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18、世界で一番隠したいもの

「すみません。少し路肩に泊まります。揺れますから気を付けてください。」

 大丈夫ですと答えようとしたタイミングで、馭者台との小窓が開かないのもあって叫ぶように伝えた馭者の声が、窓枠だけの穴の外からも聞こえてくる。

「どうかしたのかい、」

 声を硬くしたシモンズの問いかけに、「警邏中の騎士団の騎馬隊です、」と返事が返ってきた。

「ああ…、」

 思わず出たシモンズの気持ちが理解できて、メルも溜め息をつきそうになる。馬車内部の惨状を考えると、さぞかし後方を行く馬車に迷惑かけてしまっただろうなと実感もする。出所のよくわからない水にいろいろもげたよくわからない虫の死骸に、身元のよくわからない女性が前方の馬車から転がってきたら、誰だって通報だってしたくなるだろうなと思う。

 シモンズが「しないよりはましでしょう、」と言って窓枠だけの窓のそれぞれにカーテンを閉めた。布を広げる度、布に絡まっていた虫の羽や手足が転がって落ちて、メルはその都度身震いしたくなったけど我慢して黙って払い除けた。

 光が入ってくるのはカーテンもないドアがあった場所からだ。光源が少なくなってしまうと、白日の下にさらされていた時に比べて冷静な気持ちで襲撃されたのだという事実を噛みしめたくなってくる。カーテンで覆っただけなのに、怪我を隠しているような気分になる。もしかして私、自分が考えている以上に怖かったのかもしれないわ。だからって、逃げ出せない。しっかりしよう。メルは両肘を撫でながら自分を抱きしめた。


 ガタゴトと音が響いて、馬車が止まった。馬数頭のいななき声や震わせた唇の音、何人かの硬い靴音が聞こえてきて、メルはそっとシモンズを見やった。

<私、どうすればいいですか、>

 王国語で質問されても答えられない。<黙っていて、いいですか?>

<もちろん。あなたは小者なのですから。>

<ありがとうございます。>

<そんな心配よりも、これを。>

 メルの肩にふわりと乗せられたのはシモンズの黒い上着で、濡れているけど寒くはないわ?とまず思ってしまった。

<ありがとうございます?>

 一応お礼ぐらいは言っておかないと、と善意に感謝して会釈もしてみて、私は濡れているんだと改めて気が付いた。濡れて透けているのは下着で、不本意な戦闘の後とはいえ、見られたくないし見せたくない格好だった。

 外では、馭者と騎士とが話している声が聞こえてくる。

 次は、こっちへ来るんだわ…。ぎゅっとシモンズの上着を引き寄せて服を隠して、メルは目を伏せた。話せないのを隠せるよう、聞こえないふりでもしようか。会話に反応して視線が動かないように、見えないふりもしようか…。

<メル、奥へ行って構わないから、>

 シモンズの気遣いに再び会釈して、メルはシモンズの向かいの座席の角に肩を寄せて座った。もちろん、座席や周辺に残っていた死骸や羽の残骸は手で払ってのけてある。

 路肩と言えば聞こえがいいけれど、雑木林や雑草が生い茂る野原がすぐ向こうにある。メルは外の景色へと視線を動かした。あのオッドアイはいい匂いがすると言っていた。おそらく加護に残る魔力の残り香だ。エリワラで貰ったばかりだからきっとまだ香るんだ…。察せられたくないのもあって、メルは魔力を持たない王国人でありますようにと願った。魔力を持たず魔力を感じられないなら、加護を持っていようと『いないもの』として扱ってくれるのではないかなと期待もする。

 草を踏んで歩く音が聞こえて、何かを話す男たちの声も聞こえてきた。


「ちょっとお話を聞かせてもらってもいいでしょうか、」

 快活なはっきりした声で話す若い騎士を真ん中に、扉のない出入り口に騎士が3人現れた。後方にいるのは指導役の年配、記録用の帳簿を手にしているので記録係、といった印象だ。小者な立場なら、雇用主以外はすべて雇用主の許可がないと顔を見せられないはずだ。メルは行儀よく膝の上に手を重ねてそっと俯きがちになり、口をきゅっと噤んで表情を硬くして身構えた。見えたのはすべて侯爵家の騎士団の制服を着た騎士だった。見知った顔はないし、田舎町であるククルール周辺にやってくるような一歩引いた者たちではない。ここにいるのは誰も領都周辺を守る精鋭だ。

「ミンクス侯爵家お抱えの学者シモンズ殿がされて御搭乗されていると先ほど耳にしたが、貴殿がシモンズ殿でお間違いないだろうか、」

 話し方も丁寧で落ち着いた声なので、年配の方だろうなとメルは思う。

「ご苦労様です。」

 シモンズの声には動揺している雰囲気はない。

「この状況、いかがされましたかな。」

 最後のひとりは神経質そうな印象の声をしているから、記録係だろう。

「魔物の襲撃に会いました。抵抗したので少しひどい目にあい、この有様です。」

「この水は…、確かシモンズ殿は水の魔法を使われましたな? 攻撃されたのですか?」

 騎士団としてはシモンズが水竜の子だと把握済みなのに、あえて本人なのかを尋ねたようだ。

「そうです。小癪にも、私とこの子を攫って行こうとしたのです。」

「オオオ…、」

「昨夜の領都周辺では魔物(モンスター)の襲撃があったようですね? その残党かと考えましたが、違いますか?」

「ええ、違いますね。」

 あっさり教えてくれるのは、最初の快活な若い騎士だ。「あの者たちは火を使いましたから。」

「この馬車を襲撃したのは…、」

「女性の魔法使いと彼女が使役する虫の大群でした。」


 話を聞きながら、ふと、蝶や蜂といった飛ぶ虫ばかりを使う職位(クラス)って何だろうとメルは考えていた。ドラドリに登場する職位(クラス)の一覧を懸命に思い出そうとこっそり眉をひそめてもみる。虫なら風属性か地属性だわ、でも、魔法使いで虫を限定している魔法ってあったかな…。いや、違う。

 あれだけの虫がすべて実態だったから死骸の一部が残っていた。魔法で精製した魔獣でも精霊でも(あやかし)でも、ましてや幻術ではない。


「道理で水、なのですな、貴殿は水を得意とされていますからな、」

「火をお使いにならなくてよかったです。昨日の戦闘で残党が残っていたのかと気色ばんだでしょうから、」

 アハハハと騎士たちが軽く笑う声がやけに空々しい。

魔物(モンスター)の討伐は昨夜のうちに完了したのですか?」

「今朝方までかかりました。我々は応援に来て、ここにいるのです。」

「そうですか、さすが我がミンクス侯爵家の領内外から選りすぐりの精鋭を集めた騎士団ですね。」

「貴殿こそ。ちなみに、何か恨まれるような心当たりはおありですか、」

 きっとこっちが本題だ。

「ありません。馬車を間違えて乗り込んできたのではないかと思われます。」

「その辺の可能性については、エリワラやマルクトの検問所の出入記録を照らし合わせないと断言はできません。」

「貴殿は学者でいらっしゃるのだから、我々には価値が判らない貴重品を所持されている可能性もありますな、」


 学者なら、わかるかな。

 図鑑を思い描きながら蝶と蜂の共通点を考えていて、メルはようやく思いつく。どっちも、芋虫からさなぎを得て成虫になる…?

 (ラーヴァ)使い(キーパー)…。

 正確には芋虫(ラーヴァ)使い(キーパー)だ。地属性の緑の手(グリーンハンド)からしかなれない職位(クラス)なのもあって、虫に興味がないとそうそう選択肢には引っかかってこない分、極めて希少な職位だと思えた。

 魔力を感じなかったのは、魔石を使っているからだ。何しろ緑の手(グリーンハンド)自体が、魔力よりも一個人の素質を重要視する能力だったりする。

 あの左右に違う瞳の色…、鮮やかで、惹きつけられるオッドアイは公国(ヴィエルテ)人だからかもしれない。


「お戯れを。私はしがない学者ですから。」

「あなたご自身かもしれませんね、お気を付け下さい、我が領の竜人様。」

「私など、よくいる竜人でしかありません。それこそ人違いでしょう。」

 乾いた笑い声が聞こえてきて、メルはうすら寒くなった。

「とりあえずと言っては何ですが、その影響で医師や治癒師(ヒーラー)が野営に派遣されてきています。我々と同行されますか?」

 一瞬シモンズは間があって、「お気持ちだけ戴きます。もうじきマルクトでしょうから、まず屋敷へ戻りたいです。私もこの子もこんな格好ですから、」と断ってくれた。

「いくら夏が近くても、おふたりとも、ずぶ濡れなままでは風邪をひいてしまいそうだ。着替えを用意させましょうか、」

「ご配慮に感謝しますが結構です。」

 まるで騎士たちはなんだかんだ理由をつけて野営本部にこの馬車ごと移動させたいようだ。

「その子供は、人間ですか?」

「ククルールで雇い入れた小者です。雇ってそうそう怖い思いをさせてしまったのでかわいそうなことをしました。屋敷に戻ったらまず、美味しいスープでもばあやに作らせます。」

 スープという言葉もばあやという言葉にも、独特に温かみがあった。

 こんな場でも引き合いに出される『ばあや』という人はシモンズの特別な存在なんだろうなとメルは思った。騎士を相手に身内の話などしないと思っていたからだ。

「その者の身元は確かですかな?」

「ルース商会で紹介を受けた者です。御安心ください。」

 アレは紹介を受けたと言えるのかなとメルはちょっと引っ掛かりを覚えたけれど、物は言いようだわと考え直す。

「そうですか、それなら大丈夫でしょう。」

 記録係が帳簿を閉じた音が聞こえた。

「何か不都合があったらお申し付けください。もしよろしければご自宅まで護衛も可能です。」

「ご協力感謝します。また何か不明な点がありましたら、お屋敷の方へと伺います。」

「結構です。その時は皆さんのためにばあやに美味しいお茶でも用意させます。」

 来るなら来てみろ、というシモンズの心の声が聞こえた気がしたけど、メルは気のせいだと思うことにする。

「無事の御帰還を願って!」

「ご協力感謝します。」

「失礼!」

 カチャっと金属音が重なって響いたので、3人揃って敬礼でもしたのだろうなとメルは思った。

「ありがとうございます。お仕事、ご苦労様です。」

 シモンズがお辞儀している気配がしたので、メルも倣って頭を下げた。そのままの態勢で耳を澄ませて待っていると、ガタゴトという音と誰かが掛け声をかける声が聞こえて、馬車が動き出した。

 状況がよくわからないので角に身を潜めて座るメルは、黙って馬車の揺れに合わせてカーテンがバシバシと風に音を立てて煽られているのを聞いていた。


<メル、大丈夫ですか、どこか痛みますか?>

 シモンズが身を乗り出してメルに尋ねてくれた。

<大丈夫です。>

<あなたは特に怖い思いをしましたね。あんな魔法使いもいるのですね。>

 シモンズは、(ラーヴァ)使い(キーパー)を知っているのだろうか。

<あの、>

 経験から知っている知識を披露するだから間違っている気はしないけれど、知っている情報が情報なだけに下手に勘繰られてしまう危険を考えてると躊躇いたくなる。

<手でも握りましょうか?>

 揶揄うようにシモンズが笑った。

<違います。さっきのオッドアイな女性、(ラーヴァ)使い(キーパー)では?>

<ああ…、>

 すぐに合点がいったような表情になったのを見て、メルはほっとして、同時に、不思議そうにメルを見つめ直したシモンズの視線が怖くなった。

<思い付きです。忘れてください。>

<あなたはやはり随分と物知りなのですね、>

 視線を逸らして口を噤んで、メルは顔を伏せた。

 斜交いに座るシモンズが黙ったままメルを伺っている様子なのが感じられても、上手に誤魔化せる気がしなくて話す気にはならない。目をつむって眠ったふりでもしようかと考えても、マルクトでの検問所でうっかり門番や騎士に寝顔を見られるのは嫌だわと思ってしまって静かに諦める。

 しばらくして馬車の速度が落ちてきた辺りから周辺の話声が賑やかに聞こえ始め、乾いた砂が踏まれる音や乾燥気味な空気感に、馬車がマルクトへと到着したのだとメルは判った。


 ※ ※ ※


 馬車の状態をさっと門番が確認するとあっけなく検問を通過出来、ドアのない馬車は意外にあっさりと領都マルクトへと入った。こんなひどい状態の馬車なのに質問攻めにあわなかったのはシモンズのミンクス侯爵家のお抱えの学者という肩書がものを言ったのだろうなとメルは思ったりもするけど、肝心なシモンズは何も話してくれなかった。

 にぎわう繁華街も市場周辺も過ぎて、馬車は大きな道を選んで走って、似たような印象の庭と奥まった屋敷のある街へとやってくるとようやく止まる。門の扉を馭者が馬車を止めて開けずともギーッという軋む音の後扉は開いた。

 門番までいる大きなお屋敷なのね。メルが感心していると、薄暗くなり、馬車寄せ?と考えているうちに馬車は止まった。

「まあまあ、これは大変ですこと、」

「お前たち、出迎え済まないね、」

「何のこれしき、大丈夫ですよ、シモンズ様。」

 馬車の扉があった場所から顔を覗かせているのは、一見すると普通に執事や侍女の格好や普通な庶民な格好をしている人間だ。半妖の特異さや、精霊や妖精の気配などない。共通しているのは誰もが美しい水色のリボンを体のどこかに付けている。女性は襟元のリボンとして、男性ならタイの代わりに使われている。

「紹介するよ、この者たちは私を『囲う者』たちだ。みんな気のいい者たちだから安心しなさい。」

 竜人を囲う者って、お世話をする人たちのこと?

 メルはそう思いながら会釈した。

「心配しましたよ、」

「これはあまり連絡を詳しく書いて寄こさないのです。」

 馭者が責められて肩を竦めていた。彼も囲う者だと言っていたのをメルは思い出す。

 シモンズは先に降りてしまって、自身を囲う者たちに囲まれている。メルには『囲う者』たちはティポロスの『竜を崇める者たち』と印象は似ていても実際はまるで違うのだと思えた。表情にある充実感がはっきりと違う。この人たちは自分が尊敬し憧れている竜人(シモンズ)のお世話ができて嬉しい人たちなんだ、シモンズもそれをわかっていて、感謝したり大事にしている関係なんだわ。


「シモンズ様。この子は…、」

「ククルールで保護してきました。私が知る限り、一番隠しておかないといけない娘、です。しばらく小者として傍に隠します。」

 注目されているのを感じて、メルはひとまず深々とお辞儀しておいた。王国語が話せないとバレるのは時間の問題でも、開き直って女神の言葉(マザー・タン)を話そうとも思わない。

「その子、黙ったままですね、」

「話せないのですか、」

 メルに向けられた怪訝そうな声は、あくまでも好意は竜人(シモンズ)の為だけにあると言っているように冷たい印象がある。

「怖い目にあった子です。話せば長い事情があります。かわいそうな身の上です。」

 大袈裟にシモンズはそう言って、静まり返ってしまった皆の前でメルに「降りておいで」と手招きしてくれた。なんにせよ救いの手を差し出してくれているように感じて、メルはいそいそと馬車を降りた。

 メルの焼ける前の家より大きくてもレイラの家よりはこじんまりとしたお屋敷なのに、集まってきているのは結構な人数だった。執事服を着ていない普通な格好の者たちもいたので、近隣に暮らしている者も集まった、という印象だ。竜人を温かくそっと見守るというには規模が大きい。


「この子を狙って襲撃を受けました。この子をまず、風呂に入れてやって様子を見てやってくれないか。怪我をしているようなら治癒(ヒール)も頼みます。馬車の検分も隈なく頼みたい。何しろ相手は珍しい(ラーヴァ)使い(キーパー)です、火を使った方がいいかもしれません。」

「なんですか、それ、」

 聞きなれない職位(クラス)に、集まっている者たちがざわついた。

 コホンと軽く咳払いをして、学者なシモンズは背筋を伸ばし、「公国(ヴィエルテ)人の冒険者で緑の手(グリーンハンド)はありふれていても(ラーヴァ)使い(キーパー)はそういませんから、もしかすると身元を突き止められるかもしれません、身元調査もお願いします」と言った。


「わかりました。お任せください。」

「火を使える者もいますから。」

「私たちにお任せください。」

 頼もしい男たちの声に、シモンズが「頼りにしている、」と答えると、皆嬉しそうな表情になった。

「お風呂の用意はできています。」

「お水も、大丈夫です、」

 侍女たちも負けてはいない。

「ありがとう。」

 シモンズの感謝の声にはにかんだ笑顔になって、侍女たちはメルを囲んで、「大丈夫よ、安心して、」と屋敷の方へと誘ってくれた。シモンズを見やると「安心しなさい」と言ってくれ、シモンズは流れるように一番心配顔の老年の女性へと視線を動かした。執事や侍女たちの後方にいた白髪頭で黄緑色の瞳を心配そうに曇らせた彼女は、侍女服のエプロンの裾をぎゅっと握っていた。

「メリッサ、この子に温かいスープも頼む。」

「お任せください。」

 シモンズが優しく声をかけるときりっとした表情に変わったので、メルはこの人がばあやと呼ばれて信頼を置かれている人物なのね、と理解した。

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