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1、再会とお別れと、

「どこに行っていたんですか、あなたって人は! 心配したんですよ、」

 マントはなくシャツにズボンという軽装ないでたちの師匠は力任せにわたしを抱きしめて、ほっとしたようにわたしの耳元でやさしく苦言を呈した。懐かしい公国(ヴィエルテ)語だ。久しぶりの、公国(ヴィエルテ)語だ。泣きそうになって瞼を閉じると暗くて寂しい空間に一人取り残された絶望を思い出す。師匠がいればもう大丈夫だ。もう大丈夫なんだ。人の温かみが嬉しくて、つい流されそうになって、淡々としている師匠が感情剥き出しな態度をとる様子って、つくづく似合わないなって思ったりする。

「どれだけ探したのか、あなたって人はいつも…、」

「苦しいです、放してください。」

 師匠に会えたのは嬉しいけど、再会の抱擁は捕まっている気がして逃げ出したくなる。

「ちょっと、きついです、それに、恥ずかしいです。」

 ひと目も気になる。いきなり現れた娘が朝市のある公園という人目につく場所で熱い再会の抱擁って物語があり過ぎる気がする。ふたりが惜別の末に再会した恋人たちなら純粋に美しい物語となっても、わたし達の場合は単なる師弟関係で行違っただけだ。注目されるのも目立ってしまうのも、避けたい気がする。

 ドンと胸を突くと、師匠は不機嫌そうな顔つきになった。

「久しぶりに会った師匠になんて態度をとるのですか、ビア、どうして、」

「だからです、師匠。わたしは…、落ち着いて話がしたいです。」

「どうしてです?」

 改めて自分の姿を思うと恥ずかしくなってくる。ホバッサでの夜を思い出すと、火光(ファイヤー)(・マウス)のマントもリディアさんのお下がりのサマーワンピースな巫女服も、きっと泥まみれ血まみれで泥まみれに加えてよくわからない付着物にまみれていると思われる。自分の状態がどんな様子かわからないのに見知らぬ誰かに観察されるのは恥ずかしい。師匠に再会できたのは嬉しいのに、こんな場所で恥ずかしさを誤魔化すために喧嘩をしたいと思わないし、心が痛くなるような言葉を聞くのも嫌だった。

 自然光も、風も、待ちゆく人も、当たり前の世界が当たり前にある光景がすべてが嬉しいのだと感じる心の喜びを、もう少しだけ大切にさせてほしい。

「たくさんあり過ぎたんです。どこから話せばいいのかわからない程に。混乱していて、」

 わたしを案じてくれていたからつながったのだと思うと、もちろん一番感謝しているのは師匠だけど、蛙顔の神官様やリディアさんにも翡翠のアマガエルにも感謝したくなる。

 手にした翡翠のアマガエルを師匠に見せて、逆光に眩しい師匠の顔を見上げ、「これ、」と問いかける。

 ありがとう、って言いたいのに言えなかった。目の前にしてしまうと、感謝を師匠に言いたくなくなってしまった。

 わたしをこの世界に戻してくれた人なのに、素直に気持ちを告げられそうにない。

 続きを待ってくれていた師匠は、わたしの手の上に、自分の分の翡翠のアマガエルを乗せてくれた。わたしのと同じようにリディアさんの編んでくれたアリアドネの糸で編まれた網に包まれた翡翠(アマガエル)はぐるぐると紐がしっかりと巻き付けられている。わたしのカエルが『網の中』なら、師匠のカエルは『捕縛済み』状態だ。

「お帰りなさい、ビア、」

 師匠はそう言って、自分の分をポケットに回収した。

「そうですか。すこし、歩きませんか、」

「どこまでですか、」

 わたしに向かって腕を差し出した師匠は、「街を見に行きましょう、」と言ってくれた。

「さ、どうぞ、」

「エスコートしてくださるのですか?」

「いいから。掴まりなさい、」

 急に女性扱いされた気がして手を引っ込めたままでいると、「倒れそうな顔色をしているから付き添うだけですよ?」とも言われてしまった。

「そんなに顔色悪いですか?」

「少しだけ我慢してください。この先に、宿屋があります。」

 宿屋、と聞いてほっとしたのが表情に出てしまった気がして師匠を伺うと、「軽い食事も頼みましょう、」と言ってくれた。

「わかりました。」

 空の色や街の雰囲気から朝だと想像がついているけれど、この場所がよくわからなかった。

「ここ、どこですか、王国ですよね?」

 師匠はうっすらと微笑んだ。

「ここですか? ずっとここで、ビアを待っていましたよ?」

 改めてみれば、師匠は身綺麗な格好をしている。

「髭、剃ったんですね、顔色もいいと思います…、いい宿に泊まっているんですね?」

 わたしの記憶の中の師匠は、遠い皇国の旅空の下、幌馬車の隅に座って移動していた。やつれてあまり身綺麗とはいえなくて、一見してあまり健康とは言えない肌の状態だった。

「ここは…、アンシ・シ、ですか?」

 わたしの記憶の中の王国側の国境の街とは違う。

「違いますよ、クラウザー領のガルースです。」

 通りに面しているのは背の高い建物ばかりで、一見するとどの家も長屋のようにくっついているように見える。近くに寄ると、ほんの僅かにお互いの家が別の柱と壁で屋根を支えていると判るくらいに隣接しているのが判った。隙間を作らない様に密接しつつ別の家を作るのって、内側から壁を作っていくのだと想像できてくる。

 

 近くの大きな建物の尖塔にある鐘が鳴り響いて、鳩が空に向かって飛び立っていくのが見えた。あの建て方は聖堂の礼拝堂だわ…。

 1周目の未来でのわたしのガルースの印象は聖堂の敷地内しかない。

 コルと、シューレさんと、アレハンドロと、先生と、先輩(アメリア)ぐらいしか、記憶がない。


「わたし、ブロスチで師匠と別れてからずっと、旅をしていたんです。」

「私もですよ、ほら、」

 師匠の指さした先にあるのは通りに面した立派な建物だった。看板には宿屋とある。同じ並びの店の2軒分の横幅があって、安い宿とは思えない外装だ。

「あそこに泊まっているのです。」

 3階のいくつかある開けっ放しの窓辺に、手を振っている人物が見えた。

 レゼダさんだ。佇まいも姿勢も思想も格好もきちんとしているまじめな剣士なはずなのに、中身は乙女なレゼダさんだ。

「懐かしい、」

 呟いてわたしは自分の言葉に驚いた。ほんのひと月ばかり前に別れたはずなのに、懐かしいって感じるなんて。ちょっと妙な感覚だ。

「ビアちゃ~ん!」

 大声で満面の笑みのレゼダさんが叫んで、窓の奥へと身を引っ込めた。走って降りてくるのかな? ありえそうで嬉しくて、可笑しくなってくる。わたし、眠ってないからかも?

「師匠、アレハンドロとベルムードもいるんですか?」

 懐かしさに駆け出したくなるわたしを、師匠は腕をしっかりと引き留めてきた。

 師匠はわたしを見て一瞬目を細めて、「あの者だけです、」と言った。「ここには、あの者だけがいます。」

「それじゃ、セサルさんとは、合流できたのですか?」

 宝石商のセサルさんとはアンシ・シの街でエレメア石を売ってもらう約束がある。もちろん、竜化するかもしれないエドガー師対策用の切り札にするつもりでいる。

「ビア、よく聞いてください、」

 言葉に詰まっていた師匠は宿屋へと向かうのも躊躇っていた。

「話しにくい話ですか?」

「そうです。だから、落ち着いて。あなたの様子を見て、あなたの体調次第で話そうかと考えていました。」

「秘密にしなくてはいけない話なら、宿屋の中で聞きます。そうじゃないのなら…、今ここで知りたいです。」

「ビア、私たちもあなたが何をしていたのかを知りたいと思っています。お互いに落ち着いて情報を交換しあうのが最良と思いましたが、そうもいかないようです。」

「レゼダさんですか?」

「そうです。ビアの顔を見て、すっかり元気を取り戻したようです。」

「何かあったんですか?」

「アレハンドロが輪廻の輪へと戻りました。あの者は、最後の時を目撃しています。」

「え、」

 どういうこと?

 動揺したわたしは衝撃に何も言えなかった。

 暗黒(ダーク)騎士(・ナイト)なのに、宿命を果たさずに?

「ビアちゃん、お帰り、モー待ちくたびれたのヨ? 元気そうでよかったワ。」

 とっさに、両手を広げて宿屋を飛び出してきたレゼダさんがいきなり突撃してきて抱きしめようとしてきたのを慌てて逃げて師匠の後ろで回避してみる。動揺しつつも、師匠がレゼダさんに肘打ちを喰らわすのを黙って見ているくらいならできてしまうのだ。

 

 ※ ※ ※


「ビア、いいですか、」

「どうぞ、」

 宿屋に入り訳を言って部屋を師匠たちの部屋の近くで用意してもらって手続きをし部屋を借り、風呂を借りて入浴がてら洗濯をし、部屋で涼んで白いシャツと黒いズボンに着替えて、をしていると、師匠とレゼダさんとがやってきた。

 わたしの部屋は通り沿いじゃなかった。北向きの静かな部屋はどことなく陰気で、良く言えば誰からも部屋を覗かれなさそうという程度に落ち着いていた。ふたりを招き入れたとはいえ再会を喜ぶ気分はすっかり萎んでしまっていたし食欲もどこかへ行ってしまっていたのに、師匠はわざわざ朝食兼昼食を運んできてくれた。ニンジンの浮かんだポタージュスープにサラダにオレンジや水蜜桃なんて嬉しすぎる内容だったけど、本当にそんなに食べたい気分じゃなかったりする。

 室内は簡易ベッドとテーブルとソファアと荷物用の籠がある程度だったけれど、王都の聖堂の部屋の2倍の広さがある広い部屋なのに、座れる場所が他にないので、師匠はレゼダさんと並んで簡易ベッドに腰かけた。ふたりしてわたしにソファアを譲ってくれたので、わたしは悠々とテーブルに広げた食事がとれたりする。ま、しないけど。

 でも、食事よりも気になることがあったりする。

「レゼダさん、アレハンドロの最期に立ち会ったと聞きました。聞かせてもらえませんか、どうして、何が起こったのか。」

 王国語で話しかけると、レゼダさんはちょっとほっとした表情になった。公国人二人と王国人一人の会話だと必然的に公国語で話をすると思っていたようだ。

「ビアちゃん、」

「師匠は、居合わせていないんですよね?」

「私は先にガルースへ来ていた。あの日は、聖堂の慰問部隊がそろそろピフルール公領に到着すると情報を掴んでいましたから。王都を出て以降のビアの消息がはっきりしなかったのもあって、ビアがそちらに来るのであれば迎えに行こうと考えていたのです。」

「ずっと薬で眠っていたのです。目が覚めると、知らない街でした。その頃おそらく、わたしはデリーラル公領のホバッサに到着していたのですね?」

「そうなの、ビアちゃんったらあまり連絡を寄こしてくれないじゃない? アタシたちは別行動として約束通りにアンシ・シで待っていたのヨ? 宝石商のセサルと接触できたし、あとはバンちゃんとビアちゃんが揃えば勢ぞろいねってベルちゃんと話していたのヨ、」

 ベルちゃんってベルムードだよね、多分。こっそり自分の中で確認しておく。

「アレハンドロって暗黒(ダーク)騎士(・ナイト)じゃない? あんまり地竜王様の神殿に近付けるとヤバいわネって話していたんだけどサ、検問所が近いのヨ、これがまた。ビアちゃんが皇国(セリオ・トゥエル)から来るかもねなんて話してて、丁度あの日の朝も検問所へ向かっていたのヨ。あの朝一番で皇国(セリオ・トゥエル)へ抜けていくんだろうなって勢いで聖堂の御大尽を乗せた馬車がアタシ達を追い越して行こうとしてネ…、立派な馬車だったワ…。見送っていたら何を思ったか突然、アレハンドロが剣を抜いて列に襲い掛かっていったのヨ。」

 レゼダさんの説明に没入していたわたしは悲鳴を上げそうになって手で口を覆っていた。もともと聖堂の(ホーリー)騎士(・ナイト)だったアレハンドロの行動にしては混乱というより発狂したとしか思えなく、想像しているのよりも現場は騒然としていそうで、暗黒(ダーク)騎士(・ナイト)だけに禍々しさも迫力があったのだろうなと思えた。わたしなら居合わせた時、理解出来なくて動けないかもしれないと思ってしまった。

「どうしてって思った瞬間、アレハンドロが無防備に討たれてしまったノヨッ。あっけなくとしか言えなかったワ。誰も動けないのに、応戦したのソイツ、一撃だったワ。一瞬の出来事で、アタシ、何もできなかったのヨ。」

 シュンとするレゼダさんは、悲しそうに項垂れた。

「私でも同じだっただろうと思います。アレハンドロのような人物がそのような行動をとるとは誰も想像がつかなかったでしょうから。」

「駆け寄ったら…、(ホーリー)騎士(・ナイト)は呪文を唱えていたから、すぐに誰の目にも呪われた暗黒(ダーク)騎士(・ナイト)(ホーリー)騎士(・ナイト)が最後の最期に浄化して魂を清めたとしか見えなかったと思うわ。すぐに列のあちこちから司教や司祭が集まってきて、祈りを捧げていたワ。神の御業って奴ね? すっごく神々しい光の中、闇を纏って地に横たわるアレハンドロを(ホーリー)騎士(・ナイト)が頭を起こして手で顔を拭って囁いていたのヨ、天から神の御使い様が舞い降りてきそうな、それはそれは美しい光景だったワ…。一番立派な馬車の中から御大尽が顔を出してアレハンドロへ向けてひとことふたこと何かを言ったら、アレハンドロは満足そうに微笑んで、アタシやベルちゃんを見て、片目を閉じて微笑んでくれて、それからすぐに両眼を閉じてしまったのヨ…。」

 ヨヨヨ、と悲しそうに身を捩ってまつ毛に涙をためて、レゼダさんは視線を落とした。

「アレハンドロは、その後、どうなったのですか?」

 まさかそのまま担がれて聖堂に連れ去られてしまったりしたのかなって考えて、わたしはまだ心のどこかでアレハンドロが生きているんじゃないのかなって考えていて生存を期待しているんだって気が付いた。

「あの馬車は、二手に分かれたのよ。皇国へ抜けていく一行と、アレハンドロを確保して引き返した一行と、に。アタシはもちろんアレハンドロを乗せた馬車を追いかけてきてここにいて、ベルちゃんはセサルとアンシ・シにいるわ。」

「その後、アンシ・シで魔香(イート・ミー)が撒かれたのです。この者はガルースの聖堂まで追ってきて、葬礼が行われたのを見届け、そのことを伝えにアンシ・シに戻ろうとして封鎖されてしまったのに気がついて、すごすごと肩を落として再びここへ戻ってきて、現在、ビア、あなたに会って機嫌を回復している最中となります。」

「バンちゃん、ちょっと、言い方に棘があるワ。」

 事実なんだろうな、とこっそり思うけど、乙女なレゼダさんは拗ねたままだ。

(ホーリー)騎士(・ナイト)はどこにいるんですか? 皇国(セリオ・トゥエル)へ同行したのですか?」

 記憶の中で北の海の聖女キーラに同行していたラザロスは(ホーリー)騎士(・ナイト)だったかなって考えたりもする。

「いいえ。現在王都にいるか到着した頃でしょうか。アレハンドロを連れてこの街へ来て、葬礼を行い、王都へ向けて出発したようですから。」

 師匠が淡々と教えてくれる。

「聖堂の御大尽って、誰なんですか? 聖堂の三本槍が護送しているわけじゃないんですよね?」

 記憶の中で、王都を出た高位の聖職者は王国の聖堂の最高責任者で大聖堂の責任者である大司教セルイゲイ様ぐらいしか思い浮かばない。

 馬車の中にいる人物がセルイゲイ様だとアレハンドロは知っていて列に襲い掛かったのなら、同行しているのは(ホーリー)騎士(・ナイト)だとも知っているはずなのだ。

「他の司祭たちとは別格な恰好だった気がするワ、でも、顔見れてないの、ごめんね、ビアちゃん、」

「大丈夫です。」

 (ホーリー)騎士(・ナイト)はアレハンドロの後任のレノバという謎の(ホーリー)騎士(・ナイト)かもしれない。どういう人物なのか顔を見たことがないから何とも言えないのだけれど、アレハンドロと同等かそれ以上に剣が使えるようだとはわかったし、葬礼を仕切れるほどにある程度聖堂に長くいて聖堂のやり方に詳しいのだともわかる。

「あの(ホーリー)騎士(・ナイト)、剣裁きに一切ためらいがなかったのに、動かなくなったアレハンドロの顔を見てかなり驚いた様子だったから、暗黒(ダーク)騎士(・ナイト)になったのも知らなかったのかもしれないワヨ?」

 冷めてしまったスープの表面に膜が出来ていた。スプーンで突いていると、「ビアは、」と師匠が躊躇いがちに切り出した。

「こちらで押さえている情報では、ビアは昨日の夜から水の底にいましたね?」

「つい、さっきまでいたのだと思います。」

 話すと長くなりそうだなと思って話そうとしたけれど、言葉を紡げなかった。話したら、ホバッサにいないはずのシューレさんやコルとの再会を語らなくてはいけなくなる気がしてしまうと、語ってはいけない気がしてきたのだ。何故やどうしての背後には、いつも父さんがいた。

「ちょっとだけ、時間をください。」

 何を話して良くて何を話したら不利となるのかは知っている。だけど、師匠が聞きたいのはきっと、話したら不都合となる方の話だ。

「そうですか。では、食事を済ませてからにしましょうか、」

「お願いします。」

「少しだけですからね、」

 部屋を出ていくレゼダさんと師匠を見送って、わたしは考え事をしながら食事をし、少しだけ休憩したら呼びに行こうと思っている間にソファアで眠ってしまっていた。多分、言い訳が思い浮かばなかったからだろうな、とは思う。


 明かりもなくすっかり暗くなった世界の暗さに驚いて部屋を飛び出たわたしに、廊下を向こうから歩いてきた師匠は「起きましたか、ちょうどいいです。出かけますよ?」と言って何事もなかったように手招きした。

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