6 シアンという役割
ティヒと来た道を戻り使用人用の食堂へと戻ると、二十人ほどの執事服を着た者たちが食堂のテーブルの上に食器を並べて布巾で磨いている最中だった。
誰もが人間の執事に見えた。そういえばリュードも、ウィエも、みんなヒト型だった。
ここで働いているものはみんなヒト型が維持できるほど魔力があるんだ、と気が付いて、メルは怒らせないようにしようとしみじみと思った。無駄に刺激して無暗に争いごとに巻き込まれたくはない。
妙な決心をして見惚れていたメルに、ふと顔をあげた金髪に茶色の釣り目の執事が気が付いて少し眉を顰めた。誰だ、とでも言いそうな顔つきで、警戒心からか手元のフォークをしっかり握っているのが怖い。
私のここでの身分は、耳役で、名前はシアンだ。メルはシアンを演じることにして、覚悟を決める。
「お忙しいところすみません。耳役のシアンです、」
リュードが教えてくれたようにダールに与えられた役割を言えば、咎められることはないだろう。姿勢を正し小さく会釈する。
「ああ、仕事が終わったのか、」
とろんとした目つきで白銀髪の神経質そうな執事が手を止めて立ち上がり、かけていた眼鏡をくいっと押し上げ、「待っていた。話は聞いている。厨房に夜勤用の者たちの食事が用意してある。お前たちも行ってきなさい、」と奥の部屋を指さした。
「ありがとうございます、」
ぺこりとお辞儀をしたメルに「リュードは起きたのかい、」と、別の黒髪の執事が声をかける。
「はい、眠って、起きました、」
そういえば通じるだろうか。
執事たちはニヤニヤと笑っている。よかった。正しい回答だったんだ。
「そうか、夏が生まれるまでもう日がないからな、よろしく頼むよ、」
ちらりと仲間を見渡して、白銀髪の執事が問いかける。
「誰か、部屋の用意もしてやってくれ、」
「では、私が。そろそろ終わりますから、」と、スプーンを磨いていた、くせっ毛で白っぽい灰色の髪、赤い瞳の執事が手を挙げた。中肉中背で、色白で小さな顔で目が大きくて口も小さい。可愛らしい印象のする青年だ。「今日の仕事はこれで終わりですから、」
「判った、頼まれてくれ、」
「ではシアン、終わった頃に迎えに行きます。私はリブロです。」
メルは『あの人ウサギっぽいな、』と顔を覚えて、「よろしくお願いします、」とぺこりとお辞儀をした後、ティヒと厨房へと向かった。
ウサギに似たリブロに付いて歩きながら、連想するようにルーグとスーシャを思い出す。
スーシャの関係者なのだろうか。ぼんやりとスーシャの顔を思い起こし比べようとしたメルは、久しぶりに嗅ぐおいしそうな暖かな食事の匂いに、無性に喉が渇いた気がしてきた。食べたい。何か、飲みたい。
ティヒが尻尾を振り振り歩いてメルの足にぶつけてきた。
「テッちゃん?」どうかした?
「メル。腹が減った、」
私がいなくても食事してくれればいいのに、と言いかけて、テッちゃんを信じているようで信じてなかったんだ、と自分が醜く思えてくる。テッちゃんは、私を信じてくれたから、待ってくれた。
「ごめん、今度から気を付ける。」
「いいさ。さっさと行こう、」
テッちゃんいいひと。じんわりと優しさが心に滲みる。信頼してくれてありがとう、テッちゃん。
メルが足取りも軽く部屋の中へと入ると、厨房の中では白いコック服を着た者たちが慌ただしく働いていた。部屋の端にあるテーブルには何人かの侍女や侍従たちが食事をしている。
部屋に入ってきたメルの顔を見て、「お前さん、新入りかい?」と、食べ終わった食器を片付けていたふっくらとした顔つきの若い男性のコックが大きな声で話しかけてきた。鼻の頭に大きな黒子がある。体つきも、やや丸い。
「はい、耳役シアンと言います。食事をお願いします。」
大きな声で言うつもりはなかったけれど、若い男性のコックの声量に影響されて、メルも怒鳴ってしまった。
「いい返事だ。ちょっと待ってな、いいものがあるんだ。支度してやるよ、」
コックの影でスープをお替りする者に配っていた恰幅のいい淡い灰色の髪を頭の上でお団子に結った垂れ目の女性のコックが、メルを見て顎でひとつだけ空いていた窓際の席を差した。その周囲の席は、食事を終えたらしい侍従たちが寛いで話をしていた。
「そこ、空いてるだろ、座んな。おい、お前さんたち、食事が終わったらどいてやっとくれ。夜勤の者たちがまだ終わってないんだよ、」
声をかけられた眉毛のはっきりとした顔立ちの焦げ茶色の髪の侍従たちは不服そうにするでもなく、メルを上から下までさっと一瞥して「タマリは口が悪いがいい奴だ、気に入られてよかったな、」と通りすがりに囁いて去っていった。
タマリってあの女性のコックさんのこと? とメルは思いながら小さく会釈しておいた。
メルが席に着くと、向かいに座ってまだ食べているほっそりとした侍女が小さく会釈してくれた。メルも会釈を返しておとなしく様子を伺った。ティヒは犬の姿のままでメルの足元にしゃがんで、様子を伺っている。
「ほら、お待ち。」
メルの前に運ばれたのは湯気が上る具沢山なミネストローネスープと、ふんわりとした白い丸いパン、湯気の立つ牛乳の入ったカップだった。いい香りにごくりと唾を飲みこんで、メルは瞳を輝かせた。
「こっちの犬には鶏肉でいいだろう、たんと食いな、」
ティヒの前にも肉が山と積まれた大きな皿が置かれたようだった。香ばしいいい香りがする。テーブルについているメルにも嗅ぎ取れた。ティヒは勢いよくかぶりついているのか、黙ってしまった。
「ありがとうございます。」
差し出されたスプーンとフォークを受け取ったメルに、タマリと呼ばれた淡いお団子頭のコックは首を傾げた。
「耳役シアン…。ウィエがお前さんの世話をしたのは昨日のことだろう。食堂でも初めて見るね? ここにも来てないってことは、お前さん、何も食べずに仕事をしていたのかい? あ? 昨日から、もしかして眠ってないのかい。」
昨日? 目をぱちくりとさせているメルに、タマリは小さく肩を竦めた。
「呆れた。外が明るいからって、きちんと眠らなくちゃダメじゃないか、」
一日中話をしてたの?
「やっぱりその食べっぷりは、一日食べてないってことだろう? お前さんたち、無理はしちゃいけないよ、」
最後にした食事は昨日になってしまったんだ…。メルにはそれでも、実感がなかった。一日中明るいから、かもしれない。メルは足元のティヒをそっと見た。ずっと、待っててくれたんだ。お腹を空かせても、待っててくれたんだ…。
「ここは夏が生まれるまでは夜がないから体の時間が狂ってしまうんだよ、きちんと三食食べていつも通り寝ないと、気がおかしくなっちまう、犬まで巻き添えにしちゃかわいそうだよ。」
「ありがとうございます。気を付けます。あなたは、ウィエの、お知合いですか?」
「ああ、ウィエは私の娘だ、親子でここで働いているのさ。私は厨房、ウィエは医療班だよ、」
医療班?
ウィエはお医者さんか看護婦さんかってこと?
医療班がお風呂に入れてくれるの?
タマリはじっと驚いているメルの顔を見て、棚から小さな焼き菓子を出してくれた。小さなマフィンだった。
「あんた、顔色よくないね。いいものをあげるから食べていきな?」
そう言って、メルのパン皿に添えてくれる。
「ウィエみたいに治療はできないけれど、私だって判ることはあるよ。あんたは病人みたいな顔色をしてる。」
徹夜明けだからってわけではなさそう。慣れない環境で無理をした疲労なのかな、と思う。
「彫り役は魂を吸い取るって言うのは本当かもしれないねえ。眠らないなんて生き急がせているようだよ。たんと食べてきちんとお眠りよ?」
クックっと笑って、タマリは手を振って、「ゆっくりお食べよ、」と自分の持ち場へと帰ってしまった。
話をしただけなのに魂を吸い取るって、どういう意味なんだろう。
テーブルの下から、ガチャン、と皿がぶつかる音がした。
そっとかがんで下をのぞくと、ティヒが満足そうに鶏肉の骨を噛んでいた。久しぶりの食事に興奮しているのか、骨まで食べる様子だった。
「テッちゃん、付き合わせちゃって、ごめん、」
囁くと、ティヒは気にするなとばかりに首を振っている。優しいテッちゃん。心細いのは私だけじゃないだろうに、私を信じて待っていてくれたんだ…。
こんなところに来ても、私はひとりじゃない。メルは暖かな気持ちになっていた。
食事を再開することにして一口スープを啜ると、あまりのおいしさに「おいしい!」と声が出てしまった。
ふふと笑う声がして顔をあげると、斜め向こうの席で食事していたほっそりとした顔つきの侍女が手を止めてメルを見ていた。奥の方に座っている他の侍女とは違って、濃い紺色の侍女服を着ている。
「ごめんね、あなたがとてもかわいらしくて。私は侍女のソージュ。」
トレイをずらして席を移動してきたソージュは、メルの向かいに座り直した。
「ソージュ、よろしく。耳役のシアンと言います。」
「よろしく、シアン、ゆっくり食べてね。お替りもタマリに頼めばさせてもらえるわ。2回までは大丈夫よ?」
クスクスと笑ったソージュは、スプーンの背でミネストローネスープの具の野菜をゆっくりと潰しながら微笑んだ。噛めないのだろうか? それとも、ドロドロが好き?
「あの、聞いても?」
柔らかく笑みを浮かべている友好的なソージュに安心して、メルは食事をしながら尋ねてみた。
「もしかして、もう満月は終わったりしますか?」
タマリとの会話の中で一晩中起きていたのは判ったけれど、本音を言うと信じられなかった。
「ええ、昨日の夜は満月の月見の宴があったから、今日は朝から片付けで大変だったわ。まだ食器が片付いていないみたいね。隣の部屋で執事たちが磨いているでしょう?」
「はい、」と言いかけてメルは驚いた。
「空があんなに輝いているのに、満月だと判るのですか?」
「ええ、コクビャクの池に美しい満月が浮かんで、主様が上機嫌であらせられたから。いい満月だったわ。過ぎたわよ?」
コクビャクの池に浮かぶ?
「本当に、ここは夜は暗くならないのですか?」
明るさで錯覚しているからなのか、一晩中起きていたとは思えないほど、疲労も時間も感じたりしない。でもさっき、タマリに、顔色はよくないと言われた。
「ええ、夏が生まれるまでは一日中明るいわよ?」
ふわっと微笑んで、ソージュはドロドロのスープを啜った。目が大きい。ほっそりとした顔なのに目が大きいソージュは、首も細くて、手足も細い。あ、この人、鶴に似てるんだ、と気が付いて、この人も地の精霊なのだろうと納得する。
「時々あなたみたいに体の中の時間の感覚がおかしくなる人がいるから、気にしなくても大丈夫よ。」
「はい…、」
「ここは太陽が昇らないから、月でしか時間を計れないのよね。」
日時計がないのなら、月時計? と言いかけて、メルはここは不思議な場所だなとしみじみ思った。ドラドリのゲームの中では空に太陽があろうとなかろうとシナリオに影響はなかった。太陽や月と言った空にまつわる普遍的なものは省略されていて、気にしたこともなかった。
「コクビャクの池は、どこにあるのですか?」
そういえばそんな池、ゲームには出てこなかったと思うけど?
「中庭にあるわ、あとで見に行ってごらんなさい。十六夜の月が見られるかも。」
確かにゲームの中での地の精霊王の神殿では、中庭に池はあったけれど重要な場所ではなくて小さな池だった。干上がったように灰色をしていて、池の底が見えていた。池のようなもの、という説明ならあったと思う。
あの大きさで月見の宴? 想像がつかなくてメルは黙り込んで考える。この世界では、中庭には梅の木と月が見える池がある、ということだろうか。
しかも、『夏が生まれる』って何なんだろう。夜がないのは白夜とは違うのだろうか。前世のゲームの記憶を照らし合わせてみても、よく判らない。
「夏が生まれるまでもう一週間とないから、支度が大変よ。明日にはウメの実の収穫が一斉に始まるわ。あなたも収穫をする子供たちに出会うかもね。」
あの地の精霊王の私的な庭から続く果樹園だろうか。
「あなたは耳役だから大変ね。今年は遅れているみたいだから、主様も大層気にかけておられるご様子だものね、」
ドキッとして、メルはスプーンを持つ手を止めた。トレイを手に、ソージュは立ち上がると、メルの耳元に囁いた。
「前の子がいなくなってからもう三月と経つわ。とっかえひっかえ耳役の代わりを差せてみたけど、あの者の妖気にあてられて姿が保てなくなって気がおかしくなってしまうの。あなたも気を付けてね、」
妖気にあてられる…?
ソージュは、メルの顔を見て、にっこりと微笑んだ。
「じゃあね、メル。また会いましょうね、」
ひらひらと手を振ってソージュが行ってしまうと、メルは急いで残りを食べ始めた。既に食べ終えたティヒは骨まで噛んで満足そうにしていたけれど、メルの様子を見て、呆気にとられた顔つきになった。
「獲ったりしないから、ゆっくり食べろよ、メル、」
「…そういうんじゃない、」
スープを流し込み、メルは一生懸命パンを噛みしめて、考える。
あの執事がスーシャの身内なら、私の世話を買って出てくれたのには意味がある。私がスーシャのことを聞きたいと思っているのと同じように、あの人も、スーシャのことを知りたいと思っているのかもしれない。
「そうか、」
「うん、大丈夫だから。」
判らないことが沢山あって、知りたいことが多すぎて、どこから手をつけたらいいのか判らない程だけど、出来ることからしていこう。
リブロと知り合えた縁をまずは大切にしたいと思えてくる。
タマリもソージュも、私を仲間のように扱ってくれた。私は人間だけど、ヒト型だと思われている。
私は人間だからリュードの妖気にあてられて姿が変わることなどない。
時間がある、ということだ。
今日だって、もう夜で終わろうとしているけれど、耳役の仕事は7月までならもう5日とない。いや、5日も、ある。
そういえばシンは何をしているのだろう。
メルはゆずの香がするマフィンを食べてほっこりとした気分になりながら、シンは心配しなくても自分でどうにでもしてそうだから気にしないでおこうと考え直した。
ここでは、ドラドリというゲームとは違う何かが起こっている。
「ごちそうさまでした、」と言い終えたメルにタマリが「お代わりは良いのかい?」と尋ねてきたその時に、食堂にリブロが顔を覗かせた。
ありがとうございました




