31、それは蜃気楼のように近付いて
ブルっブルっと鼻を鳴らした天翔ける馬は人間ではなく馬の顔にしか見えなくて、軍人のリシーニは、幻覚でもなくつかの間の変身でもなく、長時間移動が可能な羽が生えた馬そのものになってしまったのだと判ってきても、わたしには飛び乗って離陸したいとはすぐに思えずにいた。
鞍がないからこそ胸の辺りを閉めているベルトを利用してランが変身した天翔ける馬の背に乗って跨った師匠の様子を見て、同じようにすればわたしも天翔ける馬に乗れるのだと判っているけど、躊躇われてしまう。
「アンタ、名前は?」
「…ビアです。」
ビーア・スペール・エールと一瞬答えそうになるのを止める。外部の治癒師が庭園管理員の潜入名を名乗るのは辻褄が合わない気がする。
「どうする?」
リシーニの顔の向こうに、リューク大佐やシナベル博士、隊長格の軍人が満足そうに師匠とランとを見て、わたしも乗れるかを見守っているのが見えた。
「ビア、怖いのか?」
怖いのだとすれば、この魔法の仕組みだ。
「わたしは半妖です。」
「そう言っていたね、」
リシーニはヒヒンと鳴いた。目は楽しそうにわたしを見ている。
「いつもなら乗り手は人間ですね? そのベルトに触れて、わたしは影響がありませんか?」
わたしは自分が人の姿を維持できると判っているけれど、魔力がどうなるのかまでは想像できずにいた。
「師匠は半半妖です。実質人間だと思います。」
「ああ、わかった、」
リシーニの声は本当に楽しそうでもある。
「晒したくない姿を恋人に見られるのが怖いのかい?」
「恋人?」
思わず全力で頭を振って即否定する。
「なんだ、違うのか、じゃあ、婚約者だろ?」
馬の気分で口が悪いのか、もともと口が悪いのかまでは判らないけど、リシーニは馴れ馴れしい。
咄嗟に誤魔化す言葉が出なくなって睨むと、リューク大佐が「用意はいいか」と確認する声が聞こえた。
「で、どうするんだい?」
唇を少し噛んで気持ちを切り替えて、リシーニの顔に触れ、頬におでこをくっつけた。信頼関係をうまく築けなかった代償として、親愛の情を示してみる。
「関係ないです。わたし、背が足りないんで、少し身を屈めてくれると助かります。」
両腕に『強化』の魔法をかけて、むんずとベルトを掴んで無理やりに、屈んでくれた天翔ける馬によじ登る。蹄や息遣いなど、師匠が乗る天翔ける馬が歩き回る音が聞こえている。急ごう。置いて行かれてしまうのは困る。
翼の間に寝そべるという方が正しい体勢だ。しかも、首を抱きしめるように覆いかぶさっているので、しがみついているという表現が的確な気もする。羽の付け根に捕まりたいけど、羽が動かせなくなって飛べなくならないように、というわたしなりの配慮もある。背に翼のある馬なので仕方ない。
「いろいろ聞きたいことがあるんで、あとでじっくり話しませんか、」
囁くように話しかける。正確に言うと、聞きたいことというより誤解を解いておきたいこと、だったりする。
「ああ、かまわないよ。楽しい旅になりそうだ。」
聞こえたらしいリシーニはわたしを背に乗せているのにブレずに歩いて、くるりと一周すると止まった。リシーニが広げた翼が動いていて邪魔で、ランや師匠がどうなっているのかわからない。
「幸運を祈る。出発だ。」
リューク大佐の声で、いきなり視界が揺れた。リシーニが駆け出したのだ。
風が強くて顔を背けていると目もつむりたくなってきて、でも、翼がどう動くのか見たくてじっと目を凝らしていると、壁がどんどん近くなっていくのが判ってくる。揺れに馴染んで落とされては困ると思っているうちに、風に乗るように明るくなり、風の香りが変わり、屋外へと飛び出していた。遮るもののない陽光と風とに顔を背けると、足元にはカパッと左右に天井の開いた『厩舎』という施設が見えて、当然、下方の地面と自分のいる位置とがかなり離れていきつつある事実も目に見えてわかってきて、やがて遠くなって、家々が判別できなくなっていく。
空を駆ける天翔ける馬の影が地面にも見えなくなるほどに、高く速く移動していた。体感は、馬が地上を駆けるよりもずっと早い。とっくに公都の周辺を過ぎていて、田園地帯や山林が視界に入り始める。ラボア様が王都へ早く移動する手段として『厩舎』を利用するよう御命令下さった理由が判る気がしてきた。
並走していると言っても、師匠の乗るランとはお互いに姿が見える程度も距離がある。ただし、師匠の頭は翼の間から時々見えるので、師匠の体勢は跨いでいるのだと思えてきた。あれ? わたし、もしかして乗り方を間違えている?
「話って何だい?」
風の音に混じって、リシーニの声が聞こえてくる。下方に見えている景色には深緑の割合が濃くなっていく。ソローロ山脈の公国側の端をなぞって、国境までに王国側へと移動するようだ。
「快適な空の旅をしたいっていう要求かい?」
「…違います。」
広げて立てたままの翼は時々ゆっくりと動く程度で、船の帆のようにしか動いていない。実質、魔法で飛んでいるのだと判ってくると、わたしも跨いで乗ればよかったんじゃないのかなと恥ずかしくなってくる。かといって今更体勢を立て直すのも落ちそうで怖い。諦めてしがみつこう。たとえ母猿の背にしがみつく子猿のような体勢なのだとしても、この際、誰も見ていないのだ。
「進路について?」
「あ、教えてもらえるんですか?」
地にある国境を天翔ける馬で空を駆け抜けて越えるんだろうな、とは想像がついている。
「公都から10時の方向へ飛んで12時の方向へと進む。あとは風の流れによるよ?」
頭の中に懐中時計を想像して、針の向きを動かしてみる。
「それだけ、ですか?」
「十分だろ? 検問所を通過とは命令されていなんだから。」
ソローロ山脈がざっくりと三国を分けているのを頭の中に想像して、南方の公国の公都から北西に向かった後北へ抜ける線を描いて、かなり国境とは距離があるのを認識する。
「王国側のソローロ山脈沿いの領を移動するんですね?」
「理想はオルフェス領周辺の領だけどな、」
プレーヌ達のいるジルベスター伯爵領やウィーネ辺境伯領を思い描く。ウィーネ辺境伯領は公国のマライゾ辺境伯領とは違い、湖の多い穏やかな山間の領だ。魔性植物の密林に放り込まれた景観と比較する想像をするだけで、視界に開放感がする。
「十分です。すごく、いい作戦だと思います。」
フフっと鼻で笑われた気がした。
「なんですか?」
「ビアみたいな世間知らずな冒険者を恋人にしてさらに婚約者にしたいなんて、あの人、相当なお人よしだなって思ってさ。」
「そういえば、どうして、わたし達が婚約している関係にあるって思うんですか? 違ったらあの人に失礼だと思いませんか?」
細やかに抵抗してみる。根拠はこの乗り方だろうなと思い当たるだけに、なんとも居心地悪い。
「あの人はビアのことを『外部の治癒師』と言っただろ、」
「何もおかしくなくないですよ?」
実際、わたしは軍人ではないけど、治癒師ではある。
「わかってないな。サビク…、いわゆる『厩舎』とは極秘部隊だ。国王軍の中でも上層部しか知らない。そんな場所に王の庭から来た上級軍人と外部の治癒師が来たとなると、妖樹様の直轄で動く存在だ。考えられる選択肢はふたりとも庭園管理員か、ひとりは軍人もう一人は庭園管理員の2択が残った。バンジャマン卿が『外部の』と言っていなかったら、ビアは変装した軍人っていう線もあったけど、その乗り方、違うんだろ?」
そうです、よくお判りですね。否定する理由もなく、わたしは黙って肯定する。
「バンジャマン卿は役職も明かされず制服の色のみの情報だけど、ビアは外部の治癒師という情報が貰えている。そうなると、ビアは軍人じゃないけど庭園管理員で、治癒師だから何かあっても対応できる準備があるから、『外部の治癒師』って言ったんだろうなって思ったんだ。」
筋が通った説明に感心していると、リシーニが楽しそうに「あとはカマかけてみた。ビアの『恋人』って言葉でバンジャマン卿が反応してビアを見ていた。ビアは否定していたけどね。婚約者って言葉をビアは否定しなかったら、世間知らずって思ったんだよ?」とも続ける。
「向こうはともかく、ビアって初々しいよね、」
「余計なお世話です。」
「いいじゃん。軍人と庭園管理員の結婚って夢があるじゃん、」
「夢見なくていいと思います。」
師匠を軍人として意識したことがないので、軍人軍人と繰り返して言われると違和感がする。
「サビクっていうのは、」
空の向こうに見えていた黒い点が色とりどりに鮮やかな鳥の集団だと判ってくる。地上の、前方の山間の村からは煙が上がっている。人里からは遠く離れている田舎の集落だ。
ちなみに少し離れて空を行く師匠たちの進行方向前方には何の障害もない。
「こんな上空を鳥が、」
「矢の届かない高さだからじゃないかい?」
戦闘を回避する集団と空中で戦闘、なんてことはしたくない。
「迂回しませんか? 避けたいです、」
「気にしなくていいよ、」
わたしの声は聞こえないのかな。不安になって、お互いに見えている情報の確認がしたくなる。
「あの村、魔物の襲撃ですか?」
軍の精鋭部隊のリシーニは、居合わせている以上、このまま下降するつもりがあるのかな。
「いや、よらない。ほら、あそこ、」
山深い土地なのに高度な魔法を使う者がいるらしく、派手に火柱が上がった。よく見れば道を上がってきている同じ色の制服を着ている集団がいる。こんな田舎の村なのに領兵が出動しているという驚きが胸に広がる。
「こちらはこちらの任務優先。あと少しで国境だから、あの者たちに任せるよ。」
「こっちは?」
「そのマントは偏光の効果が仕掛けてあるから、魔力を持っていない者が見ると姿が曖昧になる。」
「つまり、鳥にわたしは認識されないってことであってますか?」
「その通り。突かれないから安心して?」
理屈は理解できても、実際にマントの効果を体験していないのもあって、心は落ち着かない。
「あなたは無防備ですよね? 大丈夫ですか? 除けてくれて構いませんよ?」
リシーニを心配するそぶりをしつつもう一度『除けてほしい』と願ってみる。
鳥たちの群れが視界の前方に広がっていて、かなり近付いてきていると判る。
リシーニの、しっかりとした「任せて? ビアは掴まって、頭を伏せて」と言う声が聞こえてくる。何もないと本当に言い切れる自信がある口ぶりだ。
「待って、迂回は?」
「除けずに突っ切る、」
通じなかった!
目を閉じ顔を背に伏せると、ギャアギャアと鳴く鳥の声が縦横周囲のすべての音を埋め尽くして、しばらくして遠ざかる。流れてくる鳥たちの群れが過ぎていったのだ。
少しだけ身を起こして後方を見ると、鳥たちはぎゃあぎゃあと騒ぎながら下方の別の村へと向かっていった。
「あの村に避難したんでしょうか、」
「そのようだな、」
後ろから見る限り、リシーニは無事でホッとする。
「さっきの話の続きに戻してもいいですか? サビクって、」
「ああ。サビクは俺たちの隊の正式名でもある。国軍所属の諜報員が『庭園管理員』と呼ばれているのと同じだよ。俺なんかだと、サビクのリシーニって言うんだ。」
「お互い、名乗る機会などない部隊っぽいですよね。」
「そうだな。庭園管理員の総数をビアは知らないだろ? そういう秘密の保ち方もいいが、サビクは誰が欠けても成り立たないからこそ、お互いを秘密にして守る。」
「みんな天翔ける馬なんですか?」
視界の隅にいた師匠が、天翔ける馬の羽の間から腕を振って合図しているのが見えた。わたしは一瞬だけ手を上げて、素早く天翔ける馬にしがみつき直した。
「いいや? 厩舎って言葉を考えてみなって?」
笑うようにリシーニは楽しそうに答えると、師匠とランとを追いかけるように、下方へと飛ぶ高度を下げた。
「もうじき、国境となる稜線が見えてくる。」
かなりの高地であるはずなのに、眼下なので実感がない。皇国との国境を歩いて越えた日々とはまた違う興奮がある。
「山を越える合図があったから、ランに続くよ?」
同じように山を越えて密入国したマハトと同じ道を行くのかしら。まだ夜でもないのに。ドキドキしながら「どうやって?」と尋ねてみる。
「普通に、このまま。」
「え?」
下に見えている景色は深緑のソローロ山脈の一部で、公道も山道も獣道もわからない生い茂りっぷりだ。
空を一直線に北に向かって駆け抜ける勢いで進んで、ひと気のない山を通過してしまう。
「もう王国内だ。」
聞こえてきた声に戸惑っている間に、リシーニはどんどん北へと進む。
「国境は越えたんですよね?」
王国と皇国の間を跨るソローロ山脈は崖や岩肌がゴロゴロしている危険な場所が多く、かなり険しく高い。公国から王国へ抜けるのだとしても険しく、困難を極める。
「あー、」
下方に見える風景は、西に向かって土地が開けている。下方に見える森も川も湖も、東から西へ、広がって数を増していく。
ウィーネ辺境伯領だろうな、と察しが付く。このまま進めば、オルフェス領が遠くなる。
「リューク大佐の御命令と違うのではないですか?」
「あれはリューク大佐が受けた命令だ。」
「は?」
リシーニの返答に、大きな声で聴き返してしまった。
ゆっくりと森の中の湖のひとつに向かって降りていく師匠を乗せた天翔ける馬であるランを追って、リシーニも下降し始める。
「サビクは違う計画を立てているんですか?」
「大体は同じ。国境を無事に通過した現段階で、第一通過点を突破。次にオルフェス領へ無事に入って第二通過点の突破。ビアとバンジャマン卿を無事に義勇兵として送って第三通過点突破。最終的に俺とランとが厩舎に戻れて全行程の終了、って計画だから、大筋は一緒だな。」
「確かにそうかもしれないですが…、」
オルフェス領への侵入経路を公国からと考えていただけに、リシーニの計画だとかなり遠回りをしている気がしなくもない。
「ビアは、魔香の影響を受けた土地について、どんな風に聞いているんだい?」
「目に見えなく無味無臭の魔物誘引成分が風に乗って広がり付着するから、街全体を雨が降るか水で洗い流すかするまでは土地に魔物を呼び続ける、とされているんですよね?」
「オルフェス領は水竜王様の召喚に失敗している。数日経ったとはいえ、汚染範囲を特定できない土地が規模もわからないまま放置されているんだ。そんな街に人間ではないものが出現したら、どんな扱いを受けると思う?」
ギャアギャアと森の木々から一斉に小鳥たちが騒ぎながら飛び出して行って、わたし達と入れ違った。翼を広げて降下するリシーニは、先に降りた師匠たちの傍の湖の上を大きく旋回した。師匠はその場に立ち止まったまま、見上げてわたし達を見ていた。
このマントを使っている限り、わたしと師匠は魔力を持たない王国人からは気が付かれない。
「俺とランは無事に厩舎まで帰る。無事に運ぶだけが任務じゃないんだよ。」
当たり前のことなのに、公国での天翔ける馬の扱いと王国や皇国での扱いの違いをすっかり忘れてしまっていた。
降りる前に、急いで尋ねてみる。
「オルフェス領内からの帰りの計画は、もう立ててあるんですか?」
「それなりに。」
詳細を教えてくれないまま、リシーニは、ランの傍に降り立った。
※ ※ ※
「ビア、」
先に地上に降りていた師匠が急いで駆け寄ってくる。そろそろと起き上がりずるずるとリシーニの背から這い下りると、地上に足がつく前に背後から師匠が背後から腰を支えてくれて降りるのを手伝ってくれた。
「少し休憩にしよう。オルフェス領へはあと少しだ。」
ランが天翔ける馬の姿のままリシーニやわたし達に話しかけてくれた。
「ビア、体をほぐしておきませんか、」
話し込むリシーニたちを尻目にわたしをゆっくり抱きしめた師匠は、「よく頑張りましたね」と言いながら頭も撫でてくれた。
「頭、乱れていますね、」
「気のせいです、」
師匠は楽しそうだ。わたしはちっとも楽しくない。天翔ける馬とはいえ、興味深そうなランとニヤニヤと笑うリシーニの視線が恥ずかしい。
「もういいです、放してください、」
体温が上がると汗をかいて、感情が読まれてしまう。
「ほら、ビア、あそこ、」
師匠は無理やりに体勢を変えて太陽を見上げて、午後の高い太陽の近くを指さした。
「あれ、見えますか、」
目を凝らすと見えてくるのはいくつもの揺れる影だ。
「魔物、ですか?」
「何らかの方法で姿を隠しているようです。向かう先は、あそこです。」
「方角からして、オルフェス領、ですね?」
「あれも、見てください。」
師匠はくるりと方角を変えた。わたしの見えている位置からして北北西の辺りには、蜃気楼のような揺らめく影が南に向かって移動してくるのが見える。
「魔物の中に、『姿を隠して奇襲する』という知恵をつけた個体がいるようです。」
借り物の白いマントは魔力がない者からの目隠しになるのだと思い出す。
「あの蜃気楼がわたし達魔力を持つ者に見えているのなら、魔力を持たない者にはどんな風に見えているのか気になります。」
師匠は首を振った。「奴らは、このマントと同じような効果のある魔道具を手に入れているのかもしれません。」
「そんな…、最近ですよね?」
昔からなら、もっと多くの人間が襲われているような気がした。ある意味正々堂々とした異形の魔物が襲ってくるのが遠くからでも目視できるので回避できたし、応戦の準備ができていたとも言えるし、良い精霊か魔物かを判別できていたりもした。
「皇国や王国側での魔物との交戦内容は公開されていませんから、公国での戦果との比較はしようがありません。ですが、」
木々の合間を見やり、師匠はわたしを放してくれた。
「現実に起きていて、今日この場でもその戦略が使われている以上、さらなる進化がある可能性に警戒しなくてはいけません。急速な知的水準の向上がないとも限りません。」
何かを見つけた師匠は小さく頷き、空を再び見て考え込んでしまった。
※ ※ ※
「バンジャマン卿、ビアさん、ここから先は味方は自分たちだけと認識してくれませんか。王国軍もオルフェス侯爵家の騎馬段も兵士も、心から信頼してはいけません。」
話し終えたランが地を蹴りながら、きりっとした声で言った。
「あくまでもおふたりは王国内を旅している立場、軍は関係ない存在。いいですね?」
師匠は黙って木陰に移動し、わたしに背を向けて、軍服を脱ぎ始めている。下に重ね着していたようで手際よくて、最後に白いマントを羽織って、脱いだ軍服はまとめて木陰に隠してあった麻袋に詰めている。
「ビアさん、いらないものがあれば置いて行ってください。あとで回収に来る者たちがいますのでご心配なく。」
「庭園管理員ですか?」
リシーニがニヤニヤとした眼つきでわたしを見ている。
「ビアさん、厩舎にいるのは輸送型の能力を持つ者だけですよ?」
「あ…、」
天翔ける馬だけじゃないんだ。他にどんな能力を持つ者がいるのかを、わたしが知らないだけなんだわ。
「師匠は、知っていますか?」
黙って頷かれてしまったので、言えない能力を持つ者だろうなとだけは想像がついた。
「ここから先は別行動になりますから、そのつもりでお願いします。」
ランが言い切ると、リシーニが「俺たちが上空で前衛、ビアたちは地上を行くんだ、」と得意そうに教えてくれた。
「王国人は騙せても、魔物には見つかります。上空から私たちが駆除しますから、ついてきてくだされば結構です。」
もう、空をいかないんだ。
少しばかり残念な気持ちが湧いてきて、無意識のうちに空中を見つめ首元の白いマントを触っていると、ランが優しい声で「二手に分かれて慎重にやりますから、ゆっくりで構いません、」とまで言ってくれる。
「ありがとう、助かります。」
空を行く蜃気楼のような魔物が実体化して攻撃してくる前に駆け抜けたい。天翔ける馬に追いつくのは早さだ。
わたしは師匠と自分の手足に『強化』の魔法をかけた。
「急ぎましょう。」
「森をまっすぐに西にオルフェス領に向かいます。通信はバンジャマン卿、お願いします。」
「了解しました。」
「殿はあそこにいる者が務めてくれるから、」
リシーニが森の一角を顎で示すと、「キューン」という中型動物のような喉の細さのある声が聞こえた。ただし、木陰に光る眼はひとつじゃない。
「お互いに名乗らない関係のままで、お互いを守るんですね?」
「そうです、」
独り言をつぶやくように師匠に確認すると、「振り向かないで行きますよ、」とも言われた。
ランが空中を蹴って、翼を動かした。魔力が風にそよいで熱波のように広がる。
足元に現れた魔法陣が消えたかと思った瞬間魔法が叶って、天翔ける馬の体が宙へと浮かび上がった。
「途中、王国軍に合流にできればオルフェス領内に入ることは拘っていません。あなた方の無事の潜入を確かめ次第、私たちは帰還します。」
リシーニも後へと続く。
「ビア、別れの挨拶なんかはしないからな。振り返らず行けよ? 元気でな?」
「わかってる。リシーニも気にせず、ランさんと無事に帰るのを優先して?」
「了解。バンジャマン卿、お手並み拝借。」
空に浮かぶランと駆け出したリシーニの姿を目で追いかけながら、わたしも師匠と森の中を走り出した。
ありがとうございました。




