうすればいいのかという話をしてくれなかったので、大神官様と接触した経験がある者が希少なのかもしれないなと思えてくる。
この会話で得られるのは最悪の結果ではなく、わたし達にとって良い結果であるのだろうと思えてきた。他の過去にこの会話の罠に捕まった客人たちも、結果として最良の結果となっているから後腐れがなくこの街を去っていけているから噂や危険回避情報として出回らないのだと思えた。
わたしも良い印象を持ったままこの場所を出るには何と答えるのがよいのだろうかと考える時、目の前にいる人物が竜人という竜よりも人寄りの人情家で、世話焼きで、血のつながらない妹を愛し、自身の出生の証明となる形見まで気前よく譲った人物なのだと思い出す。
閃きを試したくて、「お茶のお替りはいかが、」という質問に、師匠が答える前にすかさず「いりません、」と答えてみる。
「何か、困ったことはないかしら、」という質問には、はっきりと「あります」と答えてみた。
わたしの勘が正しければ、この人は優しい。とてつもなく優しい。この人の願いは、いつだって愛しい誰かの役に立つことなはずなのだ。
「王都へ満月の夜までに行かなくてはいけません。」
「そう、」
返事は同じでも、違うのはキーラ様の視線だ。若い神官たちを手招きして、「お前たちもお聞きなさい、」とまで言ってくれた。
「この街から出る馬車を捕まえて、わたし達は移動しなくてはいけません。」
師匠を見上げると、師匠は困ったような表情を作って、「この街の外には魔物もいます。なるべく昼間のうちに移動したいのです」とも言ってのけた。遠まわしにここにいるのは時間の無駄であると言っているようなものなので、ハラハラしてしまう。
「そうですか、困りましたね、」
キーラ様はわたしや師匠を哀れみの眼差しで見つめてきた。成功した?
手に光る紅玉髄を見つめて、ポンとひとつ手を打って、立ち上がったキーラ様はじっとわたしを見た。
「こっちへいらっしゃい。誰か、用意を、」
「かしこまりましてございます。」
隠し戸の通路を抜けて向かう先にある部屋は最初に大神官様と出会った祭壇の間だ。
成功した興奮を押さえつつ、わたしは師匠と頷きあってついていく。
燦燦と日が降り注ぐ眩しく明るく広い白い空間の中央にキーラ様は立って、わたしと師匠を手招きする。
遅れて入ってきた若い神官たちが楕円形の卵のようなものを押して運んできた。大きさは台座の上に透明度の高い卵のような形の水晶が嵌めこまれていて、天辺は背の高いキーラ様よりも高い。キラキラと光を反射している原因は、表面はなめらかに整えられておらず細かな面が幾千と連なっているからなのだと判ってくる。天井からの光に輝く水晶の卵は、キラキラと水を封じ込めた塊のようにも見える。
空を雲が過って、広間の中には影ができた。眩しいばかりの巨大な水晶の光が落ち着いて、傍に立つキーラ様のキーラにそっくりな顔がよく見える。
「これを、」
手招きされて近寄ると、若い神官たちが水晶の球の後の周辺に、手にした聖水の小瓶に指を濡らし滴らせて魔法陣を描き始めた。
「神殿はいつでもどこの土地でも便利な場所にあるわけではなくて、神官の人数も限られていた時期があってね、」
キーラ様はわたしの額をそっと指さした。
「太陽神様の神殿は山の上にあることが多いわ。あなたがいつか神官となった時は、それはそれは苦労するでしょう。」
ならないわ。こっそり心の中で反抗したのに、キーラ様は微笑んで、「水竜王様の神殿も山奥の湖や絶海の孤島にあったりして、派遣されていくにはとても大変なのよ、」と言った。
「これは水竜王様の御協力を得て歴代の神官たちが作り上げた魔道具よ。水竜王様は神官たちの献身に報いてくださったの。」
太陽が再び顔を出す。わたしは眩しさに目を細めていた。煌めく水晶は、古の昔から輝いているのだ。
「遠くの土地を一瞬にして渡るわ。古の昔からあちこちの神殿に残っていてね。今も魔力を持つ者しか扱えないのだけれど、竜人の神官ならたいしたことないのだから、こうやって大事に使われているの。」
「他の土地の、水竜王様の神殿にもあるのですか?」
「そうね、竜人の神官の残っている土地にはある、と言った方がいいかしら。」
公都にも、王都にも、フォイラート領ブロスチにもないと言われたようなものだ。
「王都には直接辿り着かないけれど、近くまで行けるでしょう、」
キーラ様は抱きしめるようにして光る水晶に口づけして、おでこをくっつけて、何かを囁いた。
キラキラと水晶から放たれた光が冬の空から舞う雪のように穏やかに、若い神官たちによって描かれていた魔法陣へと舞い降りていく。
光の中で振り返ったキーラ様は微笑んでいて、わたしは、北の海の聖女と呼ばれた若いキーラの姿に見えて、目の錯覚なはずなのに何も言えなくなる。
わたしと師匠とをその場に残して、キーラ様は描かれた魔法陣を踏まないようにして他の神官たちの元へと移動する。
「水晶の光の中に手を入れて、水竜王様の思し召しをと願ったらいいわ。」
微笑むキーラ様は、軽くてまで振っている。
「どこへつながるんですか?」
わたしの腕を握った師匠は、わたしがうっかり光の中へと手を突っ込むと思っているかのように、険しい表情をしている。
「言ったでしょう、水竜王様の神殿だと、」
「そんな曖昧な目的地へと行けません。」
動こうとする師匠を手で制して、キーラ様は首を振った。
「もう直強制的に転移が始まるわ。あなた達が自分で動くのと、術が強制的に転移させるのとでは気持ちの持ちようが違ってくる。さあ、早く、光の中へと手を差し伸べて、」
覚悟を決めて、願いを込めて、祈るだけだ。
わたしはわたしの腕を掴む師匠の手首を握った。
「一緒に行きませんか、」
「ビア、」
「師匠と一緒なら、わたしはどこへ行っても大丈夫な気がします。」
自分の意志ではない力で強制的に移動させられる脅威を知っているだけに、自分のタイミングで自分を思ってくれる大切な人と移動できるなんて有り難い。キーラ様の配慮はとても厚遇なのだと思えた。
「王都ではなくても、きっとここよりは近いはずです。」
気休めを口にして、ニカッと笑ってみる。
「わかりました。ビア、手を、」
ふたりで並んで、お互いの手を硬く握る。
水晶の光は、空からの太陽光と地面に描かれた魔法陣から影響を受けた輝きとで、目を開けていられない程に神々しい。
この中に手を入れるの?
「大丈夫、私を信じて、」
キーラ様の声援が聞こえてくる。
「キーラ様、」
肩越しでも振り返れないままで、わたしは「ありがとうございます」と叫んでみた。
「大丈夫よ、ビア。あなたを私たち水竜の血をひく者が守るから。決して先の水竜王様との契約を無価値なものなどにはさせたりしないから。」
光の中に師匠と共に入れた手を何かが触る感覚がして、光を掴めたりするのかなと思っていると、光は強い力を持ってわたしと師匠の腕とを引き抜こうとした。
「水竜王様の思し召しを、」
合わせた声と、心を同じに願ってみる。
「ビア、」
名を呼ぶ師匠の声に答えられない。声を発すると、力が抜けてしまいそうだ。師匠が、光の中から延びる手に捕まっていくのが見えた。きっとわたしも同じだ。
精霊じゃない。まるで人の腕みたい。
竜の力?
捕まえられた力の持ち主が知りたくて抗えないまま引っ張られて、わたしも光の中へと堕ちて行った。
ありがとうございました。




