25、持ち込まれた穢れ
<検分に行こうか、>
屍食鬼が消えた後に仲間がやってこなかったのもあって、グラナトはメルに一緒に行こうと手招きしてくれた。チーキーはグラナトに目配せした後一度頷いて先に行ってしまった。目と目の会話にメルが戸惑っていると籠を手に戻ってきたので、どうやら支度を命ぜられていたようだ。籠の中には薄っすらと香る何かが入っている。
<ほら、行こう、>
慣れている素振りのグラナトは籠を抱えたチーキーと先に行ってしまった。
よくわからない状況だけど、ひとりで待っているより一緒に行ってみよう。取り残されたメルも後を追って家を出た。
シュレイザの監視の元ティポロスまでの道すがら魔物と戦って剣の腕を磨いていた身としては魔物が輪廻の輪に戻ると灰になって風に消えると知っているので、今更真新しい発見などないと想像はついていた。ただ、相手がヴォルガという実在の王国の武器職人に擬態していたらしいのもあって、身に付けていた持ち物が誰のものなのかをグラナト達も気にしているのだろうなというぐらいはメルにもわかる。
あの人、売掛帳みたいな帳簿を持っていた。本当は何が書いてあったんだろう。
メルは偽ヴォルガの服装を思い出しつつグラナト達を追いかける。本当の人間にしか思えなかったんだけどな、とこっそり悔しく思ったのは、口には出さない。
道のあちこちに腐った肉のついた皮が落ちていて、生臭い悪臭が漂っていた。辺りが畑や厩舎といった長閑な田舎な風景なので、違和感ばかりする。
<ああ、嫌な臭いだね、>
グラナトが黒いエプロンのポケットから色とりどりで細かな輝石を取り出すと、何かの呪文を唱えながら口づけし、ひとつひとつ指で弾いて飛ばして、残っていた人の皮や肉へぶつけて燃やしていく。
ドラドリの聖騎士の魔法に『聖なる火』という火炎の攻撃魔法があったわ。メルは本筋での設定を思い出していた。この人は本当に聖竜騎士なのかもしれない。そう思うと、引退したという言葉の意味も具体的にはどういう意味なのかが気になり始める。武器を手にしていないだけ? 冒険者であるのを辞めただけ? それとも…?
情報を見逃したくなくて、燃え滓を避けて歩いていくチーキーに倣ってメルも道の端を用心して追いかけて、メルは急いで偽ヴォルガ本体が燃え尽きた場所へと向かった。
※ ※ ※
道の真ん中にある残っていた灰や衣類やマント、カバンの山には人骨はなく、燃え残った人の皮がまだ燻っていた。暗い森で見た遺物とは違う。あの人たちは森の獣に食べられたんだわ。この人は違う。この人は本当に魔物だったんだ。メルは小さく身震いをした。死人や屍食鬼と人間の違いが判らないのだと自覚してしまった以上、これから出会う人について用心深くあろうと誓う。
<どれどれ、>
グラナトは足先で突いて偽ヴォルガの残骸の山を散らかして、なだらかにして灰と燃え残ったものとを分け始めた。もちろん人の皮や腐敗した肉は輝石と呪文とで燃やして消滅させてしまっている。
心配そうな眼差しでぎゅっと籠を抱きかかえていたチーキーが、籠の中から粉を取り出して燃え残った遺物の上に振りかけた。風に靡いて香ってくるのは、灰になっても残る薬草の独特な濃い匂いだ。
<何をしているんですか?>
<触れていいように退魔煙の灰をかけているんだよ、ほら、>
遺灰と遺物と退魔煙の灰とが混ざると青い火花が散ったかと思うとシュワっと音が一瞬だけして、すぐに馴染んでしまう。
<本か? 盗品か?>
偽ヴォルガの持ち物の中で一番意味がありそうな帳簿を見つけ出すと、グラナトはしゃがんで手に取り、灰やホコリを払うとメルに渡してくれた。
<見てくれないか? 王国語は読めるんだろう?>
<あなたは?>
<文字などもう久しく読んでいない。>
<私も怪しいです。いいのですか?>
なんとなくの印象として、グラナトはあまり見えていないのだろうなと勘付いていたのもあって、メルはそれ以上追求せずに受け取って、中身を改めてみる。学校で学んだことが抜けてしまっているメルとしても、見てみないことには読める気がしない。
パラパラとめくると名前と地名とが書いてあると判ってくる。金額が書いてあるので、本当に売掛帳なのだと判ってくる。
<表紙には何も書いてないので何とも言えませんが、どこかの店の売掛帳みたいです。>
日付と数量、金額から見て、あまり高額ではない何かで誰もが同じものを購入していると判ってきた。もしかするとお酒かしら?
<麓の街が襲われたのなら、どこかの店から盗んできたのかもしれないな。>
黒い丈夫な防火服も工具も、元の持ち主がある。襲撃を受けているという街のどこかの店の誰かの持ち物だろうなとメルは思えた。少なくとも酒屋と鍛冶屋が襲われている。
<人の皮もですか?>
メルの見立てが正しければグラナトはあまり見えていないので、ヴォルガが偽物なのかどうかもわかっていないまま対応していたのではないかという疑惑も出てきた。
<だろうな。はっきり言ってしまえば、ヴォルガ本人かどうかわからなかった。ヴォルガについて覚えていることをこちらが話したけれど、向こうからは話してこなかっただろう?>
あの時、メルは偽ヴォルガが久しぶりに再会したグラナトの記憶を探っているのだと思って聞いていたのであまり違和感を感じていなかったけれど、グラナトがあまり見えておらずグラナトも記憶の中のヴォルガと照らし合わせる作業をしつつ会話していたのならお互いに試すような話し方をしていてもおかしくはないのだと思い直す。
<いつ、気が付いたのですか?>
<私を見て泣いたのを見て、妙だと思ったんだ。どうして親密でもない関係なのに泣くのだろうと不審に思った。呼ばれたことなどないのに、先生と呼ぶのもおかしい。いくら懐かしくても、年のせいで涙もろいという程私とヴォルガの関係は情を通わせていない。出されたカップが欠けているからと言って水も飲まないのなら、礼儀に忠実とも思えない。>
メルは何も考えずに飲んでいたので、少しばかり恥ずかしくなってきた。
<後付けのように、息子の不始末で秘密が漏れて襲撃されて怪我でも負っているのではないかと不安になって訪れた、と心情を説明していたね? 芝居がかっていると感じてしまえば、最初に心を掴んでしまえばうまく流れを自分に都合よく作れるのは詐欺師のやり方だと気が付く。泣く程人情に篤い人格者なのだと勘違いさせてしまえば、多少の論理の破綻も感激のあまりに我を失った激情家という印象で誤魔化せてしまうだろう?>
<私は、どう思われたのですか?>
<最初にこの結界の中に異物が紛れ込んだと判った時点で、どうして一緒にいるのか不思議に思えていた。近付いてくるにつれ、ひとりは魔物で、もう一人は妙な気配がする人間だと判った時、魔物に騙されているのかどうかを見極める必要があった。>
<だから、私の扱いを押し付け合ったのですか?>
<罪もない子供を邪険にしたりして、悪かったと思っている。どうやら加護持ちに触れてしまって死人か屍食鬼が人の姿が維持できなくなっているのが判ってきたから、いつまで白状せずに耐えられるのかを試しているのが面白くなってしまっていたのだ。いざとなれば討つ覚悟はしていたとはいえ、怖い思いをさせてしまった。すまなかった。>
意外にもグラナトが頭を下げて謝ってくれたので、メルも申し訳ない気持ちになってきていた。屍食鬼を連れ込んだ責任も感じてしまう。
<大丈夫です。屍食鬼だと気が付いていなかったので、早めに逃げられていたら、きっと気が付かないままでいて、今も、偽者ではなく、ヴォルガさんという親切な人に道案内をしてもらった、と思っていたと思います。>
メルはにっこりと笑った。今なら、聞けそうな気がする。
<ところで、本当に聖竜騎士を引退されたのですか?>
チーキーが皇国語で何かを言った。グラナトが窘めてまだ何かを言おうとしたのを黙らせ、ふたりしてメルの顔をじっと見てくる。
<どうかしましたか?>
<問題ない。チーキー、もう大丈夫だ。>
言葉の壁があって疎外感もあって居心地が悪くても話をしないことには情報収集が出来なくて、思い通りにならない苛立ちももどかしさもあって、だからと言ってこのままここを立ち去るわけにもいかなくて、メルは意を決してグラナトへと問いかける。
<私はここへは竜騎士シュレイザの命ではなく、先代の地竜王であるヴィオティコ様の差配で来ました。一番安全な場所だとは教えてもらいましたが、詳しい理由は判りません。暗い森の中へ、転送されてきたのです。>
グラナトは目を細め、やがて目を閉じ、眉間に皺を寄せると、ゆっくりと<家に戻ろうか、それはここにおいておけばいい、>と帳簿を指さし指示して、自分の家を振り返った。
※ ※ ※
メルとチーキーと共に盆地の端のある些末な家へと戻ったグラナトは、散らかった部屋を片付けた後、メルに残った椅子を勧めてくれた。屍食鬼と思われる偽ヴォルガが座っていた椅子は水をかけて丸洗いして庭の片隅で陰干しされているので、グラナトとチーキーは立ったままだった。
<改めて、初めまして。私はグラナト。この場所で、世捨て人として暮らしている爺だ。>
最近私が知り合うのは自称『爺』ばかりな気がする。風竜王である雷竜シュガールの言う『爺』ってこの人だったのかな。メルはこっそり思い、首を傾げてみたくなる。
<あの、私、>
椅子に座らずに椅子の横に立ったメルを見て、チーキーが<お師匠様、この娘、やっぱり竜の気配がする、>と女神の言葉で話しかけた。目を見張るメルに、グラナトは肩を竦めた。
<この子は王国語も公国語も女神の言葉も話せるんだ。すまないね。私が大丈夫だと言わない限り見知らぬ誰かと話をしてはならないと教えてある。>
<こっそり皇国語を話していたのは、約束だからですか?>
<そうだ。偽物が王国語、お前さんは女神の言葉だっただろう? チーキーは王国人と皇国人の父親と公国人と皇国人の母親の元に生まれて聖堂で暮らしていた子なのだ。読み書きは不得手だが、幼くとも言葉は自由自在だ。>
<あの、会話が判るのですか?>
<そうだよ。お前さんが王国語を話せないのに王国語を理解していたのと同じだ。>
<聖堂で暮らしていたんですか…?>
<知り合ったのも聖堂だ。>
ふたりとも聖堂の関係者って意味なのかな?と考えてしまうと、先代の地竜王だというヴィオティコ爺さんや王国の竜人の学者のシモンズと、引退した聖竜騎士グラナトの接点がますますわからなくなる。メルはしきりと瞬きをしていた。聖竜騎士が聖堂所属の騎士なのは判る。聖堂の関係者が安全な隠れ場所を提供するという意味が分からない。
聖竜騎士は聖なる加護を得て竜を従え人々を導く騎士とされていて、ドラドリの本筋では、王子は最終的に聖竜騎士の称号を得て、竜が自分を討つ者にかける呪いを受けずに竜を討つことができる唯一の剣である破邪の聖剣を手に竜魔王を討つ、というのが大体の流れだったりする。ちなみに王子が竜魔王討伐の旅で最初から宝剣である破邪の聖剣を手にしていないのは聖竜騎士ではないので使いこなせないからという理由からだった。要は竜魔王討伐の旅とは聖竜騎士になるために加護を集め魔物の侵略を阻止し腐敗を正し人心を掌握し混乱する大陸を平定するための期間だ。
<もしかして、あなた様は現在も聖堂の関係者なのでしょうか、>
王国人であるメルにとって、聖堂の治癒師は敬虔な信者であり私情ではなく寄付金で治療してくれるわかりやすい存在で、軍人は王国に住んでいても全く別の価値観を持つ異国人な感覚があった。ドラドリの本筋を知るメルとしては、聖堂の三本槍を擁する聖堂の印象は表向きは討伐の旅に積極的でも裏の顔として穏やかではない研究者たちを匿う複雑さを持つ組織という認識でもある。
<違うな。関係はない。そうだな、引退しているから以前は関係者だったと言えるな。脱会した信者の子であるチーキーを連れてここで暮らして長いのだから。>
<牧畜をされているのですか?>
<いいや、もともとあれはこの土地にあって、この家や畑を借りた時についでに任されたのだ。この土地はとある侯爵家の飛び地だ。厩舎を管理する者は別にいるから、自分が暮らす家を守る結界の円を広げてついでに面倒を見ている程度だ。>
<聖竜騎士だと、その人たちは御存知なのですか?>
<昔頼みごとを聞いてやったことがあるからね。今はその借りを返してもらっているし、貸しを作っている最中だ。>
何かを思い出したような顔になり楽しそうに笑って、グラナトはメルを改めて見た。
<さっきの話、詳しく聞かせてもらっていいか、>
本題に入りたいようだ。
<ここへ来た理由だと思われる事情、ですか?>
<そうだ。どうして引退した私が選ばれお前さんが寄こされたのかを知りたいのだ。もちろん、チーキーにも聞かせる。いいかい?>
<この子が、次の聖竜騎士なのですか?>
まさかね、と思いつつ、メルは尋ねてみる。厄災の地竜であるシンにとって厄介なのはグラナトだけなのかを知っておきたい。関係ないのなら、子供であるチーキーは巻き込みたいくないので聞かせたくない。
<いいや、その予定はない。この子は預かりものでね。いつか時が来たら、迎えが来る。>
<侯爵家、ですか?>
<そういうことにしておこう。>
グラナトは、秘密めいて微笑んだ。
<下手に知らない方がいいのではないですか?>
<それはこちらで決める。チーキーはもう巻き込まれているのだから、詳しくなくても知りたいと思っているはずだ。そうだね?>
<お師匠様の言う通りです。穢れを持ち込んだこの人が説明してくれないと、穢れに触れた理由がわからないです。清められた気がしません。>
チーキーはメルを見てニカッと笑いながら言った。
<穢れ、ですか、>
<皇国は女神さまに守られら神聖な国だ。国全体を追う結界のおかげで人ではないものは生まれたままの召喚獣の姿となる。ヒト型にはなれないのだ。聖堂の教えも相まって、人ではないものは穢れとされている。>
<竜も、ヒト型にはならないのですか?>
<なれる。だが、長くはもたない。女神さまの加護を持たない竜は魔力の消耗が激しいとされているからね。>
シンはすべての加護を持っていると説明を受けていた。シンなら、この国に侵入してもシンの姿のままなのね。メルは小さく唇を噛んだ。
<穢れた召喚獣は、ヒト型にはなれないのだからすぐに駆逐されてしまう。おかげで人里には姿を見せない。それでも目的を持って人に化けるのなら死人か屍食鬼になってしまうだろう。死は穢れと言って忌み嫌われる。死人も屍食鬼も生きとし生ける者の理に反した存在だから穢れそのものと言っていい。>
<お師匠様が浄化してくださっても、穢れが持ち込まれた事実は変わりません。>
だそうだ、とでも言いたそうに肩を竦めたグラナトに、メルは逆らわない方がいいという意味だろうなと理解した。
<わかりました。>
<それでいい。まず、メル、お前さんは、先代の地竜王にどうやって会った? 何を吹き込まれてここにきたんだ?>
急にグラナトは声だけでなく、表情も硬くなってしまっている。
思っていたよりもふたりとも歓迎してくれていないという状況は判ってきた。無理もないわ。私は平穏な土地に屍食鬼を連れ込んで結果として穢れを撒き散らしてしまった。引退したとはいえ聖竜騎士のグラナトが燃やして清めてくれていなければ、誰かが浄化する必要があったのだから。
冒険者とはいえ、頼れる存在だと思われていないのも判る。引退していても聖竜騎士グラナトの方がすべてにおいて勝ると感じられているのも、判る。
吹き込まれてきたという言葉の使い方から、グラナトはヴィオティコ爺さんと旧知の仲であるとも思えた。下手に隠し事をするよりは、話せるだけ話した方がよさそう。理解の差があるとすれば、王国人のメルと皇国人のグラナトたちは根本的な立ち位置の違いだ。
メルは覚悟を決めると、ぎゅっと手を握って顔をあげた。
<連れて行ってくれたのは、ミンクス領で侯爵家お抱えの学者をしているシモンズ様です。ヴィオティコ様はとある私の事情をお見抜きになって、隠れた方がいいと判断されました。>
厄災の者に婚姻の印をつけられたから、とは、メルとしては口にしたくない。シンが竜魔王だと思われているようだとも、認めたくはない。
<それでここへ?>
<そうです。引退されているとしても、今の私に頼れるのはあなただけです。お知恵をお貸しください。>
王国語も皇国語も話せず女神の言葉しか話せない状態にあるメルにとって、この先女神の言葉を話せる人間に出会えるとも思えない。
<そうはいってもなあ。隠れるには向いているかもしれないが、何もできないかもしれないのだよ?>
<引退されているからですか?>
<それもあるが、相手にもよるだろう。>
相手であるシンを、メルは語れそうにない。
<厄介な人…、いえ竜なんです、>
<竜ならば、皇国での飛行自体が珍しい。この国は女神さまの結界の中にある。さらに私の作った結界の中にいるからそうそうは見つからないだろう。>
魔力のある者には侵入できない結界なら、邪神と呼ばれる古の悪しき精霊も入ってこれないのだろうな、とメルは思った。
<ここは、皇国なのですね。>
<そうだ。しかも地図にはない場所だ。アルヴェール領の飛び地でね、麓の街の特別な道からしかやってこれない。道を見つけても、魔力を持つ者には結界の中が見えない。そうだな…、ソローロ山脈のかなり山奥の僻地だと思ってくれたらいい。>
<ここから王国へは、遠いのですか?>
飛び地なら、ドラドリの地図にあるアルヴェール領とは違う場所なのだろう。メルは頭の中に地図を広げて眺めつつ考える。地図上ではソローロ山脈に盆地のような場所はあっても、細かな道など描かれていなかった気がする。主要な街や街道以外は、草地も山地も岩地も魔物を倒して資金を稼いだりレベル上げに使う修練の場だ。
<王国へと国境まで向かうにも、山を下りて馬車を飛ばしても4、5日かかる。麓の街が魔物の襲撃にあっているなら、道の回復に時間が必要となる。悪路を行くとなるともっとかかるだろうな。>
メルは指を折って数えてみた。いくら私が冒険者でも、ここから麓まで行き何かしらの手段を得て国境を超えるのだとして、理想的な隊商を探せるかどうかわからない。言葉の壁や偶然が重なってもし国境まで進められても、王国側の国境から王都へ向かいミンクス領へと戻りフォイラート領のブロスチまで行く日数が問題となってくる。頑張って最短で移動できたとしても満月の夜までに到着できなさそうだ。そうなるともちろん、ファーシィを助けられそうにない。
<そんな…、戻れない場所に隠されたんだ…。>
竜人や竜の言う隠すという意味が思っていたよりも徹底していて、メルはつい心の声が口に出てしまっていた。
<隠れに来たのに、帰りたいのかい?>
<お師匠様、この方、少し変わられていますね。危機感がない気がします。>
チーキーはメルを不思議そうに見た。
<王国にいたら竜に見つかるからここに隠されたのに、王国に戻るって、正気とは思えないです。>
<チーキー、言いすぎだ。事情を話さないのだから、相当に面倒な事情だろう。>
<ああ、なんとなくわかりました。お師匠様、知ってしまうと面倒そうですから、絶対に聞かないでください。>
ムッとして、メルはグラナトとチーキーを見つめた。シモンズが話していた厄災の者がもたらすという影響を思い出して、さっそくその通りだわ、とこっそり思ったりもする。
<私は、ここを出た方がいい気がします。>
<せっかく隠れたのに? お師匠様、やっぱりこの人はおかしいです。>
<チーキー、>
窘めたグラナトは、困った顔でメルに問いかける。
<どうしてそう思うのか、教えてくれないか、>
<その人は…、魔力を持つ竜ですが、無数の加護も持っているみたいなのです。この結界を、突破出来てしまうと思います。>
言葉を選んだはずなのに、グラナトは閃いたように声を発した。
<ああ、そうか、そうか。わかったぞ、お前さんがここに来た理由が、>
<お師匠様?>
<そうか、ああ、メル、お前さんの言いたいことが判ったよ。先代の地竜王様がここを選ばれた訳も。ああ、そうか、>
判ったのにあまり嬉しそうではないグラナトは、理解が追いついていないメルに向かって<覚悟はいいか、久しぶりで震えがくるよ、>と言った。
ありがとうございました




