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14、重ね付けする意味

 ガタゴトと音をさせながら、通路にあった格子が天井へと戻って行った。

 指を鳴らすのが作動する合図なのね、とメルは思いながら見ていた。これでいつでも逃げられるはずなのに、逃げられなくなった気がしてならないのはなぜだろう。嫌な予感がする。安心感ではなく不安がやけに強くなって、口が乾く気がして、メルは唾を飲み込んだ。目の前にいる風竜王が怖いけど知りたい、居合わせているシモンズに知られてしまうのは避けたいのに、答えを知りたいと思ってしまっていた。

 咄嗟の判断が致命傷になると判っていても、どうすればうまく切り抜けられるのか考えたくても、そんな時間はない。遜り過ぎても不興を買いそうで、馴れ馴れしすぎても怒りを買いそうだ。

 落ち着こう、私は見かけの年齢のままに振舞えば違和感がないはずで、どんな馬鹿な返事をしても『成人間近の未熟な町娘がする無作法』と見られてしまえば、向こうも私に無理は要求できないはずだ。普通の町娘なら目の前にいる風竜王を風竜王である雷竜シュガール本人であると知らない育ちをして居るはずなのだから、シモンズが竜王と言った相手が誰なのかわかっていない態を取ってもおかしくない。だいたい名乗っていないのだから、現時点での手掛かりは竜王というシモンズの言葉しかないのだ。

<私が、ですか、>

 ドラドリの登場人物なら知っているメルは、『この世界では何も知らない町娘』という設定を自分に課して、驚いた表情を作った。

 秘密よりも興味をひかせるような『面白いもの』が手持ちの何を差す言葉なのか判らないだけに、何もかも知らない立ち位置にいた方がうまく演じられる気がする。


 シュガールは顎に手を当てメルを見ながら首を傾げ、メルの周りをぐるぐると歩き回ってしげしげと観察し始めた。

 おろおろと狼狽えるのがいいのか居心地悪そうにそわそわした方がいいのか迷いながらふと視線を感じて顔をあげると、シモンズと目が合った。

 シモンズは、メルを観察しながら回るシュガールとメルとを興味深そうに観察している。


 ここにいる私たちって誰もお互いを探りあっていたりする関係なのかな。心の中で呟いて、似た緊張感を自分の中に探ってみる。高校の頃の風紀検査ってこんな空気だったなって思い出して、あ、私、本当に今の世界での学校での記憶がないんだ、と実感もする。

 虫食いの記憶の代替が前世の記憶で補完って、自覚している以上に記憶を奪われてしまっているのかもしれない。メルは思わず小さく溜め息をついていた。


<溜め息か。>

 呆れたようなシュガールの声がした。


<すみません。>

 反射的に謝って、さらにメルは恥ずかしくなる。どんな姿かたちであろうと、竜王は竜王だ。敬うべき対象なのに、見かけの美青年な若さに目が眩んで、軽い扱いをしてしまっている。

<申し訳ありません、>

 改めて詫びてみる。将来的に竜の調(ドラゴン・ブ)伏師(レーカー)になりたい身の上としては、竜王の怒りは買いたくない。


<気にするな。とっくに調べさせてもらっているから時間はかからない。ただ、興味があるだけだ。>

 調べるって、どうやって。

 メルの疑問を、シュガールはこともなげに答えてくれる。

<目を見開いて見上げていただろう? それだけで十分だ。>


 空から私の目を覗いたの?

 そんなの無理だわ。だって、地上の私は小さすぎるじゃない。

 否定しかけて気が付く。もしかして、逆?

 スクリーンだと思っていた空は、外側から見るとレンズの役割があるのかもしれない。拡大鏡で私を覗いたのなら、小さくなんかない。

 ああ、私は知らず知らずのうちに自分自身で私の中にある秘密を差し出していたのね…。


 与えられた映像と差し出す情報は同じ時間に自動的に交換されていたのだと判って、メルとしては騙された気がしなくもない。不本意だと怒りを感じても、ここは本来冒険者たちに情報を与える隠されたイベントなのだとしたら、ここへ紛れ込んだこと自体が想定外なのでどうしようもないのかもしれない。


<ねえ、あなた、女の子を相手に意地悪は良くないわ。>


 シモンズの向こう側から声がしたかと思うと、ふんわりとした小花模様の薄黄色のワンピースドレスにレースのたっぷりと付けられた白いエプロンをした、かわいらしい印象のお下げ髪な金髪に緑色の瞳の小柄な女性が姿を見せた。背丈はメル程で、シモンズの方が背が高い。目鼻立ちは端正で整っていて美しく、やや丸い顔なので頬を膨らませているとさらに丸く見える。


<来たのかい、待っていたらよかったのに。>

 シュガールは驚いた様子で振り返って立ち止まり、嬉しそうに小走りに駆け寄ってくる女性を両手を広げて出迎えた。

<あなただって我慢が出来なかったのよ? 興味が湧いてしまったんだもの、いいでしょ。>


 楽しそうに微笑んでシュガールを抱きしめた女性は春の女神マリ本人だと、メルは見当を付けた。

 ドラドリのゲーム内で登場する際、春の女神マリは簡素な白いドレスに春の花で仕上げた花冠を金髪をハーフアップにした頭に乗せ俯き加減な慈愛に満ちた眼差しだ。冒険者を護る月の女神以外と同じに、ほぼ静止画(スチル)でのみの登場である。

 マリは今のこの場では快活なひとりの女性にしか見えなくて、健康的なふくよかさがあり、生き生きとした表情で所作も軽やかでシュガールへ向けるまなざしも明るくて楽しそうだ。

 

 ふたりで並ぶと新婚ほやほやの映写技師と幸せそうな若奥さんって感じだわ。

 漂ってくる幸福な雰囲気に、メルはちょっと幸せを分けてもらえたような気分になる。


<んまあ! あの子、>

 マリはシュガールとの再会の抱擁を抜け出すと、メルの方へと驚き顔を手で隠しつつやってきた。

<ね、あなたの推測以上ね!>

 シュガールと事前に何かを話していたのだと伺わせるような一言だ。

<はあ…! この子がそうなのね、>

 シュガールと肩を並べてメルを観察するマリは、若干興奮しているような面持ちだ。

<なんて素晴らしいのかしら、>

 マリの表情が喜びに満ちているのとは正反対に、シュガールの表情には陰鬱な気配がする。


 そろそろふたりが着目しているのは何なのかを知りたくなってしまっているのもあって問いかけてみたくなっても、メルの頭には適当な言葉が思い浮かんでこなかった。女神や竜王であるはずなのに気楽な格好をしている落差もあってふたりをどう扱ったらいいのかわからないでいたし、だいたい変な敬語でも笑って許してくれそうな近所のおばさんに話しかけるように気軽に話せる相手ではない。

 このまま黙って表情を読んで話を盗み聞いているしかないのかな。もしそうであるのなら、この時間を耐えたのなら、無事にエリワラへと戻してもらえるかもしれない。

 シュガールとマリの背の向こうにいるシモンズへと目を向けると、耳に手を当てたシモンズは意識を全部耳に集中している様子に見えた。

 シモンズにも判らない事態が起ころうとしているんだわ。メルはそっと、唇を噛んだ。


<ねえ、あなた、この子には贈り物をしてあげましょうよ? 皆そのつもりなのでしょう?>

<マルケヴェスはシャナにつられたのだろうけどな?>

<どんな理由だっていいの、これは気持ちなのだから。>


 水の精霊王シャナ様につられたという水竜王マルケヴェスからの贈り物…。もしかして、加護のこと?

 私への加護が面白いものなのかな。メルはちょっとだけ悲しくなった。人間にとって最高級に栄誉な加護を与える側であるシュガールが面白いものと言えるのなら、加護を与える側は栄誉を与えた意識がないのかもしれないなと思えてしまった。


<あら、こんなにかわいい子を困らせてしまったじゃないの。あなた、言い方がきついわよ。気を付けてあげて。>

 窘められたシュガールは、一瞬だけ不服そうな顔になって、すぐにメルを見てニヤリと笑った。

<もしかしてこの子の名前も聞いていないのね? ね、本当に観察していただけなの?>

<そうだ。悪いか?>

<もう少し丁寧に扱っておあげなさいな。ね、この人は怖い人じゃないから安心して? 私はマリというの。あなたと会えてとても嬉しいわ。>

 マリは笑顔でメルに話しかけてくれた。本心から言ってくれていると感じて、メルは嬉しくなった。

 マリにせっつかれて、シュガールは忌々しそうにメルに向かって話しかけてきた。

<お前には発言を許そうと思う。僕は紳士でありたいからな。シュガールだ。嫌なことがあれば教えてくれると早い。>

<メルと言います。春の女神様と風竜王様にお会いできて光栄です。>

 思いつく限りの礼儀正しさで深々とお辞儀して、メルは自身は庶民であると強調してみる。うっかりふたりの本当の姿を口にしてしまっていた失態も、この際これは教養のうちだと割り切ると決める。

<かわいらしいお嬢さんだこと…、>

 発言や態度が親戚のおばちゃんの気安さだわとこっそり思いつつ、メルは照れる表情を作る。シュガールとマリからの情報でシモンズがメルについて深く知っていくのを警戒すると、どうしてもぎこちない態度になってしまうのは仕方ないとも思う。

<ここにきて答えを見出したのだから、褒美を与えないといけないわね。>

 シモンズが目配せしてきた。発言する許可を得たメルに、元いたエリワラの街へと帰るようおねだりしろとでも言いたいようだ。

<元の街へと帰ること、ですか?>

 メルもつい、もったいぶらないで早くエリワラの街の神殿へとお戻しください、と願ってしまったのは内緒だ。

<アハハ、違うよ、そんなものは褒美とは言えないだろう?>

 褒美として街に戻された経験があるというシモンズはメルの視界の隅で目を丸くしていた。

<アイツには常日頃から世話になっているからなあ。>

 世話になっている、という言葉を使っている割には、風竜王の表情には険がある。

<加護を与えようと思う、>

<え?>

 シモンズが思わず驚きの声をあげている。こんなことで加護を貰えたりするんですか、とでも言い出しかねない。もっとも、メルもそう言いかけて慌てて言葉を飲み込む。


 ニヤリと微笑んで自分の妻である春の女神マリを見やり、風竜王である雷竜シュガールはメルの手首をしっかり掴んだ。口の中から出されたのは爬虫類を思わせる二股に分かれた舌(スプリットタン)だ。

<そうだな、ここに付けてこうか、>

 引っ張って引き寄せたメルの腕の肌に口づけるとそのまま、ベロり、とシュガールは舌で大胆にも舐めた。


 いやあ…!

 舐められている感触を意識したくなくてメルは身震いしながら叫びそうになって、声を我慢する。

 舌の先が二股に割れているので舐められる範囲が広いのは仕方ないとしても、舐められるのも初めてだし他人の夫君というのも倫理に反している気がするし、竜王とはいえ好きでもない男だ。加護を与えるのって、こんなやり方じゃなくたって良いはずなのに。メルは混乱してしまっていた。どうしてこんな目にあっているのか理解できなくなってくる。濡れた感覚も意識したくない。

 首を振っても、これは夢じゃないとばかりわかる。


<んっまあ!>

 暴挙に目を見張り、我に返った途端即座に悲鳴のような声をあげたマリからは穏やかそうな表情も雰囲気も一瞬にして消えていて、興奮していて体温が上がっているのか肌は発光しているように赤い。

 怒りの熱はメルにも感じられたし、激情を剝き出しに、メルとシュガールを鼻の頭に皺を寄せ、睨みつけてくる。

<んんまああああ!>


 怒りのあまり言葉が言葉にならないとしか思えないマリの勢いに腰が引けてしまっていて、自分の腕をつかんで離さないシュガールも何を考えているのかわからな過ぎて怖いとメルは感じていた。

 軽く口づけて加護を与えるだけでいいのにどうして舐めたのかわからない。加護を与え終わったのにメルの腕を掴んだままだし、メルが引っ張って逃れようとするのに案外力が強くて逃れられない。

 どうしよう。逃げなくては。

 マリが悋気の強い性格だとは思いたくなくても、相手は女神である。

 どうしよう、まさか怒りを買うつもりなどなかったのに!


<あなた、よくも、>

 穏やかな表情も雰囲気などもまったくなくなってしまったマリは力任せにメルの腕とシュガールの腕とを掴んで引き剥がして、<かわいそうに!>と叫んでメルを抱きしめて体で庇った。

<こんな子に汚らわしい真似しないでよっ、>

 マリの怒りがシュガールに向けられて、メルはちょっとだけほっとする。ただ、この状況がいい流れなのかどうかはわからない。

 苦しいです、と言えないメルを強く抱きしめたままマリは勢いよく頬にチュッチュッと音をさせてくちびるを押し当ててきて、<かわいそうに、かわいそうに、>と半ば強制的に加護を与えてもくれる。


 加護って何度も与えるものなのかしら。

 ふと疑問に思ったメルは、メルたちを見ていたシュガールと目が合った。やけにニヤニヤと思惑のありそうな顔で微笑んでいる。

 どうしてそんなに嬉しそうなんだろう。

 不思議に思っても、まずは春の女神の腕の中から出ておきたい。


<よかったな、春の女神がしっかり加護で守るから安心しなよ、>

 シュガールはメルから離れたマリに向かって、<アイツ、きっと怒るよ。しばらくお茶会に呼んでも来なくなるね、>と楽しそうに言った。

 加護で守る…?

<あら、そう言えばそうね。あら、悪いことをしちゃったかしら。>

 反省する言葉な割には、フフフと楽しそうにマリは微笑んでいた。

 悪いことって加護を与えることが…?

 魔力がないから加護が欲しいメルが首を傾げると、シュガールと顔を見合わせてマリが申し訳なさそうにメルを上目遣いに見てきた。

<しばらく結婚はできないと思ってくれていいわ。ひとつだけなら幸福な結婚、ふたつ目は純潔の保護、三つ目は独身の謳歌、だったかしら?>

 小さな声で教えてくれたのは、与えられた加護の回数の持つ意味だと思われる。

<メル、よかったな、加護がたくさん欲しかった夢が叶ったな、>

<あら、あなた、もしかしてわざとね?>

<あなたの加護をいくつも貰っていたら、この子はしばらく結婚はできないだろう? よかったじゃないか。>

 いくら結婚の早いこの世界に生まれ育ったとはいえ、メルの中にまだまだ結婚したい願望などなかった。冒険者になったのだってダールに奪われた記憶を取り戻したいからだし、1周目の世界でのファーシィの危機も救いたいし、何よりドラドリというゲームの本筋(シナリオ)から精霊王のマントを隠しておきたいし、家を出たままのカイルや父ラルーサを追いかけたい。

<ありがとうございます。とても、光栄です。>

 何度だろうと春の女神からの加護は加護だと考えて、メルは心の底から感謝を述べた。


 プッと、シュガールが噴き出したのが聞こえた。


 笑った?

 どうして笑うの?

 メルが驚いて顔をあげたのを見て、泣き笑いの表情を浮かべたシュガールが<これは僕からの餞別だ>と言った後、パチンと再び指を鳴らした音が聞こえた。

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