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34、この素晴らしい世界を、あなたと、

 明かりの乏しい空へと向かう坂道は足元が悪くて、時々隣を歩く師匠(ベニー)にしがみついたり、気を利かせてくれて先に行く師匠のかかとを踏んだりして、散歩に誘ったりしてなんだか申し訳なくなってきていた。だいたいオルフェス領の領都であるハツシバという街に来たことがあると言っても昼間の明るい時間の話で、入り口の松明(たいまつ)ぐらいしか灯りのない神殿に来ると、全く知らない別の場所へ来たような居心地の悪さがあった。

「ここは、地竜王様の神殿です、」

 すり鉢状の街の高い位置にある地竜王様の神殿の前を通り過ぎて、横道へ入って、少し坂を上に行った段にある月の女神さまの神殿を指さしてみる。段ごとに輪のように周囲を取り囲む道は緩やかな坂で下の街と上部の住宅街とをつなげている。下方から見ると道は見えなくて家が積みあがっていくように見えるこの街は、上空から見ると木の年輪のような光景に見えるのだろうなと思ったりもする。

「あっちは、人がいますね、」

「冒険者たちが休息の場にしているようですね。」

 神殿の内部で寝泊まりするのは実質野宿と同じでも、あえて野宿とは言わないのが師匠の育ちの良さだ。

「寄りますか?」

 冒険者であるわたしに気を使ってくれているらしい質問に、「いいえ」とだけ答えておく。

「そうですか、」

 本当に何の目的もなく歩いているのだとやっとわかったらしい師匠は、呆れたように首の後ろを触った。

「領主家の霊廟まで行って、街に戻りませんか。」

「明日の朝の下見ですか?」

「そうです。」

「王都まで行ってしまうから、ですよね?」

 スタリオス卿の使った転移術を、わたしと師匠はこの街の花屋を足掛かりに実行する計画なのだ。

「そうです。」

 寝静まる住宅街へと続く道はぐるりと街を見下ろすようにつながって、街の西側の高台にある領主家周辺へとつながっている。さらに進めば今いる場所から向かい側に見える神殿群へとつながってここへ戻ってこれる。

「この街を、明日には発つんですね?」

 今晩しなくてはいけないのは、ぐっすり眠って体力と魔力を完全回復させておくことだったりする。思えば、公都(ワシル)からこんな遠くまで来ている。

「そうです。」

「本当は、寄り道なんかしている場合じゃなかったりするんですか?」

「…。」

 今更ながら、公都(ワシル)との通信などしなくてはいけない前準備があるのだろうなと気が付いてしまった。

「あ、本音は、そうですって言いたいんですね?」

 図星らしく師匠は困ったような顔になって、「少し、考え事をしていました、」と言い訳した。

「何を考えていたんですか?」

 教えてくれないのは判っていても、尋ねてみる。

 わたしとの時間を優先してくれたんだ、という当たり前の事実に嬉しくても申し訳なく思えてきた。

 案の定黙ってしまった師匠は、黙ったまま住宅街を通る道を音もなく歩いていく。明かりの消えた家もあれば、まだまだ話声の聞こえる家もある。時々暗がりから猫や犬に遭遇して、時々、夜道を上ってくる仕事帰りらしい男性とすれ違ったりもする。師匠はそんな時さっとわたしの腕を引いて、さりげなくわたしを自分の陰に隠してくれた。盾になってくれているのだと判ってくると、嬉しいけれど、なんだかやるせなくなる。

 わたしは弱いのかな。師弟の関係だから対等じゃないのかな。

 婚約するって、結婚するって、対等じゃないのかな。

 守られて、養われて、安全な場所にいるのって、公国(ヴィエルテ)公都(ワシル)でのわたしの生活に似ている。父さんの庇護下を離れて、母さんの経済力の及ばない場所を目指して、安全な場所を離れて旅をした。冒険者になって、1周目の未来として対等な立場でいようとした大切な人たちのために自分の命を捧げた結果、2周目の現実では、『死に癖』という改善点と対等な誰かを見つけて共に生きる未来を掴みなおす必要が出来てしまった。

 師匠は、ラボア様の命令とはいえ、わたしを婚約者として受け入れてくれた。

 婚約指輪として家族の形見まで捧げてくれたのも、手をつないでまでして距離を埋めようとしてくれる姿勢も、未来への希望も込めた再訪の目標を立てるのも、本音を言えば感謝しかない。

 好意を貰ってばかりな気がして、何かを返さなくてはいけないと思ったりする程度に対等ではない気がするけど、何を対価とすればいいのかがわからない。何かをしてあげたいのに、わたしには何も手持ちがない気がする。

 暗い夜道を照らす明かりを魔法で、と思っても、眠っている民家がある。そっと、指先に『灯火』の魔法をかける。

 ほんのりと明るくなる足元を見て、師匠がうっすらと微笑んでいるように見える。

 明かりに惹かれるように、わたしの手へと、師匠の手が近付いてきた。

「きゃ、」

 民家の軒先から飛び出してきた鳥に驚いて声を上げそうになって口を手で覆い隠して、恥ずかしくてドキドキする自分の胸の鼓動を聞きながら息を整えてみる。

 チッと音が聞こえたような気がして、鳥の飛び去った空を見上げる。

 かなりの上空を、竜が飛行している姿が見えた。

「空に、竜がいます。ほら、あそこ、」

「優雅ですね、」


 立ち止まり、眼下の景色に見惚れる。

 ここから見ても暗い夜空の下のすり鉢状の窪地にある街は光が溜まった湖底の宝物のようで、さらに上空なら、光る穴のように見えるのかもしれない。水竜王様が御加護の対象をこの街全体とするのをお許しくださった気持ちが判る気がした。


「ビア、行きますよ?」

 師匠は少し、歩くのが早い。

 歩き続けるうち篝火に照らされたジャカランダの林が見えてきて、追いかけるうち領主家の裏手にある霊廟公園へと道が続くままに入ってしまったのが判ってくる。

 夜でも青く咲いたままの花が、木々を揺らす風に揺れている。

 花を見上げながら歩いて、わたしを見つめる視線を感じて師匠の顔を時折見つめて、風に揺れる無数の枝や花々の音を聞く。

 他には誰もいない。

 わたし達の他に、この美しい景色を見る者はいない。


「来年も、その次の年も、ずっとこの先も、」

 公園を出て立ち止った師匠は、急に、師匠に合わせて立ち止ったわたしの手を握った。

「あなたとこんな夜を過ごしたいですね。」

「考えておきます、」

 素直に嬉しいとは伝えられそうにない。いつか一人でここに来ることになった時、あなたの顔と声を思い出したいと思ってしまったのは内緒だ。

「考えてくれるんですね。」

 楽しそうな師匠の声に、「考えるだけでいいんですか、」とつい言ってしまって、浅はかな自分の発言に後悔して「忘れてください、」と告げる。期待してはいけないし、期待させてはいけない。わたし達は、この旅が終わると終わる関係なのだ。

「忘れません。ずっと、」

 なんと返すのが一番最適なのかとか、こんな時に限って言葉が続かないもどかしさだとかに焦っているうちに、つないでいるあたたかな手さえあれば十分なのだと思えてきた。

 何かを話すでもなく手を握られたままで、ふたりして坂道を下って、わたし達は光る街の宿屋へと帰っていった。


 ※ ※ ※

 

 別々の部屋に眠った次の朝、まだ闇の方が日の光よりも濃い頃合いで起きて支度をして、宿屋の外で待ち合わせてあった師匠と合流する。

「今日はブロスチの巫女服なんですね、」

 朝から機嫌がよさそうな師匠は、リディアさんのお下がりの袖のない膝丈のワンピースを着たわたしの格好を見てまず感想を述べた。

「以前見た時よりも印象が違う気がします。手直しか何か、加わっていませんか?」

「目ざといですね。母が隠し文様を入れていたみたいです。」

 師匠は白いシャツに黒いズボン、肩にカバン、腕にマントという、いたって簡素な旅人の色合いだ。 

「ビアのお母さまは服飾の職人でしたね。」

「実家に帰ったので、この服も見つかりました。素材も縫製もとても気に入ってくれたので、太陽神様の神殿にかかわる巫女だった人がくれたのだと説明したら、神官服としてより効果が表れるように細工をしてくれたんです。」

 公都(ワシル)での一晩の間に、母さんは自分の仕事もした上で衣類の手入れをしてくれ、わたしの旅支度を丁寧に整えてくれたのだ。

「これは円ではなく、八角形ですか?」

「太陽神様の神殿にお仕えしていた祖父の神官服にあった文様を再現してくれたそうです。母は神官の家系の出ですから。」

 柔らかな風合いの先糸染めの重なる淡い黄色や白、かすれたオレンジ色の織り成す文様に、白い刺繍糸で二重線の八角形が所々施されている。

「ひとつやふたつではないですね。光が再現されているようです。」

「母が言うには、魔除けだと祖母に教わったそうです。」

 わたしは半妖なのに魔除けの刺繍入りの巫女服なんて、とこっそり思ったのは内緒だ。

「そのマントにある文様もですか?」

「こっちは皇国で降る雪を描いた六花(ろっか)っていう文様というのだそうです。これはかつて父が図案を描いたのを、母が再現したそうです。」

 師匠が真剣な眼差しでわたしの服を観察しているので、なんだか照れ臭くなってきた。

 ワンピースの胸元にある刺繍や群青色の石(ソーダライト)のイヤリングを指で撫でると、家族に守られている感覚がしてくるのだから不思議だ。

「もしかして悪目立ちしたりしてますか?」

 師匠が見つけるくらいなので、刺繍の文様が浮いているとか、なにか不具合でもあるのかなと身構えてしまった。

「いえ、そうではありません。とてもよく似合っていますよ。」

「それはよかったです。」

 くすぐったい気持ちもあって、わたしは口を噤んで一方的に話を打ち切って坂道を上る。

 昨日の酒場で聞いた光景を見るために抜け出した街を見下ろして、静かな住宅街を抜けて、ジャカランダの林が見える霊廟公園に辿り着くと、わたし達と同じ目的で集まったと思われる人々が既に待ち構えていた。老若男女問わずな構成で、誰もが街の見える位置に佇んでいる。


 なんとなく師匠とわたしは他の人たちがしているように街の見える場所へと移動する。

 昨日の夜に来た時は暗い空の下に溜まる光の宝石に見えていた街は、分厚い白い雲の下に沈んでしまっていて、はっきりとした輪郭が取れない。

 酒場の主人や女将はこの光景を見せたかったのかな。

 首を傾げかけ、師匠に話しかけようとしたその時、どこからか鐘の音が聞こえ始めた。

「見て、あそこ、」

 誰かが指さした先に見えるのは、街を挟んで向かい側にある白く輝く神殿で、鐘楼と思われる塔があった。

 

 朝日が昇り、日が差し込んだ街を覆っていた分厚い雲が、濃い水の匂いを漂わせ、キラキラと光を反射させながら空へと消えていくのが見える。

 ジャカランダの花々が揺れて、青い花や緑の葉が風に乗って飛ばされ、上空へと舞い上がる。


「わぁ…、」

 わたしのではない誰かの感嘆の声が、声もなく美しい光景に見惚れていたわたし自身の声かと思ってしまうほどに、ずっと口を開けて空を見上げる。

 この街は毎朝こうやって浄化されているのだ。

 なんて美しい習慣なんだろう。


 隣に立つ吟遊詩人(バード)な師匠が、ゆっくりと竜王様に捧げる詠唱を謳い出したのが聞こえてきた。クアンドでレゼダさんが舞った、あの時の歌だ。

 信仰に厚い者たちがやがて、師匠の詠唱に音を合わせて歌声を重ね始めた。竜を敬う土地ならではの合唱だ。

 美しいものに出会った時、正直に感情を表せる歓声が羨ましいなと思うのと同時に、わたしとは本質的に違う存在なのだとも思い知る。

 崇高で至高の歌声にただ黙って傍にいて共感を示すくらいしか、この素晴らしい光景への讃嘆の感情を分かち合えなさそうな気がしてくる。

 体を揺らして空へと手を伸ばすジャカランダの木々の枝葉のように、師匠の歌声は煌々と輝く朝の光に輝き響いていた。


 朝の光に完全に雲が解けて消えてしまった頃、師匠たちの詠唱も終わった。歌った人、聴いていた人、体を揺らしていた人、いろんな居合わせた人々と拍手を送り合った師匠が空に向かって静々と優雅なお辞儀をしたのを見て、なんだかとても誇らしい気分になってきて、わたしも力強く拍手してみた。


 街へと戻って行く人々の背を見送って、わたしは改めて師匠を見つめた。

「とっても、素敵でした。」

「ビアに褒めてもらうと、恥ずかしいですね。」

「そうですか?」

「照れ隠しに、朝食に市場で一番高い果物を買ってあげたくなります。」

「もっと恥ずかしい気分になってください。歓迎します。」

「私への評価は果物に負けているのですか。」

 苦笑いする師匠に「そんなことないですよ?」ととりなしておく。わたしには十分にとびきりな存在なのだと伝えたいけど、伝えられそうにない。


 街へと帰る人々の最後尾に並んで、わたし達も坂を下っていく。朝食を市場でたまたま見つけた開いていただけの食堂で食べて、宿屋に戻る。単純な生活が幸せで、一緒に過ごすだけで嬉しい。

 この後は、支度をして花屋へと向かうと決めていた。昨日寝る前に無事に潜入できたとアリエル様へ託したばかりなので、わたし達が無事なのは把握されている。公国(ヴィエルテ)側の順分が整い次第、わたし達は転移術を使って王都へ移動する。


 ※ ※ ※

 

 宿屋を出たわたし達は、引き払った荷物を手に花屋を目指した。朝からよく晴れたのもあって、さすがに火光(ファイヤー)(・マウス)のマントは腕にかけていた。方解石(カルサイト)の白い鳥と黄色く輝く石(クライオフェン)の指輪と一緒にするのは気が引けたけれど、転移術をすべて信じているわけではないので、肩にかけた肩掛け鞄(ショルダーバッグ)にしまってあった。

「…この街の花屋へは、もう連絡がついているのですか?」

 荷物を肩にかけた師匠もマントを羽織らず腕にかけて歩いている。

「そのはずです。」

 真顔になって空を見上げて太陽の位置を確認して、師匠はわたしを促すようにして歩き始めた。今日すべきことは判っているので、お互いに何の問題もなく今日の任務にも取り組める。


「ビアは、この国に、魔香特別措置法という魔香(イート・ミー)に関する法律があるのを知っていますか?」

 知らないので黙って小さく首を振っておく。

「魔香の効果は雨が降るまで続くとされています。それまでは魔物(モンスター)を呼ぶからという理由で、中心点を持つ街と隣り合わせた周辺の街が閉鎖されると決まっています。」

「アンシ・シもそんな状態ですよね?」

 周辺の村へも自由に出入りできないおかげで、商人などの多くの関係者がずっとガルースに足止めされている。

「あの街は早々に魔香(イート・ミー)の存在が確認されて魔香特別措置法が適応となりましたから。ですが、このオルフェス領は適応されていないません。」

「オルフェス領で魔香が使われたようだとか、国境の街リゼブに魔物(モンスター)が集まるからリゼブが被害の中心地なのではないかと噂されている程度に、曖昧な情報ばかりですよね、」

 言われてみれば国境の街リゼブに魔香が使われたと断言する話は聞いていない気がする。リゼブに入るとしばらく出てこれないからリゼブが魔香(イート・ミー)の被害にあった街なのではないか、と推測している程度だ。

「実際にこの街に来てみて、理由が判った気がしました。」

 花屋へ向かう道は繁華街を抜けなくてはいけないので、師匠は声を潜めた。わたしも声がより聞こえるよう、師匠に近寄って歩いてみる。

「毎朝浄化されているからですか?」

 だいいち水竜王様の加護を得て防御(シールド)されているので、空からの魔物(モンスター)の侵入もなさそうだ。この街にいたら魔香の影響下にあるのだとはとても思えない。

「それもありますが、リゼブの隣の街だからと魔香特別措置法が適応されてしまうには、現実と実情に差があります。」

 確かに何も魔物(モンスター)の脅威にさらされていないのに、法律が優先されて街が閉鎖されてしまうのはおかしい。

「領主家として、魔香(イート・ミー)が使われたとして国王軍の援軍を正式に依頼も増援を希望するのもできないと判断するのもやむを得ないですね、」

「エドガー師を呼べない理由は、アンシ・シとは状況が違いすぎるからだと思えてきました。」

 同じように魔香の被害にあっているはずなのに、正式に依頼できるかどうかで解決の仕方が違ってしまうようだ。

「この街はともかく、リゼブに暮らす一般の人が気の毒になってきました。」

「ひたすら戦って、とにかく水竜王様の召喚を挑戦し続けるしかないですからね。」

 憤りを感じながら話しているうちに、目的の花屋についてしまった。公国(ヴィエルテ)の花屋は繁華街のひとつ裏通りにあって、すぐ近くにリバーラリー商会のハツシバ支店の看板も見つけてしまう。

 この街からマスリナ子爵領は近い。ロディスに連絡を取るのは王都についてからでよいだろうなと考えていると、入っていく商人らしき後姿を見つけてしまった。

「ビア、」

 花屋を前にして、師匠が怪訝そうな顔になった。

「師匠、待ってください。」

「怖気づいたのですか?」

「違います。」

 ガルースのブワイヨさんやチッタさんを思い出していたとは言えない。

「一緒にいます。何も心配しなくていい。」

 師匠はわたしがガルースからカペラに移動した時、ひとりで転送されて閣下と合流するまで別々に行動していたことを詫びているのだろうなと思えた。

「大丈夫です。気にしないでください。」 

公国(ヴィエルテ)にいるスタリオス卿とアンドレア卿が基盤となって支える算段となっています。私も一緒です。」

 自信に背を伸ばして堂々としている頼もしいなとは思うけれど、やってみないと平気がどうかは判らない。

「行きませんか、信じてますから。」


 窓から覗くと入荷したばかりの花が赤茶髪の店員たちの手により手入れされている花屋は、ドアには開店準備中の札を掛けている。

 師匠が頷くのでそっとドアを押すと、すんなり開いて店内に入れてしまう。


「悪いね、お客さん、開店準備中なんだ、」

 王国語で返ってきた言葉に、師匠は公国(ヴィエルテ)語で「店主はいるかい?」と尋ねた。

「ああ、バンジャマン卿。お待ちしていました。」

 花の世話をしていた店員のひとりが持ち場を離れて店の奥へ行くと、振り返って手招きしてきた。

 師匠が頷いて店内へと進んでいくので、わたしは黙って従うことにする。


「どうぞこちらに、」

 奥の部屋は店主用の部屋なようで、執務机の他に、テーブルとソファアという来客用の家具があった。棚に飾られているのは書籍というよりは地図で、部屋の隅には水鏡の魔法で使う盥や水差しなどもある。

 出迎えてくれた部屋の主である赤茶髪に緑色の瞳で青い顔色をした中年の店主はスムイズと名乗り、椅子から立ち上がると汗まみれの両手で握手を求めてきて、泣いているのかなと思うほど流れ出る汗を懸命に布巾で拭いながら、「どうか、お気を確かになさってください、」と何度も繰り返しながら細かく瞬きをしていた。病気かなと心配したくなるほどの汗かきっぷりだ。

「何かあったのですか?」

 師匠の反応に心配してくれと言わんばかりに狼狽する姿に、何かあったのだろうなと察しつつ、どう答えるのかを注目してみる。

「まだ何もお聞きになっていないのでしたら、やはり、これは本当なのでしょうな、」

 身震いをしたスムイズさんは、「お気を確かになさってください、」とまた繰り返した。

「事前に公都(ワシル)から、今日ここへ来ると連絡があったはずですが、届いていませんか。」

 師匠の確かめる問いに、スムイズさんは「ありました。ありました、ですが、」と身震いをした。

「ビア、治癒(ヒール)の魔法を、」

「いえ、お手を煩わせることではありません。」

 情報を言葉に変えるのを躊躇うスムイズさんは、絶望するように床に手をついて頭を下げた。

「どうか、どうか。落ち着いて聞いてください。つい今朝方、緊急の連絡が入りました。公都(ワシル)王の庭(パレス)が襲撃されました。」

ありがとうございました。

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